たとえ屍の上でも


 方々から集まるクエストを城にいるメンバに託す際には、求められている人材とそのメンバの能力が適応するかどうか以外にも考えなければならないことがある。他の依頼で派遣するメンバとの兼ね合わせ、一度にそのメンバが城からいなくなっても大丈夫なのか、城の守り、あるいは他の依頼を頼んだ方がより効率がいいのではないか、など。
 実際クエストを受けるのはモアナで、依頼人とのやり取りはすべて彼女に一任しているが、それぞれのメンバに派遣の指示を出すのは団長、レッシンである。形式的なものではあるが、それでも彼はこの団を纏める人間だ、彼の命令ならば大抵のメンバは快く引き受けてくれる。ただ彼らはそのクエストの割り振りをモアナと参謀役の少年が相談して決めていることを、きちんと理解していたりもする。だからこそ安心して城を離れることに同意してくれるのだとは思うが。

 しくじった、とその時リウは、己の失策を痛感していた。
 思いのほかクエストが集まっており、モアナからせっつかれていたこともあったので、今回はいつもより多くの仲間に頑張ってもらっている。だからといって城を守るメンバがいなくならないように、と剣士団や団長自身には残ってもらっていたのだが。
 まさか、このような危機が存在していようとは。
 想定外にも程がある。

 事の起こりは医薬品の備蓄数の相談だった。それらを一手に任せているのは医師ではなく看護師の方であり、彼女に残りの薬の数を確認しておこうと思って医務室を訪れた。だが目当ての人物は残念ながらおらず、言動に問題のある医師が一人暇を持て余していただけ。ユーニスがいないのなら用はない、と医務室を立ち去ろうとしたところで珍しくもザフラーがリウを呼び止めた。
 人間以外の種族を解剖したくてしかたないらしい彼は、ポーパスやロアが事のほかお気に入りで、ひたすら彼らの尻を追いかけていたのだが、残念ながら数日前から異種族たちは一斉にクエストに出かけていた。まあまあ、と勧められるまま椅子に腰かけ、お茶を一口飲んだところでそのことを思い出したリウが、はっと顔を上げた時には既に遅く。

「ところで、リウくんはスクライブ、だったね?」

 キラン、とザフラーの目が光ったように見えたのは、決してリウの気のせいではないだろう。
 はいそうです、と答える前に腕を掴まれ、ひょい、とベッドへと放り投げられた。ただの医者のくせに腕力があるのは卑怯だと思う。

「何故かここ数日フューリーロアのお嬢さんたちや、ポーパスの戦士たちを見つけられなくてね。私の医学への探究心が向かう先がないのだよ!」

 ははは、とさわやかに笑いながら近づいてくる医師が怖くて声も出ない。

「人間とほとんど変わらぬ姿とはいえ君も異種族! どこまで人間と同じなのか、かいぼ、いやいや、触診をさせてくれないか!」
「触るだけで終わんないでしょー、あんたっ! 絶対切り開く気だ! メス! メス持ってんじゃん!」

 ようやく声を上げたリウは、ベッドから降りようと体をよじらせる。しかし圧し掛かってきた医師にがっしりと体を抑え込まれてしまったので、抵抗すら難しい状況に立たされてしまった。

「知識とはあって困るものでもない、参謀殿なら分かるだろう? これも医学の進歩のためだ!」
「ぜってー違うし! あんたの趣味じゃんっ!」
「趣味でも何でも、結果的に貢献してればそれでよしっ!」
「よくねーよっ!」

 ザフラーのこの超理論と強引さが何かに似ていると思えば、何のことはない我らが団長だ。彼もこの医師は苦手らしいが、もしかしたら根本に似ている部分があるからかもしれない。

「いいから、ほら、触るだけだ」
「いーやーだー、触んなっ」
「生娘でもあるまいに、触られるくらい我慢しろ」

 そう言ったザフラーは白衣のポケットに忍ばせていたらしい包帯でくるり、とリウの両手を縛ると、診察ベッドの柵へと括りつけた。手際がいいのが妙に気になる。

「っ、あんた、ロアとか、ポーパスたちにもこんなこと、してねー、よなっ!?」
「まさかっ! 彼らは貴重な観察対象! 手荒にするわけがない!」
「じゃあオレも、丁寧に扱えよ!」
「じっくりと観察させてくれるならな」
「――――ッ」

