新年だから


 決して狭いわけではない船だが、それでも閉ざされた空間であることは違いない。限られた空間は人々の心を徐々に蝕む。長い間同じ場所、同じ顔ぶれが続くと小さなことでも諍いが起きやすくなってしまう。それを解消するには適度な息抜きだ、と軍師エレノアは言った。
 つまりは何かにつけて船をあげてのお祭り騒ぎをすればいい、というのである。要は堂々と宴会を開く言い訳にしたいだけじゃないのか、とエレノアの酒好きを知っているサイハとしては疑わずにはいられない。
 しかし船に乗る人々が楽しそうにしている姿を見るのは好きだ。自分があまりそういうことを楽しめない分、楽しんでいても表情に出せない分、人の笑顔を見るのが好きだった。

「よう、サイハ、飲んでるか? おれは飲んでるぞー!」

 騎士団時代の仲間、タルが陽気にそう声をかけてくる。実は彼はこの体格この性格で酒がかなり弱い。サイハも強い方ではないが、一口飲んだだけで酔える彼には敵わない。ジュエルは一緒に馬鹿騒ぎをし、ケネスが「人の迷惑も考えろよ」と呆れ、ポーラがはらはらと心配している。確か、騎士団にいたときもこんな感じだったな、とサイハは小さく笑みを浮かべた。
 あと少しで新年を迎える。今日は今年最後を締める忘年会のようなものだったが、こういうときに見張り番になった人は可哀想だな、とサイハは目の前で繰り広げられる宴会を見やりながらぼんやりと考えていた。
 勧められるままに酒を飲み、料理に舌鼓を打つ。サイハの好物がまんじゅうであることは船にいる誰もが知っていることで、あちらこちらから白いそれが差し出されていた。

「いいよな、お前は。それだけ食っても太る素振りもねぇ」

 俺なんか最近腹が出てきただのなんだのフレアに怒られっぱなしでよ、と一国の王とは思えぬ悩みをリノが愚痴り、それにエレノアが「中年太りだろ。諦めな」と辛辣な言葉を返す。

「いやいや、同じ年の奴らに比べたら俺はまだマシな方だ!」
「大抵皆そう言うもんさ。現実を見てみな。お前、姿見の前に立てるかい? そんなちゃらちゃらした格好して、恥ずかしいとは思わないのか」
「た、立てるぞ! ああ立てるとも! 最近はなチョイ悪親父とか、流行ってんだぞ!」

 なあサイハ、と相槌を求められるも、なんと答えていいのか分からずとりあえず「リノさんはかっこいいと思うよ」とだけ言っておいた。

「ほら見ろ! 分かるやつには分かるんだよ、俺の良さが」

 どうだ、と胸をそらせるリノへ、エレノアが言葉を返す前にフレアの怒声が飛んでくる。

「あーもう! お父さんうるさいし、恥ずかしい!」

 一連のやり取りに周囲がどっと笑い声に包まれた。同時に広いフロアの中央付近で「年が明けたぞ!」と声が上がる。

「あけましておめでとう!」

 時計を見ていなかったが、どうやら騒いでいるうちに十二時を過ぎてしまっていたらしい。一部から上がった新年の挨拶がわっと人々の間に広がっていく。次々に新年の挨拶に訪れる人々へ同じように「今年もよろしく」と返しながら、このまま新年会へなだれ込むのだろうな、とサイハは思った。

「よ、サイハ。あけましておめでとう」

 ふ、と背後に現れた人の気配。振り返ると、笑みを浮かべた死神の少年。生と死の紋章を携えた彼へ「今年もよろしく」と返すと、「俺はよろしくしたくないな、あまり」と苦笑が返ってくる。右手の紋章があるため、彼は人と距離を置こうとする。

