警告 「その名で呼ぶなと、以前言わなかったか?」 低い声とともに喉元に突きつけられた棍。 いつもなら、さらりと「お願い」して終わるのだが、今日は、今日ばかりはそんな気分になれない。苛々していたところに留めを指された気分だ。 名前すら知らない人間。レパントの補佐だったか。 昔自分が基礎を作る為に地ならしした国の北側にある地で起こった争い。そこに偶然参加してしまったのが悪かったのか。いや、知り合いも多いし、なによりルックがいるのだ。参加しないわけにはいかないだろう。現天魁星を知ってからはなおさら彼の力になりたいと思った。 ただ、だからこそこうして、共和国へ顔を出さなければならないこともでてくるわけで。 仕方ない、と思う。好きなことをやるためにはせめてそれに付随してくるいやなことを我慢しなければ。ただ、その我慢にも限界がある。もともとそれほど許容量が多いわけではないのだ。自嘲気味にセツナは思う。 ひぃ、と引きつった声をあげて逃げようとするが、生憎彼の後ろは壁。このまま紋章を発動させるか、棍で殴打すれば確実に殺せる。そんな状況。 黒い思考がふわり、と頭の中に舞い降りて、ゆっくりと広がる。 「言葉で伝えて分からないなら、どうしてくれようか」 にたり、と口元を歪めて放った言葉。努めて凶悪な表情になるようにしてみたが、シーナがいれば「努める必要あんのか?」とつっこみを入れてくれるだろう。そんなどうでもいいことを考えていると、不意に背後からよく知っている声が届いた。 「何やってんの」 す、と驚くほど簡単に引いて行く黒い思考。意識的に棍を握り締める手から力を抜かないようにして、セツナは振り返った。 「ルッくん」 現れたのは風の魔術師。他人の中ではもっとも親しいといえる存在。どうしてここに彼がいるのか疑問に思わないでもなかったが、それを問う前にもう一度「何やってんの」と聞かれた。 「教育的指導」 空々しく言ったそれに、彼は大きく溜め息をついた。 「あんたのそれは脅迫って言うんだよ。可哀想に。怯えてるじゃないか」 「怯えさせてるんだもん」 つかつかと歩み寄ってきた彼は「可愛く言っても駄目」と棍に手を添えて下ろさせた。逆らいもせずにそれに従う。 「早く行きなよ、折角助かった命なんだ」 突然のことに頭がついていっていないのか、呆然とこちらを見ていた男は再び悲鳴を上げてあたふたと逃げようとする。 そんな男を真正面から睨んで、セツナは口を開く。 「よく覚えておけ。もうそんな『家』は何処にもないんだ」 彼の言葉に男は刻々と何度も首を振ってから、脱兎のごとくその場を後にした。酷く滑稽なその後姿を見て、隣のルックが「可哀想に」ともう一度呟く。 「なんだよ、ルッくんてば。俺はかわいそうじゃないの?」 先ほどからどうも彼は男の方に肩入れして居るようだ。それが面白くなくて、セツナは口を尖らせて文句を言った。「だから可愛くしても駄目だって」と同じ台詞を繰り返した後、 「可哀想なの?」 と逆に聞かれた。 考えてみるが、特に可哀想である要素はない気がする。ただ、こちらが一方的に嫌悪しているだけで。 「ねぇ、前から思ってたんだけどさ」 肩まである茶色い髪の毛を風で遊ばせながらルックが口を開いた。 「あんた、前、シュウにも同じこといってたよね。どうしてそこまで嫌う?」 『マクドール』の名前を。 そういえば、とコクウに連れられて同盟軍の軍師に紹介された時。さすが軍師だけあり近隣の国の事情に詳しかった。その中で名を耳にしていたのだろう。南に位置する大国、赤月帝国を滅ぼし、トラン共和国を打ち立てた英雄、セツナ・マクドールの名前を。 簡単な自己紹介のあと彼は言った、「マクドールの名では決して呼ぶな」と。 今まで気になっていたのか、それともふと思い出して聞いてみただけなのか。どちらでも構わなかった。ただ、セツナは歪んだ笑みを貼り付けて答えるだけだ。 「名乗れるわけないじゃん」 自分が殺した父親の名前なんか。 その父親の魂は今、右手の中で紋章の糧となっている。 ブラウザバックでお戻りください。 2007.10.02
大きすぎる父親への憎悪と家族としての罪悪感とがない交ぜになって爆発。 |