アニエク22話後の妄想っぽく。


   双子の悪魔、悪魔の双子。(番外編)


 世界が欲しかった。
 この世界で唯一雪男が愛している兄に対し優しい世界が、欲しかった。
 ただそれだけだった。
 それなのに。

(どうしてこんなことになっているのだろう。)

 鼻腔を擽るどころではない、身体中にねっとりとまとわりつく錆びた鉄の匂い、広がる黒い液体、転がる物体をもはや人間と認識できないのはこの青い炎のせいだろうか。
 兆候はあった、もはや自身も人間とは呼べぬ存在になりつつあると自覚もしていた。そうなれば己自身さえ討伐の対象となる可能性が高く、兄を守るどころの話ではなくなるだろう、そう焦って、いた。

(だから、どうして……)

 くらり、と頭蓋の中で脳がのたうつ。現状を認めたくないと灰色の細胞が暴れているのかもしれない。
 血だまりの中、倒れている最愛のひと。炎を纏わせたまま(どうやってそれを収めたら良いのかもう雪男自身には分からないのだ)、ゆらり、近寄り、膝をついて抱きかかえる。
 兄さん、と呼びかける言葉は声にならなかった。
 叫び声が、鼓膜から離れない。顔面を血に染め、身体を痙攣させ、今にも死んでしまうのではない、かと。
 ぴくりとも動かぬ燐の顔はやはり血でどろどろに汚れており、雪男の好きな青い瞳は拝めそうもなかった。兄さん、ともう一度音にもならぬ声で呼びかける。
 兄さん兄さんにいさん、どうして、起きてくれないの、どうして目を開けないの、どうして僕を、見てくれないの、どうして、

「どうし、て……」

 こんなにも、世界は燐に対して優しくないのだろう。
 馬鹿でぶっきら棒で考えなしで、どうしようもないところは多かったけれど、それでも燐はこの世界を愛していた。彼なりに、精いっぱいに、真っ直ぐに、愛していたのに。
 その結果が、これ。
 理解ができない。
 ぐるり、暴れた脳髄が頭の中で一回転、したような。
 立ち上がる自分を雪男はどこか遠くから眺めている。自分のようでいて、自分ではない、それでも確かにこれは自分自身。血だまりを踏みしめ、足を向けた先は何やら滔々と語っている老人の元。よく覚えていないが、そしてもはやどうでも良くなってしまっているが、自分と兄の母親の父、要するの祖父である男の首を、右手の一薙ぎで胴体から分断する。ころころと、転がっていくその様が幼い頃遊んだ積み木を見ているようで、少しだけ懐かしく思った。
 思った通りに積み上げられないと短気な燐は癇癪を起こし、折角作ったものを自らの手で壊してしまうことがよくあった。しかし一しきり怒ったあと、彼は再び積み木遊びに没頭するのだ。その気分の切り替わりが雪男にはよく理解できなかった。
 嫌なら止めたらいいのに。
 そう思うが、燐にとってはそうではなかったのだろう。
 上手くいかなくても、それでも好きだから。だから。

「……やっぱり、僕にはよく分からないや」

 呟いて、血の池に倒れ込んだ祖父の胴体を炎で包む。燐を傷つける要因は根本から排除しなければ、「優しい世界」など到底手に入れられない。
 あとは何を壊せばいいのだろうか、と未だふわふわと定まらない思考のままあたりを見回す。倒れている祓魔師たちは虚無界の門を開くために犠牲になったのだろう。ほとんど息はしていないようだったが、中には呻き声を漏らしているものもおり、一人一人の生死を確認して止めを刺していくのは面倒そうだな、と思った。
 だから焼いた、一人残さず、生きていようが死んでいようが。その灰すらも残らぬよう、青い炎に包んでおいた。
 つぎに、と視線を向けた先には、状況が把握できず立ち尽くしている見知った面々。どうして彼らがここにいるのかいまいちよく分からず、分からなければ壊しておけば良いか、と思ったが、彼らはどちらかといえば「優しい世界」だ。
 雪男が望むものはただ一つ、燐にとって優しい世界、それだけなのだ。

