双子の悪魔、悪魔の双子。(8)


「お、何だ、もう腹いっぱいか? んー、よし、よく飲んだなぁ、ほら」

 横抱きにしてミルクを与えていた赤ん坊を立て抱きにし、とんとんと背中を叩く。そんな燐の手から三分の一ほどミルクの残った哺乳瓶を受け取り、洗って殺菌まで済ませるのは雪男の役目だ。

「修道院で子供の面倒みてたのが役に立ったね」
「だなぁ。何事も経験だっつってやらされたときにはふざけんなって思ってたけど」

 親父もこうなることが分かってたのかな、と笑って言った燐の言葉に、「それだけはないと思いますけどね」と闖入者の言葉が重なった。

「まさか藤本も、己の息子が二人とも悪魔になった上ただならぬ関係を結び、悪魔の子供を育てるようになるだなんて思ってもみなかったでしょうよ」

 吐き捨てるようなその言葉は、空間を裂いて現れた兄(のような存在)が放ったものだ。白とピンクを基調にした趣味を疑うファッションセンスをしている悪魔を見やりながら、「とかいいつつ」と雪男が肩を竦める。

「様子を見には来るんですね」
「ほら、シロ、伯父ちゃんが遊びに来てくれたぞー」

 ごあいさちゅー、と燐は抱き抱えた赤ん坊の手を握り、振ってみせる。泣くことの少ない幼子はきゃっきゃと楽しそうに笑って手足をばたつかせた。
 双子の兄弟の元に突然現れた悪魔の赤ん坊は、彼らのもうひとりの家族の名が「クロ」であること、そして養父の名前から少し拝借して「シロ」と名付けられた。ペットのような名前だ、と多少抵抗はあったが、そもそもこの赤子は人間ではない。ひとと同じような名を与えるのもあまりよくない、とメフィストに助言され結局その名前に落ち着いている。

「おや、シロくん、ご機嫌ですねぇ。メフィスト伯父ちゃんでちゅよー…………って何言わせるんですか」
「あはは、ノリいいなぁ! 俺、メフィストのそーゆーとこ好きだぜ」

 そう笑った燐へ、「好いてくれるのは嬉しいですけどね」とメフィストは苦虫を噛み潰したように表情を歪める。

「奥村くんはあまり愛情を安売りしないほうがいいと思いますよ」
 主に弟的な意味で。

 メフィストの後ろには穏やかな顔をしながらも、どこか冷たい空気を醸し出している雪男の姿がある。たとえどのような意味が込められていたのだとしても、燐が雪男とクロ(今は一時的に赤ん坊も含む)以外の誰かへ「好き」と口にすることが彼には許せないらしい。きょとんと首を傾げていたその双子の兄は、すぐにあはは、と笑い声をあげた。

「うちの弟、心狭いだろー?」

 どーしよーもない奴だよなぁ、と言いながら赤ん坊を揺する燐を見下ろし、「確信犯なんですね」とメフィストがため息をついた。

「小悪魔系天使というジャンルの確立を提唱したいですよ、僕は」
「それ、奥村くんしか入らなくないですか?」
「クロとシロも一緒に入れておきます」

 ふたりとも悪魔ですけど可愛いので、と眼鏡を押し上げて言い切る雪男に言葉を返すのも面倒くさい。メフィストはああそうですか、と適当に相づちを打つに留めておいた。



 一ヶ月ほどで成体になるため、当然成長のスピードは人間より早い。離乳食なんて初めて作る、と燐が四苦八苦していた時期もすぐに過ぎ、今現在シロは人間でいうところの二歳児程度にまで成長していた。

「まーま!」

 あー、だとか、うー、だとかいう言葉の中にも徐々に意味の分かる単語が混ざり始め、意志の疎通もできるようになってきた。「まぁま」とエプロンの裾を引かれ、燐は野菜を洗っていた手を止める。

「どした、シロ? こっちは包丁とかあって危ねぇから来ちゃだめだ、って言っただろ?」

 燐が夕食の準備をする間、隣の食堂で遊んでいるように、と言い含めてはいるが、小さな子供には通じない。

『りんー、ごめん、おれ、やくにたってない……』

 ちょっとシロを見ててな、と頼んでいたクロが、しょぼんと耳を下げてそう言う。ひとのように立って歩くことができず、両手も使えないクロがひとの姿をした子供の面倒をみるのは難しい。落ち込んでいるクロの頭を撫で、シロを抱えたまま腰を曲げてちゅ、とその鼻先にキスを一つ。

「俺はクロがいてくれてすげぇ助かってるぞ」

 具体的に何かをする必要はないのだ、ただそこにいてくれるだけで救われる存在というものがある。だからそんなに落ち込む必要はない、という気持ちが伝わったのか、『ありがとう、りん』とクロもまたぺろり、と頬を舐めてくれた。

