双子の悪魔、悪魔の双子。(7)


 悪魔とはもともと欲望に忠実な快楽主義者である。人間のような倫理観を持ち合わせておらず、むしろ禁忌こそ甘露として好む傾向さえあった。だからたとえ自らの弟たちがどのような関係を結んでいようが、メフィストにはさほど関心がない。いやそれが「面白そうなこと」であるなら、煽るだけ煽ってより面白そうな方向へ転がすことだって厭わないだろう。
 しかしそれは飽くまでも、自分に影響がない範囲で、のことである。
 正十字騎士團の名誉騎士という立場もあるが正十字学園の理事長でもあり、人間の世界を生きて行くにはある程度こなしておかなければならない雑事というものがある。そういった仕事をする場所である理事長室の扉がこんこん、と鳴った。軽く時間を確認し、別段誰とも約束をしているわけではないと予定を思い返す。何か緊急の用でも持ち上がったのだろうか。
 どうぞ、と返事をすれば、重厚な扉を開いて現れたのは物質界で生まれ育った双子の弟の一人。悪魔となる前に祓魔師としての資格をとり、今は教鞭も握る優秀な彼は眼鏡の奥の瞳を細め、「失礼します」と入り込んできた。

「正面から来るなど珍しいですね。何かありましたか、奥村先生?」
 それとも「雪男くん」のご用事ですかね。

 祓魔師として名誉騎士に用があるのか、あるいは双子の悪魔として虚無界での兄にあたるメフィストに用があるのか。どちらだ、と暗に問えば、「どちらかといえば後者ですね」と返ってきた。それにほぅ、と目を細め首を傾げる。
 正直なところ、父たる魔神の炎を継ぐ双子の力は本物であり、メフィストですら抑えることができるかは五分五分といったところだ。そんな彼らの方からメフィストに会いにくるなど、何かよほどのことでも起こったのだろうか。いつもそばにある、彼の双子の兄がいないことにでも関係しているのか。
 高等部の授業の後で訪れたのだろう、祓魔師のコートを着ていない弟は、「『兄上』には是非ともご報告しておかねば、と思いまして」と口元を緩める。奇知に長ける分、この弟の笑顔は油断がならない。彼の兄ほど素直で馬鹿正直になれとはいわないが、せめて足して二で割れば人畜無害な存在となるだろうに、と思う。

「それは喜ばしい報告、なんでしょうね?」

 メフィストもまた笑みを張り付けたまま答えれば、「ええ、喜んでいただけると思いますよ」と雪男は答えた。そして振り返った彼は「兄さん、入ってきていいよ」と、どうやら扉の向こうに待機していたらしい己が兄を呼ぶ。

「邪魔するぞー、メフィスト」

 そう声をかけて入ってきたのは、確かにもう一人の弟ではあったが、いらっしゃい、と答えるのも忘れ、メフィストの視線は彼の抱く物体に釘付けになっていた。

「紹介します、僕たちの子供です」
「へへっ、できちゃった!」

 弟に肩を抱かれ、幸せそうに笑う燐の腕の中ですやすやと眠る柔らかな存在。
 若干たれ気味の目を大きく見開き、メフィストは机にばん、と両手をついて立ち上がる。

「避妊はしっかりなさい、とあれほど言ったじゃないですか!」
「もちろんしてましたよ! けど、最中の兄さんはほんとに可愛いんです。特に理性がぶっ飛んだあとはどこの天使かと思うほどエロ可愛くて、とろっとろの顔して『ゆきおぉ、もっかいぃ……』とか言われてみてくださいよ! そりゃ獣になるってもんです、ゴムすんのも忘れるってもんでしょう!?」
「いや、『もんでしょう!?』とか言われてもそもそも私、見たことありませんし」
「当たり前です。あったら今この場で息の根を止めさせていただいてます」
「兄に向かってずいぶんな口を利きますね。大体、あなたたちはまだ高校生でしょう?」
「僕はすでに収入のある身ですし、悪魔ですから人間の法律も関係ありません」
「都合のいいところばかり悪魔という種族に寄りかかるのはどうかと思いますけどね」
「こういうところで使う以外、役に立たないでしょう」
「相変わらずいい性格をしてますね。藤本そっくりです。彼だって息子たちがこんなにふしだらだったと知って、草葉の陰で泣いてますよ?」
「父さんがそんな性格じゃなかったのを一番ご存じなのは、あなただと思ってましたけどね。むしろ孫ができたと喜んでくれてると思いますが」

 悪魔と悪魔の舌戦が繰り広げられいる最中、「おや、燐の子供ですか、かわいいですね、食べて良いですか?」とどこぞより沸いてきたアマイモンを押しやりながら、少しだけ遠い目をして燐は小さく呟いた。

「つかそもそも、俺、男だから子供、産めねぇんだけどなぁ……」

 そういった常識的な突っ込みは誰に期待したらいいのだろうか。




 結論から言えば、要するに悪魔の一種、らしい。その赤子は奥村兄弟の住まう寮に突然現れた。明らかに怪しい存在ではあったが、伸ばされた手はか弱く、悪魔といえど人間の心を持つ双子が庇護欲をかきたてられても仕方がなかっただろう。

