ぬくもり


「マジでこれ、上んの……?」

 目に痛いほどの明るい回廊を一歩出れば、そこは薄暗い鉱山の中。城とグレイリッジ鉱山を繋ぐトビラがあるとホツバに聞き、自分で通って確認もしたから本来ならばリウがここに来てもすることはない。こんなところと城が繋がっていたとしても、あまり意味はないだろう。精々が避難場所に使う、ということくらいで。
 トビラを出た先に頼りなさげにぶら下がっている縄梯子を指さして、ひきつった顔をするリウの背中を、レッシンは「いいから早く上れよ」と軽く押す。

「え!? いや、だってこれ、長いじゃん! 高いじゃん! つーか、ロープじゃん!」
「縄梯子なんだからロープなのは当たり前だろ」
「いや、そーなんですけどね!? これ、途中で切れたりしない? ていうか、オレ、途中で落ちたりしない!?」

 自慢ではないが体力はさほどない方だ。運動神経は悪くはないと思うのだが、如何せん性格が体を動かすことに向いていない。今から本当にあの高さまで縄梯子を上るのかと思うと、目まいがするほどなのに。

「そんなことオレが知るか。落ちないように頑張れよ」

 もっともなレッシンの言葉に、「うー」とリウは唸り声をあげた。そんなリウを見てレッシンは彼に気づかれぬように苦笑を浮かべる。
 所詮リウが騒ぐことなど少し我慢して乗り越えればいいような、大したことないものばかりなのだ。そしてリウがそれに耐えきれる程度には根性があることレッシンは知っている。彼は本当に逃げてはいけないときは、絶対に背を向けたりはしない。多少弱音を吐きながらも、なんとかその場に踏みとどまろうとする強さがある。
 つまりはこうして騒いでいることは、無理やり背を押してしまっても問題はないということ。

「分かった分かった、じゃあリウ、先に上れ」
「え!? オレが最初!?」
「お前が落ちたら後ろにいるオレも落ちるだろ。落ちるときは一緒な」

 にっこり笑って言ってやれば、リウが小さく呻いて言葉を詰まらせる。そして「そーいう言い方はヒキョーだ」と悔しそうにレッシンを睨んだ。
 ぐ、と唇を噛んでようやくリウは崖の上からぶら下がっている縄梯子へと手を掛ける。ぎし、と小さく音を立てるそれに恐る恐る足をかけ、ゆっくりと上り始めた。
 背は少しばかりリウの方が高いが、筋肉や脂肪がないせいで全体的に小さな印象がある。頼りない姿が懸命に梯子を上って行く様を見上げ、出来るだけ揺らさないように注意しながらレッシンも梯子へと足をかけた。

「うぅー、高い……怖いぃ……」
「オレを落としたくなかったら頑張れー」
「ぎゃあ! 揺れるっ! レッシンのアホォ……ッ!」

 縄梯子なのだから揺れるのは当たり前だ。それとレッシンに何の関係があるのかは分からなかったが、「はいはい、アホでいいからさっさと上れー」と下から励ましてやる。

「もぅヤダよぅ……怖くて目、開けらんね……」
「開けないと上れねぇだろ。下見んなー、上だけ見てろ上だけ」

 頂上付近で突如スピードの落ちたリウに追いつき、そのふくらはぎを軽く叩いてやる。そんな攻防を繰り広げながら何とか上りきった時には、リウは既に息も絶え絶えだった。

「……ヘタレ、ここに極まれり」
「うっさいなぁっ!」

 しゃがみ込んで「怖かったぁ」と呟くリウの頭を軽く撫でて、「ほら、さっさと行くぞ」と腕を取った。

「忘れてねぇよな、目的」

 まだ少し膝が笑っているのか、ふらついたリウを支えてやりながら尋ねると、ようやく周囲を見るだけの余裕が出てきたらしい。彼はくるり、と視線をめぐらせて、「ほんとに行くの……?」と小声で呟いた。

「……今引き返したら、リウ、何のためにこれ、上ったんだってことになるけど」

 とりあえずそう返してみたら、リウは悔しそうに眉を潜ませて「それは嫌だ」と口にする。

「オレもヤダよ。リウに見せたいから連れてきたんだ」
 すげぇんだって、えれべーたー!

