双子の悪魔、悪魔の双子。(5)


 いろいろ難しく考えようとすれば考えることはできると思う。たとえば、とりあえず今は騎士團もこちらに手を出してくる様子はないが、いつまでこの平穏が続くのだろうか、だとか。以前に比べ精神的に安定しているのはやはり力を手に入れたからで、炎を制御する術がなかった場合はどうなっていただろうか、だとか。
 考えて落ち込み、苛々してまた暗いことを考える。そのループに嵌ることはできると思うのだが、悪魔である自身がそれに入り込んだらいろいろとまずいだろう。ただでさえマイナスの塊であるかのような存在なのだ。悪魔が悪魔落ち、というのも妙な表現だが、枷がなくなった分転がり落ちたら止まらない。
 シュラにも言ったように、雪男はまだこの世界を崩壊させたくはないのだ。
 以前と同じ生活を。そう望んだのは燐だ。折角できた仲間を失いたくない。今まであまり友人に恵まれなかった彼は、祓魔塾仲間に囲まれている今が楽しいらしい。能力を考えればもはや祓魔師になるなどとは言っていられないと思うのだが、それでも兄は一生懸命知識を詰め込もうと頑張っている。

「……その頑張りが成果として出てこないのは何でだろう」

 採点を終えた答案用紙を前に、途方に暮れたように呟く。燐が望んだ、ただそれだけの理由で雪男は未だに塾の講師を続けている。悪魔が祓魔塾の講師をするなど前代未聞だとは思う。けれど、「雪男以外だったら俺、ますますついていけなくなりそう」と言われてしまってはやらざるを得ない。その代わりなのか、祓魔師としての任務はほとんど回されなくなった。戦闘に関して側に双子の兄がいなければ、いつ炎を暴走させるか分からず危険だ、と判断されているのだろう。(そのことについて燐がメフィストに対し、「あいつは働きすぎだから少し休ませろ」と進言しているのを雪男は知らない。)
 講師の役が意外に嫌いではない自分もいて、祓魔師の任務がない分塾の授業と高校生活にしっかり力を注ごう、とそう思っている。

「……悪魔のくせにね」

 くつりと笑って吐き出すは自虐の言葉。
 雪男は既に悪魔の身。通常の人間と同じような生活を送ろうなど、烏滸がましいにも程があるのかもしれない。けれど悪魔は基本欲張りなのだ。欲しいものは力尽くで手に入れ、享受する。それの何が悪い。

「兄さんよりも悪魔らしいかもなぁ……」

 ぽつり呟いてその兄の方へ視線を向ける。睡眠時間を雪男の倍以上必要とする燐は、既にベッドの住人だ。腹の上にクロを乗せ、気持ちよさそうに寝息を立てている。
 人間であった頃はただただ双子の兄を守りたかった、その手段は問わず、守ることさえできれば良かった。けれど悪魔に成り果てた今はそれだけでは飽き足らない、守るなら己の腕の中で。それ以外には認めない。
 おそらくもう一生、燐を離してやれないだろう。かわいそうな兄さん、と他人事のように思っていれば、ごろりと燐が寝返りを打った。あ、と思う間もなく腹の上のクロが転がり落ちる。突然の衝撃で起きたクロは、何事かと目をぱちくりさせていた。
 その様子が可愛らしくて思わずくすくすと笑いを零せば、気づいた猫又がこちらを見やり、『おれ、おちた?』と尋ねてくる。

「うん、兄さんのお腹からね。寝るならもっと別の場所にしたら?」

 だってきもちよかった、と言いながらも恨めし気に燐を見やったクロは、ばか、と尻尾で燐の腹を叩いた後ベッドから飛び降りた。

『ゆきおは、まだねないのか?』
「もうちょっとね」

 やっておきたいことがある、といえば、とてとてと軽い足音を立てて近づいてきたクロがひょい、と机の上に飛び乗ってくる。

『むりはよくないぞ』

 キーボードの上に乗っていた左手をぽん、と小さな手で叩かれた。肉球の感触が気持ちよくて思わず笑みが零れる。

「……クロと話ができるようになったのは嬉しいなぁ」

 悪魔同士のテレパシーだか何だか分からないが、燐は以前からクロの言っている言葉を理解していたようで、ふたりでよく楽しそうに話をしていた。その姿を見ているだけでも十分だと思ってはいたが、やはりこうして彼の言葉が分かるようになったのは純粋に嬉しい。思わずぽつりと本音を零せば、きょとんと見上げられたあと、『おれも! ゆきおとはなしができて、うれしいぞ!』とクロが笑った。