「ひと月で成体になって旅立つ、ということですね」
「だったらさ、一ヶ月俺らで面倒みようぜ、な、雪男」

 幼子を抱えて燐は、期待のまなざしを弟へ向ける。

「でも兄さん、昼間はどうするの?」
「…………俺が背負って学校行く」
「可愛いし是非その姿見たいけどね? 無理だって分かってて言うの、止めてくれるかな」
「……じゃあどうすんだよ、こんなちっせぇの、放り出すわけにゃいかねぇだろ」

 ぷくぅ、と頬を膨らませ唇を尖らせた燐を見やり、弟は大きくため息をついた。そういう顔をされた場合雪男が逆らえないのを、もしかしたらこの兄は気が付いているのかもしれない。

「では、昼間はボクと兄上で面倒をみましょう、そうしましょう」

 ぽむ、と両手を打ってそう声を上げたのは、かりかりと爪を噛みながら赤子を眺めていたアマイモンだ。迷惑この上ないその提案に、「私を巻き込むな」とメフィストが眉を寄せたところで、「マジで!?」と嬉しそうに燐が声を上げた。

「良かったなぁ! これでおっきくなるまで安全だぞ!」

 なぁ、と赤ん坊を揺すりながら話しかけている燐は満面の笑みで、本当にこの弟がメフィストと同じ魔神の血を継ぐものかと疑いたくなってしまう。いやむしろ無邪気すぎて逆に恐ろしいと思わせてしまうこと自体が、魔神の血の成せるわざなのかもしれない。この笑顔を前にしてはどんなことでもしてやりたい、どんな願いでもかなえてやりたい、と思わざるを得ない。
 当然のごとく、「私は了承していない」とアマイモンの提案を却下するだけの気力はメフィストには残っていなかった。

「駄目ですよ、こうなった兄さんには誰も敵いません」
「……ええ、身を以て理解しました、恐ろしい子ですね……」

 ごくり、と生唾を呑み込んでそんな会話をしている雪男とメフィストを置いて、燐は赤ん坊を構うのに一生懸命だった。あぶあぶ、と覚束ない言葉を零す子供の口元を拭ったあと何となく指を差し出してみる。するとまだ名を持たない幼い悪魔は、小さな手できゅ、と指を握り、にっこりと笑みを浮かべた。

「ぅ……ま……んま……」
「ッ!? ゆ、ゆきっ! 聞いたかっ!? 今こいつ、『ママ』って言ったぞ! 俺見てママ、って!」
「赤ん坊は誰が母親だかちゃんと分かってるんだよ」
「もっかい! なあ、もっかい言ってみ?」

 まーま、と赤ん坊の顔を覗き込みながら言葉を促す燐を、雪男はでれっとしたしまりのない顔をして見やっている。どこからどう見ても新婚夫婦そのものを体現している双子を前に言葉もなく呆れるしかない。やはりこれが魔神の息子だなんて嘘に違いない、何かの間違いだ。

「燐がママならパパは雪男ですか?」

 若干現実逃避をしていたメフィストの隣で、アマイモンが首を傾げてそう言った。それに真顔に戻った雪男が「当たり前じゃないですか」と眼鏡を押し上げて答える。

「僕以外に兄さんの伴侶足りうる存在があるとは思えませんし、その可能性の芽は灰すら残らぬほど燃え失せるべきです」

 ちりっ、とその頭部に青い炎を出現させて言い切る雪男の目に迷いはない。

「本気、ですね……」
「彼の恐ろしいところは、兄に関することはすべからく本気だというところだ。覚えておきなさい」

 そんなメフィストの言葉に、分かりました、とアマイモンは大人しく頷いた。
 悪魔兄弟を揃って呆れさせていることなど歯牙にもかけず、双子の兄弟は幼子に夢中だ。柔らかな頬を突いて感触を楽しみ、笑わせようと言葉を掛ける。そのうち、むぐむぐと口元を動かした赤ん坊がだぁ、と声を上げて燐の身体の方へと手を伸ばした。何か求めているのだろうか、と首を傾げて見下ろしていれば、ぐりぐりとその額を燐の胸へと押しつけ始める。人間の子供ではしないようなその行動は、どちらかといえば子猫のような仕草で。

「あははっ、待て待て、俺におっぱいはねぇから! 出ねぇから!」

 笑いながらそう言った燐の隣でぱりん、と何かが割れる音がした。何事だ、と弟を見やる前にフレームだけになった眼鏡を高速でスペアと取り換えた雪男が「兄さんのおっぱいは僕が守る!」と間違った決め台詞を口にする。

「……いや、だからにーちゃんにおっぱい、ねぇからな?」
「あるじゃない、立派なおっぱい」
「ぎゃあっ! 触んなっ、揉むなっ! ――ッ! やっ、やだ、ゆき……っ」

 赤ん坊を挟んだままいちゃつくふたりを前に、「それ、部屋帰ってやってくれませんかね」とメフィストがため息をつく。横から伸びてきた弟悪魔の腕に「兄上にはありますか?」と不意打ちでぐに、と胸を揉まれ、「ひあっ」と変な声が出た。




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2011.10.04
















「兄さんのおっぱいは僕が守る」(キリッ
Pixivより。