 上着の合わせを肌蹴られ、素肌をさらされる。すう、と撫でるその手つきは抵抗を塞ぐものとは違い、どこまでも機械的だった。

「ふむ、肌の色素が薄いのはスクライブ族特有のもの、か。骨格は、おおよそ人と同じに見えるが、どこか一本骨が多いとかないのかね?」
「知るかっ」

 いいから離せっ、と怒鳴るリウにザフラーは「いい加減諦めて協力したらどうだ」と呆れたような視線を向ける。

「頭、顔、うむ、人と同じだな。眼球、反射も、正常」

 目の前で軽く指を振られ、思わず目を閉じるとそんな呟きが聞こえてくる。顔を無理やり横へ向けられ、今度は耳の形を確かめられた。

「外耳、耳朶、外耳道」
「ッ、く、すぐってぇっ」
「おお、そうか、耳の皮膚が薄く敏感なのはスクライブも変わらない、と」
「だからっ! ほとんど人間と変わんねーって、言ってんじゃん!」

 何処まで同じなのか詳しく調べたことはないが、リウが知る限りでは肌の色と体力、知力的なものくらいしか違いはないはずで。

「でもレン・リインくんが言うには君たちのイレズミは一族の者にしか効かないらしいじゃないか」

 新しく現れる世界のせいで記憶を上書きされ続ける人間とは違い、線刻を受けたスクライブは以前の記憶も持ち続けているという。

「だとしたらイレズミと反応を示す、人間とは違う部分があっても良さそうだがね」

 ぐ、と両頬を指で挟まれ、痛みに呻いて口を開ける。同時に遠慮のかけらもなく、ザフラーの指が口の中にねじ込まれた。つん、と消毒液の匂いが鼻をくすぐる。

「ぐ、っ、ぅ……」
「歯の数、ほぼ同じ、犬歯がやや鋭い、これも個人差か。舌、味覚はどうだね? 食べるものは同じだったかな?」
「んぅーッ」

 指で口内を弄られている状態で答えられるはずもなく、目に涙を浮かべたまま医師を睨むと、「これは失敬」とようやく口から指を抜いてくれた。

「っ、同じ、だよっ、森から出ないから、肉とか魚はあまり食べないけど」

 先ほどからなんとか逃れようと両手を動かしているが、包帯が緩む気配はなく、こうなったら付きあえるだけ付き合ってさっさと終わらせてしまったほうがいいとリウは判断する。素直に質問に答えていればそのうち満足するだろう。リウの答えに「そうかそうか」と楽しそうに笑ったザフラーは、その手を胴体の方へとずらしていった。

「心臓はここ、うむ、スクライブの臓器の種類や位置までは知らないだろうね?」
「医学系はそんなに得意じゃねーんだ。ただまあ、外から入ってきた薬とかフツーに使ってたし、ほとんど同じってことじゃね? 血液の成分がちょっと違うかも、みたいなのをどこかで読んだことがある」

 あんたの言う『イレズミに反応する何か』ってのもそれじゃねーの、と投げやり気味に言うリウに、「じゃあ血を取らせてくれ」と注射器を取りだされた。

「…………少しだけにしてくれよ」

 大きくため息をついたリウの腕に針を突き立ててその血を抜き取る。二本目、三本目を取りだされたらどうしようかと思ったが、どうやらそれだけで満足してくれたようで、「少し鮮やかだね」と血の色を見て感想を漏らしていた。

「まあ一人だけだとデータとしては不完全だがね」
「ッ、レン・リインやルオ・タウは襲うなよっ」

 頼りない長についてきてくれた有り難い同族なのだ、スクライブという一族は未だに苦手だが、それでも長として彼らに危害が加わるのを見過ごすことはできない。

「だったらしっかり君がデータを提供してくれればよいだけのことだ」 

 さわやかに笑いながらまるで悪役のようなセリフを紡ぐ。そのちぐはぐさにくらり、と眩暈がした。

「頚椎、鎖骨、胸骨、肋骨、本当に人間と変わらんな」

 つまらん、と顔をしかめてザフラーは言う。

「だったらさっさと解放してくれ」
「何、新しい知識というのは往々にして古い知識の中に埋もれていたりするもんだ」

 触って分かる範囲での骨や臓器を確認していたザフラーは掌を腹の上へと滑らせる。軽く腰帯を下げられ、つう、と臍をなぞられた。

「臍がある。卵から生まれたりはしないのか」
「するか! オレらも哺乳類だ!」

 がう、と吼えたてるとやはり医者はつまらなさそうな表情を浮かべる。そんなに楽しくないのならどうしてわざわざリウを捕まえたりしたのか。
 原因が自分のクエスト配分にあるということが分かっているだけに、怒りの持って行き場所がない。せめてポーパスとロア、一人ずつでも城に残していれば良かった。医務室に来ずとも走りまわる姿を見ているだけでザフラーの気は紛れていただろうに。
 ちくしょう、と呟きかけてリウは、は、と顔を上げた。

