奥村兄弟のセイカツ(夏の夕方) 兄弟の住まう旧男子寮にエアコンなどという文明の利器は装備されていない。修道院にいた頃からエアコンのない生活をしていたが、二人とも暑さが特別に得意というわけでもなく、要するに暑いものは暑いのである。 「……なー、何で夏って暑いんだろーなー」 ぱたぱたと団扇を扇ぎながらそんなことを口にする燐は、部屋の床にべったりと張り付いている状態だ。兄曰く「こっちのほうが涼しい気がする」とのことで、確かに温かな空気は上へ溜まるため間違ってはいない。 『なつだから、あついんだろー』 雪男には「にゃー」という鳴き声にしか聞こえないクロの答えに、「そっかー、夏なら仕方ねぇなー……」とぐったりとばてた声で燐が返す。 「クロは物知りだなー」 『あたりまえだろ! おれはひゃくにじゅうねん、いきてるんだからな!』 「百二十年、毎年夏は暑かったのか」 『なつだからなー』 クロがどんな受け答えをしているのかはまったく分からないが、なんとなくそのニュアンスだけを感じ取りつつ一つ断言できることは、確実に中身のない会話をしているだろうことだけ。 「クロは毛皮あるから俺より暑そうだしなー」 『あついぞ、ものすっごく』 「ものすっごく暑いとき、クロはどうすんだ?」 『うーんとな、すずしいばしょにいく!』 「涼しい場所かぁ……たとえば?」 『えーっと、かげのなかとか、みずのちかくとか』 「ああ、いいなぁ、プールとか海とか、気持ちよさそー。クロ、水は怖くねぇの?」 『へいきだぞ!』 「おお、すげぇなそりゃ。普通猫っつったら水とか苦手そうなのに」 『おれはねこじゃない!』 しゃーっ、と毛を逆立てて怒りだしたクロに、燐が笑いながらごめんごめんと謝っている。 床の上でひとしきりごろごろとじゃれあった後、「なーゆきおー」と今度は机に向かっている弟へと会話の矛先が向いた。 「なんか涼しくなるようなこと、ねぇの?」 無茶ぶりにもほどがある。そもそも雪男だって暑いのだ、燐のようにそれを口にしていないだけで。はぁ、とため息をつき、兄の言葉には答えず自分の作業(それは祓魔塾とは関係のない普通の高校の授業の課題だった)へ没頭する。ノートにシャーペンを走らせる音に重なりじわじわと、空気が焼けているような、そんな幻聴まで聞こえてきそうなほどには暑かった。 「……クロー、雪男が冷てぇんだけどー」 『ゆきお、つめたいのか? くっついたら、すずしくなるか?』 くどいようだが、雪男にはクロの言葉は分からない。つまり、間に「にゃー」という鳴き声が挟まれ、「お、なるほど、試してみるか」と立ち上がった燐に背後から突然べったりと抱きつかれ、飛び上がってきたクロに膝の上を占拠されることになった。 「…………」 「…………ぜんっぜん涼しくならねぇ……」 『ゆきお、つめたくないな……』 それでいてどうしてだか非難するような言葉を口にする二人(一人と一匹)に、雪男が切れるのも仕方がないだろう。肩口にあった兄の頭へ頭突きを食らわし、膝の上のクロをぺい、と床へと放り投げる。 「暑い」 何か文句を言いたそうな視線を向けてくる彼らへ、座った目で一言そう言い捨てれば、「ごめんなさい」「にゃー」とステレオで返ってきた。そうしてまた床の上に伸びるのだから、もうこれ以上何か言うことさえエネルギィの無駄な気がする。はぁ、と再度ため息をついて眼鏡を押し上げ、「そんなに暑いなら」と窓の外を指さした。 「打ち水でもしてきたら?」 兄弟が住まう寮の部屋は二階にあるため、さほど効果があるとは思えない。それでも「うちみず? なにそれ」と首を傾げている燐を外に追い出した方が、雪男はきっと涼しいに違いない。 「道路とか庭に水撒いて涼しくすること。入口の横に水道があっただろ。ホースとかもたぶん、玄関脇のロッカーに入ってたと思うから」 好きに使っていいんじゃない、と言えば、「つまり水遊びか!」と燐はぱちんと指を弾いた。 「いや、あそ、違う、遊びじゃない、」 そういうつもりで提案したのではない、と言いたかったが、その時には既に「クロ、行こうぜ!」と揃って部屋を飛び出てしまっている。しかも尻尾を服の外に出したまま。 確かにこの旧男子寮は普段訪れるひともおらず、だからこそ兄弟が使っているのだが、いくらなんでも気を抜きすぎだ。