世界閉じる場所


 昼は学校に通い夕方は祓魔塾に通う。あまり人付き合いが得意な方ではなかったが、それでも燐には燐の交友関係があり、当然雪男にも雪男のコミュニティがある。外ではさほど交わることのない双子の兄弟の世界ではあったが、ひとたび自宅となる旧男子寮へ戻ればばらばらだったそれらはぴたりと折り重なって一致する。ふたりだけの閉じた世界だ。
 庇護してくれる保護者はおらず、まだ大人とは言い切れぬ自分たちだけで生きていかなければならない。それが分かっているからこそ、ほかの誰もが入り込まない世界で双子の距離は限りなくゼロになる。


 口の中で転がされた名前はどこまでも甘く、どこまでも幼い響きを湛えていた。なに、と背後から抱きついたまま動こうとしない兄へ問えば、「耳、噛んでい?」と尋ねられる。一体どんな思考を経た結果その言葉を発するに至ったのか、雪男にはさっぱり分からない。

「だめ」

 否定の声に間髪容れず「なんで」と疑問が返ってくる。それに、感じちゃうからだめ、と雪男は答えた。

「感じていいからさ」

 雪男の耳朶にどんな魅力があるのか、燐はどうにも諦めきれないらしい。重ねて、「お願い」と口にする。

「雪ちゃん、耳、噛ませて?」

 まさに今牙を突き立てたいと願っている箇所へふぅ、と息を吹きかけながら、燐は甘ったるい声を出した。それでもまだ許可を得てからにしようとするあたり、どうにも可愛いところがある。雪男ならばきっといちいち口にしたりはせず、したいと思ったその時には燐の耳を噛んでいるだろう。
 側にいるだけでは不安。触れているだけでは足りない。
 より大きな安心を求め、より深い充足を求め、引き寄せた片割れへ舌を伸ばす。

「じゃあ、代わりに燐ちゃんの肩、噛んでもいい?」

 交換条件を提示すれば、「いいぞ、いくらでも噛め」とあっさり許可が下りた。だったらこっち側に来て、と背後にいた燐を正面へ移動させ、腰かけた自分の脚の上へと座らせる。腰へ腕を回して落ちないように支えてやれば、ちゅ、と唇が重ねられた。

「……耳、噛むんじゃなかったの?」
「うん、これから噛む」

 だからじっとしてろよ、と首を傾けた燐はひどく嬉しそうだ。しかしその表情はすぐに雪男の肩に隠れてしまう。そのままあーん、と声でも聞こえてきそうなほど口を大きく開けた燐が、ぱくりと雪男の耳を口に含んだ。

「……ッ、」

 あむあむと、歯を立てられる強さは痛みを感じないレベル。時折ちゅる、と吸い上げられる。柔らかな甘噛みから齎される刺激に耐えながら、雪男もまた兄のTシャツの襟首をずらしてその肩へと歯を立てた。

「ん、うごく、なって」
「だって、噛ませてくれるって、言った」

 燐ちゃんばっかりずるい、と雪男が言えば、「順番」と返ってくる。まずは燐が先だ、と言いたいらしいが、それに緩く首を振って拒否を示した。

「やだ、一緒がいい」

 雪男がそう我儘を口にすれば、大抵のことは聞いてもらえる。今だって、「しょうがねぇなぁ」と兄の声を出して、燐は笑うのだ。
 向かい合ったまま耳朶と肩にそれぞれ歯を立てあう。舌を這わせて吸い上げ、時折ぞわり、と襲いくる波に身体を震わせながら、しばらくそうしていたところで。

「ゆき。雪ちゃん」

 はふ、と少し熱の籠った吐息と共に紡がれたその音はやはりどこまでも甘い。顔を上げ、雪男の肩に腕を回し身体ごと擦り寄って燐は、もう一度「雪ちゃん」と片割れの名を呼んだ。

「ちゅー、したい」
「耳はもういいの?」

 その問いへは「ん、もういい。いいから、ちゅう」と急かすような言葉が返ってくる。

「燐ちゃん、ちょっと離れないとちゅう、できないよ?」

 ここまでぴったりと抱きつかれてはキスをすることなど不可能だ。それが分かっているだろうに燐は「離れるの、やだ」と更に雪男にしがみ付いてくる。

「じゃあ、ちゅうしなくてもいいの?」

 続けて問えば、それもやだ、と燐は首を振った。じゃあどうするの、どうしようか、とくすくすと笑いあう。その吐息がくすぐったくて、雪男はきゅう、と膝上の兄を抱きしめた。


 悪魔の血を引くふたりには、もうお互いしか残っていない。手を伸ばす相手も、しがみ付く相手も、甘える相手も、何もかもすべて片割れに求め、片割れから求められる。
 本当は。
 この寮に来る前からこんな風にふたりだけで生きていけたら、と思っていたのかもしれない。おいで、と手招く声は聞こえないふりをして、懸命に外の世界に目を向けてそれぞれ生きて行こうとしていた。いや、今もそうやって生きているつもりではある。
 けれど。
 ここにはふたり以外の誰の目もなく、誰の声も聞こえない。
 あるのはただ、唯一互いに残された魂の片割れだけ。
 緩く唇を合わせ、舌を絡め、粘膜を擦り合わせて唾液を啜る。
 腕の中にこの温もりがあることこそ至福である、と思っている限り。
 きっとふたりの世界は、開かれない。




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2011.10.13
















べったべった。