That's mine.


 祓魔塾に通う面々は、昼は高校生として真面目に(一部そうでない生徒もいるが)授業を受けている。一般の授業過程を終えた後、課外活動の時間帯に鍵を使って祓魔塾へと集まるのだ。
 その時、志摩廉造は軽く居眠りをしている間に自分を置いて行った幼馴染二人へ頭の中で悪態をつきながら、ふらふらと学園内を歩いていた。祓魔塾へ行くための扉はどの扉を使っても構わない。ただ、できるだけ一般生徒の目には止まらぬ方がいいだろう、と人気の少ない場所をいつも探していた。
 きょろきょろとあたりを伺っていたところで、不意に覚えのある黒い影を見つける。足を止めて一点へ視線を向けている姿を前に、「奥村くん」と思わず声が出た。ひらひらと手を振れば、こちらを見た彼が志摩の名を呼んでにかっと笑う。何の裏も見えない素直な人柄が滲み出ているその笑顔が志摩は好きだった。
 正十字学園はいわゆるお金持ち学校であり、生徒たちもどこか上品で行儀の良い者が多い。どちらかといえば祓魔塾目当てでこの学園に通う志摩からすれば、少々とっつきにくいというのが通い始めて抱いた印象だ。そんな中塾で知り合った同級生、奥村燐はほかの一般生徒とは異なった雰囲気を持っている。そのため非常に親近感が湧き、話しかけやすかった。

「何しとん? 塾行かへんの?」

 近づいて首を傾げれば、燐は「あー」とどこか気の抜けたような声を零す。そして再び先ほどまで見ていた方向へと視線を戻すのだ。一体何があるのか、と倣って目を向ければ。

「ああ、奥村先生やん。……こっちやったらあれか、別に先生付けんでもええんかな」

 正十字学園高等部に属する面からすれば、彼も同じ学年であり上下関係は発生しない。逆に先生などと呼びかけては一般生徒に不審がられるだろう。あまりこちら側で顔を合わせていなかったため気にしたことはなかったが、少し考えた方がいいのだろうか、と思いながら彼の双子の兄の様子を伺った。
 いつもの笑みを消し、唇の端から八重歯を覗かせたままじっと弟を見つめている。同じ科の生徒なのかあるいはクラスメイトか。背の高い彼を取り囲むように女生徒が数人。離れた距離から見ても青年が困っている様子が伺える光景だった。

「あらら、やっぱりモテはるんやねぇ」

 燐の双子の弟、雪男は講師としては厳しいが、基本的に温和で優しいタイプだろう。背も高く顔も整っているとなれば世の女性が見逃すはずがない。男として悔しく思いはするが、ある意味当然の状況だとも思ってしまう。
 それにしても、だ。普段の燐からすればこの光景を見れば「あのメガネのどこがいいんだ」と舌うちの一つでもしそうなものの、どうにも今日は大人しい。
 どないしはったん、と顔を覗き込んで尋ねれば、「んー、いや、」とやはりどこか芯の抜けたような言葉が彼の口をついて出てくる。志摩の声に答えてはいるが、存在を認識しているかどうか怪しい。ぼんやりと弟へ視線を向けたその横顔は、心ここにあらずといった様子で、だからこそ、だろう。ぽつり、と紡がれた言葉。

「あれ、俺のなのになぁ、って」

 そー思って、と続けられた言葉の意味が一瞬分からなかった。え、と小さく声が零れ、僅かばかり自分よりも背の低い友人をまじまじと見つめてしまう。

「…………」
「…………」

 落ちる沈黙、双子の弟から目を反らした兄は「えーっと」と口ごもった後、おずおずと志摩を見上げて言った。

「俺、今、ものすげぇこと、言った、よな……?」

 どうやら本当に無意識のうちに零れたものだったらしい。つまりはそれだけ本音だということで、志摩はそっと目を反らして「ああ、まあ……」と言葉を濁らせた。途端にぼん、と音でも聞こえてきそうなほど燐の顔が真っ赤に染まる。

「――――ッ! わ、忘れろっ! 聞いたことを、全部っ! 今すぐにっ!!」

 叫び声とともに伸びてきた腕に胸倉を掴まれ、がくがくと前後に揺さぶられた。何とも理不尽な怒りをぶつけられている気がして、舌を噛みそうになりながら志摩も反論を口にする。

「そっ、んなっ、無茶いいなやっ! 聞いてもうたもんは、しゃあないやろっ!」
「うるせぇっ、いいから忘れろぉっ!!」
「ぐぇっ、おっ、おくむらくん、苦しっ、ぎぶっぎぶぎぶっ!」

