不安、消える、陽だまり


 部屋の入り口扉がかたん、と音を立てたのを耳にし、ふと顔を上げると姿を現したマリカと目が合った。

「レッシンならいないよー?」

 自室といっても差支えないほど過ごしているが、ここはリウの部屋ではなく団長レッシンの部屋。彼を探して来たのだろうと思ってそう言うと、「知ってる」と返ってきた。

「裏門広場でジェイルとガチバトルやってるから」
「ガチバトル?」
「城を壊さない、森を燃やさない、相手を殺さない、それ以外は何やってもよし、の大ゲンカ」
「派手だねー」
「バカなだけよ」

 ベッドの上にだらしなく座りこみ、本を読んでいたリウの元へマリカが近寄ってくる。レッシンがいないことを知りながらここへ来た、ということは、リウに用事があるのだろう。
 そう思っていると、膝の上に広げていた本を取り上げられた。マリカは無言のままベッドへ乗り上げ、リウへ背を向けるとちょん、と彼の足の上へ腰を下ろす。さすがに組んだ足の上に座られては辛いため、軽く足を広げて座る場所を作ってやると、ようやく求める姿勢になったのか、マリカは背中をリウに預けて取りあげた本を自分の前で広げてみせた。彼女を抱き込むように腕を伸ばしてかわりに本を持つ。
 一つ年下の幼馴染はスキンシップ過多の姉に育てられた影響か、ひとに触れることに戸惑いがない。それが仲間だ、と認識している相手なら尚更で、異性であるリウにもべったりとくっついてくることがある。始めは戸惑っていたが、レッシンやジェイルにも同じ態度であるため、そのうち慣れてしまった。
 今ではこうしてマリカを抱きしめたまま肩越しに本を読んでも平気なくらいだったが、それでも彼女はレッシンやシスカのようにほぼ毎日抱きついてきたりするわけではなく、逆にこれほどまでにくっついてくるのは珍しいといえるほどで。

 レッシンとジェイルとマリカとリウと。シトロではほぼ毎日のように一緒に過ごしていた仲間だが、四人の間にある関係は素晴らしいバランスで成り立っている、とリウは思っていた。どれほど仲の良い相手でも、共に過ごす時間が長ければ長いほど不平不満や、相手には言えないことが出てくるものだ。それをため込めばストレスの原因となったり、関係性が悪化したりとマイナス方向へ動いてしまう可能性がある。だが四人の場合、他二人には言えなくてももう一人になら言えることがほとんどであるため、そういったことが起こりにくい。ジェイルやマリカには言えないが、レッシンには言えること。逆にレッシンには口が裂けても言えないが、ジェイルには相談できることもある。誰にも言えない秘密、というのが少なくて済む分、四人でいることが心地よくて楽なのだ。
 それはもちろんリウだけに言えることではなく、レッシンやジェイル、そしてマリカもそうだった。小さな頃から一緒に育った二人には言えなくとも、リウになら言えることというのが彼女の中にはあるらしい。

「…………どうかした?」

 何かあったのだろう、と活字を追う視線を止めずにそう尋ねる。返答を急かすことはせず、本を読みながら待っていると、ふ、と小さくマリカが息を吐き出した。

「なんか、さ」

 ぽつりぽつりと紡がれる言葉はゆっくりとしており、いつもはきはきと話す彼女には似つかわしくない声音。

「ちょっとの間にレッシンたち、ものすごく強く、なったなって」

 「ガチバトル」をしばらく側で見ていたのだ、とマリカは言う。さすがに真剣を使ってはいなかったようで、それぞれ訓練用の剣と爪を装備してのものだったが、手加減なしの勝負はかなり迫力があったらしい。

「リウもさ、知らない間に線刻とか貰ってきてるし。魔法、すごい強いし」

 非力な代わりとでもいうかのように、リウの魔力はかなり高いものがある。現時点でリウよりも魔力の高いものは石板の守り主ゼノアと魔道帝国出身のナキル、マナリルくらいだ。

「マリカもずいぶん強くなってると思うけど」

 彼らと同じだけ経験を積んでいるのだから、一人だけ昔のままというわけではない。むしろ主戦力として頼っているほどなのだが。

「……うん、でも、やっぱり、さ」

 言おうかどうしようか逡巡し、結局は口にすることにしたのだろう、マリカは小さく、「あたしは女だし、」とそう言った。その言葉の裏に張り付いたものはまさしく諦めそのもの。
 どれほど共に過ごしたとしても、どれほど共に訓練を積んだとしても、性別の差、というのは埋めがたいものがある。どう頑張っても女性であるマリカが、幼馴染たちのような攻撃力や防御力を得ることはないだろう。そのことを二人のケンカを見ていて痛感したのだ、とマリカは言う。

