終焉に向けて


 二人が出会ってどれくらいの時が経っただろう。
 そもそも俺たちには時間という概念が無意味だから、そんなことを考えても無駄なのだが、まだ人間だった頃(といえば多分に誤解されそうだけれど)の習慣は十八年やそこらで忘れられるわけもなく。ただ、ふとした瞬間にそう思う。
 ああ、出会ってから十八年も経ったのか、と。
 だから、あいつが突然そう言ったときも、俺はそんなことを考えていて、空耳かと、もしくは聞き間違えたのかと思い、間の抜けた返事をした。

「は? なんつった?」

 よほど抜けた面をしていたのだろう。彼は呆れた表情を浮かべて言い直す。

「だから、僕は明日死ぬって言ったの」
「……ナンデ?」
「全部カタカナで聞き返さないでよ。君、頭動いてる?」

 相当に混乱した結果なのだが、彼は気にすることもない。かなり酷い言葉をさらりと言い捨てる辺り、昔と少しも変わっていない。外見もほとんど変わることなく、昔は肩の辺りまであった髪の毛を今はばっさりと切っている程度だ。

「ついさっきまで動いてる自信を持ってたけどな」
「根拠のない自信は身を滅ぼすよ」
「……それは、俺の頭は動いてなかったってことを暗に言いたいってことか?」
「ああ、良かった、通じたね。皮肉も通じなくなってたらどうしようかと思ったよ」
「どうもしなくていいよ、もう」

 非生産的な言葉の押収に頭痛がしてきて、思わず頭を抱える。昔から、散々繰り返されてきたこのやり取り。ただ今日は、今日ばかりは、聞きたくないことを聞いた所為で俺のほうが分が悪い。

「僕は明日死ぬだろう。どちらに転んでも、明日死ぬ。だから、君とは今日でお別れ。わざわざお別れを言いに来てあげたんだから感謝してよ」
「いや、むしろ感激するけど」

 って、そういうことを言いたいんじゃなくって。

「……俺はそれを黙って見ていることしかできないのか?」

 彼が何かをしていることは知っていた。彼の目的を果たすため、何か大掛かりなことを、一般的な倫理観を持ち合わせた人間からすればかなり非人道的なことを行っていることは、ずいぶん前から知っていた。俺はそれをとめる気はなかったし、だからこそ別行動をとっていた。俺が十八年前に俺の役目と目的を果たしたように、彼にも彼の役目と目的がある。あの時と同じように、俺は彼の臨むままの行動をとっただけだ。その帰結がまさか彼の死に至るとは思っていなかったが。

 いや、薄々は気付いていた。気付いていながらも、目を逸らしていたのは俺の弱さ。

「君は僕の行動に入り込む気?」

 それはできない。できるはずがない。苦笑を浮かべることもできず、俺は首を横に振るしかなかった。

「でも、懇願するくらいなら構わないだろ?」
「懇願? 君が? ……似合わないね」
「懇願だろうが哀願だろうがなんでもするさ。どんなにかっこ悪くても」
「……何故?」
「それをお前が聞くのか?」

 抱き寄せることしかできない自分に腹が立つ。何もしてやれない、そしてこいつも何も望んでいない。それが分かるからこそ。

「……昔……」

 普段なら暴れ出す状況のはずなのに、何故か彼はおとなしく俺に抱かれたまま、あまつさえ俺の背に腕を回してぽつりと言った。

「僕も同じように思ったことがある」
「同じ?」
「そう、今の君と同じように、哀願だろうが懇願だろうが、何でもしてやるさ、って」
「……誰のために?」
「それを君が聞くの?」

 ふと背から腕を放して、彼はにやりと笑った。いつもの、全く普段と変わらない彼の小生意気な笑顔。

「哀願だろうが懇願だろうが、なんでもするから、頼むから泣くなって。ずっと思ってた」
「泣く? 俺が?」
「君、隠せてるとでも思ってたの? 僕相手に? あれだけ負の感情ばら撒かれたら、普通は気付くよ」
「……俺、もしかしてめっちゃかっこ悪い?」
「…………」
「何故黙る」
「僕にどう答えろってのさ」
「せめて『ううん、そんなことないよ』くらい言えんのか、お前は。仮にも恋人だろ」
「ううん、そんなことないよ」
「遅いっつーの」