「ああ、そ、っか、一番壊さなきゃ、いけないもの、忘れてた」

 何やら声を上げている祓魔塾の生徒たちからふらり、視線を外し、雪男はゆっくりと兄の方へと足を向ける。
 にいさん、と燐を呼ぶ声だけ音にならないのはどうしてだろう。
 兄を守ると、養父に誓った。けれど、その兄は悪魔として目覚め、まるで呼び込まれるように雪男自身にも変化が現れ始める。その状況で、それでも燐は進むことを止めようとはせず、まるで自ら優しくない世界に飛び込んでいっているようで、腹立たしくて仕方がなかった。
 どうして分かってくれないのだろう、なんて、分かってもらおうと努力をしたうえで口にすべき言葉。その努力を怠ったことを棚にあげてもがいていたところ、まるで夢のような道筋を突如示され、深く考えることもせずに飛びついた。
 その結果が、これ。
 雪男のその行動のせいで、犠牲になったのは最愛の、兄。
 燐にとって優しくない世界を作り上げる最たる原因、それはおそらく雪男自身。
 燐を傷つける存在など、この世から魂ごと消え失せてしまえばいい。その対象は何も他人だけに限らない。血の繋がった祖父であっても、雪男自身であっても、例外なく適応されるべき規則だ。

「大丈夫、だよ」
 兄さんを傷つけるもの、今すぐ消してあげる、から。

 己の首に掛けた手に力を込める。ぐ、と皮膚を突き破り、鋭く伸びた爪が肉に刺さった。ごぽり、と喉の奥で水音がするのは、溢れた血が気管を逆流しているからだろう。
 悪魔の回復力がどこまでのものか分からないが、さすがに動脈へ爪を突き刺したまま放置すれば失血死は免れないはずだ。力の入らなくなった膝を素直に折り、燐の側へしゃがみ込む。
 これでいい、そう思う。これこそ、甘言にのせられ燐を苦しめた愚者の末路に相応しい。
 くつり、と思わず口元に笑みを浮かべたところで。

「ッ、な、に、やってんだ、よっ、バカゆきっ!」

 ぐい、と腕を引かれ、喉に刺さっていた爪が抜け出てしまう。途端、開いた傷口から溢れ出た血液を浴び、「雪男っ!」と燐が悲鳴を上げて飛び起きた。

(ああ、やっぱり、兄さんを傷つけてる、から、)

 だから早く消さなければ、ともう一度喉へ爪を突き立てようとしたが、思いのほか強く腕を押さえつけられており、上手く動かせそうもない。にいさん、はなして、と血の溜まる口を動かして求めてみるが、燐はぼろぼろと涙を零しながら首を横に振った。しかし、傷を抉り続けておかなければ、すぐにこの呪われた身体は再生してしまう。こんな愚かな存在は、早く消し去ってしまいたいのに。

「なん、で、」

 どうして止めるのだ、と掠れた声で尋ねる。ほら、もう声帯は回復し始めているのだ。

「――ッ、そ、れは、こっちのセリフ、だっ! なんっ、なん、で、おまえ……ッ」

 何がどうなっているのか、燐はいまいち状況を把握できていない。気が付いたら最愛の弟が、目の前で喉を掻き裂いていたのだ。己の傷など顧みず飛び起きるに決まっているではないか。
 未だ身体中がぎしぎしと痛み、げほ、と咳き込めば口内に血の味が広がるため内臓も損傷しているのだろう。悪魔の回復力を以てしてもなかなか治らぬ傷など、そう簡単につけられるものではない。確かはりつけられて、何か妙な儀式を始められて、と記憶を掘り起こしていれば、「ごめん、ね、兄さん」と双子の弟が泣きそうな声でそう言った。

