敗北宣言


 一卵性と二卵性の違いは詳しく分からなかったが、雪男が言うには「一個だったものが二個に分かれたのか、始めから二個だったのか」ということらしい。自分たち双子は後者になるようで、胎内で同時に育ち、同時に生まれてきただけであるため、普通の兄弟レベルでしか似ている部分がないのも仕方がない。それは分かっているのだが。

「……だからってお前、一人ででっかくなりすぎだろ」

 ずりぃ、と着替え中の雪男へ向かって枕を投げつけてみれば見事に蹴り返された。鈍い音を立てて顔面にぶち当たったそれを抱え、不機嫌さを表すように燐の尾が床を叩く。もう一度ずりぃ、と呟けば、雪男が大きくため息をついた。
 着替えをしているにもかかわらず眼鏡を外さないのは昔からだ。相当視力の悪い弟は、眼鏡がなければろくに物の判別ができないらしい。後でボタンのかけ間違いやシャツの後ろ前に気が付いて直すくらいなら、多少の着づらさを無視して眼鏡をかけたままであるほうがマシなのだとか。既に体の一部といってもいいような眼鏡をかけたまま、上半身裸でこれから着るシャツを片手に持っている。
 いつの間にか兄である燐の背丈を追い越して育ってしまった双子の弟。背丈だけでなく、その体つきにも差が出ていることに最近気が付いた。

「お前ってあれだよな、あの、ほら……」

 漫画以外の本を読むことのない燐は使える語彙が少なく、伝えたいことがあるのに言葉が出てこない。あれだよあれ、と尻尾を揺らしながら言葉を探し、ぽむ、と両手を合わせた。

「『脱いだらすごいんです』系!」

 何が気に食わなかったのか、弟は無言のままこれから着る予定だったはずのシャツをこちらに向かって投げつけてきた。基本的に奥村兄弟の喧嘩は物の投げつけあいが多い。普通の取っ組み合いをした場合力の強い燐にはどうしても勝てず、この方法ならば当たることさえなければ、幼い雪男にも勝機があったからだ。
 丸めたシャツは変な皺が入ってしまい、広げてそのことに気が付いた雪男はもう一度ため息をつく。自業自得だと分かっているため何も口にはせず、黙ってシャツに腕を通した。

 その体つきはしっかりと筋肉が付いており、男の身体をしていると思う。普段温和な表情をしていることが多いせいか、服を着ているときにはどちらかといえば力のない優男のように見られがちで、実際燐にもそのように見えることがある。しかしコートの中に押し込められた肉体は、意外にがっしりとしているのだ、と本当にごく最近気が付いた。
 たどたどしくそう言いたかったのだ、と説明すれば、「着やせするタイプってことだね」と雪男が呆れたように呟く。言葉の意味はいまいち分からなかったが、雪男がそう言うのだからそうなのだろう。そうそうと頷けば三度目のため息。
 そんなに息ばかり吐いていたら肺から空気がなくなってしまうのではないだろうか、と自分がそうさせている張本人であることを棚に上げ、見当違いの心配をしながら燐はベッドから飛び降りた。
 ひょこひょこと尻尾を揺らして部屋の中央付近にいた雪男のそばまで歩み寄り、これからボタンを留めようと手を掛けていた弟をしげしげと眺める。なに、と眉を潜めた雪男を無視して手を伸ばし、その胸にぺたりと掌を置いた。

「……兄さん?」

 ぺちぺちと分厚い胸板を叩き、そのまま腹の方まで手を滑らせる。きちんと筋肉がついていることが分かる体つき。燐の突然の奇行に雪男が唖然としているのをいいことに、背後へ回るとシャツをめくりあげて背中もぺちぺちぺちぺちと叩いて確かめた。服を着ているときには雪男がこれほどきちんとした体格をしているなど、誰も分からないのではないだろうか。

「お前、なんか筋トレとかしてんの?」

 ようやく正気付いた雪男が燐の手からシャツを奪い取り、ボタンを留める作業へと戻る。そんな弟を見ながら尋ねれば、「軽くね」と返ってきた。

「祓魔師は体力勝負なところもあるから」

 そんな姿を見たことはほとんどなかったが、どこぞ燐の知らぬ場所で知らぬ時にでも行っているのだろう。別に教えておかなければならないことでもなく、双子の兄弟だからといって互いにすべてのことを把握していなければならない、というわけでもない。それは分かっているが、なんとなく気に入らなくて唇を尖らせ、雪男の腹部に向かって拳を繰り出しておいた。軽い振りだけのパンチは硬い腹筋に阻まれる。

「……俺も筋トレしよう!」

 面白くない。大変に面白くない。背丈で負けているだけでなく、こういった面でも負けてしまうなど兄としてのメンツが立たない。(雪男が聞けば「もともと立ってないだろ」と返されるかもしれないが。)この点に関して負けを認めるのはまだ早い。かくなる上は雪男以上に筋トレを行って、この薄っぺらい身体にも筋肉を付けるのだ。
 ぐ、と拳を握りしめて、「ぜってーお前よりムキムキになってやるからなっ!」と宣戦布告をすれば、もう何度目かも分からないため息のあと雪男はあっさり言った、「好きにすれば」と。弟の反応に燐は思わず「え?」と聞き返してしまう。

