ヒトに戻る方法


「ん」

 唐突に差し出されスティック状のチョコレート菓子。作業の手を止め、それを持つ人物を見上げる。赤い箱を手にした兄は何の説明もすることなく、ただ黙って菓子を弟に突きつけていた。

「……」

 好意に寄るお裾分け、という様子には見えない。彼の中でどんな思考が展開された結果が故の行動なのか。かり、と素直に歯を立てて受け取っておきながら考えるが、何せこの兄のこと。考えたところで彼の意図を察することはできないだろう。かりかりかり、とチョコレートのかかったスナックを齧れば口の中に広がる甘さ。菓子など久しぶりに食べたかもしれない。

「ん」
「…………」

 食べ終わるまでじっと側で待っていた兄が、二本目のそれを差し出してくる。本当に意味が分からない。分からないながらも、思わずぱくりと咥えてしまうのはもはや習性かもしれなかった。かりかりかりかり、齧りながら兄を見つめる。理由を問う視線に燐も気づいていないはずもないだろう。
 ん、と差し出された三本目。こうなったらどちらが先に意味のある言葉を発するか、我慢比べでもしてやろうか。考えながらぱくり、とチョコレートでコーティングされたスナックを咥えた。四本目まで食べ終え、五本目に歯を立てたところで「この間さ、」と、そこで初めて燐が口を開く。
 内心「勝った!」と思ったことなどおくびにも出さず、かりかりと菓子を齧りながらうん、と頷いて続きを促した。

「CM、見たんだ」

 それは兄の持つチョコレート菓子のコマーシャル。人気アイドルグループのメンバを使ったストーリィ仕立ての、ひとりの男と神と思わしき老人が登場するもののことだろう。雪男も何度か目にしたことがあるため覚えていた。
 強欲のあまり悪魔に姿を変えられた男へ神は言う。

『ひとと分け合えば人間に戻してやろう』

 そこでそのチョコレート菓子を手渡されるのだ。
 もちろん、フィクションにリアルを持ち込んでどうこう言う趣味はなく、作りものは作りものとして楽しめる余裕は持っているつもりだ。だからそのコマーシャルを見たときも特別な感想は抱かなかったのだけれど。
 かりかりかりもぐもぐごっくん。
 口の中のものを咀嚼し終えたタイミングを見計らい、「ん」と差し出される六本目。

「……こんなことで人間に戻れるなら、祓魔師、要らないよね」

 そう呟いてぱくり、とスナックに噛り付いた。俺もそう思う、と返答を寄越した燐は小さく笑っているようだった。
 かりかりかり、とまるで親鳥から餌を与えられている雛のように菓子を食べる弟を見下ろし、「ただ、さ」と悪魔である双子の兄は静かに言う。差し出された七本目。

「人間の身体に戻るとか、そーゆーんじゃなくってさ」

 チョコレート菓子を分け合えば人間に戻れる、などということを考えているわけでもなく夢見ているわけでもない。ただこうして悪魔である自分が手にした菓子を、何の疑いもなく、戸惑いもなく口にしてくれる。受け取ってくれる。分け与えられてくれる。そのことが。

「俺、まだ、ニンゲンなんだなぁ、って」

 そー思えるよ、と紡ぐ声はとても柔らかで、とても甘くて、そしてひどく寂しそうだった。
 差し出された八本目。今度は素直に口には入れず、菓子を支えていた兄の手ごと握ってチョコレートへ歯を立てる。かり、かり、と殊更ゆっくり齧り、すべて食べ終えた後、菓子を摘まんだ形のままだった燐の指を口に含んだ。

「雪男、」

 それ、兄ちゃんの指なんだけど、という言葉を無視して吸い上げれば、握ったままだった燐の手が震える。舌先に触れる兄の指。

 甘い。とても、甘い。

 そう感じるのは、まだ舌にチョコレートが残っているせいだろうか。あるいは誰よりも大切で愛おしいひとの肌を味わっているからだろうか。それとも、この指が人間を堕落へ誘う悪魔のものだからだろうか。
 最後にちゅる、と音を立てて吸い上げてから名残惜しげに口を離せば、唾液で光る己の指を燐が困ったように見下ろしていた。その顔が好きだな、とごく自然に思う。
 本能に従って腕を伸ばし、双子の兄の顔を引き寄せて下から唇を押し当てた。
 分けてくれるなら、と唇が触れるほどの距離で囁く。

「お菓子より、こっちの方がいいな」

 もっと一杯食べたいんだけど、と弟の顔をして、普通兄とはしないことをねだれば、僅かに間を空けたあと燐は、しょーがねぇなぁ、と兄の顔をして、普通弟とはしないことを許可してくれた。




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2013.07.16
















11月11日。

Pixivより。