双子の悪魔、悪魔の双子。(1)


 朝起きたら、双子の弟が悪魔になってました。

「…………」
「…………」
「…………なってみると案外人間と変わりないもんだね」

 部屋にある姿見の前に立ち、一晩で生えた黒い尾と尖った耳を見ながら掌を握ったり開いたりしている。その冷静な呟きに、「何でそんな落ち着いてんだお前はぁああっ!」と兄の方が癇癪を起した。

「おい、雪男っ、おまっ、その耳と尻尾、なにっ!? なん、なんでっ!? 何の呪いっ!?」

 弟の胸倉を掴みがくがくと前後に揺さぶる。その揺れに眉を顰めながら、「少し落ち着きなよ兄さん」と相変わらず冷静な口調で雪男は言った。

「これが落ち着いていられるかっ! お前、昨日まで普通だったじゃん! 人間だったじゃん! なんで!? なんでお前まで悪魔になってんの!? 魔神の力引き継いでんの、俺だけじゃなかったのか!?」
「そのはず、だったんだけどね」

 燐の言葉通り、昨日まで雪男はごく普通の人間の身体を有していた。兄のように悪魔の身体を得る可能性すらなく、ほぼ毎日行っていた検査でも「人間」という結果を常にたたき出していたくらいで。

「昨日? 昨日なんかしたかっ!? 変なもの触ったとか、食ったとか!」
「兄さんじゃないんだから、そんな間抜けなドジは踏まないよ」
「だ、だったら、悪魔から攻撃受けたとか!!」
「いや、昨日は任務もなかったし……ああ、そういえば、」
「心当たりあんのかっ!?」
「傷っていうか、昨日誰かさんに散々背中は引っ掻かれたけど」

 ああもう引っ掻き痕も残らないのか、と鏡に背中を映して少し残念そうに言う雪男に、燐はぱくぱくと口を開閉させて返す言葉を探す。弟が何を指して言っているのか分かるだけに顔を赤く染めるしかなく、大きく息を吸いこんだ後肩を落として「俺の、せい……?」とだけ言った。燐が雪男を引っ掻いたからそうなってしまったのか、と。
 そんな燐を見やって弟は大げさにため息をついた。

「兄さん、バカ?」

 や、バカなのは知ってたけど、と本当に呆れたように顔を背けられ、燐は「だってお前が!」と涙目のまま声を荒げる。
 ただでさえ悪魔の力を受け継いでいた燐のせいで、雪男には要らぬ苦労をかけてきたのだ。そんな弟の身体までこちらの世界へ引っ張り込んでしまったとなると、亡き養父に合わせる顔がない。もし本当にそれが原因だとすれば、とりあえず今この場で両手首を切り落としてもいい。その程度で罪が購えるとは思っていないが、それでも燐の気が済まない。
 そのようなことを勢いのまま口にすれば、「そういうスプラッタ嫌いだからやめてくれる?」と雪男は燐の手を取り手首に口づけてきた。

「あのね兄さん。兄さんが悪魔の力に目覚めてから何回セックスしてきたと思ってんの? 日にちで数えればまだ少ないかもしれないけど、兄さんの中に出した回数数えたら確実に両手じゃ足りないよね。兄さんがイった回数だったら、」
「ああああ、言うなっ! さわやかな顔で下ネタ禁止っ!」

 性生活を露骨に口にされ、別の意味で涙が滲んでくる。掴んでいた雪男の手を振り払い、聞きたくない、とばかりに両手で耳を押えれば、もう一度雪男は大きくため息をついた。

「とにかく、今さらそれが原因とも考えられないし、そもそも僕にだってそういう要素はあったんだから」

 母親の胎内で未熟児だった雪男には能力が受け継がれず、燐にだけ悪魔の力が宿ってしまったというが、魔神が親であるということに変わりはない。だからこそ騎士團も雪男へ検査を受けるよう強制しているのだ。
 ただの人間だって魔に唆されその道に堕ちてしまうことがある。雪男のそれは人間が堕ちた場合とは違い、燐と同じように眠っていた力に目覚めただけのことだろうが。

