旅立ちの日


 あれだけ大切なものを亡くし続ければ、誰だって自信も涙も失くすと思う。
 自分に世界を与えてくれた人、常に側にいて癒してくれた人、力強く支えてくれた唯一の肉親、そしてどんなときも笑顔を分かち合ってきた最高の親友。次々に彼らを失い、それに伴うかのように、悲しむ心も何もかもが自分の手から零れ落ちていった。
 掴もうと思って伸ばした手をすり抜けて逃げていく、などという空しさではなく、追いかけようとすらしない自分が、ただ、怖かった。
 自分自身すら、分からなくなっていた。

 世の中のすべてを、俺をこんな境遇に落としたあの女も、国を傾けた皇帝も、彼を殺した将軍も、親友を苦しめてきた魔女も、何もできなかった自分自身すらも、恨んで憎んで嫌悪して。
 何もかもを破壊したくて仕方がないときもあった。
 全てを壊してしまえば、この世界から抜け出すことができる。単純に、そう信じ込みたくて。自暴自棄なんて可愛いものではなかった。例え何を巻き添えにしても、逃げ出したくて仕方がなかった。

 それでも、今、こうしていられるのは、俺を支えてくれる手があったから。
 俺もそんなに馬鹿じゃない。一人で生きているなんて思い上がりもしない。
 いつも馬鹿な話ばかりして負担を軽くしてくれていた人や、色々なことを教えてくれた人や、常に励まし叱咤してくれた人。
 そして、期待もせず、励ましもせず、ただ側にいてくれた人。
 奇麗事でもなんでもなく、彼らがいたからこそ、俺は壊れずに(ここが重要。成し遂げても壊れていちゃ意味が無い)こうして当初の目的を達することができたのだと思う。



 方々から祝声が上がる中、決して倒れることはないと思われていた帝国が、いともあっさりと崩れ落ちていく。そのきっかけを作ったのが自分など、とてもじゃないが信じられない。(だけれど、自分ぐらいしかそれを成し得ないだろう、なんて同時に思うのだから、「本当に自信家だよね」と呆れられることになるのだ。)
 軍師の死は確認せずとも分かる。右手の紋章がそう知らせてくれたから。城の中で俺を逃がしてくれた二人はおそらく無事だろう。彼らのことだ、国の重臣から逃げるいい口実ができたと喜んでいるのだろう。とりあえず軍師の休む天幕へ顔だけ出して、軽く黙祷。彼の魂は既にこの右手の中にあるのだから、目の前の体は既に抜け殻だ、なんて自らを傷つける思考は止まることなく続く。

 天幕から出れば、どこからこれほど、というくらいに元帝都には人が詰め寄せていた。半分以上は解放軍関係の人間だろう。それぞれに喜びの声を上げ、これからの暮らしに期待を寄せている。
 祝賀ムードに酔いしれている人々の間を、誰に呼び止められることなく抜け出した。周りは一般兵ばかりだからきっとリーダが俺であることに気付いてない。俺を知っているものはと言えば、おそらく突然消えた俺を探して見当違いの場所を探し回っているのだろう。そんな彼らの眼をかいくぐるなどお手の物。常にリーダとしての自分が求め続けられてきた中、その期待を潰さないように遊びまわっていたのだから。

 決して楽しい日々ではなかったが、辛いことばかりだったわけでもないし。そう思って思い出すのは、彼の顔。
 戦争が始まってから今日まで。
 彼、風の魔術師ルックとはほとんど一緒にいた。(といっても、シーナも同じくらい共に過ごしていたが。)あまりにも常に側にいるのでくだらない勘繰りをする人間が出てきたほどだ。
 誓って言うが、ルックとはただの友人関係だった。
 そう、ただの友達。
 年が近いせいか、俺とルックとシーナの三人でよく一緒に遊んでいた。それだけの関係。
 なんだか、無理にそう思い込もうとしている自分に気がついて、無性にやりきれなくなった。