 まるで自慢のおもちゃについて語っているかのように、目をキラキラさせてレッシンは言う。そういう顔を見ることは嫌いじゃない、むしろ好きな部類に入るが、「連れてきたっつーより、引っ張ってきたって感じー」と思わず悪態が口を吐く。

「だって見せたかったんだもんよ」
「や、オレも見てみたいとは思うけどさー」

 トビラを抜けた先の縄梯子をようやくクリアできたと思ったのに、目的のエレベーターがあるところまで少し坑道を歩かなければならないという。
 薄暗く、どこからモンスターが現われるともしれないこの道を。

「か、帰りたい……」

 リウもレッシンもある程度の戦闘をこなし、それなりに武器も星の印も使えるためモンスターに手こずるということはないだろう。念のためおくすりだってたくさん持ってきた。
 しかし、問題はそこではない。リウはとにかく「驚かされる」ということに酷く弱いのだ。突然、が怖い。今ならば一撃で倒せるはずのもさもさが相手であったとしても、突然出てこられたら迷わず背を見せて逃げ出すだろう。だからそれっぽい雰囲気の場所はすべからく苦手だ。

「ほんとに怖がりだなぁ。ある意味すげぇ」
「感心、しないでください……」

 本人はいたって真面目で、死活問題なのだ。しかしレッシンはというと怯えるリウの姿を見て、「おもしれぇ」と無責任に楽しんでいるようだった。
 ここで怯えていてもいたずらにレッシンを楽しませるだけだ。とりあえず見るものを見て、体験するものを体験して、さっさと城に戻った方が得策というもの。

「で、レッシンどっち?」

 崖を登りきった先には右と左に道が分かれている。一度も来たことない場所なので、レッシンの案内に頼るほかないのだが。

「…………こっち」
「何、その間……」

 非常に気になる空白を経たのち、レッシンは右側を指さした。しかしリウには判断材料がないため従わざるを得ない。今日中に帰って来なかったら助けにきて、とマリカとジェイルには頼んであるため、ここで死ぬことはないだろう。

「鉱山の入口に戻るんだよ。だからこっち」

 どうやらエレベーターとは入口にあるらしい。歩いてグレイリッジにくるよりもトビラを使って鉱山の中を移動した方が時間はかからないが、それでもこんなに薄暗いと知っていたらリウは直接グレイリッジへ歩く方を選んだかもしれない。

「や、坑道だから暗いの分かってたんだけどね」

 自分の思考回路にそう突っ込むと、「何一人でぶつぶつ言ってんだ?」とレッシンに首を傾げられた。
 再び現れた梯子は縄ではなく、木のしっかりしたもので、それでも「壊れそう」と怯えるリウを宥めすかして上らせた後、レッシンは鉱山の入口を目指す。

「うーん、方向はあってるはずなんだけどな」
「レッシンー、頼むよぉ……」

 幾度目かの突きあたりを前にレッシンが腕を組んでそう漏らし、リウは表情を更に歪めて泣きそうな声を上げた。

「大丈夫大丈夫。ここ、そんなに広くなかったし、梯子一つ下りてすぐトビラってのは覚えてるから、この階にあることは間違いねえし」

 胸を張ってそう言うレッシンだが、いまいち信じ切れない。そんな思いが顔に出ていたのか、レッシンは「ほんとだってば」と唇を尖らせた。

「えれべーたーってな、ほんと、すげえんだって。乗ってスイッチ押すだけで動くんだぜ?」
「どんな仕組みになってんのか見ても分かんねーだろうなぁ」

 コツコツと二人の足音が響く道を歩きながら、適当な会話をしながらひたすらに進む。時折現れるモンスターを倒しながらであるため、あまり進む速度は早くない。それでもくだらない話をし続けるのは、レッシンはただ単にエレベーターのすごさを語りたいだけだが、リウはとにかく気を反らせたい一心だった。

 怖くない、怖くない。レッシンもいるし、魔物も弱いし、大丈夫、怖くない。

 天然お化け屋敷も同然の坑道を念じながら歩きはするものの、如何せんリウは暗示に弱いタイプである。余計なことをつらつらと考えてしまい、逆に更に怯えるはめになる、など今まで生きてきた中で何度繰り返したか分からない。

「レッシンー、まだぁ……?」

 がさごそと自分たち以外の何者かがいる物音に怯え、現れた魔物に声を上げ、とりあえずレッシンが戦うのを補佐し、もういないかと辺りを伺いながら尋ねること数度。突きあたりにある梯子に首をかしげて、「これ、さっき上ってきたとこじゃねえよな?」と確認してくるレッシンに「違う梯子だよ」と答える。

「じゃあこの道じゃない。戻るぞ」
「うえぇぇ……もうここヤダ……」
「なんつーか、期待以上に怖がってくれてオレは嬉しいよ」
「期待、してたのっ!?」

 苦笑してそう言うレッシンへ思わず声を上げると、「してた」とあっさり答えられた。

「ひでー、レッシン、ひでぇっ!」
「別にひどくはねぇだろ。期待してただけで、怖がらせるために連れてきたわけじゃねえんだし」

 本来の目的はリウにエレベーターを見せ、乗せてやること。その行程でちょこっとばかり怖がる姿を見てみたいな、と思ってはいたが、それが目的ではない限り非難されるいわれはない。胸を張ってそう言うレッシンへ、リウは深くため息をついた。
 彼はこういう人間なのだ。たとえリウを怖がらせることが目的であったとしても、「オレが守るから別にいいだろ」ときっと悪びれずに言ってのける。その姿が容易に想像がついた。そんなレッシンに言い返すこともできず、なんとなく従っている自分も想像ができる。

