※軽い死にネタ注意。



   甘い罰


 西暦××年、三月某日。
 例年より若干早い桜の開花に人々が花見だ宴会だと浮かれる春の空気の中。
 虚無界の王たる存在の炎を継ぐ少年、奥村燐の処刑が執行された。
 彼の仲間と呼べる少年少女たちは、悪魔の血が流れているといえど真っ直ぐで心優しくて少し頭の回転の鈍かった友達の死を嘆き、悲しんだ。
 享年十六歳、人間で言えばまだ無限の未来が広がっている年齢である。

 時を同じくして、奥村燐の双子の弟、奥村雪男は忽然と行方を眩ました。
 炎は受け継いでおらずとも魔神の落胤であった少年が、己もまた兄と同じ道を強制させられることを危惧して逃げ出したのだ、と言うものもあれば、虚無界へ落ちたのだと言うものもある。あるいは、唯一なる家族を失った痛みに耐えきれず後を追ったのでは、と口にするものもいた。
 双子の世界に足を踏み入れることもできず、ただ周囲から見ていただけのものたちの推測であるが、実際のところそれらは大きく異なっており、そして少しずつ正しかった。
 燐と同じように処刑されてしまうかもしれない、と考えはしたが、だからといってそれを恐れて逃げているわけではない。
 虚無界へはまだ実際に行ったことがなく、悪魔落ちをしたわけではないが、他人からすれば同じだといえる状況にはある。
 そして確かに燐を失ったことは心がばらばらに裂けてしまうほど辛く、実際に後を追いかけてさえいる。しかしその先は天国でも地獄でもないのだ。


**  **


 ピピピピピ、と電子音が枕元で響く。空気を震わせるそれが鼓膜へ届き、脳がアラームだと認識するまで十数秒。

『雪男ぉ、うっせぇ……』

 双子の兄の苦情が聞こえ弟は、んーと唸り声を上げた。正直アラームは以前セットしていたときのものを解除し損ねているだけで、必ず従わなければいけないものでもない。そう思えばわざわざ起きるのも面倒くさくて。

「兄さん、止めといて……」

 僕眠い、という言葉は実際に音になったかどうかは分からないが、燐には伝わっているだろう。甘えんなアホ、と悪態をつきながらも、結局雪男の望む通りにしてくれるのだから。

「……つか、結局俺が止めてもさ、お前起きるんだから同じことじゃね?」

 手にした携帯電話のボタンを操作し、なり続けていた音を消した後、『燐』はそう呟く。「どうせこの身体雪男のなんだし」と言う声は、その言葉を示すように雪男のもの。
 ベッドの上に起こした身体は、座した姿勢でもかなりの長身だと分かる。バランスよくついた筋肉は動くことの多かった前職に寄るもので、携帯を握る手のひらが硬いのは武器を構えることが多いから。

「ほら、ちゃんと起きろ、俺戻るぞ」

 雪男の口から零れる『燐』の言葉。緑がかった瞳が一度瞼で覆われ、次に開かれたときにその視界は双子の弟のものになっている。

「…………」
『ぅおおいっ、起きろっつったろ、寝んなばかっ!』

 しかし再び目を閉じて横になりかけた雪男へ、燐が慌ててそう怒鳴った、といってもこの状態での彼は実際に音を発することはできない。彼の言葉はすべて雪男の脳へ直接響くものである。
 発信源は、首から下がっているくすんだ銀色のチェーン、その先に揺れる親指ほどの大きさの真っ青な石。
 ぐん、と長い両腕を頭上へ伸ばし、ようやく意識がはっきりと浮上してきたのだろう、軽く首を回して関節を鳴らしたあと、「おはよう、兄さん」と雪男は青い石を握って言った。
 その雪男の背後にゆらり、揺れる黒く長い尾。彼の兄がまだひとの形をこの物質界で有していた頃とは異なり、今の雪男の耳の先はぴん、と尖っていた。


 炎を受け継がず、ただの人間として生きてきた雪男が悪魔として目覚めたのは、双子の兄が処刑された時のこと。厳密に言えば処刑されかけた時、だろう。今まさに消え失せんとしていた兄を目前に、雪男の魂は半分以上が虚無界へ落ちかけていた。それをなんとか物質界へ留めたのは彼の双子の兄である。悪魔として目覚めること自体は防げなかったが、心までもが闇へ落ちる前に引き止めることができた。
 そして同じように、燐の完全なる消滅を防ぎその魂を物質界へ留めたのは彼の双子の弟。肉体の消滅は免れなかったが、存在の本質である魂を救い、青い炎の力が物質化した石へ封じ込めた。
 お互いがお互いのおかげでなんとか物質界に留まっていることができている兄弟は、雪男の覚醒の余波で半壊した騎士團本部からひとまず逃げだす、ということを選択した。何をどうあったとしても魔神の落胤を処刑する機会しか狙っていないものがいる場所で、魔神を殴るだの、兄を守るだの、言っていられるわけがない。
 兄悪魔であるらしい男の手を間接的に借りながら、ふたりは逃亡生活を送っている。

「一層のこと虚無界へ行けば、ってフェレス卿は言ってたけど」
『ぜってぇ嫌だ』
「うん、そう言うと思った」

 くつりと笑って雪男は手にしたサンドイッチへかぷり、と噛り付く。部屋を借りているホテルのすぐ近くにあるカフェで、少し遅めの朝食だ。

「ん」
『あ、それ美味ぇ』

 雪男の小さな声に重なるように、そんな感想が脳内に響く。燐の魂を封じてある青い石はチェーンで首にぶら下げている。室内なら良いが、外を歩くときは落とすと困るため、首からかけた上で左胸のポケットへ入れるようにしていた。おかげでこの逃亡生活を始めて、雪男は外出する際襟付きのシャツ以外を身に着けられなくなってしまっている。