 ぺしぺしぺし、と手を叩いて解放を求めれば、燐は「忘れたか!?」と牙を剥いた。半分涙目にさえなっているところを見ると、よほど不覚だったのだろう。

「忘れたっ! 綺麗さっぱり忘れましたっ!」

 苦笑を浮かべて両手を上げれば、燐はずい、と顔を近づけてくる。こんなにも近くで彼の顔を見るのは初めてのことだ。「本当だな!?」と睨みつけてくるその表情を間近になんとなく、あ、キスできる位置、と思った。
 どこか青みがかった瞳はうっすらと潤んでおり、羞恥から上気した頬、桜色の唇にちょこんと覗いて見える八重歯。

(奥村くんてあれやなー、意外と色白いよなー、イケメンって方やないけど、ころころ表情変わっておもろいし、ときどき妙にエロくさいしー)

 そんなことを思っているなど一切表に出さず、えへら、といつものような笑みを浮かべたところで不意に自分たちへ影が落ちたことに気が付く。志摩が顔を上げる前にごっ、と鈍い音、同時に「いってぇえっ!」と燐の叫び声が響いた。

「何してるの、兄さん」

 呆れたような声でそう言ったのは、たった今まで離れた位置で女生徒たちに囲まれていたはずの双子の弟。拳骨を落とされた頭を庇うため燐の両手が離れ、ようやく志摩は解放されることとなる。けふん、と小さく咳をして、皺の寄ったTシャツの胸元を叩いて戻した。

「すみません、志摩くん。うちの愚兄が」

 謝罪を口にする彼へ言葉を返す前に、「志摩っ!」と兄の方に名を呼ばれる。

「さっきの、雪男にはぜってぇ言うなよっ!」

 確かに、あれを本人に聞かれたくはないだろう。その声音と表情から彼が必死なのは十分すぎるほど伝わってくるが。

(今それをここで言うたらあかんのちゃうんかなぁ)

 燐の言葉に若干遠い目をしてそう思いつつ、「うん、ええけど……」と返せば、当然のごとく「さっきの、って?」と案の定弟から疑問の声が上がった。

「兄さん、また何かしたの?」
「してねぇよっ! つか、またってなんだ、またって!」
「そう言いたくなるほど毎回何かしら問題起こしてるだろ」

 どうして大人しくしておくってことができないかな、と眉間に皺を寄せた弟へ、「うるせぇな」と燐もまた表情を険しくして吐き捨てる。

「お前は俺のおかーさんかっつの! あんま細けぇことばっかゆってっと、そのうち全身ホクロまみれになんぞ」
「はぁっ? それ、ホクロと何の関係もないよね?」
「あーあー! もーマジうっせぇ! 俺、先行くからなっ!」
「兄さん!」

 叫ぶだけ叫んで脱兎のごとく逃げ出してしまった兄を怒鳴りつけ、苦労性の双子の弟は大きくため息をついた。緩く首を振った後振り返って志摩へ視線を向ける。目の前で繰り広げられた兄弟喧嘩に口を挟むこともできず、「えーっと、」と言葉を探していれば、眼鏡のブリッジを指で押し上げた雪男が「それで」と口を開いた。

「さっきの、って何ですか?」
(ああああ、やっぱこっちきたぁああ)

 にっこりと笑みを浮かべているが、醸し出される空気に温かみは一欠けらもない。兄の問題行動に腹を立てているのか、あるいは何か別の原因があるのか。志摩にはさっぱり分からなかったが、とりあえず同じ年の塾講師の機嫌が頗る悪い、ということだけは理解した。先ほどと同じように「えーっと、」と視線を反らして言葉を探す。
 基本的に口はよく回る方で、嘘をつくのは得意だ。適当な誤魔化しをすることもできただろうし、燐と同じように逃げてしまっても良かった。しかしそのどれもを許してくれなさそうな空気が塾講師から感じられ、志摩は心の中で友人に謝罪を告げておいた。

(奥村くん、まじ、ごめん)

 志摩だって命は惜しい。そもそも一人で先に逃げ出す方が悪いのだと責任転嫁をしつつ、その原因と思われる出来事をぽつぽつと語った。

「で、ほんま、うっかり、みたいな? 感じで、奥村くん、ゆうてて」

『あれ、俺のなのになぁ』

 その視線を向ける先から彼の言う「あれ」が何であったのか、志摩にも理解できる。当然聞いていた雪男も瞬時に察したようで。

「――――っ」
(う、っわぁ……)