「も、いいよ、いろいろ……」

 もう一度深くため息をついたところで不意に。
 ふわり、と。
 何かが腕を撫でていった。

「――――ッ!!」

 本当に怖い時人間は声も出なくなるのだ、とリウは初めて知った。別に知りたくもなかった。知らずに済めばおそらく一生が幸せだったに違いない。
 さらりともう一度腕を撫でる何か。少しだけ視線を下ろせばいいのだ、と分かってはいるが、そんなことができる勇気はもちろんあるわけもなく、リウは弾かれたように体を動かして前を歩いていたレッシンに抱きついた。

「ぅ、おッ!? リウ?」

 背後からの衝撃にレッシンは思わずバランスを崩す。それでもなんとか持ちこたえて自分の体重とリウを支えるあたり、さすがというべきなのか。

「おーい、リウ? どしたー?」

 背後に向かって声を掛けるが、返事はない。腰に回された細い腕が小刻みに震えているのを見て、レッシンは眉をひそめた。その手にはしっかりと力が込められているが、もともと非力なので動けないほどではない。リウの腕の中でくるり、と体の向きを変え、正面から抱きしめてやる。

「リウ、どうした?」

 肩に顔を埋めて震えている彼の背へ手を回し、優しく撫でながら尋ねると「う、うで……」と耳元で小さく呟く声が聞こえた。

「腕?」
「なんか、触った……っ、ふわって、何か……ッ!」

 そう言いながら右腕をレッシンへと擦りつけてくる。得体のしれないものがそこにまだ張り付いている、とでも思っているのだろうか。

「何もねぇけど」

 とりあえずリウの両腕を撫でて異常がないことを確認し、視線を奥へと向ける。

「ああ、なる……」

 そこでようやくレッシンは理解した。剥きだしの岩肌に埋め込まれたランプ台の柄の部分に、目印代わりだろう、細長い布が巻きつけられていたのだ。それがふわふわと風に流されて揺れている。それがリウの腕を撫でたのだろう。暗いためランプ台がそこにあることも、布が巻きつけられていることもまったく気付かなかった。

「リウ、リウ。大丈夫、全然こえぇもんじゃねえから。ただの布だ」

 まだ震え続けるリウの肩をぽんぽん、と優しく撫でてそう言い聞かせる。風で布が揺れている、ということは出口が近いということ。怖がっているリウは可愛くて見ていて飽きないが、それでも泣かせたいわけではないのだ。
 さっさとエレベーターを見せて城へ戻ろう。

「リウ、魔物も変な動物も、いねぇから」

 な、とあやすような口調で言いながら、ふ、と視線を己の腕の中の人物へと向けた。
 いつもは少し見上げなければならない位置にあるリウの首が、すぐ近くにある。背中を撫でる手を少しずらして首元を覆うバンダナを避けると、白い首筋が無防備に目の前に晒された。
 こくり、と小さく自分の喉が鳴ったのを自覚したと同時に体が動いていた。

「ひゃあっ!?」

 ぺろり、とその項を舐めると、リウが驚いて声を上げる。始めは理解できていなかったのか、きょとんとした顔でレッシンを見つめ、舐められたということに気づくと見る間に顔を赤くしていく。
 何か言おうとしているのだろうが、言葉が見つからないらしい。ぱくぱくと開閉するその口内で動く舌が、レッシンにはよく見える。

「リウ」
「んッ」

 これも考える前に体が動いてしまっていた。
 名前を呼んで後頭部を抑えると、引きよせてそのまま口付けた。指先で先ほど自分が舐めた項を撫で、捻じ込んだ舌でリウのそれを絡め取る。
 くちくちと小さな水音が響く時間をしばらく堪能したのち唇を離すと、つう、と二人の間を銀糸が繋いだ。それを舐め取るついでにもう一度だけ軽くキスをして、「ちょっとは落ち着いた?」と尋ねる。

「……落ち、つけるか……ッ!」

 もっともな苦情を適当に笑ってごまかすと、縋るように腕に置かれていたリウの腕を取って指を絡めた。

「っ、れ、レッシン……?」

 そのまま進もうとするレッシンに、リウが慌てて声を上げる。振りほどかれないのを確認してから少し強く握り「もうちょっとで着くから」とレッシンは笑った。

「手、繋いでこーぜ」

 きゅ、と握り返されたその手のぬくもりに、もう少しエレベーターが遠くてもいいのにな、とレッシンは思った。




ブラウザバックでお戻りください。
2009.02.27
















「城に戻っても手、繋げるじゃん」
だから早く戻ろう、という意味で言ったのに、墓穴を掘ることになるリウがこのあといます。たぶん。