「あー、あー!」
「お、なんだ、シロ。シロもクロにちゅーしてもらいたいのか?」
「うー!」

 腕の中でばたばたと暴れるシロをそっとクロに近づける。おそるおそるクロがその柔らかな頬を舐めれば、幼子は嬉しそうに声を上げた。どうやらお気に召したらしい。次いで燐の方にも手を伸ばしてくる。

「ん? 俺も?」

 ちゅう、と言いながら頬へ唇を押しつけ軽く鼻を噛むと、やはり楽しそうにきゃっきゃと笑った。奥村兄弟とクロ、そしてメフィスト、アマイモンの悪魔兄弟がそろってべたべたに甘やかすものだから、シロはスキンシップが大好きな子供になりつつある。
 シロが笑えばこちらも笑顔になり、懐いてくれる様子は素直に可愛いと思う。しかしずっと構っているわけにはいかない。食事の支度を早く終わらせなければ、雪男が帰ってきてしまう。
 双子の弟が言うには燐にだって高校の授業があり、祓魔の授業があるのだから、家事を完璧にこなす必要はないらしい。けれどいつも弟に迷惑をかけていると自覚している分、自分ができることはやっておきたいと思うのだ。

「よしっ、じゃあシロ、ちょっとこっちで遊んでようか。俺、ここで見てるからさ」

 自分の姿が見えないのがいけないのかもしれない、と遊び場所を食堂から厨房の床へ移し、クロにはシロが燐に近寄りすぎないように見ててくれ、と頼んだ。
 だぁだぁとシロが上げる声と、積み木の重なる音、クロの鳴き声という平和な合奏に、燐が奏でる水音、包丁の音が重なり、ここが高校の男子寮であることを忘れてしまいそうな光景が広がる。クロとシロが側にいるため、じっくり手をかける必要のある料理はできない。あまり火も使いたくないためさっとほうれん草を湯がいておひたしを作り、薬味の豪華な冷奴を用意する。昨日どうしても食べたくなった炊き込みご飯が炊飯ジャーの中で炊きあがっているはずで、あとは食べるタイミングに合わせて秋刀魚を焼けばいいだけだ。
 焼き魚に添える為の大根を擦りながら、シロの描く抽象画を誉めていたところで、ぴくり、とクロが耳を立てる。どうしたのか、と問う前に『ゆきおだ!』とクロが嬉しそうに声を上げた。どうやら弟が帰宅したらしい。最近の雪男は部屋へ向かう前に厨房に顔を出すようになった。燐たちがここにいると分かっているからだろう。
 今日もまたいつものように、荷物を抱えたまま厨房へ顔を覗かせた彼は「ただいま」と笑みを浮かべる。

「お帰り、雪男」
『おかえり!』
「だぁ!」

 三者三様に返ってきた答えにさらに笑みを深めた雪男は、まず作業台に飛び乗ったクロの頭を撫で顔を近づけてちゅ、とキスを交わす。次に燐の腕に抱えられたシロの頬つついて、同じ場所へ唇を落とした。最後は愛しい兄の唇へ。

「……ッ、な、んか、俺のときだけ、しつこくね?」

 ほかのふたりには重ねるだけだったのに、どうして燐にだけ舌が伸びてくるのか。顔を赤くして文句を言えば、「そりゃ愛してるから」と雪男は笑った。
 弟が悪魔へと姿を変える前から兄弟としては外れた関係を結んでいたが、このように臆面もなく恥ずかしい台詞を口にしだしたのはここ最近のことだ。何か心境の変化でもあったのだろうと思うが、深く聞いたことはない。言われて嬉しくないわけではなく、また燐にとっては雪男が笑ってくれているならそれでいいからだ。

「シロ、パパとお風呂に行こうか」

 燐がママならばパパは雪男だ。血の繋がった我が子というわけでもないのに、恥ずかしげなく自分を『パパ』と称する弟に呆れながら、「あがってくるまでには用意しとく」と燐はふたりを送り出した。


「あ、こら、シロ! 食い物で遊ぶんじゃねぇ! それは口に入れるもんであってほっぺに塗るもんじゃ……あーあーあーもう!」
「兄さん!」
『りん!』
「うお、どした、ふたりとも」
「秋刀魚が美味しい……!」
『すっごくうまい!』
「――ッ、そりゃ良かったなぁ! いいからお前らも手伝え!」

 小さな子供がひとりいるだけで食卓は大騒ぎである。ようやく自分でフォークやスプーンを持つようになったはいいが、ぐちゃぐちゃとかき混ぜるだけで終わったり、すくった食べ物を口に入れる前にテーブルに落としてしまったりと大惨事だ。美味しいと伝えてくれるのは嬉しいが、今はそれよりもシロの食事を手伝ってくれたほうがありがたかった。
 燐が牙を剥いて文句を言えば、くすくすと笑いながら「分かったよ」と雪男が口を開く。