「――ッ、で、も、俺は、お前には……ッ」

 人間であってもらいたかった。
 燐にはもう悪魔として生きる以外の道がない。だからこそ、共に生まれ育った弟には人間であってもらいたかった。
 俯いた燐の前に立ち、手を伸ばして頬を撫でる。

「……知ってたよ、兄さんがそう望んでたことは」

 できれば雪男だって唯一の片割れが望む自分でありたかった。
 雪男の呟きには、と顔を上げた燐は、くしゃりと顔を歪めて「ごめん」と手を伸ばした。両手で弟の頬を包み込むともう一度「ごめんな」と謝罪を口にする。

「辛いのはお前の方なのに」

 突然悪魔の身体になるという展開は、燐自身経験してきたことだ。その戸惑い、もう己は人間ではないのだという言いようのない喪失感をおそらくこの弟も抱いている。
 少しだけかかとを上げて背伸びをすると、雪男の頭を抱え込むように腕を伸ばした。大人しく燐の肩へ額を押し当てた雪男は、「ありがとう」と素直にそう口にする。

「でも考えられない事態じゃないって想定はしてたし、思ってたよりショックも受けてないから」

 顔を上げた雪男は大丈夫、と笑みを浮かべた。でも、と眉を寄せた燐の唇へ軽く触れ合うだけのキスを落とした後、「こう言ったらなんだけど、」と雪男は口を開く。

「兄さんとおそろいになれて少し、嬉しくもあるんだよ」

 するり、と伸びてきたのは生えたばかりの雪男の黒い尾。燐の背後で揺れていた尾へ絡まってきたそれを目にし、本当はもっと取り乱さなければならないのかもしれない、焦らなければならないのかもしれない、嘆かなければならないのかもしれない。しかし揃いの身体になれて嬉しい、と言う雪男の言葉を聞き、燐の心の中に僅かな歓喜が沸き起こったことも確かで。

「俺ってマジ、だめなにーちゃんだな……」

 こつり、と雪男の胸へ額を預けて言えば、「それは今に始まったことじゃないよね」と返されてしまい、思わずそのまま頭突きをかましてしまった。さすがに苦しかったようで、げほげほと咳き込んだ雪男は「そんなことより」と暴れる燐の肩をぎゅうと抱きしめて言う。

「むしろこれからどうするか、だよね」
「これから……?」

 どうするもなにも、今日は学校も塾も休みで、雪男の方にも予定が入っていなくて、だからこそ昨夜は殺されると思うほどに激しく、と考え、自分の思考に燐は顔を赤く染めたが、幸いなことに抱きしめられているため雪男には見られていなかった。

「兄さんひとりでも大騒ぎして殺す殺さない、って言ってたのに、その上僕までだろ」

 どう考えても処刑フラグだよね、とあっさり言われ、「そんなの駄目だっ!」と顔を上げて燐は叫んだ。

「処刑とか、そんなの絶対許さねぇっ! 何で雪男が殺されなきゃなんねぇんだよ!」
「だってほら、僕も悪魔だし」
「悪魔でも! お前は俺の弟だろうが!」

 絶対に殺させない、と息巻く燐を見下ろし、「ちょっとは僕の気持ち、分かってくれた?」と雪男が苦笑を浮かべた。あ、と口を空けて雪男を見上げる。
 双子の弟はこんな気持ちを幼い頃からずっと抱えていたのだろう。眉を寄せ、何を言うべきなのか迷う燐の唇へ、雪男はもう一度ちゅ、と触れるだけのキスを落とした。そして「簡単に殺されるつもりはないけどね」と笑みを浮かべる。

「でも、さすがにこれは誤魔化せないかな。検査される前に気づかれる」

 人間の身体にはあり得ない尾と、尖った耳、鋭い牙。尾を隠していたとしても、分かるものが見ればすぐにそれと悟られるだろう。どうすんだよ、どうしようね、と些か真剣みに欠ける声音でやり取りをしていたところで、ふと、燐はあることに気が付いた。