「ものすごく強いの、レッシンも、ジェイルも。二人とも、もっともっと強くなっちゃって、リウも、長とかになっちゃって……」

 言いながらきゅ、と本を持つリウの手首を握る。

「ねぇ、リウ。あたし、置いてかれたらどうしよう」

 その感触に、彼女の手はこんなにも小さかったのだ、とそう思った。

「置いてかれたくないの。でも、足手まといにもなりたくないの。邪魔しちゃいけない、って思うんだけど」

 いつまでも今が続けばいい、と思うのは子供特有の思考だと思う。今が楽しいのだ、その楽しい時が永遠に続けばいい、と。しかし生きるということは変わるということで、永遠など夢物語でしかない。四人一緒に過ごせなくなる日がいつか来るかもしれない、来ないとは言い切れない。

「皆の帰りを一人で待つ、なんて、あたし、したくないな……」

 リウに背を向けて座っているためそう言うマリカの表情は見て取れない。けれどわざわざ覗き込んで見たい、とは思わなかった。沈んだ彼女も元気な彼女もどちらも知っておきたいが、それでもできるだけ笑った顔を見ていたい。
 閉じた本を脇へ避け、空いた手をマリカの胴へと回す。指を這う線刻をマリカは猫のようにカリカリと引っ掻いた。
 変化への恐怖、それは心のあるものならすべからく持つもの。

「オレも、」

 マリカの独白が終わるのを待って、リウは静かに口を開く。

「置いてかれたくねーなー。体力的に言えばマリカよりオレんが足手まといだし、まず置いてかれるならオレだと思う」

 淡々とそう言ったリウへ、マリカは小さく首を横に振った。

「それはないよ。だってレッシンもジェイルもあたしも、リウのことすごい好きだもん」

 だから足手まといだとは思わないし、置いて行くこともない。
 その言葉にリウは「うん、知ってる」と笑みを零す。
 才能の差、向き不向きの差、得手不得手の差、性別の差、種族の差。それらが障害となることもあるだろう。むしろそういうものの方が世の中には多いのかもしれない。
 けれど、自分たち四人が目指す先はきっと、そのような差などどうでもいいことでしかないはずで。

「あと、レッシンもジェイルもオレも、マリカのことをすげー好きだってことも知ってる」

 そうリウが笑いながら口にすると、しばらくの沈黙ののち、「うん、あたしも知ってる」と返ってきた。

 彼女も分かってはいるのだろう。あの二人にそういうつもりがないことも、自分が感じているものがただの杞憂であるだろうことも。目に見えるほどの差を感じてしまい、不安になった。ただそれだけだ。
 そんな不安を吐き出す場所として選ばれたことが、嬉しく思える。それくらいにマリカのことが好きなのだ。女の子だから、と気遣うことはあったとしても、できれば「頑張ってついてきて」と言いたいほどで。
 言いたいことを言ってすっきりしたのか、「ちゃんと知ってるよ」とそう言うマリカの声は幾分明るさを取り戻していた。

「ていうかさ、確かにガチンコでやったらあの二人には勝てないけどさ、頭使えば勝てそうじゃね?」
「そりゃリウだからよ。あたし、あんたみたいに頭良くないもん」
「やー、あいつらに高度な戦略は必要ねーだろ。攻撃するタイミングをわざと作って誘っといて、その場所に砂嵐叩きこめばかなり削れる気がする」
「ジェイルは魔法弱いから下手したら一撃ね」
「だろ? マリカは回復魔法が得意だからさ、長期戦に持ち込めば確実に勝てるよ」
「レッシンは飽きっぽいから、長くなると絶対大技繰り出してくるだろうし。それを避けちゃえばこっちのものね」
「今度ガチバトルやってみたら?」
「なんかレッシンとジェイルには勝てそうな気がしてきたからいいや」
「じゃあオレとやる?」
「それもいいかもね」

 笑いながら答えると、「マリカ相手じゃ策練らないと勝てなさそー」とリウが情けない声を上げた。



 ベッドまで届くのんびりとした午後の陽ざしに誘われるように、結局そのまま昼寝に突入してしまった二人だが、夕方近くに目覚めるとそれぞれの側でレッシンとジェイルが横になって眠っていた。
 ガチバトルの結果は、近くにあったランブル族のテントを半壊させたせいでシスカとモアナにこってりと絞られてしまい、決着は次回へ持ち越し、ということになったらしい。




