奥村兄弟のセイカツ(2/14)


 普段真面目で年の割にしっかりした印象を持たれることの多い弟だったが、実際にはそうとばかりも言えないのだということを知っているのはおそらく家族のみに限られるだろう。
 こんなイベント日に塾だなんてロマンがない、という塾長の一言により今日は祓魔塾の方は休みである。高校の授業が終わればそのまままっすぐ帰寮できるわけだが、嫌な予感がする、というより昨年までの経験を踏まえたうえで燐は弟の在籍する特進科の教室へ顔を出していた。

「なぁ、雪男……奥村雪男の席って、」

 きょろ、と室内を眺めてみるが弟の姿は見えない。扉近くにいた女生徒に尋ねてみようとしたが、彼女がちらりと視線を送った先の様子に気がついて、「あ、いい、分かった、ありがとう」と答えを待たずに教室内へ足を踏み入れる。
 窓際の一番後ろの席。その主はいなかったが、床に置かれたカバンの惨状から確実にここが弟の席であろう。

「あーあ……だから言わんこっちゃねぇ……」

 こんなことだろうと思った、と呟いてため息をつき、燐は机のそばにしゃがみ込んだ。
 二月十四日、世の中の女性陣が俄然張り切るその日、奥村雪男のカバンは甘い香りを放つ箱がぎっしりと詰め込まれることになる。どうして弟ばかりが、と思わなくもないが、雪男がいい男であることを燐も否定できないため仕方がないのかもしれない。今年は高校に入って初めてのバレンタインということもあるせいか、去年よりも多いみたいだ。入れられたというより、無造作に積み上げられたチョコレートのせいで、カバンの口はしまっていない。これをどうやって持ち帰るつもりなのか、弟には何か案でもあるのだろうか。
 そんなことを思いながらガサゴソと自分のカバンをまさぐり、燐は紙袋を二つ、取り出した。

「あ、ちょっと、ねぇ、それ、奥村くんの……」
「ん、知ってる、大丈夫大丈夫、俺も奥村くんだから」

 燐が何者であるか知らない女生徒が、勝手にチョコレートの箱を紙袋へ詰め込み始めたことに驚いて声をかける。そんな彼女へひらひらと手を振ってカラフルな箱の分類作業に没頭していれば、「何してるの、ひとの席で」と聞き慣れた声が耳に届いた。お帰り、と振り返って盛大に眉を顰める。

「まだ増えるのか」
「歩いてたらこうなった」

 おそらく貰い受けるときにはにこにこと人当たりの良い笑みを浮かべているのだろうが、双子の兄の前では素直に迷惑そうな顔をしてみせる。どさどさどさ、と机の上に落とされたカラフルな箱たち。

「だから紙袋持ってけっつっただろ」
「……なんか、期待してるみたいで嫌だったんだよ」

 こうなることが予想され、だからこそ朝、親切にも燐が紙袋を弟へ持たせようとしたのだが、すげなく断られてしまったのだ。断った理由を言い訳のように口にする雪男を見やりため息を一つ。適当に詰め込みやがって、と文句を言えば、だってどうせ入らない、と返ってきた。

「そうじゃなくて。また一昨年みたいに女子待たせて泣かせるのか、っつってんだ」

 ほらこっちは手紙付き、と二つ広げていた紙袋の片方を指さして言う。燐はただ溢れていたチョコレートの箱を片づけていたわけではない、無記名のもの、名前のみのもの、メッセージカードつきのもの、手紙のあるものと分けていたのだ。無記名や名前だけ、あるいは一言メッセージならばいいが、封のしてある手紙だと告白の呼び出しの可能性が高い。それに気づかず放置してしまい、翌日その女子に「どうして来てくれなかったの」と泣かれた過去が雪男にはあった。
 残りのチョコレートを分類しいながら「ちゃんと読んどけ」と促せば、弟は椅子に腰を下ろしながら「えー」と声を上げる。それでも手紙を開いたのは、やはり過去の苦い経験が故であろう。

「…………」
「……ほらみろ、告白ラッシュじゃねぇか」

 放課後中庭で待ってます、教室へ行きます、返事ください、そんな文句が並ぶ手紙を前に、雪男は心底面倒くさそうに顔を顰める。

「その気がねぇならちゃんと断ってこい、チョコも返した方がいいかもな」

 そう言う燐の耳に「めんどくさ」とぼそり呟く声が届いた。紛れもない弟の本心は、若干遠巻き気味に兄弟を見ているクラスメイトたちの耳には入っていないだろう。

「殴るぞ、てめぇ。こっちのチョコは部屋に持って帰っといてやるから行ってこい」
「………………」

 弟をよく知らないものが見れば、いつもと変わらぬ表情に見えるかもしれないが、明らかに機嫌を害した顔をしている。「ふてくされんな、ガキかお前は」とその額を叩いてみるが、雪男は口を開こうとしなかった。
 興味のないことにはとことん面倒くさがる性格な上、臍を曲げたら元に戻るまでに時間が掛かる。そんな雪男の性格を誰よりも知っているのは燐なのだ。
 はぁ、とため息を一つついて口を開く。

「ひとの気持ちを大事にできねぇやつは兄ちゃん、嫌いだなー」
「…………」

 嫌い、という言葉にわずかに雪男が反応を示した。机の上に残っていたチョコレートの仕分け作業をしながら、燐はさらに言葉を続ける。

「雪ちゃんはそういうやつじゃねぇって、兄ちゃんは知ってるけどなー」

 高々数時間の差で兄貴ぶるな、とよく弟の口から零れているが、それでも実際燐が兄として振る舞う姿を雪男はどうも嫌がっていない節がある。そうでなければ双子で同じ年なのに燐を『兄さん』と呼び続けるはずがないだろう。
 燐以上に大きなため息をついたあと、「雪ちゃん言うな」と返した雪男はようやく分かったよ、と肯定の言葉を口にした。

「せっかく兄さんと帰ろうと思ってたのに」

 塾もないのだから一緒に寮へ戻ろうと考えてくれていたらしい、そうできたら燐も嬉しかったが、こればかりは仕方がない。「良い子だ」と笑えば、眉を顰めた雪男に睨まれてしまった。

「ほんと、そういうところは父さんにそっくりだよね」

 雪男の言う「そういうところ」がどういうところなのか燐にはよく分からなかったが、養父に似ていると言われて悪い気はしない。そうかぁ? と首を傾げながら、持ち帰っても問題のないチョコレートを詰めた紙袋を手に取った。

「じゃ、こっちは部屋に持って帰っとく」
「うん、ありがと」

 ごめんね、と謝罪を口にする雪男へ気にすんな、と笑ったあと、「あ、そうだ」と燐は腰を折って雪男の耳元へ口を近づけた。

「さっさと終わらせて帰ってきたら、本命チョコが待ってるかもしれねぇぞ」

 こっそりと他の誰にも聞こえないほどの声量でそう告げ、「え、それって、」と弟から何か尋ねられる前に「じゃあな」と背を向ける。そのままさっさと教室の出入り口へ歩を進めていれば、後ろの方からがさがさがさ、と広げていた手紙やチョコレートを片づける音が響いてきた。続いてがたん、とイスから立ち上がる派手な音、鈍い音が重なったのは慌てているせいで膝を机にぶつけでもしたのだろう。

「――すぐ帰るからっ!」

 放たれた言葉に振り返らずひらひらと手を振って答えた燐の耳が真っ赤に染まっていることに、聡い弟は気がついているのかもしれなかった。




ブラウザバックでお戻りください。
2012.02.14
















毎年やり取りしてるくせに、毎年照れて、毎年大喜びするツインズはどこですか。