特別?


 馬鹿みたいに広い本拠地船、第三甲板は商業エリアだ。武器や防具、紋章から薬や雑貨品まで、さまざまな商店がひしめき合う。居住区の多い第四、五甲板に比べて人が多いのはある意味当然で、そこはいつも買い物客でにぎわっていた。
 そんな中、甲板中央にあったカウンタに最近一つの店ができた。イルヤのケヴィン、パム夫婦のまんじゅう屋である。
 この船を纏めるリーダがまんじゅうを好んでいることはおそらく船に乗る誰もが知っている事実だ。甘いまんじゅうも好きだが、肉まんもいけるらしく、とにかく白い皮に具が詰まっていれば何でもいいんじゃないか、とはリーダ、サイハと親しいネコボルト、チープーの談。まんじゅう屋夫婦がこの船に来ることになったのも実はサイハの個人的な欲望のためじゃないだろうか、と影でこっそり笑いのネタにされているのを本人だけが知らない。

 そんな彼がたとえ相手が誰であろうと、「まんじゅうを奢ってあげよう」と言われ首を横に振るなどありえないといっていい。もともと彼は親のいない拾われた子供だ。貰えるものは貰っておくのが基本姿勢である。
 だからある意味では非常に珍しい状況を目の前にしているのではないだろうか、と拒絶されたショックのまま、シグルドは明後日の方向へ思考を飛ばせていた。

 発端は数十分前に遡る。今日は表立った進軍も遠征も予定されておらず、つかの間の休息日のような一日だった。
 ここのところサイハの遠征に呼ばれることもなく、本拠地船の警護ばかりだったシグルドは気分転換に船内をうろうろと歩き、そういえばと思い出す。最近鍛冶屋の娘が新しいハンマーを手に入れて絶好調だというではないか。ならば武器を鍛えてもらいに行こう、そう思うがシグルドも一応主戦力の一人である。勝手に武器や防具を変えるのもどうだろうと思い、とりあえずサイハの許可を貰おうと自室を訪ねた。
 軽く説明をして許可を得た後、では、と去ろうとするシグルドを追いかけてサイハが言ったのだ。おれも行く、と。
 彼も暇だったのかもしれない。
 そう思い一緒に鍛冶屋まで来て、ついでにとでも言うかのようにサイハが持っていた水の紋章片まで宿してもらえた。
 用事も無事に済んだことだし、さてこれからどうしようか、と思ったところで不意にまんじゅう屋が目に入る。「これ、食ってきませんか? 紋章片の礼に奢りますよ」と軽い気持ちで言ったのだが。

「え、と……ほ、本当にいいんですか、サイハ様?」

 たとえ三食まんじゅうでも文句を言わないであろう彼は、何故か頑なに首を横に振る。
 そこでようやく冷静な判断力が戻ってきたシグルドは、無言のまままんじゅうから目を背けるサイハを観察した。
 そもそも彼はまんじゅうであることを抜きにしても、人の好意を無にすることはしない。表情も言葉数も少ないがそれでも「ありがとう、でも」くらいは言える人間だ。それすらもなくただひたすらの拒絶となると、明らかに何かある。空腹ではないから、というような単純な理由ではない何かが。

「……サイハ様、もしかして何か怒ってます?」

 思い返せば、そういえば今日はどことなく表情が険しかった。いつもが無言、無表情であるためその変化は目に留まりにくく、シグルドもあまり気にしてはいなかったが。
 単純に虫の居所が悪いだけなのかもしれない。しかしそれならばわざわざシグルドに付き合って鍛冶屋まできたりしないだろう。

 シグルドの言葉にサイハは首を傾げて眉を潜める。そしてぼそぼそと「怒ってない、と思う」と口にする。その口調はたとえ怒っていなくとも、間違いなく機嫌は悪いのだろうと思われるもので。

「俺、何かしました?」

 今日のこの短い時間の間に、あるいは今日以前のどこかで彼に不快に思われるようなことでもしたのだろうか。そう思って尋ねるも、サイハは首を振って「してない」と答えるだけで。
 一体何だというのだろうか。
 シグルドがはぁ、と一つため息を吐くと、それにビクリ、とサイハが肩を竦めた。シグルドを怒らせてしまった、とでも思ったのだろうか、恐る恐る見上げてくる軍主を怯えさせぬよう、ふわりと笑みを返す。

「とりあえずどこかで話、しませんか? 部屋に行っても大丈夫です?」

 ここだと人が多くて落ち着かない。もともとサイハはあまり口を開かない人間だ。聞いている人数が多ければ多いほどそれは顕著になる。
 問いにこくり、と頷かれるのを確認して、シグルドは今度は心の中でため息を吐く。拒絶されなかった、という安堵のものだ。

