「てっめぇ、ふざけんなよっ!」
「ふざけてねぇよ、アホ! そっちこそ人の親切を何だと思ってんだ!?」

 開け放たれた窓から外に零れる怒声。それを耳にした、城を活動拠点としている多くの人々が驚いて足をとめ、ある部屋の方へと視線を向ける。何が問題かと言えば、その怒声は彼らが団長として仰ぐ少年と、参謀役を任せている少年のものだったのだ。




   犬も食べない




 事の発端は至極些細なこと。その日はたまたま双方とも差し迫った用事がなく、四階角にある団長部屋でのんびりと過ごしていた。
 といっても、もともとじっとしているのが苦手なレッシンは、昼寝から覚醒すると同時にどこぞへ体でも動かしに行こうかと思案する。部屋の中央でクッションを枕に眠っていたようで、身体に乗っていたシャツはリウのものだ。ベッドの上で本を読んでいる彼が掛けてくれたのだろう。レッシンが起きたことに気が付いているのだろうが、文章のキリでも悪いらしく、リウは顔を上げることもしない。それが少し面白くない気もしなくもないが、この程度で機嫌を損ねるほど子供でもないつもりで、立ち上がってあくびをし、ぐん、と腕を伸ばす。
 そうしたところで「へくしっ」とくしゃみが耳に届いた。ずず、と鼻をすすりあげるリウを見やれば、顔を上げておはよ、と言ってくれたあと、「悪ぃ、それ、取ってくんね?」と今レッシンの身体に掛けられていた布を指さした。肌寒いのかもしれない。元が薄着すぎるのだ、と思いながらレッシンがそれをひょい、と取り上げてリウのところへ持っていけば。

「……何、要らねぇの?」

 目を大きく見開いたリウはレッシンを見上げたまま受け取ろうとしない。どうしたのだろうか、と首を傾げれば、きゅう、とリウの眉が寄った。下唇を噛みわなわなと震えているところから、どうやら彼が怒りを覚えているらしいと察する。この僅かな間にリウを怒らせるようなことをしただろうか、とレッシンはますます首を傾げてしまったが、次の瞬間発せられた怒鳴り声にようやく理由を知った。

「ひとの服を足で拾うやつがあるかっ!!」

 そしてひったくるようにシャツを奪い取られ、その態度にレッシンのほうもむっとしてしまう。はたはたと、まるで汚れていたかのように服をはたく姿もかなり腹立たしい。

「んだよ、別に今日は外出てねぇし、綺麗だぞ」
「綺麗汚いの問題じゃねーよっ! デリカシーの問題だ!」
「デリカシー? どんな菓子だ、美味いのかそれ」
「ああ、言うと思った、言うと思ったよ、このバカっ!」

 その言葉にバカとはなんだ、とレッシンが牙を剥き、そこからはころころと転がり落ちるように無駄な争いへと発展していった。

「いちいち細かいこと気にしすぎんだよ、お前は!」
「気にしなさすぎる誰かよりは数倍マシだね」

 ぎゃあぎゃあとした言い合いが、窓から外に漏れ聞こえていることに彼らは気が付いているのか、いないのか。もはやどうでもいいのか。
 たまたま広間にいたアスアドとメルヴィスがどうするべきか顔を見合わせ、バルコニーの下にある森を散歩していたクロデキルド、フレデグンド姉妹が立ち止まって四階を見上げた。同じ口論を耳にしたモアナは、城の正面入り口の外で眉を潜めている。

「…………ちょっと、ねぇ……」

 血気盛んな若者らしく、止めるもののいない喧嘩は徐々にヒートアップしていってるように聞こえる。さすがに心配になってきたのか、大丈夫なのあれ、と通りかかったマリカとジェイルを呼びとめて尋ねれば、彼ら幼馴染は同時に四階を見上げ、肩を竦めた。

「今の時期、団長さんと参謀が仲たがいとか、シャレになんないよ?」

 団全体の士気にかかわることで、どんな些細な原因であってもあまり拗れてもらっては困る、とモアナが言うのも分からなくはない。しかし、「止めに行けば、ジェイル」とマリカはどうでも良さそうに口にし、「マリカに譲る」と表情の少ない青年も気は進まなそうだった。
 三人が集まっているところに足を止めたホツバもまた声を耳にしてどうしたものか、と思っていたようで、「呑気でやすねぇ」と呆れたように口にする。幼馴染たちがそういう態度なのだからさほど心配をすることもないのかもしれないが、それでも二人の剣幕に聞いている身としてははらはらしてしまうというもの。
 やっぱちょっと様子を、とホツバが城の入口へ足を向けたところで、「もう知らねーかんなっ!」という参謀の声があたりに響いた。

「あーあー、知らなくていいぞ!」
「――ッ、レッシンのバカっ!」
「うっせぇ、バカリウ!」
「こんなとこ出てってやる!」
「どこにでも行っちまえ!」

 そんなやり取りを最後に、四階から響いていた騒音はぴたり、と止んだ。

「…………」
「…………」
「………………」
「………………」

 外で聞いていた四人は無言のまま顔を見合わせる。呆れたような顔をして首を振るマリカに、あまり興味のなさそうに無反応なままのジェイル。「今のって……」と小さく呟かれたホツバの言葉に、「どう聞いても夫婦喧嘩、ね」とモアナが続けた。
 途中までは確かに酷い口論をしていたはずだったのだ。それこそ誰彼かまわず仲間を連れて帰ってくるなだとか、考え過ぎで臆病な性格を直せだとか、少しは周りを見て考えろだとか、引きこもって本読むより身体を鍛えろだとか。それこそ止めにいった方がいいのではないかと思うほど。
 それがどうしてだか最後に、思わず脱力してしまうような言葉。

「いつもああなのよ、あの二人の喧嘩」

 それは村にいた時から同じ場所で寝起きを共にしていたから、だろう。しかし、十五、六の少年同士が言い合うセリフではどう考えてもなくて。

「しかも晩飯のときにはどっちもころっとしてるから」

 だから心配するだけ無駄なのだ、とジェイルが淡々と続けた。

「…………何にしろ、派手な喧嘩は窓を閉めてやるように、言った方がいいわよ」

 聞くものを心配させるからというだけでなく、いろいろな意味を込めてモアナがそう忠告を口にした。




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2011.05.08
















レッシンは足先が器用。無駄に器用。