温カキカナ青ノ炎


 その強大な力ゆえ、物質界に留まることのできない大悪魔の血を引く双子を引き取り、悪魔討伐組織の中枢に隠して育てるようになって数年ほどの月日が経った。生まれたその時から悪魔の力を覚醒させていた兄の方は、自我がしっかりしてきたころから時折本能に飲まれ、ひどく暴れることがあったが、それでもそうなる切っ掛けは大体弱き何かを、愛する何かを守るため。誰かのために怒れる優しさは確実に彼の中に育っているようだ。
 きちんと向き合えば、人の子となんら変わりはない、ごく普通の子供だとそう思っている。

 修道院の側にある保育園で燐が問題を起こした、とその施設の長に呼び出されたのが三十分ほど前のこと。適当に苦情を聞き流し、足早に院へと戻る。双子は既に修道士のひとりが連れ戻ったらしい。時折「悪魔のように」凶暴化する燐を恐ろしい、と囁くものもいるが、中には理解を示し、獅郎の手を助けてくれたりもしていた。
 たとえどのような事情があろうと、力で解決する方法は褒められたものではない。上手く事態が収拾できるなら良い(と神父が言ってはいけないのかもしれない)が、まだ燐は子供でただ一方的に暴力をふるうだけになってしまっている。その力は何も生み出さない、彼自身を孤独に陥れるだけだ。

 それをどう説明すれば幼い子供に理解してもらえるだろうか、と考えながら双子の部屋を覗き込めば、張本人である子供がぺったりと床に座り込んでいる姿が目に入った。一見燐しか部屋にはいないように見え、「燐、雪男は、」と尋ねかけたところで振り返った幼子に「しっ!」と怒られてしまう。
 小さな手の、細い指を口元に立て眉を吊り上げる子供。その陰になって見えなかっただけで、双子の弟もきちんと部屋にいたようだ。燐の向かいに同じように座り込んではいたが、遊んでいる途中で眠たくなってしまったらしい。こっくりこっくりと船を漕いでいる。手招きされるがまま燐の側にしゃがみ込めば、「しぃ」ともう一度注意された。

「ゆきちゃん、ねんねなの」

 だから起こしてはいけないのだ、と小声で怒る優しい子供が、先ほどまで保育園で暴れていたなど到底信じられない。親として注意しなければならないことを忘れ、「そっか、そりゃすまん」と笑う。そんな獅郎を見上げ、今度はくしゃりと燐が表情を曇らせた。

「ゆきちゃん、さっき、いっぱいないたから」

 双子を預けている保育園では昼寝の時間が設けられている。そのため修道院に戻ってからまた寝てしまうことはあまりないのだが、盛大に泣いたせいで体力を使ってしまったのだろう。

「雪は何で泣いたんだ?」

 ぽん、と燐の頭に手を置いてそう尋ねれば、唇を噛んで子供は俯いた。
 生まれたその時から悪魔の炎に身を蝕まれている兄と、その炎に焼かれ人ならざるものが見えてしまう弟。悪魔に怯えて泣く雪男は、それが見えていないものからすればただの泣き虫にしか見えないだろう。それをネタに苛められ、からかわれることがよくあるらしい。そんな弟を庇って燐が暴れ、その姿に雪男は更に泣く。大人や他の子供たちのように燐を恐れているのではなく、「りんちゃん、いたい」とそう言って泣く。それは己が痛みを覚えていると言っているわけではない、燐が痛がっている、とそう言っているのだと気が付いた時には何と言えばいいのか分からず、結局強く双子を抱きしめることしかできなかった。
 今日もまた似たようなことが起きたのだろうことは想像に難くない。

