梅暦


 ふわり。
 我ここにありと咲き誇っているわけではない。こつこつと。あるいはかさかさと。いずれにしろ指先には優しくなさそうな様子の乾いた枝を彩るように、ぽつり、ぽつりと色を咲かせる小さな花。
 桜も嫌いではないし、あの樹にはあれにしか出せない情緒、迫力、趣きがある。しかし。

「一人でこうする分には、梅のほうがいいな」

 思ったままを呟いたのは、愛しい彼の風を背後に感じたから。「だったら戻ろうか」と不機嫌な口調で(といっても、彼が不機嫌な口調でないときなどほとんどないのだが)言葉が返って来るのも想定のうち。くつり、と喉の奥を震わせ、「冗談」と笑った。振り返らずとも、現れた風の子がどのような表情を浮かべているのか手に取るように分かる。

「また、ろくでもないことを考えてるね」

 小さく呟かれる言葉。響きからして彼はこちらを見てはいないだろう。全く別の方向へ顔を向けたまま、どうでもいいことであるかのような声音で紡がれる言葉。

「俺がろくなことを考えてたことが、今まで一度でもあったか?」

 手にした杯を傾け、ぴりりと喉を焼かれる感覚に酔いながら言えば、「そういえばそうだね」とあっさり返された。

「……なんでそういうところだけは素直なの」
「僕はいつでも自分に正直だよ」

 偏屈が服を着て歩いているような男がよく言うものだ。くつくつと笑っていれば、とさり、と背中に重みを感じる。彼の方からこうした接触を持つことは非常に珍しくて、それほどまでに自分はひどい顔をしていただろうかと自嘲の笑みを浮かべた。
 頭上にはす、と天へ向かって伸びる梅の木の枝が広がっている。小ぶりの花と蕾が枝を彩り、五分咲きといったところか。

「満開よりこのくらいの方が風情があっていいと思うのは何でだろうな」

 米から作った酒は少し辛口の味で、ちびりちびりとそれを口にしながら呟けば、「押し付けがましくないからじゃない」と背後から答えがあった。満開だとその姿を見せつけようとしているように見える、という意味だろう。

「なるほど。ひとも植物もほどほどの謙虚さが美しく見えるってことか」
「君も少しは見習うべきだね、その慎み深さは」
「馬鹿言え、俺がこれ以上魅力的になったら困るじゃないか」
「誰が?」
「俺に振られる人たちが」
「相変わらず君の頭はおめでたいね」

 それこそ君の頭の中を五分咲きにとどめてもらいたいよ、と淡々と紡がれ、「あはは、ルック、上手いこと言うね」と唇に当てた杯をくい、と呷った。
 そもそも、梅の木は人間に愛でられるために満開になるわけではない。彼(あるいは彼女、かもしれない)は誰かにその姿を見てもらいたいなど、望んですらいないかもしれないのに、やれ美しいだの、こちらの方が趣きがあるだの、花にとってはいい迷惑だろう。

「人間は勝手だな」

 自分のことを棚に上げるつもりは毛頭なく、むしろ自分を筆頭に、人間は勝手だ、とそう思う。

「……この世の中に勝手ではない生き物など、いないよ」

 風の子が風を纏わせ事実を口にする。彼は飾らない、それが真であろうと儀であろうと、真っ直ぐに言葉を放った。

「僕は満開は嫌いだね」

 その先には終わりしか見えない。散りゆく未来しか残されていない花を見上げ、美しいと愛でる趣味はない。だから嫌いなのだ、と言い放つ。

「だったら、見なければいい」

 幸いなことにこの木はまだ五分咲き程度で、満開には遠い。半分ほど色を纏った枝を目を細めて美しい、と褒めそやし、あとは顔を背け見向きもしなければいい。
 静かにそう口にし、軽く体をずらす。背を支えるものがなくなり、ゆっくりと倒れてきた少年の体を組んだ足の上に受け止め、柔らかな茶色の髪へ指を絡めた。
 杯に酒を継ぎ足し、軽く口に含んだまま上体を傾ける。
 しっとりと、重ねた唇、舌を伝わせて酒を彼の口内へ注いだ。
 小さく上下する愛しい少年の白い喉。この首を感情のまま押し潰せば、少しは何か良いことでも起こるだろうか、とちらり、考える。
 目を細めて顔を上げた。何の感情も映していない、ガラス玉のような瞳と視線が合う。

「嫌なものから目を背けて、何が悪い?」

 ぺろり、と彼の薄い唇を舐めて言えば、「本当に勝手だね」と魔術師は眉を潜めて吐き捨てた。




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2011.03.09
















梅の花が綺麗でした。