「っ!? あ、あ、あんたっ! 何やって――ッ」

 慌てて声を荒げるも、「見て分からないか、脱がせているのだ」と平静に返される。

「や、だっ! やめろっ! 手ぇ、離せよッ!」

 腰帯を抜き取り、ズボンのボタンを外す手から逃れようとがむしゃらに身を捩った。しかし、足の上に乗り上げるように体重をかけられ、ろくな抵抗になっていない。まさか下まで脱がされるとは思っておらず、少し付き合えば解放されるだろう、などと呑気なことを考えていた過去の自分を平手で殴ってやりたかった。
 がたがたとリウが暴れるたびにベッド音を立てて軋む。

「同じ雄同士、そう恥ずかしがることもあるまい」
「は、ずかしいわっ!! 離せ、セクハラ親父っ!!」
「親父であることに異論はないが、セクハラとは失礼な」

 私はただ医学的見地から、とくどくどと説明を始めたザフラーに抑えつけられていた左足をなんとか抜き取って、腹をめがけて蹴りつける。しかしそれは医者の体に届く前にぱしり、と受け止められてしまった。

「ッ、マジ、で、やめ……ッ」

 カチャカチャと合わせをはだけ、足を掴んでいない方の手をズボンの縁へとかける。「ひっ」と顔を青くして喉を震わせたリウは、次の瞬間恥も外聞もなく叫んでいた。

「い、やだっ! ――――ッ、レ、レッシン! レッシン――――ッ!」

 どうしてここで団長の名前が出てくるのか、もし相手がザフラーでなければ疑問に思ったかもしれない。あるいは逆に団長だからだろう、と納得してくれるのかもしれないが、今のリウにはそのようなことを気にしている余裕は全くなかった。
 ジタバタと暴れながら助けを呼ぼうと、再び大きく口を開く。さすがにそう何度も大声を出されてはまずいと思ったのか、その口をすかさずザフラーが塞いだところで。

「リウッ!?」

 天の助け、とはこのことを言うのだろう。涙を浮かべたままリウが医務室の入口へ視線を向けると、顔を青くしたレッシンの姿。リウの悲鳴を本人が聞きつけたのか、あるいは誰かに聞きでもしたのか、慌てて駆けつけてくれたのだろう大きく肩で息をしている。

「――おっさん、てめぇ、リウに何を」
「……先生?」

 低く唸るような声でそう問いかけたレッシンの後ろからひょい、と顔を出したのは、本来リウが探していた人物。

「何を、なさって、らっしゃるん、ですか?」

 にっこりと笑みを浮かべながらも、その途切れ途切れの言葉がいやに重たく聞こえる。ひく、とザフラーの口元が引きつった。さすがに常識はずれの医師も団長と看護師のマジギレを前に恐怖を覚えているのだろう。

「――では、私はこれで!」

 すちゃ、と右手を上げると、ベッドを下り、一番近くの窓から外へと逃げ出した。ここが二階であるという事実は彼の中で忘れられていたのか、あるいはそれを知りつつもなお逃げたいと思う気持ちの方が上だったのか。
 逃げだした医者を追いかけることもせずに佇んだままだったレッシンが、「……ユーニス」と看護師の名前を呼んだ。

「あの馬鹿が上司じゃ、いろいろストレスも多いだろ」
「ええ、それは」
「日頃溜まってる鬱憤とかもあるだろ」
「もちろんです」
「――存分にヤれ」

 オレが許す、と続けられた言葉に、ユーニスは「お任せを」とにっこりと笑みを浮かべ、医者を追うのだろう医務室を後にした。
 そんな彼女を見送ることもなく、レッシンは部屋の中へと足を踏み入れる。まっすぐにリウが横になっているベッドへと歩み寄り、無言のまま手を伸ばしてきた。
 リウの自由を奪う包帯の結び目は硬く、簡単に解けそうもないようで、どこぞより探し出してきた鋏を使ってようやく包帯を取り払う。不自然な体勢で暴れていたせいで腕に違和感がある。
 肩に負担をかけないようにゆっくりと起き上がり、ひりひりと痛む手首をそっと撫でた。

