兄弟のキス、


 そろそろ年も変わるというこの時期。悪魔に年末だとか年の瀬だとかいう概念があるわけもなく、いつもと同じように悪さをするものだから祓魔師たちに年末休みも年始休みもあったものではない。しかしさすがに未成年者にそれを要求するほど騎士團も鬼ではないらしい。階級関係なく学生を兼ねた祓魔師たちには一斉に休みが与えられており、高校はもとより祓魔塾の方も冬休みに入っているため、同期の友人たちはそれぞれ実家へと戻っていた。
 帰る場所がないわけではない(のだろう、せめて正月くらいは顔を出せと世話になった修道士たちから催促は受けている)がやはりなかなか足は向かず、双子の兄弟は冬休みも変わらず古ぼけた寮の一室で過ごしている。課題をこなしたり娯楽に耽ったり修練を積んだり趣味に没頭したり、学校や塾のある日常よりは若干緩やかに時間が流れる日々。
 最低限の課題さえやりたがらない兄とは異なり、医工騎士の称号を持つ弟は日頃から悪魔薬学についての研究を怠らず、ひとりで黙々と勉学に励んでいた。その研究データでもまとめているのか、あるいは年明けから始まる塾の授業資料でも作成しているのか。雪男は休みに入ったというのに、ほぼ毎夜遅くまでモニタに向かって作業をしている。そんな弟をぼんやりと眺めながら眠りにつくのが日課となりつつあったが、今日は珍しく日が変わる前に燐が横になる布団に潜り込んできた。
 それはおそらく今日が十二月二十六日だから、だろう。
 明日、双子が共に悪魔となって初めての誕生日を迎える。

 人間と悪魔の間に生まれただけならまだしも、ふたりの父は虚無界を統べる王たる存在。物質界に住まう人々を恐怖に陥れる魔神である。そんな魔神をこちら側へ引き寄せてしまう鍵となり得るような落胤ふたりを、人間が見逃してくれるはずがない。元よりその炎を引いていた燐だけでなく、雪男までその力に目覚めてしまったため、時に露骨に排除しようと敵意を向け、時に密やかに処分しようと手を伸ばしてくる。それでも何とかこうして生きながらえているのは、保護をしてくれている兄悪魔の力と、ふたりを愛してくれている優しい人々、そして人の温かさを教えてくれた亡き養父のおかげであろう。もちろん、唯一無二の存在である片割れが常に側にある、というのも大きな要因だ。
 温かな布団の中向かい合うふたりの間では、猫又のクロが猫らしからぬ伸びた姿で眠っている。その腹を空いた手で撫でながら、「ねぇ、兄さん」と雪男がゆったりとした声で言った。

「明日、誕生日だね」

 双子の兄弟がこの世に生まれたその日。
 そうだな、と相づちを打てば、覚えてる? と続けられた言葉。

「……僕が初めて兄さんにキスしたの」

 それは五年前の誕生日の夜、だった。
 うん、と弟の言葉に小さく頷きを返す。記憶力の悪い燐ですらさすがに衝撃的すぎて忘れられない出来事。

 悪魔となった双子は今、家族というだけでなく恋人という関係でもある。(兄悪魔たちからはもはや夫婦だとさえ言われているが。)しかしそうなったのは燐が悪魔の力に目覚め、この寮へふたりきりで住むようになってからのこと。つまりまだ一年も経っていないのだ。
 もっとずっと前からこうしているような気もするが、そこには飽くまでも「双子の兄弟」としての関係しかなかった。触れ合いも家族の間でする程度で、キスだって頬止まり、それも頻繁ではなかったように覚えている。
 けれどそんな双子の兄弟だったふたりは、ここ数年誕生日の夜だけ唇を重ねるキスをしていた。それは「恋人」のような口づけではあったが、ふたりの間にはまだそういった関係は成立していないときのこと。
 ずっと聞きたかったんだけど、と燐は視線をクロに落としたまま口を開く。

「お前、なんで俺にキス、したの」

 もそり、と布団の中で何かが動く気配、おそらく雪男の尻尾だろう。探しているものは絡まるための双子の兄のそれ。そう察した燐が尾を弟の方へ伸ばせば、案の定するりと絡まってくる感触があった。人間の身体であったときには決してできない行為、手を繋ぐのと同じような感覚で、触れ合える箇所が増えたことを純粋に嬉しいと思う。
 ぽんぽん、とまるで幼い子供を寝かしつけるかのようにクロを撫でながら、「兄さんが起きるとは思ってなかったんだ」と雪男はそう答えた。
 五年前の誕生日の夜。昔から睡眠時間を長く必要とした燐は、いつものように雪男より先に布団に潜り込んでいた。ぐっすりと眠っていたはずだったのに、どうしてだか不意に意識が浮上し、あれ、と思う間もなく口に押し付けられた温かな感触に驚いて目を開ける。目の前にあったのは、同じように驚いている弟の顔。頭の回転が鈍く、寝起きであったにもかかわらずどうしてだかその時はすぐに、キスをされたのだと気が付いた。

「誕生日、だから」

 あまりにも近すぎる接触に言葉も出せずにいた燐へ、雪男はひっそりとそんな理由付けをする。特別な日だから、という弟の説明に、燐はとりあえず納得するほかなかった。
 唇を合わせる行為は兄弟の間のものではない、と十一にもなれば理解している。当然その日以外はそのようなことをするはずもなく、一年を過ごしてまた巡ってきた十二月二十七日、誕生日だから、と理由をつけて再びふたりの唇が重なった。

「……あんな昔、から、お前、」

 そういう意味で燐のことを好きだったのか、と途切れた言葉の意味を脳内で捕捉し、雪男は分からない、と答えた。もちろん兄として、弟として互いを大切に思ってはいたし、愛してもいた。そこに恋愛感情も含まれていたのだ、含んでいたのだと燐が気が付いたのは、雪男に押し倒されてからだ。
 頭の良い弟はこんな激情を一体いつから抱えていたというのだろう。