 思考に浸っていたせいか、気がついて振り返れば、既に元帝都の門から少しばかり離れた位置まできている。もともとこのまま立ち去るつもりだったから丁度いい。
 もう二度と帰れないかもしれないと思っていた場所へ、こうして一瞬でも戻ってこれたことをとりあえず誰かに感謝しながら、俺はここではないどこか遠くへ行くためにその場を後にした。
 城が崩れる音と人々の歓声を聞きながら、どの方角へ行こうかと思案していると、不意に前方の木陰から声が掛けられる。

「最後くらい、見送らせてくれもいいんじゃねえの?」
「まるで夜逃げだね」

 姿を現したのは、先程まで思考を占めていた二人の友人。親友というよりはどちらかと言うと悪友に近い彼ら。どんなときも、彼らの態度は変わらない。それが酷く嬉しかった。

「だって、言わなくてもお前らなら気付くじゃん。それに、ルック。まるでじゃなくって、まんま夜逃げなの」
「仮にもリーダだった奴が情けないと思わないの?」
「こいつの情けなさは今に始まったことじゃねえって」

 かなり失礼なシーナの発言に、あろうことかルックは「それもそうか」と納得している。

「お前らね、仮にもリーダだった俺にそゆこと言う?」

 頭を抑えながら文句をいったところで、聞くような奴らじゃない。案の定、その俺の姿が情けなかったせいか二人はくすくすと笑うだけだった。しょうがないので、とりあえず俺も笑っておく。しばらくはそのまま三人で笑いあって、ふとシーナは旧帝都の方を向いた。

「ルックはすぐにでも帰るんだろ? あの、なんていったっけ。綺麗な占い師のとこに」
「綺麗ってね、シーナ。あいつ、四百超えてるよ?」

 彼女に対してはあまりいい感情を持っていない。ついそんな言葉が出て、慌てて彼女を師と仰ぐ魔術師を窺うが、特に気に障ったということもなさそうだ。前から思っていたのだが、どうも彼は師を師と思っていないような言動を取ることがある。表面上は従っているように見えるが。二年近く彼と共に過ごしたが、今でも彼のことはよく分からない。

「ばーか。年なんてどーでもいいの。ようは見た目よ、見た目」

 俺の焦りをよそに、シーナは楽しそうに言う。小さなことにこだわらない彼の性格は、こういうところでも発揮されるようだ。

「帰るよ。って言っても、もう魔術師の塔にはいられないからね。どっかに雲隠れでもするんじゃないかな。シーナは?」

 彼は基本的に外部に対する接触を好まない。それでも、気を許した相手のみ凄く砕けた態度で接してくれる。彼を小生意気で無愛想な魔術師だと評しているのは、たまたま通りすがりに彼を見かけた程度の人間たちだ。
 ルックが実は凄く優しいことを、皆知らない。傷ついた人間を放っておくことができないほど、とても優しくて暖かい。それの恩恵に一番与ったのは、間違いなく俺だろう。感謝してもしきれないくらいだ。それは勿論シーナに対しても同様で、個人的に最も感謝しなければならないのは彼ら二人だ。

「俺? 俺は、とりあえず遊ぶかな。ちょっと行ってみたいところもあるし」

 彼がどこか一つのところに留まっているのはなんとなく想像できない。だから、その回答は至極彼らしいものだと思った。

「セツナは?」
「俺も、とりあえずこの国からは離れようと思う。あ、言っとくけど、人に近づけばソウルイーターの餌食になるから、とか悲観してるわけじゃないよ?」

 言い訳がましくそういえば、目の前の二人は同じような表情を浮かべていた。

「何言ってんの。君がそんなものくらい制御できてないはずないじゃない」
「そんな可愛い性格してねえの、知ってるって。ただめんどいから逃げるんだろうが」

 身も蓋もないシーナの言い方に脱力する。なんだか酷く自分が余計なことをいった気がした。

「……英雄は紋章の力から人々を遠ざけるために旅立ったのであったって事にしといて」

 自分よりも自分の性格を熟知している二人に、もう苦笑いをするしかなかった。他の誰にどう思われようが特に気にはしないが、彼らに誤解されたままというのはなんとなくいやだった。だけれど、それも杞憂のようだ。