「あのくそ医者……ッ」

 思わずそう悪態をついたリウを、ベッドに乗り上げてきたレッシンが何も言わずに抱きしめる。

「れ、っしん……?」

 突然抱きしめられ、リウは戸惑いながらレッシンの名前を呼んだ。ぽん、と柔らかく背中を撫でられる。ぽん、ぽん、と。その手の動きに促されるように、まだ少し痛みの残る肩を無視して腕を上げてレッシンの背に回した。
 弱々しく服をつかんで、そのまま大きく息を吸い込む。
 レッシンの匂いだ、と。
 頭がそう理解すると同時に、肩に顔を埋めてぎゅう、と強く抱きついていた。
 レッシンはそんなリウへ何か言うこともせず、ただゆっくりとその背中を撫で続ける。
 しばらく無言のままそうしたあと。

「部屋、戻るか」

 ぽつり、紡がれた言葉にリウはこくりと頷いて答えた。




 四階の団長部屋へ戻り、ベッドの上、投げだされたレッシンの太ももを枕にして寝そべったまま、「怒られる、と思った」とリウは小さく呟く。レッシンの性格からいえば、「オレ以外に触らせるな」と責めてきても良さそうな状況だ。実際、書であるリウの線刻を触りにきた星を宿すものたちに嫉妬心をむき出しにされ、機嫌を損ねていたこともあるくらいで。

「あー、うん、腹は立ってる」

 柔らかくリウの頭を撫でながらレッシンは答える。続けて「何簡単に捕まってんだよ、お前は」と額をぺしり、と叩かれた。どう考えてもリウは単なる被害者で、非は一点もないはずなのだが、そういう理屈は彼には通じない。苦笑を浮かべて「ごめん」とだけ謝ると、そんなリウをこれ以上責めるつもりはないようで、レッシンは「ん」と小さく頷きを返した。
 やはりいつもと微妙に雰囲気が違っている。どうかしたのだろうか、とリウが首をかしげると、「腹が立ってる、ってよりさ」とレッシンは口を開いた。

「怖かった、ってほうがでかくて」

 そう言った後、「あ、ザフラーのおっさんは別枠な」と付け加えられる。
 それについては同感で、彼に対する感情は怒りだけでは表現できないほどだ。医術に関する腕や知識は認めるが、それ以外の部分が非常に頂けない。ロアやポーパスたちが戻ってきたら被害が本当にないのか詳しく聞いておく必要があるだろう。レン・リインやルオ・タウにもできるだけ医務室には近づかないように、どうしても具合が悪い時はユーニスに相談するように伝えておこう、と頭の片隅にメモをしておく。あるいは自分が多少なりとも医学を齧っておくか、だ。
 そう考えていたところへ、「オレさ」とレッシンの声が耳に届いた。頭を撫でている手をそのままに、空いた左手でリウの手を握りしめる。

「隣にいたんだ、剣士団のとこ。しかも入口近くに」

 その言葉に「ああ、それで」とリウは納得したように頷いた。現れるタイミングが良すぎると思っていた。あれだけ大声で叫んだのだ、同じ階の剣士団の訓練所にいたのなら聞こえていても不思議ではない。

「声、聞いてびっくりした。何があったんだ、って、頭真っ白になって」

 慌てて駆けつけたのだ、と言うレッシンは、確かにあのとき顔面を蒼白にさせていた。

「あの医者は殴っても殴りたりねぇけど、でもぶっちゃけ、ちょっと安心したってのもある」

 人外フェチの医者に抑えつけられている程度のことで、今すぐにどうこうされるというものではなかったことにほっと安堵が体を覆った。
 そう言うレッシンを見上げて、リウは「あー、ごめん……」と謝罪を口にする。

「咄嗟にレッシンの名前がでてきちゃって……大げさだったよな……」

 そう言われれば確かにそうで、そこまで大声で名前を呼び助けを求めるほどのことではなかった。ましてやリウはザフラーと同性であり、裸の一つや二つを見られたところで死んでしまう、というものでもない。