「僕がみてるから、兄さんも温かいうちに秋刀魚、食べたほうがいいよ。ほんと、すごく美味しいから」
「ん、サンキュ。あ、こら、シロ、立つなってば!」
「もうお腹いっぱい? こっちのハムはいらないの?」

 雪男が差し出したスライスハムをじーっと見つめたと思えば、おもむろに手づかみして口へと押し込む。むぐむぐと頬を動かすシロを見つめながら「何回見ても豪快だなぁ」と雪男は感心したように言った。

「小さい子ってこんなだっけね」
「まだ上手くフォーク使えねぇしなぁ。俺らもこんなだったんじゃね?」
「父さんも大変だったろうね」

 しみじみとそう言ったところで、「だぁあ、あ!」とシロが声を上げた。

「もう一つ? 今のはちゃんとごっくんした? ん、偉いね」

 食い意地が張っているのか、子供という生き物がそういうものなのか。シロは差し出された食べ物をとりあえず口の中へ押し込む癖があった。前のものを飲み込まずにまた次のものを入れるため、最終的には食べきれずすべて口の中から出してしまうのだ。一度それを目にして以来、口の中に何も入っていないことを確認してからあげるようにしていた。
 それは通常高校生活を送るうえで、そして祓魔師として活動をするうえで必要な知識や経験とは思えなかったが、だからといって無駄なことでもないと言い切れる。何故なら、今燐も雪男もクロもシロも、食卓を囲むもの皆が笑顔なのだから。

 兄弟で交互にシロの面倒をみて食事を終え、片づけを終えたあとは部屋に戻って課題や仕事をこなす時間だ。燐が風呂に入っている間に部屋の中央では既にシロとクロが寝息をたてている。ふたりを起こさないように静かにそれぞれの課題をこなし、勉強に煮詰まった燐が爆発してくると厨房へ逃げ(翌朝の弁当の準備をしているらしい)、しばらくして戻ってきたころには雪男の仕事も終わっているのが常だった。
 そうして先に眠っているシロとクロを挟んで、川の字を描いて兄弟が横になる。シロがこの寮にやってきてから、ふたりのベッドはほとんど物置と化していた。
 以前に比べ眠る時間は減り、自由時間も減った。子供の面倒を見るというのはそういうことだと覚悟していたため不満はない。疲れることも多いが、今の状態は決して自分には(いやもう自分たちには、と言うべきか)あり得ない未来だったのだと思えば、その苦労さえ楽しくて仕方がなかった。

 半分ほど眠りの世界に足をつっこんだ状態でとりとめなくそんなことを口にする燐へ、雪男は「そうだね」と静かに返す。たとえ悪魔であっても子を成すことはできるだろう。しかし兄弟は揃って互いの手を取ってしまっているためその未来を望むことはイコール、ふたりが離れてしまうということ。確かに『決してあり得ない未来』だ。
 燐と一緒にその未来を楽しんでいることを否定はしない。けれど。

「僕はちょっと不満だな」
 シロがいるから全然兄さんに触れない。

 子供がいる場所でそういう行為に及ぶなどもってのほかで、せいぜいが抱きしめてキスを交わす程度。一緒に風呂に入ることもなくなってしまった。
 そう唇を尖らせて言えば、「お前なぁ……」と燐は顔を赤らめる。キスやハグは好きでも、それ以上の行為となればどうしても恥ずかしがってしまう燐は現状でもさほど不自由はないのかもしれない。しかし雪男の方はできれば四六時中兄に触っていたいと思っており、正直そろそろ燐不足に陥りそうだ。
 しかし仕方ないと分かってもいるため、これ以上ぐだぐだと言うつもりはない。燐に触れることができない分たくさんシロとキスすればいいだろう。そう口を開く前に、もそり、と体を起こした燐がシロをよけて雪男の上へと覆い被さってきた。

「兄さ、――――ッ」

 しっとりと唇を重ねたあと燐は触れるほどの距離で、「俺だって、雪男不足だっつの」と囁く。

「でも、今はこれで我慢な。シロが大きくなったら、その……」

 たくさんサービスしてやっから、と言いながら自分で恥ずかしくなったらしい。慌てたように身体を起こした燐は、「じゃ、お休み」と再び自分の場所へ戻ってこちらに背を向けてしまった。きっと明かりをつければ、尖った耳の先まで真っ赤になっている様子を見ることができるだろう。
 可愛らし過ぎる言動にくすくすと笑いを零し、今度は雪男が身体を起こして燐の方へ顔を近づける。

「楽しみにしてるよ」

 そう言ってちゅ、と耳先へキスを擦れば、小悪魔系天使であるところの兄は布団に包まったままこくん、と小さく頷いた。




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2011.10.04
















奥村夫婦の奮闘記編。
Pixivより。