「じゃ、僕はもう帰るよ。これ以上ここにいても仕方ないしね。またね、セツナ、シーナ」

 俺の回答に苦笑を浮かべていたルックは、ふとその笑みを柔らかなものに変えてそう言った。同時に、彼の体がふわりと地面から離れる。風を従わせる彼は、暇なときは大抵その身を地から離していた。魔力の許容量を増やす修行だそうだ。そういえば、今日は珍しく自分の両足で立っていたが、それはこの別れに対する彼なりの気持ちの現れだったのかもしれない。

「おう、じゃあな、ルック。たまには顔見せろよ」
「次会うときまでには転移、絶対マスターしとく」

 それぞれの答えを受け取ったルックは、そのまま闇に解けて消えた。
 そんな保障がどこにあるわけでもないのに、また会うことを前提とした別れ。例えそれが果たせないことであったとしても、「また今度」と言って別れる。酷く自分たちらしい。

「何、ニヤニヤしてんだよ」

 なんだか凄く嬉しくなって、どうやらそれが表情に出ていたらしい。隣に立つシーナに怪訝そうに言われた。

「いや、別に」

 それでも笑いは収まらなくって、緩んだ表情のまま言葉を返す。しばらくそんな俺を不思議なものを見るかのように見ていたシーナは、「ま、いっか」とすぐに追求を諦めた。

「お前なら、すぐに転移ができるようになるだろうなぁ。マスターしたら俺んとこ飛んで来いよ。ルックつれて」
「リョーカイ。いつ行くかわかんないから、常に上等の酒とつまみ、用意してろ」
「まかしとけって」

 ぐっと拳を握ってシーナは言う。
 ルックが移動手段として頻繁に使う転移は、真の紋章を持つ人間ならばほとんどが使えると言うことだった。なら自分にもできるだろうと思っていたのだが、戦争中は暇がなくて練習も出来なかったのだ。コツは聞いているので、これから有り余る時間しばらくはそれで暇つぶしができる。右手の中に眠る親友も昔は出来ていたらしいから、聞けば教えてくれるだろう。

「ところでセツナ。お前、良かったのか?」

 黙々と今後のことを考えていた俺の耳に、先ほどとは打って変わった真剣な声が届いた。

「良いって……グレッグミンスターのこと?」
「バカ、違う。ルックのことだよ」
「ルック? ルックがどうかした?」

 言われている意味が分からなくて(本当は分かっていたけど分からない振りをして)首を傾げてみせる。シーナは頭は良くないけれど、勘がいい。ビクトールのように、人を見る目に長けている。だからそんな誤魔化しなど通用しないということぐらい分かってはいたが。

「だって、お前、ルックのこと好きなんじゃねえの?」

 当たり前のことを言うように、さらりと述べてくれる。本当に、こういう時彼には敵わないと思う。自分ですらあまり認めたくなかった感情なのに。

「バレてたの?」
「いーや、なんとなく。カマかけてみただけ」

 あっさりと言葉を返してくる。彼との会話はいつもどこか真剣みに欠ける。どれだけ真面目な内容であっても、彼の口調がすべてそれをぶち壊すのだ。それが故意なのかそうじゃないのかは、いまだに判断できないでいる。(でもきっと故意だ。内容が真面目になればなるほどふざけた雰囲気を作ろうとしているように見えるから。)

「……今はいい。ってか、よく分からないから」
「何が?」
「自分。ほら、戦場の恋ってよく言うだろ?」
「ああ、脳内物質がどうのっていう錯覚のこと?」

 意外にも知っていたらしいシーナに、俺は頷いた。

「だってほら、ルッくん優しいから。つい縋っちゃったんだよ。あの頃俺余裕なかったし。誰かの身代わりにしていた可能性だって無いわけじゃないから」

 自分で言葉にしていると、なんとなくそういう気になってくるから不思議だ。
 これが、この自分の想いが純粋なものである自信など、無い。戦争が始まってから片っ端に失っていたものの中に、自分の思いに対する自信も含まれていたらしく、本当に自分がそう想っているのかすら、分からなくなっていた。人を率いるものとしては個人の思考など不必要なもので、寧ろそのことは好都合だったのだが。
 誰か一人大切な人を亡くすたびに、彼に慰めてもらっていた。その大切な人の代わりを、彼に求めているのではないか。