『なんだろ、ソースの味か? ちょっと辛ぇな』

 ぶつぶつと呟いている兄にくすりと笑みを零し、もう一口、二口、と残りのサンドイッチを口へ放り込む。もうちょっと味わってゆっくり食えよ、という苦情はさっくり無視して手にするカップの中は紅茶。雪男はどちらかといえば珈琲の方が好きなのだが、苦すぎると燐が飲めないのだ。
 二卵性とはいえ双生児だからだろうか、あるいは極限状態を共に乗り越えたせいで意識が必要以上に寄り添ってしまったせいか。燐の感覚は雪男のものとリンクしており、見聞きしたもの、触れた感触、味わったもの、すべてを共有することができた。
 本来は雪男のものであるこの身体もまた、「共有」しているもののなかの一つ。といっても、燐の方からそれを要求したことは一度としてない。毎回今朝のように、雪男が無理やり燐を引きずり出すのだ。その際雪男の魂は、燐と入れ替わりに青い石の中へ入ることになるが、どうにも兄はそれが気に入らないらしい。 
 この身体は雪男のものであり、燐のものではない。そもそも自分は一度途絶えた存在なのだ、と。

「僕は絶対諦めないからね」

 燐の声は当然雪男以外のものには聞こえない。だから周囲のものには聞こえぬよう、小さな声でそう口にする。聞いているものは燐ひとりであり、その彼は「何を」とは尋ねない。分かっているからだ、双子の弟がどうして逃亡生活をしながらも様々な文献を読み漁り、知識を詰め込んでいるのか、を。

『……死体はヤだぞ、死体は』

 燐の答えに分かってるよ、と弟は頷いた。
 そもそも虚無界に属するものたちは、物質界では肉体を持たないのが常だ。何かに憑依することにより人間の目に触れるようになる。現在の燐もそうなっている状態であり、何か憑代を見つけさえすれば兄を取り戻せる、と雪男はそう考えていた。
 しかしだからといって人間をそうとすることなど、優しい燐が良しとするはずがない。たとえ相手が生きていようと死んでいようと、だ。
 他の生命体や物質に移ることも可能であろうが、しかしそれだと現状と変わらない。人としての姿を持った燐、それこそ雪男がただ願い望むもの。

『俺は別に今のままでもいいんだけどなぁ……』

 燐自身は弟の願いには乗り気ではなく、消滅しかけた意識がここにあるだけでもありがたいと思いさえしている。自分では動けないという自由さはまるでないが、それでもずっと雪男の側にいることのできる今は、これはこれで幸せなのだ。
 けれどそう口にすれば双子の弟は必ず「駄目」と言う。

「それは僕が許さない」

 するり、と胸のポケットから取り出した真っ青な石。日差しを受けて光るそれは、以前の燐の瞳にそっくりな色をしており、見ているだけでもどこか安心を覚える。
 兄の魂をそっと握り、「兄さんが戻ってきたらね、」と雪男は優しい声で未来を語る。

「とりあえず抱き締めて、離さない」
『…………』
「兄さんがそこにいるんだ、って僕が納得するまでね」
『雪男……』
「そのあと、押し倒して犯してあげる」
『……………………はい?』
「僕、経験ないけど、大丈夫、絶対気持ちよくしてあげるから」
『もしもし、雪男くん?』
「三日間くらいね、突っ込みっぱなしにしときたいね」
『おい、ちょっと待て、雪男、』
「僕ら悪魔だから、それくらいはできると思うんだよね」

 小声ではあるがさわやかに、しかし本気の色を滲ませて告げられた言葉に、『兄ちゃん、キンシンソーカンはちょっと……』と燐が戸惑ったように返す。しかし弟はくつくつと喉を震わせ「駄目」と先ほどと同じ言葉を口にした。

「だって兄さん、僕のこと好きだろう?」

 ふたりがまだ寮にいた頃、兄弟は結局一線を越さず兄弟という関係のままだった。互いにそれ以上の感情を抱いていると気が付いていた上で、だ。

「兄さんが気にするから、だからずっとキス以上は我慢してた」

 雪男にとって燐がすべてだった。ただ己の兄が幸せに笑ってくれることだけが生きる目的であり、燐が望むからこそ己の感情を押しとどめ、堪えてきたというのに。

「なのに、兄さんはあっさり僕を捨てたんだ」

 騎士團上層部からの処刑の指示を前に逃げられぬと悟ったのだろう、燐は己の生を至極当然であるかのように諦めた。ごめん、と雪男へ向かって吐き出された謝罪はひどくさっぱりしたもので、あの時ほど怒りを覚えたことはなかっただろう。
 絶対に許さない、と雪男はそう嘯いて、真っ青な石を眼前で揺らす。くすくすと楽しそうに笑う弟へ、兄は返す言葉を持たないのか黙ったまま。
 静かに光る魂を摘まみ、これは罰だよ、とそっと触れるだけのキスを落とす。

「だから早く帰って来てね、兄さん」
 ふたりで一緒にぐちゃぐちゃのどろどろになろうよ。

 甘い毒のような囁きと同時にかり、と石に歯を立てれば、『おいこら、にーちゃんを噛むなっ!』と燐が文句を放った。





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2012.06.05
















この設定での話もまた書いてみたいです。

Pixivより。