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2009.04.17
















互いに恋愛感情がないからこそべったりくっつける二人。


以下おまけ。
お花組を見つけたガチバトル組。







「なんだよ、シス姉もモアナも。良いとこだったのに邪魔すんなよなぁ?」
「まったくだ。大体布製のテントなんて、オレたちが壊さなくてもいつか壊れるだろ」
「だよな。別に城壊したわけでもねえのにさ。あんなに怒んなくてもさぁ」

 ガチバトルの途中、ランブル族のテントを半分ほど破壊してしまったせいで、モアナとシスカに散々に叱られた二人は、それぞれ不満そうな表情のまま城へ戻り、エレベータへと乗り込んだ。シスカに殴られた頭をさすりながら、「あのまま続けてたら絶対オレが勝ってたのに」とレッシンが唇を尖らせる。

「それはないだろ。オレの中では、雷で気を反らせて足払いをかけてすっ転んだところをトドメ、という予定だった」
「オレがその程度ですっ転ぶわけねえだろ」
「だから派手な雷を放つんだろうが。レッシンは単純だからな、光った方を見るはずだ」

 二人を乗せた箱はすぅ、と上昇し、四階までたどり着く。かちゃん、と扉が開き、ホールへ足を踏み入れながら「んだと?」とレッシンが眉を上げた。

「誰が単純だってんだよ」
「お前以外の誰がいる」

 下らない言い争いをしながら二人は団長部屋へと向かう。レッシンが部屋を出る時にリウがいたと言うので、彼と、ガチバトルの途中でどこかへ行ってしまったマリカを探しての行動だった。決着を付けられなかったせいでなんとなくすっきりせず、もやもやした鬱憤をあの二人に話してすっきりしよう、という思惑があったりなかったりする。

「ジェイルも単純だろうが。さっきフェイント攻撃に引っかかったのはどこの誰だっけ?」
「レッシンも引っかかってただろ」

 部屋の扉をあけて中へ踏み込みながら言ってみるが、ジェイルにはあっさりと返され、「しかもオレより先に」と追加攻撃まで加えられた。背後にいた幼馴染を振り返って睨みつける。

「……ジェイル表出ろ、やっぱ決着……っ?」

 をつけよう、と続ける前に口をふさがれた。ついでにジェイルは唇の前で人差し指を立ててみせる。何事か、と視線で問えば、くい、と顎をしゃくられた。体の向きを変えて室内へ視線を向け、ようやく彼の行動の意味を悟る。
 窓から伸びた日差しに照らされたベッドの上で、探していた人物二人が幸せそうに眠っていたのだ。マリカがここにいるとは思ってなかったので探す手間は省けたが、状況がよく飲み込めない。
 首を傾げながらも、二人を起こさぬようにそっとベッドの側へと近づいた。

「珍しくね? この二人がこんなくっついてんの」
「そうだな」

 リウの右腕を枕にして横になるマリカを、背中から抱きしめるように左腕が伸びている。他の人間が見たら彼ら二人が恋人同士である、と勘違いされそうな姿だがそのような関係ではないことを誰よりも知っているのがレッシンとジェイルである。スキンシップの多い四人であるためべったりくっついていて問題はないのだが、頻繁に目にしない光景ではあった。
 何かあったのだろうか、と考えてみるが、分かるわけもなく。

「……あー、何かオレも眠くなってきた」

 頭を使うことに飽きたのか、大きな欠伸を一つこぼすとレッシンはそう言ってリウの背中の向こうへと乗り上げる。さすがに三人が乗るともうベッドに空きスペースはない。無言のまま彼らを見下ろしていたジェイルは部屋の中央に敷いてあったラグを引っ張り寄せると、床に腰を下ろしてベッドに頭を預けた。投げ出されたマリカの手がすぐ側にある位置。
 なんとはなしに小さな手へ自分の手を重ねてみると、きゅ、と握りこまれた。もちろんマリカは眠ったままで、無意識の行動。相手がジェイルであると気づいているわけではないだろうが、可愛らしいその行動に思わず口元が緩んでしまう。
 しかし、運悪くその顔をレッシンに見られてしまっていたらしい。

「ほらみろ、やっぱり単純じゃねえか」

 返す言葉が見つけられず、ジェイルはそのまま目を閉じた。





2009.04.19