「僕は、ただ、」
 兄さんに笑っていてもらいたいだけ、だったのに。

 そのためには燐を傷つける存在を消さなければならない、そう口にする弟は、塞がりかけた喉の傷を広げるため、燐の手を振り払おうとしている。

「だか、ら! なんで、それで、雪男が死ななきゃ、なんねぇんだよ!」
「僕がっ! 僕の、せい、で……ッ!」

 今まさに燐を苦しめている傷、その原因を作ったのは雪男自身だ。騙されていた、燐のためを思って、そんな言葉は免罪符にならない。結果がすべて。
 それ以上言葉にすることもできず、唇を噛んで俯けば、不意に雪男の腕を押えていた燐の手から力が抜けた。分かってくれたのか、と顔を上げようとするが、それより先にふわり、と伸びてきた腕に抱き込まれる。ぎゅう、と幼い頃と同じように優しく頭を抱えられ、「ご、めん、ごめんな、雪男……っ」と震えた声が鼓膜を震わせた。

「ほんと、ごめん……ッ」

 温かなそのぬくもりに、どこか朧がかっていた思考がようやくクリアになりつつあるような、そんな気がした。
 なんで兄さんが謝るの、と呆然としたまま問えば、「だ、って!」と燐は声を上げる。

「俺、全然、雪男のこと、守れて、ねぇじゃん……っ」

 なぁ、ヤなこと、あったんだろ? 誰か知らねぇけど、お前、苛める奴、居るんだろ?

 泣きながら燐は己の弟を抱きしめてそう尋ねた。

「も、いいから、さ、全部、言え! 俺、バカ、だから、なんもできねぇかもしんねぇけどっ、いいから、全部!」

 吐き出してしまえ、と促され、ぐぅ、と喉の奥が変な風に鳴った。ああまずい、泣く、と思った時には既に遅く、双子の兄に抱きしめられたまま雪男は緑がかった青い瞳からほろほろと涙を零す。
 そして涙声のまま訴えた、
 もう嫌だ、と。

「もう、ヤだ、こんなっ、こんなとこ……ッ」

 どうして世界は燐に優しくないのか。
 望んで魔神の炎を受け継いだわけではないのに、そこにあるだけで罪だと、そう罵られなくてはならないのか。

「なんっ、で、なんで、みんな、兄さんに、優しくして、くれないの、兄さんが、何した、っていうの、」
 僕の兄さんなのに……!

 こんなにも優しいひとを、雪男は燐以外に知らない。それを知ろうともせず、ただ炎だけを見て存在を否定する。

「も、ここに居るの、辛い……ッ」

 どれだけ燐が頑張っても、雪男が努力しても、周囲の視線は変わらない。中には「優しい世界」の人たちもいるけれど、それでも圧倒的に優しくない世界のほうが強くて、その中で足掻くことにもう疲れてしまった。
 もう嫌だ、と子供の様に泣いて紡ぎだされる言葉すべてに、燐は「うん、」と頷いて相槌を打つ。その言葉がどこまでも優しく響いて聞こえ、堪らなくなって自分よりも細い身体へ縋り付くように腕を回した。

「ッ、にいさん、が、好きだって、言うから、」
「うん」
「だから、頑張ってた、のにっ」
「うん」
「も、こんな、世界、」

 大嫌いだ。

 吐き捨てられた言葉にも、燐は静かに「うん」と頷いた。
 そうしてぽんぽん、と雪男の背中を叩き、「なぁ、ゆきおぉ」と口を開く。

「ここには、俺らの居場所、もう、ねぇんだなぁ……」

 呟いた言葉に身体を強張らせた雪男を宥めるよう、燐は背中を叩く手を移動させて後頭部をゆるりと撫でた。

 世界が欲しかった。
 優しい世界が、ただ欲しかった。
 それだけだったのに。
 ぐし、と鼻を啜った後、「ゆき、」と燐は幼いころのように弟を呼んだ。

「苛めるやつのいないとこ、行こっか」

 そうすればもう、頑張らなくてもいいし苦しまなくてもいいし、泣かなくてもいいはずなのだ。

「ゲートは開いてるみたいだし、お前、いつの間にか悪魔になってるし、ちょうどいいじゃん」

 燐の言う行き先がどこであるのか。
 気が付いた雪男が顔を上げ、信じられないものを見るかのように目を瞠る。
 雪男の言うとおり、燐はこの世界が好きだった。確かに辛いことや理不尽なことは多かったけれど、それでも燐を気にかけ、愛してくれるひとがいる世界が好きだった。だからできればこの世界を愛しながら生きていきたかったのだけれど。
 でも兄さん、と何か言いかけた唇を己の唇で塞ぎ、燐はふわりと笑みを浮かべる。

