双子の悪魔、悪魔の双子。(10)


 兄弟が住まう寮にはふたり以外にもうひとり、生活を共にするものがある。
 猫又クロ、元は蚕の守り神として人間と共存していた存在。亡き養父の使い魔で忘れ形見でもある彼は、いまや双子の大事な家族だ。悪魔に分類されるため本来は魔障を受けていない人間には姿は見えないはずだが、獅郎と使い魔の契約を交わし門番の任を受けるにあたり黒猫に憑依し、実体を得たらしい。(ただし二本目の尾や、巨大化した姿は魔障を受けていないものには見えないのだとか。)
 もともとが猫であるため(そう言うとクロは怒るが)、もちろんひとの姿を持つ奥村兄弟とは生活が異なり、無理に習慣を合わせることもしていない。クロ用の出入り口を寮の玄関と、ふたりの部屋の入口に設置し、好きなように過ごさせている。時々ふらりと姿を見なくなるときもあるがそれでも、朝と夜の食事の時間には部屋か厨房にいるのが常だった。

「おーい、クロぉ? クロー、飯だぞー?」

 高校と祓魔塾の準備を終え、着替えた雪男が厨房へ向かえば、エプロンをつけた兄がクロの姿を探していた。大抵雪男がここへ来た時にはクロは待ちきれない、とばかりに自分の皿の前に座り込み、ぱたぱたと尻尾を振っているのだけれど。

「クロ、いないの?」

 そういえば今日は起きてから彼の姿を見ていない。珍しいがないわけではないため気にしていなかったが、食事の時間になってもやってこないというのは初めてかもしれない。

「昨日寝る前はいたよな?」
「いたね、この辺で寝てた」

 言いながら雪男は自分の頭の上をくるりと指さした。時々頬を掠める尾がくすぐったかったが、温かかったのをよく覚えている。

「クロー、めしー、ごはんー!」

 クロを呼びながらもてきぱきと雪男の分の食事も用意してくれるのだから、こと料理に関する場合だけ無駄に器用さを発揮する燐である。恩恵に預かっているため文句を口にするつもりはないが、もう少し他の分野(勉強とか勉強とか勉強とか)にもその器用さを奮ってもらえないだろうか、とは思う。

「どこか出かけてるのかもしれないし、もう少し待ってみよう?」

 もちろん雪男だって心配していないわけではない、けれど兄弟にはそれぞれひととして(身体は悪魔だけれど)の生活がある。それを蔑ろにするのはあまり歓迎できることではないだろう。
 雪男の言葉に渋々と頷いた燐は、とりあえず向かいに座っていただきます、と両手を合わせた。
 けれど、朝食を食べ終え支度をし、揃って登校する時間になっても結局クロは現れないままで。

「……どこ行っちまったんだ、あいつ」

 しょぼん、と眉を下げる兄を見やり、雪男もまた同じような顔をしながら、「お腹空いて帰ってくるといいけど」と答える。

「出来るだけ急いで帰ってくるから、もし夜になってもいなかったら探しに行こう?」

 おそらく燐ひとりででも探しに行くだろうが、そう口にすれば「ん、」と兄は小さく頷いた。猫の姿をしているとはいえ彼は神とまでなった悪魔だ。そう簡単にどうにかなるとは思えなかったが、それだって絶対ではない。
 何もなければいいけれど、と願いながら、属する科の異なる兄弟は高等部昇降口で別れた。



 悪魔の身体になり得た能力のうち、同族の気配がなんとなく分かるというものがある。おそらく訓練を積めばより正確に分かるようになるのだろうが、今の雪男では明らかに敵意を向けてくる悪魔か、あるいは己の兄を感じ取れる程度だ。
 二時間目終了のチャイムが響き、クラス委員の「礼」という号令で生徒が一斉に頭を下げる。次の授業の教科書とノートを準備していたところでふと、こちらに近寄ってくる気配を感じた。普段の何気ない行動まではさすがに察せないが、燐が明らかにこちらを意識して向かってきている場合は事前になんとなく分かる。普通科の彼が特進科の雪男の教室にくることは滅多にない。兄は何かを忘れたとしても、誰かに借りて取り繕うということさえしないのだ。むしろ雪男の忘れ物を届けにくるだとか、そういう用の方が多い。
 自分の時間割と燐の時間割(当然兄のクラスの日課もすべて頭に入っている)を思い返し、弁当も祓魔塾での授業資料も必要なものは大抵持ってきているはずだけれど、とごそごそと鞄を確認していたところで、がらり、と教室の扉が勢いよく開かれた。

「雪男っ!」

 思った通りそこには双子の兄がおり、突然の来訪にクラスメイトたちが驚いて燐へ視線を向けている。

「兄さん、もうちょっと静かに開けて。ドア、壊れるよ」

 それは比喩でもなんでもなく、自分たちの力で乱暴に扱えば、木の扉など木端微塵に砕けてしまうだろう。雪男の静かな注意に、「あ、悪ぃ」と謝罪をしながらもそれどころではないらしい、そんなことより、と燐はずかずかと教室へ足を踏み入れ雪男の席までやってくる。肩から下げているものは、彼がいつも通学に使う鞄で、それをとさり、と机の上に下ろした。

「クロ、いた」

 一言そう言ってかぱり、と燐は鞄の口を開く。

「……は?」

 眉を顰めてその鞄の中を覗き込めば、はたしてそこには目を回して伸びている、もうひとりの大事な家族の姿が。

「……兄さん、ここに来るまでに鞄、揺さぶっただろ」

 鞄を肩に下げてこの教室まで走ってくればそれはもう、中にいるクロにとっては大惨事だっただろう。うわぁ! と悲鳴を上げた燐は、慌ててクロをひっぱりだし、「クロ、クロ、大丈夫か、生きてるか、死ぬな!?」とまた揺さぶり始め、「ばかっ」と兄の頭を叩いて黒猫を救出した。