しかしそのことを指摘し説教をするだけの気力が雪男には残っていない。 原因は言わずもがな、とりあえず暑い夏がすべて悪い。 静かになった部屋で一人黙々と課題をこなしていれば、玄関のあたりから兄の楽しそうな声が響いてきた。クロ相手に会話をしているのだろうが、その言葉が分からないものが聞けば大きな独り言だ。さすがの燐も人前で堂々とクロと会話をしたりはしないだろうが、軽く注意をしておいた方がいいかもしれない。 結局側にいようがいまいが、雪男の思考はどうあっても燐のことに流れてしまうようで、そんな自分に呆れて苦笑を零したところで、ぎゃははは、という笑い声が耳に届いた。 「食らえ、必殺、水遁の術!」 『ぎゃっ、りん、ひどいぞっ!』 いや、兄さん、水遁っていうのは敵から逃げたり隠れたりするときの術であって。 「うおっ、ちょっ、待った! たんまたんま!」 『またないっ! おかえしだ!』 燐の声とクロの声と、その間にホースから水が放たれる音が混ざる。先ほどの会話からクロは水が平気らしかったため、水の掛け合いでもして遊んでいるのだろう。 つか、小学生かお前ら。 「いってぇっ、鼻に水入ったっ!」 『あはははっ!』 「笑ってんじゃねぇっ! うらっ、こうしてくれるわっ!」 『うわぁっ! かおっ、かおはやめてっ!』 「あはははっ、ざまあみ……、うぎゃっ!」 燐の悲鳴が聞こえたところで限界だった。 ガタン、と音を立てて立ち上がり、「うるせぇっ!」と窓から顔を出して怒鳴り声を上げる。 「何で打ち水一つまともにできな、ぶっ!?」 「あ」 『あ』 「………………」 狙っていたとしか、思えない。 どうして顔を上げると同時に手にしていたホースも上へ向けるのか。その水が二階に届くまでの勢いを何故持っていたのか。加え、何をどうすればピンポイントで雪男の顔面に当たる角度にできたのか。 「……詳しく、話して貰おうか」 ばたばたと水を滴らせ、ずれた眼鏡をくい、と直す。そのまま窓枠に足を掛け、「ばっ、おま、そこ二階っ!」という燐の悲鳴を聞きながら飛び降りた。さすがに裸足での着地は多少きつかったが、衝撃を和らげる身体の動かし方くらい心得ている。 放心したようにこちらを見てくる双子の兄の前に立ち、にっこりと笑みを浮かべるとその手から水の溢れるホースを奪い取った。そして自分よりも僅かに背の低い兄の頭を片手でぐい、と掴んで俯かせ、背中にそのホースを突っ込む。 「ひっ、――――ッ!」 背中に流れる水に燐が目を見開いて悲鳴を上げる。ホースを引き抜こうにも慌てているのだろう、上手く掴めず、叫びながらうろちょろしている姿は何か妙な踊りでも踊っているかのようで思わず笑ってしまう。 『あははっ、りん、へんだぞっ!』 たぶんクロも笑っている。 暴れたおかげでようやく水責めから解放された燐は、まだ水を吐き出しているホースを拾い上げ、「てめぇら……」と低い声を出した。 「お返ししてやらぁっ!」 「ちょっ、兄さん、大人げない!」 『りん、おれ、なにもしてないっ!』 「わ、待てクロ、でっかくなるのなしっ!」 「よくやった、クロ! そのまま兄さん押えてて。僕は逃げるから」 「てめぇ、雪男っ!」 『ゆきお、ひどいぞっ!』 「うわっ! ちょっと、二人がかりは卑怯っ!」 打ち水一つまともにできないのはどうやら雪男も同じだったらしい。 ホースを奪い合って水をかけ、びっしょりと濡れたクロに襲われ地面に転がって泥だらけになる。徐々に日が西に傾き、若干の気温の下降を覚えたころには二人と一匹は頭のてっぺんから足の先まで何の誇張もなくずぶ濡れだった。 「ああほら、クロ、小さくなって。せめて泥落として入らなきゃ」 「部屋まで戻ったら廊下の掃除がめんどくさそうだなぁ」 「風呂の窓から入る? 脱衣所にタオルはあるし」 「お、それだ! けどあれだな、風呂の窓からってどんな不審者だ俺ら」 「ははっ、まあいいじゃない、誰も見てないよ、どうせ」 寮の玄関前には雨でも降ったのかというような大きな水たまり。ぱたぱたと水をしたたらせて歩く二人と一匹の背後では、太陽が空を真っ赤に染めていた。 たぶん明日もまた暑くなるのだろう。 ブラウザバックでお戻りください。 2011.07.25
十五歳らしく。 pixivより転載。 |