「え、って何。何で兄さんが驚くの」

 聞きとめた雪男が眼鏡を押し上げながら眉を寄せ、「あ、いや、えと、」と燐はあさっての方向へ視線を逸らせる。
 正直、「兄さんには無理だよ」だとか「必要ないよ」だとか、そういった言葉が返ってくると思っていたのだ。予想外の反応であったため素直に驚きが零れただけのことで、そのことをありのまま告げれば、雪男は次はどうしてそんな予想をしていたのかという質問に変えてきた。

「や、別に、なんとなくそー思った、だけ……」

 しどろもどろに答えるが、当然その程度で弟が誤魔化されてくれるはずもない。素早く燐の尾を捕えたかと思えば、「兄さん?」と冷気さえ漂わせるような笑みを浮かべる。どう考えても墓穴を掘った以外の何物でもなかったが、こうなった弟から逃れる術を燐は持たない。兄のメンツだとかプライドだとか、いろいろなものはあったがとりあえず「雪男怖い」の一言で済んでしまう。
 俯いて視線を逸らせ、「や、だから、さ……」と渋々とそう思った理由を口にした。

 雪男さ、いつもさ、俺のことさ、その、か、かわいーとか、そういうの、言うじゃん。だからさ、やっぱ、マッチョとか、やなのかなーとか、さ……

 奥村兄弟は兄弟という関係であるならば決して踏み込まない領域にまで足を踏み入れてしまっている。そうまでして互いを繋ぎとめておかなければ、どちらも壊れてしまいそうだったという現実からは目を反らし、今はただ「好きだから」という言葉にすがりついて身体を重ねていた。
 兄弟以前に男同士であるため、繋がろうと思えば必然的にどちらかが女役をせざるを得ない。その場合どうしてだか、兄である燐の方が受け入れる側に回っている。不服は不服だが、雪男は頭が良いため口もよく回る。気が付けばいつの間にか丸め込まれ抵抗を封じられ、そのまま快楽に呑まれてしまうのだ。

 ぶつぶつと紡がれたその言葉に、本当にこのひとは馬鹿で可愛すぎるだろう! と雪男が思ったかどうかは定かではないが、とりあえず理由を知ることができて満足はしたらしい。ふ、と吐き出された息が先ほどまでのため息とはどこか違う気がして、唇を尖らせたままおずおずと弟を見上げてみれば、口元を緩めどこか穏やかな表情をした雪男と目が合った。
 彼は女生徒たちが黄色い声を上げる笑みを浮かべて「大丈夫」と口を開く。

「たとえ兄さんがどんな姿になっても犯してあげる」

 言いたいことはいろいろあった。その顔で犯すとか言うなよ、だとか、何がどう大丈夫なんだとか。ぼん、と顔が真っ赤になったのが自分でも分かったが、そのまま「何言ってんだお前は!」と怒鳴りそうになったのを奥歯を噛んで堪える。
 夜ベッドの上で(あるいはほかの場所で)散々雪男に良いように扱われている自覚があるため、ここは堪えて少し大人っぽい反応を返してやろう。それくらいのセクハラ発言では動じない大人な俺を見せてやろう、とまた雪男が聞けばその思考回路の残念具合に肩を落としそうなことを考えて、燐は意識してにやり、と口元を歪めた。(が、残念ながら頬が引きつっているため燐が意図したような意地悪な表情にはなっていなかった。)

「お、俺がマッチョになったら、逆にお前を犯してやるよ」

 覚悟してろ、と続けた燐の尾は未だ雪男の手に捕らわれたままで、弟は兄の言葉にへぇ、と更にその笑みを深める

「つか、そもそも、俺は犯して欲しいとか、思ってねぇっつの!」

 だからそのそも「犯してあげる」という言い方自体が間違っているのだ、と燐は言いたかったのだが、尾の先のふわりとした飾り毛の付け根にキスを落とされ思わず息を呑んだ。尾は駄目だ、弱点だと聞いてはいたが、雪男に触れられると痛み以上に手におえない感覚が体中を駆け巡ってしまう。
 顔を赤くしたまま、しっぽかえせ、と小さく呟けば、くつくつと笑った雪男が「本当に?」ともう一度尾の先へ唇を落とす。何がどう本当に、なのかが分からず首を傾げると、眼鏡のレンズの奥で弟の青みを帯びた瞳が妖しく揺らめいた、ような気がした。
 燐が一歩下がれば、尾を持った雪男は一歩足を前に進める。そうしているうちにこつん、と燐の肩に当たったものは自分のベッド。気配に押されるまま腰を下ろせば、相変わらず尾を解放する気の見えない雪男が上半身を曲げて燐を追いかけてくる。唇が寄せられた先は、ぴんと尖った耳元。ふ、と小さく息を吹きかけるように、雪男は「本当に」と同じ言葉を繰り返したあと言葉を続ける。

「兄さんは、僕に、犯されたくないの?」

 ぞくん、と背筋を走り抜けた何かに、この点に関してはさっさと負けを認め雪男に逆らわない方が、いろいろと自分のためになるのではないか、と思いながら、燐は素直にベッドへと横になった。




ブラウザバックでお戻りください。
2011.05.24
















雪ちゃんの身体つきの良さに鼻血が出そうです。
pixivより転載。