指相撲


 健康的に日に焼けた指と、それより若干細く白い指先が絡まりあう。逃げる親指を追いかける親指。捕えたかと思えばするり、と逃げられ、逆に動きを封じられる。

「っ、痛ぇ! 痛ぇって!」

 ぎゅう、と親指を抑え込まれリウが悲鳴を上げる。軽く力を抜きながらも、逃げられない程度には力を入れ、レッシンは十まで数を数えた。

「五連勝」
「つかさ、オレがレッシンに勝てるわけなくね? 結局は力技じゃん」

 ようやく解放された指は少し赤くなってしまっていた。
 夕食も入浴も済ませ、あとは寝るだけという時間帯。いつもならばレッシンは眠くなるまで適当に城内をうろつき、リウは本を読んで過ごしているのだが、今日のレッシンはどこにも行くつもりはないらしい。相手をせずに本を読んでも良かったのだが、せっかく二人で一緒にいるのだ、もとがおしゃべりな二人である、話が尽きるはずもない。
 今日の昼間の出来事、夕飯のこと、明日出かける先のこと、新しく入った仲間のこと、城の裏の畑のこと。色々話しながら、いつの間にか絡みあっていた指先で始まった指相撲。

「どんだけ逃げても一回捕まったら終わりだもんなぁ」

 ひきょーだ、と文句を言う。それでも絡めた指を外そうとしないリウに口元を緩ませながら、「捕まえんのもけっこう大変なんだけどな」と返す。

「そりゃーもう、必死で逃げてますから」

 顔を上げた彼は「逃げ足だけは自慢できるし」と笑った。

「足じゃなくて指じゃん」
「じゃあ逃げ指?」

 なんだそれ、と二人で笑い合う。けたけたと楽しそうに笑うその手を引き、腕を引くと、バランスを崩したリウがとさり、とレッシンの胸へと倒れこんできた。組んでいた足を開き抱きしめる。突然のことに目を開いていたリウは、「レッシン?」と己を抱き込む男を見上げて首を傾げた。

「だってリウ、逃げ足速ぇっつーから」
 捕まえとこうと思って。

 そう言って再びぎゅう、と抱きしめる腕に力を込めた。

「リウが本気で逃げたら、オレじゃあ絶対捕まえらんねぇ気がするし」

 それはもちろん指先の話ではない。閉ざされた環境でならば、あるいは彼のいる場所が分かっているのならば、力づくで抑え込むことはできるだろう。
 しかしリウが逃げるというのなら、それはまずその居場所すらも完全に隠してしまうだろう。それだけの頭脳が彼にはある。

「そんなこと、ねーと思うけどな」

 苦笑を浮かべながら、リウはくるりと体を反転させて、レッシンにもたれかかるように背を預けた。

「お前さ、こないだ言ってたこと、嘘だろ」

 唐突なレッシンの言葉に「こないだって?」とリウは首を傾げる。

「よく樹海を一人で抜けられたな、ってクロデキルドが言ったとき。お前、魔物に会わなかったから、って言っただろ。運が良かったって」
「……それが嘘?」

 数日前の会話。リウがスクライブの集落を抜けるときに通ったはずの樹海は、なかなか魔物も強く幼い子供が一人でふらふらと歩ける場所ではなかった。かなり力をつけているはずのメンバでさえ辛い部分があったのだ。下手をしたらあの森で息絶えていた可能性もある。今は星の印を得てある程度の魔法が使えるようになってはいるが、それ以前のリウがさほど戦闘にたけていたわけではないことは普段の彼を見ていればよく分かることだろう。

「嘘って、いうか。それ、運が良かったんじゃなくて、きちんと逃げてたんだろ。魔物に会わないように、会っても逃げられるように」

 レッシンはリウのようにくるくると回る頭脳は持ち合わせていない。どうすればそんなことができるのか想像もつかないが、それでもリウならばやってのけるだろうということは何となく分かる。
 半ば確信を抱きつつそう尋ねると、「別に嘘ってわけじゃねーんだけどさ」とリウは苦笑を浮かべた。