「……身も蓋もない言い方するよな、お前。そうやって自分追い詰める言葉吐くの、悪い癖だぜ?」
「だけど、俺を止められるのは結局俺しかいないから」

 だから多少やりすぎでも、自分にだけは厳しく、どこまでも懐疑的でなければならない。

「確かに。お前、突っ走ったら止まらねえからなぁ」
「俺は猪か」
「その猪にしては、よく思いとどまったよな」

 それは、自分でもそう思う。
 白状すれば、自分のその想いを愛だとか恋だとかいう名前にして、彼をものにしてしまおうと考えたことが無いわけではない。何も言わずに、ただ同じ空間に存在していてくれた彼を、抱きたいと思ったことが無いわけではない。あの華奢な体をかき抱いて、全てを自分のものにしたい、と。
 だけど、「思ったことを思った瞬間実行する」と目の前の男から言われてきていたこの俺が、何故かそれだけはできなかった。

「きっと、ルックは怒らなかったと思うぜ。お前が実力行使に出ても」
「うん。俺もそう思う」

 彼は優しいから。自分が望めば、多少は抵抗するもものの、意外にすんなりとその身を投げ出すだろう。そして彼は聡いから、自分が「代用」であることに気付くだろう。それでもなお、きっと彼は側に居てくれる。そういう人間なのだ。でもだからといって、それがどれほど彼を傷つけることになるかが分からないほど、馬鹿ではないつもりだ。

「でもさ、やっぱね、ルックやお前に嫌われたくはないし、傷つけたくないから」
「解放軍のリーダさんも、恋愛になると戸惑うのな。安心しろ、俺はどんなときでも味方になってやるよ」

 心強い言葉に、自然と笑顔になる。

「サンキュ。恩にきるよ」
「だから、次会うときまでには、自分の心に決着つけとけよ」

 びしっと指を突きつけてそう言う彼に、もう苦笑するしかなかった。本当に、敵わない。

「オッケ。時間は腐るほどあるから、何とかする」
「つーか、俺が爺になる前に何とかしろよ。ま、この俺様ならきっとすばらしくダンディな爺になってるだろうけど」
「でも爺だろ?」
「やかましい」

 結局、最後の最後まで交わした会話の内容は下らなくて、きっとここにルックがいればもっとくだらない内容になっていただろう。

「じゃ、またな、シーナ」
「じゃあな。気ぃ付けて行けよ」

 いつもと変わらない、人好きのしそうな笑みを浮かべた彼に背を向けて、暇つぶしが一つできたな、と思った。
 彼が「ダンディいな爺」になる前に、きちんと自分の気持ちと向き合おう。これが本当に俗にいう「恋」なのか。
 そこでふと気がつく。
 ルックと別れてまだ数分もたっていないというのに、考えるのは彼のことばかり。いつもそばにいた気配がなくなって、なんだか物足りなくて仕方がない。会いたくて、仕方がない。
 このまま、次に会うまで彼に焦がれ続けていられたら。
 もしかしたらこの想いも、本物なのかもしれない。
 少しだけ、そう思った。




 だんだんと小さくなっていく背中を見詰めながら、シーナは溜息をついた。解放軍のリーダは、軍事に関してはかなりアグレッシブだったが、どうも色恋に関しては、いや、あの風の魔術師に関しては駄目らしい。
 確かに、ほんの少し前までセツナに余裕などなかった。表面上は穏やかだったけれど、内側が酷く荒んでいた。あれだけ大切な人を無くし続けたのだからそれも当然なのだろうけれど。

「でも、あれだけ余裕が無かった時期に傷つけたくないとか思ってるんだから、それだけ本物ってことだろうに」

 ぽつりと吐いて苦笑を浮かべる。
 なるべく早く彼がそのことに気付いてくれることを祈るしかない。

 次に会うときは、皆幸せそうに笑っていられるといいな、とガラにも無く思った。




ブラウザバックでお戻りください。
2007.10.02
















いつ書いたのかも思い出せない。
多分3をやる前だから5、6年前?
だから珍しく一人称。