4月1日


 湯船の底が抜けた。船内にくらげおとこの赤ちゃんが紛れ込んでる、リキエさんは実は男だった。まんじゅう屋夫妻が近々船を下りるらしい。
 今朝から数え切れない人たちに声を掛けられていたサイハだが、午後三時を過ぎたあたりからようやく何かがおかしいことに気が付いた。それを疑問にできたのは、テッドが「餡子のまんじゅう、サイハにやるよ」と不意に背後に沸いて出たときで。

「……テッド、あまくないよ、この餡子」

 喜びのまま齧りついたところ、ふわふわの皮の中から現れたのは唐辛子のきいたピリ辛肉炒め。これはこれでおいしいし、食べられないわけではないが、餡子を食べる用意をしていた口の中はかなり残念なことになっている。
 しょんぼりとしたサイハが面白かったのか、テッドは声を上げて笑っていた。

「っていうか、何? おれ、みんなに何かした? 何か、今日一日すごく騙されてる気がするんだけど」

 ぶつぶつと言いながらも律儀にまんじゅうを食べるサイハへ、テッドは「あれ、お前気付いてないの?」と驚いたように声を上げた。

「気付くって、何が? やっぱりおれ、みんなに嫌われるような何かしてる?」

 自分が気付かないうちに、不況を買うようなことをしたのだろうか。心配になり、表情が曇ったサイハへテッドは「違う違う」と手を振った。

「みんながお前を嫌うってありえないから。むしろ逆だよ。みんなお前が好きなの」
「好き? じゃあ何で、今日はこんなに……」

 サイハが言葉を続けようとしたところで、不意にコンコン、と自室の扉を叩く音がした。

「ああ、理由はあいつに聞けよ。俺は戻る」

 サイハがドアを開けるより先に、テッドはそれだけ言って自分の部屋へ戻ってしまった。彼は人の気配にはあまり敏感ではないが、魔力の高い相手ならばその力の質で誰だか何となく分かる、という。
 ドアの向こうにいる人間がテッドには誰だか分かったのだろう。ある程度魔力が高く、それでいてサイハの自室を訪ねることのある人間。

「サイハ様、まんじゅう、食べます?」

 扉を開けると予想通り、そこには紙袋を抱えたシグルドが立っていた。

「……それ、ちゃんと甘い?」

 多少の警戒心を滲ませながらサイハが尋ねると、シグルドが首をかしげながら「ええ、餡子のまんじゅうなので甘いと思いますけど」と答える。彼にお茶を入れてもらっている間に一つかじりついてみると、本当に餡子のまんじゅうでようやく一息つけたような気がした。
 ここに至るまでの経緯をまんじゅうとお茶を手に語り終えると、シグルドはくすくすと笑いながら「確かに」と口を開く。

「みんなサイハ様のことが好きなんですね」
「こんなに騙されてるのに?」

 騙す、ということはよくてからかいの対象、悪ければ嫌われいる可能性もある。そう眉を潜めたサイハを安心させるように、シグルドは「今日は四月一日ですから」と笑みを浮かべた。

「エイプリルフール、ってご存知ないですか? 俺も本来の意味や由来は知りませんけど、今日一日は嘘をついてもいいんですって」

 だからでしょう、とシグルドは続ける。

「みんなサイハ様が好きだから、笑ってほしいからそうやって声を掛けてくるんですよきっと。テッドくんの言うとおりだと思いますよ」

 その言葉に、サイハは「ふうん」と頷いてまんじゅうにかじりついた。つまりはみんな、悪気があって嘘をついていたわけではなかったということらしい。それはそれで安心したし、みんなに声を掛けてもらえたことは嬉しいとも思う。

「……けど、騙されっぱなし、って悔しいなぁ」

 むぅ、と眉を寄せて呟いたサイハは、もう一度唸り声をあげて考え込む。しばらく俯いていたと思えば、不意に顔を上げてサイハは口を開いた。

「今からサロンに行って、『俺はシグルドと付き合ってます!』って叫んでこよう」
「……それ、嘘なんですか?」

 サイハの言葉に少しだけ眉を寄せながらシグルドがそう問いかけた。確かに互いに好き合っているのは事実だし、体も繋げてはいるが恋人同士であるかどうかの確認はしたことがない。
 しかしサイハは「今日そう言ったら、みんな嘘だって思うでしょ?」と笑う。

「それが嘘だっていうのが嘘」

 裏の裏は表。それを事実として公表するにはサイハの立場が許さない。サイハもシグルドもそれを理解しているからこそ、互いに口にしなかっただけであり、皆が嘘として捕らえてくれるなら今日くらいはそう告げてもいいのではないだろうか。
 サイハの意図に気付いたシグルドは、嬉しそうに頬を緩めてサイハを抱きしめた。




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2008.04.02
















いつでも幸せそうだなぁ、この二人。