『ゆきお、おれのことば、ぜんぜんわかってくれなかったから、さみしかった』
「ごめんね、前は僕、まだ人間だったから。でも僕も寂しかったよ、兄さんとクロが楽しそうに話してるのが分からなかったし」
『いまはわかるんだろ? じゃあ、いっぱいはなそう!』
「そうだね。いっぱい話そう。何の話がいい?」
『えーっとな、えーっと!』
「兄さんとはどんな話をしてたの?」
『りん? りんと、ごはんのはなし、してた!』
「あははっ、兄さんらしい。今日はどんなご飯を食べようって?」
『そう。おれはねこじゃない、っていってるのに、「くろは、べつメニューな」って』
「うーん、僕もひとと同じ食べ物は良くないと思うよ?」
『……おれ、ねこじゃないもん』
「分かってる、でもほら、身体は猫だから。僕も兄さんも、クロにはずっと元気でいてもらいたいんだよ。そうしたらずっと一緒にいられるから」
『ずっと……?』
「うん、ずっと」

 人間と悪魔は生きる時間が異なっている。現にこの小さな猫又だって優に百二十年は生きているという話だ。その点も雪男の心に影を落としていたことの一因で、兄をひとり置いて先に逝かねばならぬと考えただけでも狂いだしそうだった。
 その心配がない今はやはり、以前に比べたらずいぶんと落ち着いていられる。

『……しろうみたいに、いなくなったり、しないか?』

 その言葉にはっと顔を上げてクロを凝視する。
 人間が大好きだったというこの猫又は、亡き養父のこともまた愛していたようだ。ひどく懐いていた様子を今でも覚えている。そうだね、と呟いて猫又の頭を撫でた。

「でもね、クロ。神父(とう)さんは、いなくなったりしてないんだよ?」
『?』
「確かにもう会ったり話はできないけど、こうやってちゃんとクロが覚えていたり、僕や兄さんと父さんの話をしたりするだろ? それってずっと父さんと一緒にいるってことだと僕は思うよ」

 たとえ肉体は滅びても、愛された記憶は永遠。思い出に縋って生きるのではない、共に歩むことが大切だと、ほかならぬ養父にそう教わった。

『……じゃあ、しろうのはなし、いっぱいする!』
「いいね、僕も聞きたいな、父さんの話」

 最強の祓魔師であった養父の使い魔であったクロ。主な役割は学園の門番だったが、時折任務に同行していたのも知っている。そのとき養父がどんな様子であっただとか、自作のマタタビ酒を手にたくさん会いにきてくれただとか、そんな様子をクロは楽しげに話してくれる。
 やっておきたい作業はあった、あったけれど重要度のレベルはどう考えてもクロとの会話の方が上で、にゃごにゃごと話すクロに相槌を打ち、自らも養父の思い出を語りながらパソコンの電源を落とした。