「じゃあ、いくつかこれ、買っていってもいいですか?」

 これ、とまんじゅうを指差しての提案に、サイハの顔がぱぁ、と明るくなる。やっぱりこういう反応でないと、とシグルドはひそかに笑みを浮かべた。



 慣れた手つきでお茶を入れる彼を見るのは初めてではない。昔からそういう役割を持つことが多かったのか、買ってきたまんじゅうを皿に並べたり、他のお茶請けを用意するサイハの手つきは実に滑らかで、慣れを思わせる。この船のリーダであり、今はこの海の島々を纏める軍主でもある。こういうことは人にやらせてもいいだろうに、と思うのだが、そういう思考に至ることさえできないらしい。

「お茶で、良かった?」
「ええ、ありがとうございます」

 湯のみを受け取る代わりにまんじゅうの並んだ皿を押し出してやると、サイハはちらり、とこちらへ視線を向ける。奢る、と言った言葉を忘れたわけではないだろうが、買った人間より先に手を出すことを躊躇っているらしい。どうぞ、という意味を込めて頷くと、嬉しそうに笑みを浮かべて白いそれへとようやく齧り付いた。
 いつもならサイハがまんじゅうを食べるのにこんな手順は踏まない。奢ります、ありがとう、で済むのだ。
 しばらく甘いまんじゅうと暖かいお茶に舌鼓を打ったあと、「それで」とシグルドは何気ない様子で切り出した。

「何かあったんですか?」

 機嫌が悪くなってしまうような何かが。
 その問いかけにサイハは口の中のものを飲み込んで、「うーん」と小さく唸り声を上げる。

「何か、ってほどじゃ、ないけど」

 どうやら彼自身はその原因を自覚しているらしい。それならば話は早い。

「それは俺には言えないようなことですか?」
「や、えと、どうだろう。言ってもいい、のかな?」

 サイハはそう言って首を傾げる。質問に疑問で返され、「それを俺に聞かれても」と苦笑を浮かべるしかない。それもそうだよね、とサイハも笑って、「えっと、さ」と口を開いた。どうやら言う気になったらしい。

「昨日、おれ、キカさんとシグルドとハーヴェイが話してるの、聞いちゃったんだ」

 盗み聞きするつもりはなくて、三人が立ち話している横をたまたま通りかかっただけだ。どうやら三人はこちらに気づいている様子はなく、それでいて話題の中心が自分だったものだから、思わず足を止めてしまったのだ、とサイハは説明する。

「キカさんが二人におれのことをよろしく、って言ってた。なんか、自分はあまりそういう役には向いてないから、って。戦うことしかできないからって。よく分からなかったけど」

 おそらく途中から耳にしたのだろうと思う。それ以前に何かまだ話していたことがあるはずだ。
 シグルドは記憶を探りそのときの会話を思い出す。そう、確かにサイハの話をしていた。それも彼が持つ罰の紋章について、だ。
 真なる紋章は持ち主に強大な力を与える代わりに、逃れられぬ呪いをも残す。罰の紋章などは使うたびに主の命を喰らうというのだから、その苦痛は計り知れない。しかしこの船でサイハに仕えるようになりしばらく経つが、彼がそういったことを口にしたのを聞いたことがなかった。


「恐怖もあるだろうに、それを言わない。それが奴の強さだろうが、いつ折れるか心配でな」

 そうキカは言った。穿った見方をすれば、今この時点でサイハが折れてしまえばせっかく纏め上げた群島諸国がまたばらばらになってしまう。そうなればクールークに対抗する手段はなくなるといってもいい。

「私は人を気遣うことに慣れてない。だから刃として奴の力になる。お前たちはできるなら、それ以外でも力になってやってくれ」

 しかしキカは軍主としての彼を心配しているのではないようだった。彼女自身、以前の罰の紋章の宿主と既知の間柄だった。だから一人の人間として、友人としてのサイハを心配しているのだろう。そういった感情が読み取れる。一度敵と見れば徹底的に攻撃するが、懐に取り入れてしまえばどこまでも優しく甘い。それがキカという海賊だ。

「俺もあんまそういうことは得意じゃないですけどね」

 頭を掻きながらハーヴェイが言う。それに「お前は複雑に考えぬ方がいいだろうさ」とキカが苦笑を浮かべた。

「でもまあ、キカ様が言うなら努力はしますよ。な、シグルド」

 相槌を求められ、自分が「ああ」と頷いて会話は終わったはずだ。


「うん。なんかとりあえずおれを心配してくれてるんだな、って思った」

 でも、とサイハは言葉を続ける。

「結局はキカさんの命令なのかな、って」

 そう言ったあと、「あ、別にキカさんと張り合いたいとか、そういうんじゃないから」と慌てて言葉を続ける。
 誰かと張り合う、などサイハにとっては意味のないことだ。鯛の刺身と鳥の照り焼き、どちらが美味いか聞いたところで答えは人によるだろう。それと同じこと。この船に乗るすべての人間がサイハを慕っているわけではないことなど、わざわざ調べずとも分かる。行くところがなく渋々乗っている人間もいるだろう、サイハではなくキカやリノを慕って乗っている人間だってたくさんいる。もちろんサイハ自身を慕ってくれている仲間たちもいるが、そういう仲間とそうでない仲間の間に差などない。この船に協力してくれているという点が重要なのだから。
 だから、別に誰がどんな理由で乗船していようがサイハには気にならないことのはずだった。