「や、そうじゃなくて。そういう意味じゃなくて」

 しゅん、としてしまったリウへレッシンが慌てて言葉を続ける。

「リウがオレを呼んでくれんのはすげぇ嬉しいし、オレ以外の名前は呼ぶなって思う。あの状況でオレ以外に助け求めてみろ、オレ、たぶんそいつ殴りに行く」

 もし仮にそのようなことになれば、殴られる方は堪ったものではないだろう、苦笑を浮かべながら、「そーゆーことにはなんねーとは思うよ」と言っておいた。今も昔も、リウが助けてほしいと願う相手は彼一人だけなのだ。それはおそらくこれからも変わらないだろう。

「ただ、さ。今回はあの馬鹿医者相手だったから良かったけど、それ以外だったら、って考えたらちょっと怖くなった」

 同じ団の仲間だったからまだ良かったものの、たとえば協会軍の兵士だったとしたら。書を狙う司書だったりしたら。あるいは人間ですらなく魔物であったとしたら。

「たまたま近くにいたから助けに行けたけど、これからもずっとそうだってわけじゃねぇし、ずっと側にいるなんて、無理だろ?」

 こんな厄介事に首を突っ込む前、シトロで暮らしていたころならばまだできたかもしれないが、現状では確実に無理だ。現に、書を継承して以来リウは出歩くことを控えている。その間城でレッシンの帰りを待っているのだ。

「守りてえけど、どうしていいのか分かんねぇ」

 それでも、もうあんな風に助けを呼ぶ声は聞きたくないのだ、とレッシンは苦しそうに顔を歪めて言った。
 いつのこと、だっただろうか。そうあれは確か、初めて体を繋げた日のこと。
 その日、レッシンは酷い怪我をして帰ってきた。正確には怪我の痕だけを残して帰ってきたのだが、切り裂かれた装備や赤く染まる布を見て血の気が引いたのを覚えている。おそらく彼は今、あの時のリウと同じような気持ちを味わっているのだろう。

「……ごめん、レッシン」

 自分が安易に彼の名を呼ばなければ、助けを呼ばなければ、と後悔する気持ちはあるが、おそらくそれはレッシンの望むものではないだろう。驚かせてごめん、心配掛けてごめん、と謝れば、レッシンはふるふると首を横に振った。そんな彼へリウはもう一度謝罪を口にした後、「でも、悪いんだけど」と言葉を続ける。

「たぶん、オレ、絶対レッシン呼んじゃうから。呼ぶなって言われても、ああいうときってなにも考えらんねーじゃん? だからごめん」

 これから先、もし似たような状況になったとした場合でも確実に助けを求めて呼ぶ名は彼のものだろう。また心配をかけてしまうかもしれない分を先に謝罪しておく、とリウはそう言った。

「それに、オレ、ヘタレだけど、お前の荷物になる気はねーよ」
「荷物だなんて思ってねえ」

 眉をひそめて強い語気でそう言い切ったレッシンへ、「知ってる」とリウは笑みを浮かべて言葉を続ける。

「だからさ、こーいうときはいつもみたいに怒ればいいじゃん。『もっと強くなれ』って。『オレに心配かけさすな』って」

 怒ってリウを責めて、それで最後に無事で良かった、と笑ってくれればそれでいい。

 そう言うリウを見ているとレッシンはいつも思う、彼には一生敵わないだろう、と。
 レッシンは自分が精神的に未熟であることを理解している。感情のままに爆発し、周囲に迷惑をかけることも少なくない。その被害を一番受けているのがほかならぬリウであるはずなのに、彼はレッシンのその性格を全て許容するというのだ。我慢ならないときはそう言うし、怒ることも多いがそれでも、最終的にはレッシンを受け入れてくれる。
 リウのそんな優しさに甘えてばかりではよくない、と思ってはいるが、あまりにも居心地が良すぎて。
 この手を失えない、そう思う。

「……強く、なれよ」
「うん」
「オレの知らないところで、絶対傷つくな」
「うん」
「もし傷ついても、全部オレがなおしてやっから」
「うん」
「何が何でも生きてオレんとこ、帰って来い」
「うん」
「そのためには誰を殺してもいいから」

 たとえその手が血で汚れようとも。
 背後に屍の山ができていようとも。
 今までと変わらず抱きしめるから。

 そんな、
 ひどく残酷な命令。
 多少なりとも道徳心があるのならば頷いてはいけないのだろうけれど、それでも。

「…………うん」

 彼に対して全く同じことを願ってしまう自分がいることを、リウは知っていた。




ブラウザバックでお戻りください。
2009.04.13
















ザフラー大好き。