「目を回してるのに衝撃与えてどうすんの」

 そっと抱きかかえ、緩くその背を撫でる。うにゃうにゃと呻いていた猫又は、徐々に落ち着いてきたのだろう、額を雪男の胸元にこすり付けた後、『ゆきおだぁ』と鳴いた。

「クロ、ごめん、大丈夫か?」
『りん。うん、だいじょうぶだぞ』

 まだすこしくらくらするけど、とそう言う黒猫に、兄弟揃ってほっと胸を撫で下ろす。朝から気になっていたことは解決したわけだけれど、ここで新たに生まれる疑問。

「ていうか、クロ、なんで兄さんの鞄の中にいたの」

 もっともな雪男の疑問に猫又はす、と視線を逸らせ、うにゃぁ、と申し訳なさそうに声を上げた。
 端的にまとめれば、鞄の口が開いていて、なんとなく入ってみたら眠ってしまい、気づかずに口を閉めた燐がそのまま学校へと持ってきてしまった、と。
 うにゃうにゃと説明された言葉を聞き終え、とりあえず雪男は無言のまま双子の兄の頭を殴っておいた。

「いでっ」
「気づけ、バカ」

 分かりやすい罵倒ではあったが、その通りだと思ったのだろう、「ごめん」と燐はしょぼんと頭を下げる。

「クロも。何で朝言ってくれなかったの」

 たとえ朝食のときはまだ眠っていたのだとしても、鞄が揺れたらさすがに目覚めるだろう。寮を出る際に鳴き声でも上げてくれれば良かったのに、と眉を顰めれば、『だって、おこられるとおもった……』と黒猫もまたしょぼんとしてしまう。もしクロが普通の猫であったのなら、出られなくなったことに暴れて気づくこともできただろう。しかしなまじ知恵があるため叱られることを恐れ、じっと大人しくしていたらしい。

『ごめんな、りん、ゆきお』

 おこってる? と首を傾げて見上げられ、「少しね」と雪男は答えた。

「僕も兄さんもクロがいなくてすごく心配したんだよ?」

 鞄の中に入ってしまっていたこと、学校まで来てしまっていたことについては咎めるつもりはない。ただその姿が見えず、どうしたのだろうと不安を抱いたことは事実。雪男の腕の中、すり、と身体を摺り寄せた後、クロは上体を伸ばして雪男の頬をぺろりと舐めた。

『ごめんなさい』

 軽い動作で机の上に降り、今度は燐の肩へと飛び乗って同じように謝罪を示す。反省している様子は見て取れたため、仕方ない、と肩を竦めてため息をついた。

「クロ、朝ごはん、まだでしょ?」
「あ、そうだ。厨房に置いてあるぞ、お前の分」
『うん、はらへってしにそうだった』

 りん、ぜんぜんかばん、あけないし、と呟くクロの言葉にふと気が付く。

「……兄さん、一時間目の授業のとき、何してたの」

 そもそも二時間目が終わってやってくるというタイミングがおかしい。まったく鞄を開けなかったということなのだろうか、とじっとりと睨めば、口笛を吹いて燐は雪男から視線を反らせた。教科書を机に置いていただとかそんな理由ではないだろう、たぶん寝ていたのだ。ため息をついてもう一発、燐の頭を殴っておく。

「――ッ! いってぇな! そんなぽかすか殴んなよっ、ばかゆきっ!」
「目が覚めてちょうどいいだろ。それよりほらクロ、寮に帰ってご飯、食べなよ」
『おう!』
「ひとりで帰れるか?」
『だいじょうぶ。おれ、ねこまただからな!』

 そうは言ってもこの教室は三階にあり、校舎というのは知らないものにとってはなかなか分かりづらい作りの建物である。

「俺、下駄箱んとこまで連れてってくるわ」
「そうだね、途中で誰かに捕まってもまずいし」

 ひょいとクロを抱え頭の上に乗せた燐は、軽くなった鞄を手に取りながらそう言った。

『ゆきお、ごめんな』

 迷惑をかけた、ともう一度謝るクロへ、「いいよ、別に」と笑みを向ける。

「クロが無事で安心したし。また夜にね」
『うん!』

 ばいばい、と手を振ってふたりの家族を送り出し、ふぅ、と一息。随分とばたばたした時間だった。いつも行う次の時間の予習がまったくできなかったのは仕方がないと諦めよう。
 そう思いながら椅子を引いて腰を下ろそうとしたところで、雪男は不意に自分に集まっている視線に気が付いた。いや、ずっと注目を浴びていることは分かってはいたのだ。説明することが面倒臭くて敢えて無視していたが、このまま放置するのもさすがにまずいだろう。くるりとクラスメイトたちへ視線を巡らせ、「うるさくてごめん」と近くにいた女子へ謝っておく。すると若干頬を赤らめた彼女は慌てたように、「ううん、全然大丈夫」と首を振ったあと、「奥村くんって」と言葉を続けた。

「あんな顔、するんだね」

 そう言われてもどんな顔なのか雪男には分からない。首を傾げれば、「すごく優しそうな顔」と彼女は頬を緩めて言う。

「お兄さんと、あの猫ちゃんのこと、好きなんだなぁって」

 そう思ったよ、と告げられ、ぶわ、と顔面に血が集まったのが自分でも分かった。けれど否定できない事実でもあるため、口元を手で覆って彼女から目を逸らせて口を開く。

「……家族、だからね」

 大切な大切な家族。
 この命はきっと、彼らを守るためにある。





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2012.06.05
















猫って気が付いたら鞄に入ってますよね。

Pixivより。