「何でだろう、シグルド見て、昨日のこと思い出したらなんか、こう」

 なんとなくムカムカしてきたのだ、とサイハは言った。

「単なる八つ当たりだからあまり気にしないで」

 お茶のお代わりを入れながら、サイハは照れたように言う。あまり自分の感情、特にそれが負の感情であればあるほど人には吐露しない人間だ。尋ねられるまま話してしまったことを後悔しているのかもしれない。
 そんな彼に思わず苦笑がこぼれる。
 どうしてこんなにも優しいのだろうか、と。
 どこまで自分に厳しいのだろうか、と。

「サイハ様。まず一つ、誤解だけは解かせてください」

 一つ、と指を立ててシグルドが口を開いた。

「命令されたことに素直に従うのは役人だけです。俺は当の昔に役人は辞めました。今は海賊です。もちろん海賊だって頭の命には従いますよ。でもね、自分の考えとどうしても合わないとき、妥協できないときは絶対に従わない。
 この意味、分かります?」

 尋ねられ、サイハは首を傾げる。つまりはどういうことだろうか。

「……シグルドもハーヴェイも、キカさんの命令だから乗ってる、ってわけじゃないってこと?」

 考えて紡がれた言葉によくできました、とでも言うかのように、シグルドはにっこりと笑みを浮かべた。
 キカの命があったから、というのも当然ある。しかしそれだけでは動かないのが海賊というものだ。たとえ心酔している相手の言葉であったとしても、それが自分と合わなければ従えない。逆らうことがなかったとしても、「なぜ、どうして」と言葉の応酬くらいはするだろう。
 この船に乗る、とキカが決めたときも、サイハのことを頼む、と言ったときも、ハーヴェイも自分も「なぜ、どうして」とは思わなかった。それはつまりキカと同じようなことを考えていた、ということに他ならない。

「俺もハーヴェイも、サイハ様が好きだからここにいるんです。たとえキカ様の命令であっても、サイハ様でなければこの船には乗りませんよ」

 シグルドの言葉に、サイハはほっとしたような笑みを浮かべる。
 人の上に立つ者には、下の人間には分からぬような悩みがある。これもそのうちの一つなのだろう。しかしサイハはそれを表に出すことを一切していなかった。雑多な人間の集まる船だ、今までにそういった思いがなかったはずもない。だが共に行動した中で、今日ほどそれが不機嫌として前面に押し出されていたことはなかったのだ。
 どういうことだろうか、とシグルドは考える。
 もしかしたら、もしかするかもしれない、とあまりにも自分に都合の良い解釈が浮かび上がり、心の中でそれを否定する。しかし一度思いついてしまったことは確認せずにはいられない。

「それで、サイハ様。俺からも一つ質問があるのですが」

 先ほどまでの少し翳った表情から一転し、今はにこにこと笑いながら好物に噛り付いているサイハへシグルドは言葉を向けた。

「そのムカムカした気持ち、ハーヴェイにも感じました? それとも俺にだけ?」

 質問の意味が取れなかったらしく、サイハはもぐもぐと口を動かしながら首を傾げる。お茶をすすってしばらくして、もう一口、とまんじゅうにかぶりつく前に「あれ?」とまた首を傾げた。

「そういえば、シグルドだけ……かも?」

 サイハは理解している、この船に乗る人間がさまざまな思考を持つことを。子供のように全員が全員、自分を慕ってくれなければ嫌だと駄々をこねるつもりなどない。現にアグネスやセツなどはサイハのことを目にかえてさえいないではないか。それでも良いと思うし、そのことに対して腹を立てたりもしたことはなかったのに。
 キカたちの話を聞いた時点ではなんとも思わなかったのだ。それなのに今日、シグルドの姿を見て、彼もそうなのだろうか、と思うと何となくムカっときた。そして唐突に寂しくなった。
 「あれ? 何で?」と首を傾げているサイハの姿が妙に可愛らしくて、シグルドは思わずくすくすと笑い声を零す。そして湯のみをテーブルへ戻すと、正面に座っている彼へと手を伸ばした。

「それって俺、自惚れてもいいってことですか?」

 頬を撫でてそう言うとようやく意味を理解したらしい。ぼっと、音でもしそうな勢いで顔を真っ赤にさせたサイハを見て、どうやら自分に都合の良い解釈はあながち間違いでもなかったらしい、とシグルドは満面の笑みを浮かべた。

 普段見れないようなシグルドの笑顔に、サイハの顔が更に赤くなったのは言うまでもない。




ブラウザバックでお戻りください。
2007.10.02
















ブログから転載。
これを書くきっかけを与えてくれた友人に捧ぐ。
お前がいなけりゃ幻水コンテンツは作ってねぇわ。