狂気、消える、月明かり


 薄い緑色と紺色、不健康そうなくすんだ肌色。
 大好きな色たちの上に、無遠慮に広がる、赤。
 目の前が真赤に染まる、とはこのこと。
 あとで聞いた話によると、出血量は大して酷くなかったらしいので、視界を覆った赤は感情的なものによるのだろう。絶望が黒なら、赤は怒り。
 リウが魔物の牙に倒れたあとのことを上手く思い出せないのがその証拠。一緒にいたのがジェイルとマリカで良かった、彼らの声でなければレッシンの耳には届かなかっただろう。
 マリカの治癒魔法で傷は治したが意識は戻らず、一旦城へ戻って不本意ながら医者に診せるとショックによるものだろう、という話だった。体を切り裂かれる痛みと倒れた衝撃、日々の激務で蓄積された疲労も一つの原因になっているのかもしれない。きちんとした処置を施してもらい、無理には起こさぬように、と言われた彼を駄々をこねて四階まで運んでもらった。たとえ看護師がいるにしても、あの医者の手の届く場所に置いておきたくはなかったのだ。

「リウの具合、どう?」

 夜もだいぶ更け、そろそろ昼間を主な活動時間にしている面々が眠りにつくだろう頃。そう言って湯気のたつマグカップを手に訪ねてきたのはマリカだった。

「まだ寝てる」

 リウが横になっているベッドから離れた窓際に座り込んだレッシンが答え、「そっか」とマリカも小さく頷く。

「疲れてたのかもね」

 言いながらレッシンの元へ近寄り、「ミルクティとレモンティ、どっちがい?」とマグの中身を見せて尋ねた。指さされたミルクティのカップを手渡し、彼の隣へ座り込んでず、と一口、温かな紅茶を喉へ通す。

「で、あんたは何に凹んでんの?」

 いつものレッシンならば、倒れたリウの側から片時も離れないだろう。いや、今も実際にそうなのだが、距離が違う。ベッドの側に陣取っているのが本来の姿であるはずなのに、どうしてこんなにも離れたところで月など見ているのだろうか。
 沈んでいることは分かってもその理由までは分からず、マリカは同じ年の弟あるいは兄へそう尋ねた。マリカと同じように一口だけお茶を飲むと、ふう、と息を吐き出して「オレさ」と口を開く。

「リウが好きなんだ」

 もちろんマリカとジェイルもそれぞれに好きだし、他にも好きな人はたくさんいる。しかし、リウを好きだと思う気持ちはそれらとは別物だ。レッシンがそういう意味で言っていることを理解した上で、「うん、それで?」とマリカは続きを促す。それは彼女にとっても当たり前のことだったからだ。

「ほんとに、好きで、好きで、どうしていいのか、分かんねぇくらい、で」

 彼はこの年にしては精神が幼いのだろう。あるいは逆に大人びているともいえるのかも知れない。何せマリカはそこまで人を好きだと思ったことがない。狂おしいほど人を愛するという気持ちを理解できてない自分の方が、レッシンよりも子供なのかもしれなかった。

「守れなかった、って凹んでんの?」

 膝を抱えてそう尋ねる。もしそうなら彼の落ち込みはお門違いもいいところだ。こんな戦に身を投じている時点でリウもこの程度は覚悟しているはず。常に守られるだけの存在にはなりたくない。そう思っているのは女であるマリカだけでなく、体力的にどうしてもレッシンやジェイルには及ばないリウもなのだ。

「それ、リウに言ったら怒ると思うよ」

 そう呟くマリカへ、「うん、それもちょっとあるけど」とレッシンは首を横に振る。
 守れなかった自分の力不足を詰る気持ちも確かにある。しかしそれはともに戦う仲間に怪我を負わせてしまった程度のもので、レッシンを揺さぶる感情はそんなものではなかった。