「え、父さん、僕らの話もしてたの?」
『うん。おさけのんで、よっぱらって、「すっごいかわいいんだぞー」って、じまんしてた』

 あれはりんと、ゆきおのことだったんだな、と言われ、かぁと頬が赤くなったのが自分でも分かる。

「わー、クロ、その話ストップ。ちょっと待って」
『? だって、しろう、りんとゆきおのこと、すきだ、って言ってたぞ? おれのことも、おなじくらいすきだって!』

 うれしかった、と邪気のない(悪魔に対して使う表現ではないかもしれないが)笑みを浮かべてクロは言う。

「……僕も、父さんのことは好きだよ。クロだって同じくらい好き」
『おれも! おれも、ゆきお、すき』

 腕に足を掛けて身体を伸ばしてきたクロを抱き上げる。頬に額を摺り寄せられ、くるくると鳴る喉を撫でた後ちゅ、と軽いキスを交わした。




 なんとなくふ、と目が覚めたら、弟と黒猫が「好き」と言い合いながらキスをしてました。

 同じ十五歳とは思えぬほど大人びたところのある雪男だが、それでもまだやはり高校生らしい面を見せることもある。悪魔の血に目覚めた後、猫又クロの言葉が分かることに気が付いたとき本当に嬉しそうな顔をしていたものだ。
 その時と同じような顔をしてクロと話をしている。燐を起こさないようにと気遣っているのか、声が小さくてどんな内容なのかはっきりとは聞き取れない。ただ雪男もクロもひどく嬉しそうで楽しそうで幸せそうで、どっちも可愛いなぁ、と思いはするものの、なんとなくのけ者にされているようで。

「ずりぃ……」

 小さく呟き、背を向けてタオルケットを被った。あのふたりが意図して燐を仲間外れにしているわけではないと分かってはいても、寂しいものは寂しい。とりあえず見なければそんな気持ちも消えるだろうと思ったのだが、『りん?』とクロがこちらを向いて鳴いた。さすが猫の聴覚、雪男には届かなかった呟きを拾ってしまったらしい。

『りん、どうかしたのか?』
「兄さん?」

 とててて、と走り寄ってくるクロの後を追いかけ雪男までやってくる。ひとりと一匹に覗き込まれ、燐は顔を見られぬようにぎゅう、と丸くなった。けれどその反応が不自然でない、と思うようなふたりではない。
 どうかしたの、と優しく頭を撫でられ、覗いていた頬をざらりと舐められ、「だって」と燐はくぐもった声を零した。

「なんか、ふたりで楽しそう、だった……」

 にーちゃんのけ者で寂しい、と素直に口にすれば、髪を梳いていた雪男の手がぴたりと止まる。子どもっぽいことを言っている、と呆れられたのだろう。どうせ燐は思考回路が子供なのだ、難しいことだって考えられないし、弟のように冷静に物事を見るということもできない。ガキで悪かったな、と呟いたところで、丸まった身体をぎゅう、と抱きしめられた。抱きしめるというよりはむしろのしかかってくる、といった方が正しいかもしれない。

「全然悪くない、むしろ可愛い」
『りん、りん! のけものなんて、してないぞ!』

 双子の弟と猫又にそう慰められる現状はひどく情けなくあったが、こうして構われることに安堵している自分も確かにいる。ほんとに? とふたりへ視線を向ければ、揃って「ほんとに」と頷かれた。
 ああやっぱりふたりとも可愛い。
 寂しかった気分から若干浮上し、にへら、と笑みを浮かべる。すると、クロはもう一度燐の頬をざらり、と舐めた。

『りん、おれのしっぽ、ふたつ、あるだろ?』

 にゃあにゃあと、突然何を言い出すのだろう、と首を傾げながら「そうだな」と相槌を打つ。
 二股に分かれた黒い尾を揺らし、クロは大きな目で双子の悪魔を見上げて言った。

『だから、おれは、りんともゆきおとも、いっぺんにつながれるんだぞ!』

 一つは燐の尾と繋がり、もう一つは雪男の尾と繋がって。
 そうすればきっと三人でずっと一緒にいられるだろう、と猫又はくるくると喉を鳴らす。

「――――ッ、クロぉっ、俺、クロのことすっげぇ好きだっ! もう、めちゃくちゃ好き!」
『ぎにゃっ! りんっ! りん、くるしいっ!』
「ねぇ兄さん、それだと僕のけ者で寂しい」
「雪男のこともすっげぇ好きだぞ!」
「僕も、兄さんもクロも、好きだよ」
『おれも! りんもゆきおも、だいすきだ!』

 夜も更け、一般的な人間が眠りに付く時間帯、ふたりと一匹の悪魔がころころとじゃれ合う。
 皺の寄った白いシーツの上で、黒い四つの尾の先が綺麗に重なった。




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2011.10.04
















ありがたくも、可愛い、とご好評いただいたお話です。
Pixivより。