「うん、でもおれはよろしくしてもらいたいから」

 そう言うと、諦めたように肩を竦められた。

「まあ、好きにすればいいよ。俺は戻る」

 サイハに挨拶したかっただけだから、とそう言ってテッドは姿を消した。転移して自分の部屋へ戻ったらしい。なんだかんだ言いつつも、テッドは人が好きなのだろう。孤独を恐れ、人との繋がりを求める。その求める相手に自分も含まれていることを嬉しく思いながら、サイハは宴会の続くフロアを後にした。
 さすがに酒を差し入れることは出来ないが、せめて夜食くらい食べても仕事に差し支えないはずだ。そう思い、貰ったまんじゅうを見張り番たちに差し入れに行こうと思ったのだ。
 サイハもある程度アルコールを摂取していたため、軽く足元がふらつく。ふわふわとした良い気分のまま一人ひとりの見張りへまんじゅうを手渡して回った。寒い中ブリッジに立ち続ける彼らへ「あけましておめでとう」と声をかけると、皆嬉しそうに笑顔を浮かべてくれる。中には感激して涙まで浮かべてくれる者もいて、こちらまで泣きそうになってしまう。

「皆が騒いでるときに見張りをさせてしまってごめんなさい。ご苦労様」

 そう言うとどの人間も「とんでもない」と首を振ってくれる。
 本当に自分はいい人たちに出会えた。サイハと共に前線に立ち戦ってくれる皆もだが、こうして地道に船を守ってくれる人、帰りを待ってくれる人、そういった人たちがいるからこそサイハは立っていられるし、この船も前に進んでいけるのだと思う。
 ぐるりと船を一周し、大方の見張りに声をかけ終わったところで、軽い疲労を覚えたサイハは自室へと足を向けた。このままゆっくり眠って、また明日の朝時間の許す限り今日会えなかった人の顔でも見て回ろう。
 そう思いながら階段を上っていると、第二甲板から第一甲板へ続く踊り場に誰かが座り込んでいるのが目に付いた。宴会会場は第二甲板のサロンであり、参加者達の部屋は第三甲板より下であるためこのあたりに人の気配はない。酔って戻る階段を間違えでもしたのだろうか。気分が悪くて動けないのかもしれない。
 心配して近寄ると、思いがけない人物にサイハは目を軽く見張った。

「珍しい、ね。こんなになるまで飲むなんて」

 サイハの気配に気付いた彼は、目を開けて少し罰が悪そうに笑みを浮かべる。

「飲んだんじゃなくて、飲まされたんですよ」
「で、ここまで逃げてきたの?」

 尋ねると彼、シグルドは「ここまでが限界でした」と言った。壁に手をついて立ち上がるも、相当酔いが回っているらしくふらりと体が揺れる。慌てて体を支えると、「すみません」と照れたように笑った。
 ここからだとサイハの部屋が近い。サロンに戻ったところでまた飲まされるだろうから、とサイハはシグルドを自室へと誘った。

 ベッドに腰を下ろし、手渡されたグラスの水を飲み干してようやく一息つけたらしい。ほう、と息を吐いたシグルドの向かいに座って、「シグルドは酔っても普通だよね」とサイハが呟いた。

「記憶がなくなったとか、呂律が回らなくなるとか、泣き上戸とか笑い上戸とか、そういうの、ないよね」

 軍師であるエレノアの方針で、この船では宴会が頻繁に行われる。それでなくても祭り好きの海賊が乗っているのだ、島奪還成功の祝賀会から誰かの誕生日会まで宴会の種は尽きない。そのため酒を飲んでいるメンバを見る機会は多い。さすがにキカが酷く酔っているところは見たことがないが、彼女が酔うと普段より饒舌になる。ダリオは笑い上戸だしハーヴェイは実は泣き上戸だ。リノは突然歌い始めるし、エレノアは説教が始まる。テッドと二人で飲んだとき、彼が酔うと酷く陽気になることを知り、テッドからは「サイハは酔うと意地が悪くなる」と評された。
 しかしシグルドが酔ったところを何度も見たことがあるにもかかわらず、基本的に彼はいつもと変わらないのだ。怒りっぽくなるわけでも陽気になるわけでもない。冷静な思考回路はそのままで、いつもと同じように穏やかな笑みを浮かべている。