「燐は、雪が泣くのは嫌か?」

 悪魔の子供であろうとなかろうと、まだ自分の感情を上手くコントロールできない幼い子供に世の条理や常識を説いたところで意味はないだろう。倫理や道徳を言葉ではなく、もっと身近な、自分に関係のある事柄として提示して見せる、そのために燐にとって一番有効な手は弟の名を出すことだ。
 こくりと頷いた子供の頭を撫で、「雪もな、燐が痛いのは嫌だっつってたぞ」とそう言えば、「りんちゃん、いたく、ないもん」と小さな反論がある。その両手の甲は真っ赤になっており、細い腕にも何か所か絆創膏が張ってあった。先ほど保育園で暴れた時に負ったものだろう。

「……本当に痛くねぇか?」

 赤い手で自分のズボンの裾をきゅうと握って言う燐へ再度そう問いかける。

「こことか、ここじゃなくて、ココ、な?」

 赤く腫れた手や、傷のある腕ではない。それは人目には触れない身体の内側にある部分。伸ばした指先でとん、と左胸を突くと何かを守るかのように、燐の両手がぎゅうとそこを抑え込んだ。
 内側に育ちつつあるものは悪魔の炎だけではない、人間としての優しい心もまた、ちゃんと少年の内側に育っているとそう信じている。

「……いたい」

 ふぇ、と顔を歪め素直にそう告げた燐の頭を、「そうか」と今度はぐしゃぐしゃと力強く掻き混ぜた。

「雪はな、燐が痛がってんの、ちゃんと知ってんだ。だから、燐も雪が泣くようなこと、あんまりするんじゃねぇぞ?」

 酷な運命の中に生まれた双子の兄弟は、自分よりもまず兄弟のことを第一に考える。自分が痛くて辛いことよりも、兄弟が痛くて辛いことの方が何倍も堪えるらしいのだ。
 獅郎の言葉にこくりと頷きを返した燐へ笑みを浮かべ、「偉いな」と小さな身体を抱きしめる。

「よしっ! 偉くて立派な燐には父ちゃんがすりすりしてやろうっ!」
「うえぇ!?」

 子供らしく丸い頬へ無精ひげの残る頬をこすり付ければ、「やだ、いたい!」と笑いながら燐が逃れようと手足をばたつかせた。こうして触れ合っている分には正直、魔神の子供であろうがなかろうがどうでもいいことに思えてきてしまう。不可能だと分かってはいても、できればこんな時間がずっと続けばいい、と思いながらじゃれあっていたところで不意に、ごとん、と鈍い音が響いた。

「あっ」
「うぉっ」

 驚いてそちらへ視線を向ければ、座ったまま眠っていた雪男がバランスを崩し、見事に床に頭を打ち付けてしまったようで。のっそりと身体を起こした少年は、痛む頭を小さな手で押さえたあと、見る見るうちにその表情を崩した。
 ぴぎゃぁ、とまるで仔怪獣のように泣き始めた雪男を宥めようと獅郎が動く前に、父の腕から逃れた双子の兄がそのまま這って弟の元へと向かう。

「ゆきちゃん、いたくない、いたくないよ」

 そう言いながら弟が打ち付けたと思われる左の側頭部を赤くなった手で撫でさすった。いたくない、だいじょうぶ、と繰り返される言葉はきっと、どんな薬よりも効果のあるものだろう。

「いたいのいたいの、とんでけー!」

 ほらもういたくない、とそう宥めるも、まだどうにも虫の居所が悪いらしい雪男には通じない。しかし、痛いと泣く双子の弟を前にすると、兄は普段からは考えられないほどの忍耐強さを発揮するのだ。

「これならもう、ごっつんこ、しないよ」

 そう言った燐が取った体勢は、雪男の頭を自分の足の上に置いて寝かせるというもので、確かに始めから横になっていれば頭を打つこともないだろう。

「ゆきちゃん、いたくなくなるまで、りんちゃんずっと、いいこいいこ、してあげるね」

 こんな少年が悪魔だなんて、世の皮肉さを笑えばいいのか嘆けば良いのか。
 いやその前にやらなければならないことが獅郎にはある。

「おぉい、長友ぉっ! カメラっ! カメラ持ってこい!」
 子供が子供膝枕してんぞっ。

 



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2012.06.05
















雪男、しゃべってない。

Pixivの奥村詰め合わせより。