「血、流してるリウ見て、思った」

 それはオレの役目だ、と。

 そいつを傷つけていいのはオレだけだ。
 そいつの血を浴びていいのはオレだけだ。
 そいつを手にかけていいのはオレだけだ。

 そう、思った。

「頼みが、ある」

 ことり、と手にしていたマグカップを床に置き、レッシンは真っ直ぐにマリカを見つめる。

「もし、オレが」

 仮定の話はあまりしたくない、もし、などという未来は考えたくない。それでも考えざるを得ない。それほどに己の中に巣くう闇は深すぎた。

「リウを殺そうとしたら」

 そう言ったレッシンは、すぐに「いや、」と言いなおす。もし仮にそのような事態になったとしたら、自分は確実に目的を達しているだろう。だからその時点で既に。

「……オレがリウを……殺し、たら、」

 彼の息はないはずだ。

「オレを殺してくれ」

 その時にレッシンに理性が残っているかどうかは分からない。もしかしたらもう人の区別はつかないかもしれない。それでもマリカにだけは決して手を出さないだろう、たとえリウや、ジェイルを手にかけたとしても、彼女だけはレッシンには殺せない。どうしてか、と尋ねられてもはっきりとした答えは返せない、そういう位置にいる存在、ただそれだけだ。
 こんな話をしているにも関わらず、レッシンの目は相変わらず真っ直ぐで、光を失っていない。マリカは眩しそうに眼を細め、手を伸ばして月明かりに照らされる彼の頬を撫でる。

「そのあとに、あたしは、」
 ジェイルに殺されるのね。

 もう一人の幼馴染は、レッシンを手に掛けたマリカを許さないだろう。同じ方法で報いを与えようとするはずで。

「…………あいつにマリカは殺せねぇだろ」

 レッシンはジェイルがマリカに抱く気持ちが本物であることを知っている。惚れた女を殺せる男はいないだろう。そう言うが、マリカは静かに首を振る。
 ジェイルが殺せない人間がいるとすれば、それはおそらくレッシンだけだ。

「でもジェイルも寂しがりだし、一人になったら自分で死んじゃうかもね」

 リウもいない、レッシンもいない、そしてマリカもいない。そんな世界で彼が生きていけるとは思えない。自分がもしその立場だったら絶対に無理だということが分かる。だからきっとジェイルも無理だ。いや、無理でないと駄目なのだ。

「皆、死ぬのか」
「死ぬわね、あんたのせいで」

 突き離した言葉のわりに、マリカの口元には笑みが浮かんでいる。レッシンの頭へ腕を回してぎゅ、と胸元に抱き込んだ。

 本当は。
 止めなければならないのだろう、彼の凶行を。
 彼の狂気を。
 友達であるのならば。
 家族であるのならば。

「でもあたしたちは否定しない。レッシンのその気持ちは絶対に何があろうと否定しない」

 レッシンが間違ったことをしようとするなら、もちろん全力で阻止するだろう。しかしそれとこれとは別の問題だ。ひとは同じことだ、というだろうが、マリカたちにとっては全く違う問題。

「もしそんなことになったら、あんたは好きにしたらいいわ」

 自分たちを死なせたくないならそんなことは止めろ、と言えばきっとレッシンは止まるだろう。しかしそれでは駄目だ、とマリカは思った。それは違う。その制止方法は自分たちのものではない。

「あたしたちが一緒に死んであげる」

 そう言うことが常識から外れていることは重々に承知している。おそらく間違った言葉、なのだろう。それでも、それがマリカの本音であることに変わりはない。

「…………それは、嫌だな」

 マリカの腰へ腕を回し、甘えるように抱きつきながら、レッシンはぽつり、零す。
 リウが好きだ、とてつもなくヤバイ方向で、好きで好きで仕方がない。
 そしてマリカも、ジェイルも好きだ。リウに対してとは違う好きだけれど、胸を張って大好きだと言える。
 そんな彼らが死んでしまうのはとても嫌で、とても悲しい。
 額を擦り寄せてくるレッシンの頭を撫でながら、「奇遇ね」とマリカが笑った。

「あたしも嫌よ」




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2009.04.27
















なんか、いろいろごめんなさい。
依存しすぎの関係が好きなんです。