「つか雪男、お前、炎って出せんのか?」

 燐の場合、悪魔の身体を手に入れたことと炎を出すことができるようになったのはほぼ同時だった。倶利伽羅を抜いてしまったことで封印が完全に解け、身体も変化したのだ。しかし雪男はそのような切っ掛けもなく、本当に突然悪魔の身体へと変化してしまった。
 よく分からない、と首を傾げた雪男から離れ、ベッドの側に立て掛けていた倶利伽羅を手に取る。燐の炎がこれに封じられていたというのなら、ここで抜けば雪男にも何か変化があるかもしれない。もともと頭の回転の速い弟は、燐が意図していることをすぐに悟り、僅かに表情を引き締めてこくりと頷いた。
 水平に構えた刀の柄に手を掛ける。さすがに一気に引き抜くことはできずゆっくりと抜けば、数センチほど刀身が見えたところでぼ、と燐の身体が炎に包まれた。それは燐自身にはなんの危害も加えないものだが、世界中の人々から恐れ、厭われている青い炎。雪男の方は、と伺えばやはり、と言うべきか、同じ色の炎を纏い、興味深そうに己の手を見つめていた。
 これでもはや言い逃れはできない、奥村燐の双子の弟、奥村雪男もまた魔神の力を受け継ぐ落胤であったのだ。
 じんわりと浮かびそうになった涙をこらえていたところで、不意に自分を取り囲む炎の勢いがいつもより激しいことに気が付いた。あれ、と思う間もなく、ぼぅ、と炎は大きくなり、雪男のそれと繋がって一つになって、また更に大きな炎へとなる。

「ッ、なん、だ、これっ! こんな……ッ」
「兄さん、刀! 刀を早く収めて!」

 制御できないほどの力を持った炎に目を見開けば、慌てたように雪男が叫ぶ。どうやら弟の方も炎を御することができないらしい。言われたとおり刀を収めればすぅ、と二人を包んでいた炎が消え失せる。
 突然大きな力に呑み込まれたせいか、どっと疲れが押し寄せてきた。肩で息をしながら二人して床に座り込む。大丈夫か、と弟を気遣えば、なんとかね、と返ってきた。

「つーか、今の、何だったんだ……」

 確かに炎を操るのは難しく、未だに燐は制御しきれているとは言えない。しかしだからといって意識がはっきりしているときでさえあそこまで炎が大きくなったのは初めてのことだ。呟いた燐へ「僕のせい、かな……」と雪男は両手を見つめて言った。そんなことはない、と言い切れず、今後はもう安易に抜かない方がいいのかもしれない。
 そう思ったところで。

「なかなか面白い事態になってるようですね」

 聞き覚えのありすぎる声が兄弟の耳に届いた。続けて、「アインス、ツヴァイ、ドライ」といういつもの文句。ぼふん、と部屋の中に湧いて現れた煙の中にいたのは、相変わらず理解に苦しむファッションセンスをしている我らが学園の理事長、メフィスト・フェレス。
 咄嗟に身体を起こした燐は、座り込んだ弟を庇うように手を広げる。ぐる、とまるで獣のように眉間にしわを寄せて唸る燐を見下ろした後、「いやですねぇ、まるで私が取って食べるかのような警戒の仕様だ」とメフィストはくつり、と喉の奥で笑う。

「私は歓迎しているのですよ? 我らが末の弟たちを、ね」
 ようこそ、奥村雪男くん。

 そう言って帽子を取ったメフィストは心底楽しくて仕方がないというような、まさしく悪魔に相応しい笑みを浮かべた。




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2011.10.04
















雪男覚醒ネタパラレル。基本ギャグ。
原作、アニメの展開を総スルーで突き進もうと思ってたら、
アニメが雪男覚醒パターンに転がってきてびっくりしてる。
Pixivより。