 顔を見合わせて笑う。いつもと変わらない光景なのに、違和感が伴うのは何故だろう。

「はぁ、じゃ、もう遠慮なくかっこ悪いところ見せられるってわけね」
「もう十分見てるからね」
「あっそ。じゃあさ、頼むから、逝くなよ」

 ぴくりと彼が反応したのが分かった。まさか直接に俺が言うとは思っていなかったのだろう。甘い。俺が開き直ったらこれくらいのかっこ悪さは軽い。

「お前さ、俺を置いて逝く気? なぁ、逝くなよ」

 分かっている。彼がこの言葉に答えられないことくらい。「それはできない」といえるほど彼は強くはなく、俺の言葉に従うほど弱くはない。
 泣きそうに歪められた彼の表情が切なくて、思わず俺も泣きそうになった。

「なぁ、ほんとに、死ぬのか? 俺を置いて? もう止められない? どうしようもできない? 俺が頼んでも?」

 ぐっと、俺の背に回された彼の腕に力が込められる。
 それだけで十分だった。言葉など、要らない。

「……俺が俺の望む行動を取れるなら、今すぐここからお前を連れ出すだろうな。前みたいにあっちこち旅して回ってもいいし、どこか小さな村に居座ってもいい。お前がいなくならにように全力で拘束して。……でも、それはできない。俺はお前のことが好きだから。だから、お前の望みを絶つようなことはできない」

 彼のことが好きだから。何よりも、誰よりも。

「……ここで謝ったら、きっと君は怒るだろうね」
「怒るな」
「謝らせてもくれないんだね」
「……そうだな」

 冗談じゃない。謝罪の言葉が欲しいわけじゃない。

「分かってる。これは僕の我儘で、やっぱり僕は君よりも自分のほうが大事だったんだ。だから、僕の都合に君を合わせることは出来ないよ」
「うん。だから、お前が死んだら、後は俺の自由だろ?」
「…………うん」

 髪の毛をかきあげて、現れた耳朶に軽く口付ける。

「俺が誰と幸せになるのも、お前をきれいさっぱり忘れるのも、俺の自由だろ?」
「…………うん」

 少し戸惑って頷き返す彼が愛しくて、抱きしめる力を強くした。この腕の中の温もりだけが、今の俺を占める全て。俺という存在を構成するには不可欠の要素。

「お前を殺したやつを全て食い尽くしてやるのも俺の自由だよな?」

 俺は、ふと、昔まだあの甘いときがそれこそ永遠に続くのではないかと盲目的に信じていられた頃に交わした、彼との会話を思い出した。何が発端だったのかは忘れたが、将来の話をしていたのは確かだ。互いの望みを言い合った。

「…………」

 俺が「お前と共にあること」と言えば、彼は少し考えて首を横に振ったのだ。その後に続けられた言葉を、今でもはっきりと思い出せる。

「んで、お前の後を追うのも、自由だよな?」

 囁くように耳元で言うと、彼は顔を上げて俺を正面から見た。あまり表情の変化がない彼の顔は、酷く切なげに歪んでいる。

「…………セツナ」
「自由だよな?」

 もう一度問い掛ければ、彼は顔を伏せてこくりと頷く。

「…………うん」







「君と共に生きたいなんて、少しも思わないね。
 どうせなら。
 君と共に逝きたいよ、セツナ」




ブラウザバックでお戻りください。
2007.10.02
















3をやったあとに衝動的に書き上げたもの。
ラストが気に入ってたのでオリジナルにも流用。これが大元。
1、2のころからルッくんを愛してやまない人間に3の話は鬼門。
3をもう一周してどうしても納得いかなかったら、
3自体をなかったことにして2までで話を作り続けるかもなぁ。
時間軸的に4も5も1より前だから問題ないし。