「誕生日会をね、してくれてたじゃない、修道院の皆で」

 クリスマスと双子の誕生日をごちゃ混ぜにしたパーティー。その時だけは皆祓魔の仕事を入れることなく、聖騎士であった養父でさえ任務を断り修道院に揃ってくれていた。大きなケーキと、普段は見ることのない御馳走と、温かな笑顔と、笑い声と、幸せな空間。
 そんな時間が過ぎ去り、ほこほこと温まった心でいた雪男の目にふと飛び込んできた、双子の兄の寝顔。よく笑ってよく怒る、強くて優しい、けれど悪魔である双子の兄。

「神父(とう)さんは、いつも僕に道を用意してくれてた」

 雪男が祓魔の道に足を踏み入れたのは七つの時。ちょうど小学校に上がった頃で、その訓練は幼い少年には正直辛いものがあった。もっと大きくなってからでも構わない、あるいは悪魔を祓う自衛手段だけを覚え無理に燐に添う必要はないのだ、と。双子の弟だからといって、燐のために己を犠牲にしなくてもいい、と養父は分かりやすく説いて聞かせてくれていた。

「やっぱり、いろいろ辛くて、そっちに逃げたいなって思うことも多かったよ」

 悪魔の炎を引いているとはいえ、当の本人は何も知らぬまま健やかに眠っているのにどうして自分だけ、と思わなくもなかった。そう告げる雪男の言葉に、燐は黙って耳を傾ける。

「でも、あの日、」

 五年前の誕生日の夜。
 ふと、思った。

「もし、僕が、」

 祓魔の道を諦めていたら。

「兄さんはどうなるんだろう、って」

 幼いながらに魔神という悪魔が人間の中でどれほど恐れられ、厭われているのか、塾に通っていたため雪男はしっかりと理解してしまっていた。そんな血を引く兄がこれからどのような道を歩むことになるのか。
 呪われたとしか言いようのない運命の元に生まれた燐を可哀そうだ、と思う気持ちがなかったわけではないけれど、同情だけで乗り切ることができるほど、平坦な道ではなかったと自負している。
 そこにあったものは、端的に言えば雪男自身の強い望みだ。

「兄さんの側にいたいと思った。いても大丈夫な自分になりたいって」

 そんなことを考えていたら、いつの間にか眠っている燐にキスをしていた。
 紡がれる言葉は子守唄のように優しく燐の鼓膜を揺さぶる。一体どんな顔をしているのだろう。気になって恐る恐る目の前の顔へ視線を向けてみれば、眼鏡を外して横になっている弟は、瞼を閉じて言葉と同じほど優しい顔をしていた。こうしてみれば酷く幼く見える双子の弟、愛しく思う感情は兄としてのものだろうか、それとも恋人としてのものだろうか。
 ゆきお、と小さく名を呼んで手を伸ばす。そっと顔へ触れると、緩く目を開けた弟が安心したように笑みを浮かべて頬を擦り寄せてきた。
 十一歳の誕生日から数えて五回、双子の兄弟として交わされた口づけ。重ねるごとにゆっくりとそこに「恋」という言葉が塗りこめられるようになった気がする、と雪男はそう告白した。
 クロを潰してしまわないように気を付けながら身体を寄せ、弟の後頭部をゆるりと撫でる。首筋、肩を撫で、その背へ手を当てた。いつの間にか燐よりも広く、たくましく育ってしまった弟の背中。けれど悪魔の時間は人間のそれとは異なり半永久的だ。この身体ももう年を重ねることはないのだろう、燐と同じように。
 じかん、と小さく紡がれる雪男の言葉はどこかとろりとしており、徐々に眠気が襲ってきているようだ。珍しく燐のほうはまだ意識がはっきりしており、求められるまま携帯に手を伸ばして画面を確認。

「ん、もう日、越えてる」

 おめでと雪男、そう続ければ、兄さんも、と雪男が笑った。

「誕生日おめでとう」

 ごく自然に、当たり前であるように重なる唇。
 生まれてきてくれてありがとう。
 きっとこのキスにはそんな意味が込められているのだ、とふと燐はそう思った。
 これは恋人のキスではない、兄弟としての、キス。
 ふうわり、と。
 一年に一度、誕生日にだけ、双子の悪魔はただの兄弟としてキスを交わす。

「……ゆき?」

 唇が離れたところで軽く額を摺り寄せ名を呼べば、すぅ、と寝息が耳に届いた。
 誕生日、温かな布団の中で、大切な家族を間に挟んで大好きなひとと横になる。そんな雰囲気にとうとう睡魔に負けてしまったらしい。くすりと笑ってちゅ、と眠っている弟の唇へもう一度キスを。

「ちょっとは恋人のキスも期待してたけどな」

 そしてその先の展開も、と思いながらも不思議と物足りなさは欠片もない。むしろ満ち足りた気分でいっぱいだ。
 今日はこのままクロを抱きしめて眠って、目が覚めたらケーキを作ろう。クリスマスケーキとごちゃ混ぜになっていない、ちゃんとしたバースディケーキを。
 誕生日おめでとう、ともう一度言いあって、こっそり用意した(けれどきっと雪男にはばれているだろう)プレゼントを渡して、ちょっと奮発して作った御馳走を囲んで。そうして、あのくそ親父よくも騙し続けてくれやがったな、と毒づきながら、十六年目にして初めてきちんとしたケーキを食べよう。誰よりも大切で、誰よりも愛おしいひとと一緒に。

 恋人のキスはその後で。




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2011.12.27
















要するに寝落ち。