消毒


「ぶえっくしょんっ!」

 学生に教師に祓魔師に、と一人何役もこなしている多忙な青年が珍しく、己が双子の兄と共有する学生寮の部屋で漫画雑誌を読みふけるという趣味に勤しんでいたところ耳に届く豪快なくしゃみ。続いて「いってぇっ!」という悲鳴まで上がり、騒々しさに眉を潜めて振り返れば、ベッドに横になっていたはずの兄が体を起こし舌を出していた。

「……何やってるの」
「べろ、噛んだ」

 ベッドの端から床に向けて落ちている黒い尾が、彼の不機嫌さを表すようにぱたむ、と揺れる。どうやらくしゃみをした拍子に舌を噛んでしまったらしい。
 それはたとえば、振り返った拍子に肘を思い切りぶつけてしまったときだとか、あるいは足の指の上に何かを落としてしまったときだとか、怒りをどこに向かって発散すればいいのか分からない類の痛み。眉間に思い切りしわを寄せ、見目麗しくない表情のままぱたむぱたむと尻尾が床を叩く。
 燐は身体に流れる悪魔の血故、普通の人間より怪我の治りが早い。それでも当然痛みは覚えるようで、「いてぇ」と唇の隙間から覗く舌先はわずかに赤くなっているようだった。
 小さな子供みたいなことをしないでよだとか、もう少し静かにできないのだとか、言いたいことはいくつかあったが、そんなことよりもまず、雪男の意識を捕えて離さない光景。

 ちらりと差し出された赤い舌。
 ゆらゆらと揺れる尾の先。

 はぁ、とため息をついて立ち上がり、兄が座り込んでいるベッドまで近寄った。

 なんだよ、と向けられた視線を無視して上体を屈め、自分よりも若干小柄な兄へ顔を近づける。
 ただ双子の弟であるというだけで、彼は雪男のことを疑いもせず、恐れもしない。たとえその小さな身体の中に悪魔の炎が灯されていようとも、絶対的なまでに雪男が燐を受け入れるのと同じように、燐もまた雪男を受け入れるのだろう。
 その無防備さが、全幅にまで寄せられる信頼が、心地よく、重苦しい。
 そんなことを思いながら、未だ突き出されたままだった舌をぺろり、と舐めた。
 驚きに目を見開く気配。
 右腕を伸ばして燐の後頭部を引き寄せ、今度は彼の舌をあむ、と口に含んだ。そのままちゅる、と吸い上げたあと、もう一度舌を押し付けて舐める。
 天然記念物級に無知なところのある燐でさえ、さすがにこの行為が常軌から逸していることは分かるのだろう。顔を赤く染め、ぱくぱくと口を開閉させて紡ぐべき言葉を探している。
 そんな兄を見下ろしたまま、「消毒」と雪男は緩く口元を歪めた。

「唾つければ治る、っていうだろ」

 だから唾をつけて消毒したのだ、とまるで今の行為がごく当たり前のことであるかのように告げてみれば、「え、あ、そ、そっか、さんきゅ?」と燐は首を傾げる。その単純さが愛おしい、と思ってしまうあたり、もう手遅れなのかもしれない。
 ようやくおとなしくなった兄に背を向けて自分の机へと戻る。これでしばらくは漫画の続きに集中できるだろう、そう思ったところで燐がぼそりと「……べろってもともと唾、ついてんじゃん」と呟いた。


 ……気づいてんじゃねぇよ。




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2011.05.24
















色々諦めて青エク部屋作ることにしました。
pixivより転載。