「俺は先に足に来ますからね。そのあとはすとんと眠っちゃうんで」

 態度が変わる暇がないのだ、とシグルドは言った。
 明らかにアルコールが回り酔っ払っているのが見て分かるのに、それでもこうしてサイハと冷静に会話が出来ている。しいて言えば返答がいつもよりスローテンポだということくらいだろう。

 もっとこう、舌足らずになるとか、甘えてくれるとかがあってもいいのに。

 サイハから見てシグルドはどんなときも自分を崩さない人間だった。感情に囚われることもなければ、酒に呑まれることもない。

「……シグルド、可愛くない」

 なんとなく面白くなくて思わずそう唇を尖らせると、「俺が可愛くても仕方ないでしょう」と苦笑された。そして「そんなことより」とシグルドは話をそらせる。

「サイハ様、どこに行ってたんですか? 途中からサロンにいなかったですよね」

 問いかけられ、「あ、うん。船、回ってた」と正直に答える。

「折角年越しなのに、皆宴会やってるのに見張りに立ってる人、いるでしょ。あけましておめでとうって。こんなときまでご苦労様って。お酒は渡したらまずいと思ったから、まんじゅう配ってた」

 そう言うと、シグルドは「確かに酒はまずいでしょうね」と口にする。

「サイハ様らしいですけど」

 そう続けたシグルドはどこか不機嫌そうで、あれ、とサイハは首を傾げた。手招きをされ、立ち上がってシグルドの隣へと腰掛ける。そこじゃなくてこっち、と腰掛けた足の間を示された。少し戸惑ったものの何となく彼の機嫌が悪そうだったので大人しく従っておく。
 ちょこん、とシグルドに背を預けるように座ったサイハを、彼はぎゅ、と抱きしめてくる。

「シグルド?」
「探したんですよ、俺」

 しつこく酒を勧めてくるダリオたちを振り切って。
 新年の挨拶をしようと思って。
 今年もよろしくおねがいします、って言おうと思って。

 ぼそぼそと不明瞭な声で呟かれた言葉に、ああそれで、とサイハは思う。どうしてシグルドが階段の踊り場なんかにいたのか、ようやく察したのだ。サロンにサイハがいなかったため、部屋に戻ったと思ったのだろう。これから行くところだったのか、それとも部屋にいなかったサイハを更に探して船を回ろうと思っていたのか。
 謝った方がいいかもしれない、そう思い口を開こうとしたところで更にシグルドが言葉を続ける。

「それなのに、その間サイハ様は俺以外の人間に挨拶して回ってたんですね」

 拗ねたようなその言い方に、サイハは思わずくすりと笑ってしまった。
 確かにシグルドはどんなときでも冷静で、酒に呑まれることなどほとんどないが、それでもこうして極まれに子供じみたことを言うことがある。普段の彼からは想像もできないが、それでもこんなことを言われて困った経験があるのはこの船では極少数だろう。もしかしたらサイハにだけ見せてくれる顔なのかもしれない。
 そう思うと抱きしめてくる腕の持ち主が、なんだか無性に愛しくなった。

「……シグルド、可愛いね」

 笑いながらそう言うと、「さっき可愛くないって言ったの、サイハ様ですよ」と返ってくる。それに「そうだったっけ?」ととぼけて、くるり、と後ろを振り返った。

「あけましておめでとう、シグルド。今年もよろしく」

 突然の挨拶にきょとんとしていたシグルドだが、すぐに笑みを浮かべて「あけましておめでとうございます」と返してくれた。

「一番初めに挨拶できなくてごめんね」

 そう謝ってくるサイハに、シグルドは少し考えて「じゃあ」と口を開いた。

「今年最初のキス、ください。そうしたら機嫌、直りますから」

 そう言ったシグルドの表情には先ほどのふてくされたような影はまったく見えず、サイハも笑いながら触れるだけの可愛らしいキスを交わした。




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2008.01.05
















あけましておめでとうございます。
幻水の世界に新年って概念があるのかってのは
やっぱりスルーでお願いします。
それにしても甘い。