 普段落ち着いた言動を取っている講師が、言葉をなくして顔を赤くする瞬間を間近で見てしまい、志摩は驚きに目を丸くした。

(お、奥村先生が照れてはる……つか、この顔……)

 耳まで赤く染め、どこか悔しそうにしながらも赤面するその表情は、先ほどの燐の照れた顔とよく似たもので、双子の兄弟というのは本当なのだなぁとしみじみ納得してしまう。
 兄である燐の方はいつも賑やかで落ち着きがなく、本当に同じ年なのかと思うこともあったが、逆に弟の雪男はいつも穏やかで落ち着きすぎているように見え、それはそれで本当に同じ年なのだろうか、と思っていた。しかし今のような顔を見てれば、彼もまだ十五の高校生だと分かり、僅かな安堵を覚える。この年で祓魔師の資格を取り、悪魔薬学の天才だのなんだの言われているようだが、この講師だってまだ志摩と同じ年の子供なのだ。

(なんや、このひとら、かわいーやん)

 そんな志摩の心情など知らぬ雪男は、口元を手で覆ってため息をつく。ほんとあのひとは、だとかなんだとかぶつぶつと呟いた後、憮然とした顔を志摩へ向けた。

「弟は兄の持ち物か何かと勘違いしてるんですかね」

 迷惑極まりない話です、と口にしているが、まだ赤さの残る目元のままではあまり説得力が感じられない。しかしそれを指摘することはせず、志摩は「どこのうちも似たようなもんですよ」と苦笑を浮かべた。

「そういえば志摩くんもお兄さんがいらっしゃるんでしたっけ」
「うちんはもっとひどいですわ。あいつら、弟の人権なんてないもんやと思うてんちがうのってくらいで。うちのんに比べたら、せんせとこの奥村くんはまだかわいらしーもんですって」
「あれは可愛らしいとかじゃなくてただのバカって言うんです」

 ため息とともに吐き出された言葉に、あはは、と笑いを返す。だからこそ可愛いと思うのだが、それをこの双子の弟は認めたがらないだろう。少なくとも志摩のような第三者の前では。
 そんな意地っ張りなところもまたこの兄弟はよく似ている。似ていない似ていないと思い込んでいたが、やはり双子の兄弟だけあるのだろう。それを口にしたところで二人ともが否定するだろうけれど。

「まあでも、奥村くんも淋しかったんちゃいます? せんせとこ同い年ですし、そやから余計に」

 自分の知らない姿を見せられて、同じ年の弟がどんどん離れていっているような気がしたのではないだろうか。年齢の割には自分を隠すことなく素直に感情を表すところのある彼が、ただその気持ちのままほろりと零した本音。

「子供かよ……」

 ぽつり落とされた言葉にははは、と笑っておいた。口調の乱れが照れ隠しだと分かっていたから。
 こほん、と一つ咳払いをして「とりあえず」と雪男は眼鏡を押し上げる。

「弟だからといって兄の暴挙暴言を甘んじて受け入れる必要は一ミクロンもありませんよね」

 きっぱりと言い切られた言葉には志摩も思い切り首を縦に振った。その点に関しては異論はない。まったくもって。これっぽっちも。

「せんせ、それ、京都来てうちのアホどもにもゆうてやってくれません?」

 志摩がいくら己の人権を主張したところで、兄たちには馬耳東風。日本語として届いているかどうかさえ危うい。しかし、天才祓魔師である雪男の言葉ならば多少は聞いてくれるのではないか、と思い頼んでみれば、良い笑顔で「お断りします」と返された。

「うちの家訓は『よそはよそ、うちはうち』なんで」

 自分でどうにかしてください、と続けられ、志摩は「冷たいお人や」と笑うしかない。

「もちろん、うちはうちでどうにかしますから」

 祓魔塾での兄弟のやり取りを見る限り、どうにも自由奔放で頭のねじが足りていないような兄に弟は手を焼いているように見える。雪男が何か言ったところで、燐の言動が改まるようには見えなかったが、「どうしはるんですか」となんとなく尋ねてみた。
 興味本位の質問を口にした志摩へ、雪男は眼鏡の奥の瞳をにっこりと細めて言葉を放つ。

「よく言ってきかせておくことにします」

 今晩にでも、と言う雪男の「言ってきかせておく」方法はきっと穏便なものではないのだろうなぁ、と思いながら志摩はもう一度心の中で燐に謝っておいた。




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2011.05.24
















もしかして志摩くん、雪男のこと「若先生」って呼んでたりしますか。
pixivより転載。