「ゆきが泣いてさえなけりゃ、もう、どこだって、いい」

 そう囁くように口にすれば、「兄さんと一緒なら僕はどこでもいいよ」と抱きしめられた。

 こんなにも優しくて人一倍頑張ってきていた雪男を泣かせるような世界、
 燐だって大嫌いだ。





  **  **





「……なんですかこの、『僕が考えたカッコいい覚醒の仕方』みたいな話は」

 呆れかえった雪男の言葉に、突然双子の部屋に現れた白いシルクハットの悪魔は、「いえ、」と至極真剣な顔をして口を開く。

「こんな話の薄い本を読みたいので、誰ぞ描いてくれる宛でもないかと思いまして」

 心当たりありませんか、と問われ、双子の頭に一瞬だけ絵心のある友人(生徒)の顔が思い浮かんだが、ふるふると同じ仕草で首を横に振っておく。真面目な彼にこんな無茶振りはさすがにできないだろう。

「つか、悪い、紙芝居の絵のインパクトが強すぎて、あんまり話聞いてなかった」
 俺と雪男もひでぇけど、メフィストもひでぇな、これ。

 けらけらと笑いながら燐が摘まんだものは、たった今メフィストがストーリィの説明に用いた自作の紙芝居の一枚だ。筋書き自体は(ありふれている気もするが)悪くなさそうなのに、壊滅的な絵心のせいですべて台無しになっている。

「絵が下手なのってもしかして魔神の血のせい?」

 思わず雪男がそう首を傾げれば、若干の沈黙を経て「……まあアマイモンも上手くはないですね」とメフィストが口にした。

「わー、すっげぇどうでもいい血の繋がりだなぁ、それ」

 そう言いながら、「まだ俺んが上手いんじゃねぇか」とノートと鉛筆を床に広げ始める。そのうち「雪男も描いてみろ」と言われるのだろうな、と思いながら兄を眺めていれば、「で、どうですか、実際」とメフィストに尋ねられた。言葉の意味が分からず眉を潜めれば、くつくつと兄悪魔は喉の奥を震わせて笑う。

「ほら、奥村先生がこちらの世界に足を踏み入れたとき、あまりにもあっさりしすぎていたでしょう?」

 ですからお望みならばこういう覚醒も演出して差し上げますが、と面白そうに提案してくる彼は、おそらく今暇なのだろう。遊ぶ玩具を探している子供のようなものだ。はぁ、とため息をついたあと、「結構です」と雪男はにべもなく断りを口にする。

「そもそも僕なら虚無界へ逃げるより、物質界を滅ぼす方を選びますから」

 まだ滅ぼすつもりはないんで、と言う雪男へ、「物騒なひとですね、あなた」とメフィストは笑った。

「確かにまだ物質界を滅ぼされては困ります。このストーリィは諦めることにしましょう」

 ぱちん、と指を鳴らすと同時に紙芝居が煙に包まれ消え失せる。比較対象を突然取り上げられ、燐が何やら文句を言っていたが、ぱちん、ともう一度メフィストが指を鳴らすと同時に彼が大好物であるアイス菓子が手の中に現れ、それを食べることに意識を向けてしまった。我が兄ながら単純すぎてかなり心配だ。
 はぁ、とため息をついた後、「そもそも」と雪男は何を考えているのか分からない悪魔へと視線を向けて口を開く。

「どんな目覚め方であっても、兄さんが一緒ならもうどうだっていいんです」




ブラウザバックでお戻りください。
2011.10.04
















何で「番外編」にしたのかいまいち不明。続けての番号で良かったじゃん。
Pixivより。