嘘と慟哭 ここのところ燐がよく聞いている曲がある。ノリのいいスピード感溢れるそれは確かに兄が好きそうなものだったが、気になったのは女性ボーカルだということ。どちらかといえば男性ボーカルのものばかり聞いていた覚えがあるからだ。 音楽自体にこだわっている方でもなく、また金銭的に贅沢のできない状況であるため自分で買った、というわけではないだろう。誰かから借りるか何かしたか。最近そればっかりだね、と言えば、何か気に入っちゃったんだよなー、と返ってきた。その時はそれ以上の会話はなく、雪男もまたそれっきり忘れてしまっていた。 そのことを思い出したのはある休日の夜。飯作ってくる、と部屋を出ていった兄の机の方から小さな音が聞こえてきた。見れば机の上に携帯オーディオが放置されたままで、シャカシャカと籠った音がヘッドホンから零れている。切り忘れていったのだろう。 バッテリーの無駄遣いだ、と小さくため息をつき立ち上がる。プレイヤーに手を伸ばしたところで、ふと、本当に何の気なくヘッドホンを耳に当ててみた。 鼓膜を震わせたリズムは予想通り兄がよく聞いているもので、どうやらこの一曲だけリピートしてさえいるようだ。ここまで繰り返し聞く曲に僅かに興味が沸く。 そうして燐の居ぬ間に、とそのとき初めてじっくりと内容まで聞いてみた。 その歌は燐にしては珍しく、恋愛を主題にした歌だった。 人間と妖怪の恋物語。 ずっと側にいるよ、と誓い合ったふたり。交わす約束、指切りげんまん。その代わりに涙は見せないで欲しい、と求める人に、妖怪は笑顔であろうと約束する。 しかし年月が経ち、愛する彼が帰ってこない。 行方を探す妖怪の前に晒された亡骸。 もはやふたりで交わした約束が果たされぬものだと知り、妖怪は咆哮し、慟哭する。 その歌は力強い女性ボーカルに彩られた悲恋の歌、だった。 ぱたた、と机の上に生暖かな水滴がいくつか落ちた。そこで雪男は初めて自分が泣いていることに気がつく。 「――――ッ」 息を呑み、慌てて眼鏡を外して目を擦るが涙は次から次に溢れて止まらなかった。くそ、と悪態をついてヘッドホンを外すと、両目を押さえ込んだまま逃げるようにベッドへと倒れ込む。丸まった掛布団やシーツから燐のベッドだと知れたが、気にする余裕もない。 ぎゅう、と腕を押し当て、無理矢理にでも涙を止めようと試みた。どくどくとうるさい心臓が静まるよう、意識して大きく息を吐き出す。 ずっと側にいると誓ったくせに、その約束一つも守れないのか、と人間を糾弾する妖怪の声が耳の奥から離れない。リズムに乗ってはいたがそれはもはや歌ではない、慟哭そのものだ。 いってみればそれはよくあるストーリィ。人と人ならざるものが辿る末路としては、使い古された筋。冷静な自分がそう指摘しているにも関わらず、ぐわん、と脳の揺れが収まらなかった。 一体何を考えて、燐は、双子の兄はこの歌を繰り返し聞いていたというのだろうか。 恋の歌など彼の幼稚な精神には似合わない限りだというのに。 嘘つきめ! 裏切り者め! 愛する男の亡骸の前で約束を違えたことを責める妖怪の言葉がどうしてだか、燐の叫び声に、聞こえた。 炎を封じる刀さえ抜かなければ、燐の身体はまだ人間としての姿を保てていたかもしれない。そう思うのは楽観的すぎるだろう。魔を総べる神の炎は生半可には扱えない。燐の体が成長し、炎が育つにつれておそらくは刀で封じることもできなくなっていたはずだ。けれどどうしても考えてしまうのは、自分はもう人間ではないと言う燐の表情が嫌いだから。 双子の兄の嫌いな部分を挙げていけばキリがない。ずぼらなところも嫌いだし、面倒くさがりなところも嫌いだ。人の話を聞かない上に、理解力も悪い。要するに頭が悪い。そのくせ言うことばかり大きくて、ろくなこともできないくせに兄貴面ばかりする。 けれどそれらを上回る勢いで、雪男は双子の兄の、どこか諦めたような寂しげな顔が大嫌いだった。 それはまるで、もうお前とは違うのだから、とそう線引きをされてしまっているかのようで。 「うおっ!? ちょっ、なっ、雪男っ!?」 寮の厨房でクロとともに夕食を作っていたその背中に、腕を伸ばして無言のまま抱きついた。突然のことに体を強張らせ、危ねぇ、と怒る燐を無視して肩口に額を埋める。 「おい、雪男! どーしたってんだよ、お前!」 何かあったのか、と振り返ろうとするが、背後からがっしりと抱きしめているため身動きが取れないようだ。「離せよ、バカ」と腰に回した手を叩かれる。 「雪男、俺、料理中! 何があったんだよ」 問われるも答える言葉を雪男は持たない。だから黙ったまま抱きつく腕に力を込めた。 突然の行動に驚き、戸惑い、僅かな怒りを見せていた燐も、様子のおかしい弟にクロと目を合わせて首を傾げる。しかし雪男に動く気配がないことを察し諦めたらしい。燐は小さくため息をついて苦笑を浮かべる。腕を引き離そうとしていた力を緩め、代わりにぽん、と軽く叩いて手を重ねた。 「しょーがねぇ弟だなぁ、お前」 僅かに顔を傾けて無言のままの雪男の頭へすり、と頬を摺り寄せた。 「なんも怖いもんはねぇよ。全部にーちゃんが追っ払ってやるから」 だから安心しろ、と告げられる言葉。 何も知らないくせに。 雪男が、己が双子の弟が何に怯え、何を恐れているのか、何一つ知らないくせに。 もはや人間とは呼べない存在となってしまった双子の兄は、それでも何の根拠もない言葉を自信たっぷりに言う、「兄ちゃんに任せとけ」と。 その口で、彼もいつかあの歌のように、愛する人を罵る日が来るのだろうか。 嘘つき、裏切り者、と慟哭する日がくるのだろうか。 真っ直ぐで単純な燐のこと、きっと深い意味などないに違いない、ただ声が気に入っただとか、リズムが気に入っただとか、その程度のことに違いない。そう思いはするものの、双子の兄が一体何を考えてあの歌を、人間と異形なるものの悲恋の歌を繰り返し聞いていたというのかが気になって仕方がない。 生きる世界の異なる二人に一体誰と誰を、重ねているのだろう。 ただ燐を、兄を守りたかった。そのために必死に伸ばした腕の中から、自由な燐はするり、と抜け出てしまう。人の気も知らないで、とそんな兄を腹立たしく思っていたのだけれど、もしかしなくても。 ひとの気も知らなかったのは雪男の方、だったのかもしれない。 ブラウザバックでお戻りください。 2011.05.24
元ネタは東方の同人音楽。 双子の生活環境、所有物が気になる日々。 pixivより転載。 |