「森に出る魔物の種類、調べて、生態調べて、行動パターンを調べて。魔物も生き物だからさ。本能で生きてる分、感情のある人間よりはパターン読みやすかったけど」

 それら全てを頭の中に叩き込んで、出来るだけ魔物に会わないようにあの森を抜けた。二、三度近くまで気配がくることはあったが、それもどの魔物でどんな状態なのかを先に把握してしまえば、このままじっとしているべきなのか、それとも別の道を行けば大丈夫なのかの判断ができる。
 そうして戦わずして得た外の空気だったのだ。

「それが成功するかどうかはやっぱりほら、運だし?」
「そこまで調べてんならもう運とは言わねえよ」

 それでもまだ誤魔化そうとする(あるいは謙遜しているのかもしれない)リウの頭を小突いてレッシンはそう言った。彼はどうしてだか自分の能力を低く見積もるすぎることがある。胸を張ってもいいと思うのだが、そうすると嫌っていた同族たちと同じことをしていることになるから、と以前眉をひそめて言っていた。
 そういう一歩引いた態度も嫌いではないが、ときたまひどく歯がゆくなることも事実だった。
 ふ、と小さくため息をついて、「たぶん」とレッシンは口を開く。

「リウがそうやって逃げたら、オレは見つけ切れねえと思う」
「やってみなけりゃ分かんねぇ、って言わねーの?」

 レッシンの口癖であり、モットーであるその言葉。やりもせずに諦めるなど、普段のレッシンらしからぬ言葉だ。

「言わなくてもマリカの飯は不味いだろ」

 つまりはそれと同じくらいに確実なこととしてレッシンの中にはあるらしい。「いやいや、ちょっとずつでも上達はしてんじゃね?」と苦笑を浮かべて返しておいた。

「でもじゃあ、レッシンはオレを探してくんねーんだ?」

 やりもせずに諦めると言うのだろうか。少しさみしく思いながら尋ねると、「や、探すけどさ」とレッシンは答えた。

「それで見つけられたら本気で逃げてねえってこと」
 見つけてもらいたくて逃げてんだろ。

 きっぱりとそう断言され、少しだけ頬を赤くしたリウは口元を押さえながら、「そーかも」とそれを肯定した。
 気を引きたい、心配してほしい、自分のことを考えてほしい。
 そんな我儘故の行動である可能性も否定できない。

「ていうかさ。オレがレッシンから逃げるってのがまずねー気がするんだけど」
「ああ、うん、だから、逃げんなよって話」

 微妙にかみ合っていない会話。
 けれど見上げたレッシンの目はどこまでも真剣な色を帯びている。

「もし逃げるってんなら、そうだな……」

 少し考える素振りを見せ、リウの指に絡めていた手をそ、とその腕の方へ這わせた。

「これ、置いてけ」
「……腕?」

 眉をひそめて問うと、「一本でいい」と返ってきた。冗談を言っているような表情ではなく、ぞ、としたものが背筋を這い上る。しかしそれが恐怖ではないことは、リウ自身が一番把握しているところだった。

「そ、れで逃がして、くれんの」

 どこか掠れたその言葉に、レッシンは極上の笑みを浮かべて答える。

「まさか」

 腕が一本しかなかったら、オレが両腕で押さえこめば捕まえられるだろ。

 そう言って、リウの右手を両手でぎゅ、と抑えこむ。確かにこれでもう片方の手が使えないのなら、リウに逃げる術はない。

「…………それ、すげー卑怯じゃん」

 まだ奪われていない左手で、抑えこむレッシンの両手をかりかりと引っ掻く。

「卑怯でもなんでもいいよ。その代り、オレが逃げる前には腕一本置いてくから」

 その交換条件は何かがおかしい気がするが、リウは「いらねーよ」と小さく肩を竦めた。

「そんなもんなくても、見つけられるし」
「……悪かったな、リウほど頭良くなくて」

 拗ねたように唇を尖らせそう呟くレッシンを見上げ、くすり、と笑みを零す。体を起こし、再び向かい合うように座って、「ちげーよ」とその唇を奪った。

「オレの執着心、舐めんなって話」




ブラウザバックでお戻りください。
2009.05.15
















もっと明るい話が書きたい。