名前を呼んで2


 早まったかもしれない、と皆守甲太郎は頭を抑えて小さくうめき声を上げる。何を早まったかというと、名前で呼ぶことを、だ。
 昨夜遺跡の中で駄々をこねられ、結局葉佩を名前で呼ぶことにした。別に呼び名などどうでもいい。葉佩がそれと認識してくれさえすればよかったのだから、それならば振り返らない苗字より、気恥ずかしさを抑えて名前を呼んだほうがいいと結論付けただけだ。
 しかし、と皆守は思う。

「調子に乗りすぎだ」

 カレーパンを持って屋上にやってきた葉佩の頭をぺしん、とはたく。

「え? え? 何? 俺、なにか甲ちゃんの機嫌を損ねること、した?」

 カレーパンを受け取りながら皆守は「そのちゃん付け、やめろ」と頭を殴った理由を口にする。皆守が葉佩を名前で呼ぶことはいい。しかしそうすれば葉佩からも名で呼ばれるだろう、ということをなぜ思い至らなかったのか。そして葉佩のことだからただ普通に呼ぶだけじゃ飽き足らぬだろう、ということになぜ思い至らなかったのか。

「えー、だって甲太郎じゃああのおっきい人と被っちゃうじゃん」

 大きい人、というのは夕薙のことだろう。確認をとると「そうそう、そういう名前」と葉佩は頷く。もしかしたら彼は名前を覚えるのが苦手なのかもしれない。

「別に呼び方くらい被ったっていいだろうが」
「俺がやなの」

 だからこれから甲ちゃんは甲ちゃんって呼ぶから!

 にっこりと満面の笑みで宣言され、皆守は頬を引きつらせる。そもそも高三男子がちゃんをつけて呼ばれて喜ぶはずがないのだ。

「……わかった、じゃあ俺もお前を九ちゃんって呼んでやる」

 九龍、などと二度と呼んでやるものか。どれだけシリアスな場面でも九ちゃん呼びだ。
 皆守の言葉に、葉佩は「えー」と頬を膨らませた。

「ヤダよ、それ! なんか鳥みたいじゃん!」
「じゃあ呼び方変えろ。普通に名前で呼べ。そうしたら俺もやめてやる」
「それはヤダ! 甲ちゃんは甲ちゃんなの! もう決めたの!」
「だったら諦めろよ、九ちゃん」

 にたり、と笑ってアロマを咥えた皆守を、葉佩はただ悔しそうに見つめるだけだった。


「『九ちゃん』? それ可愛いっ! ね、あたしもそう呼んでもいい?」

 教室に戻り皆守の言葉を聴きとめた八千穂が、嬉々としてそう尋ねてくるのを拒否することなど、葉佩には出来なかった。




戻る

2007.10.05
















葉佩のことだから、どうせそのうち慣れる。