ヒトを慈しむ方法 燐の双子の弟は器用だけれど、とても不器用なひとだった。予定を詰め込む姿は生き急いでいるようで、その身を案じる側としてはもっとゆっくりでいいのに、と思ってしまう。けれどそのまま口に出せば、「そんな呑気なこと言ってられるの?」と怒りを向けられることも分かっているため、黙ったまま勤勉な弟を見ている。 見ているからこそ、ああそろそろだな、という時期も分かるというものだ。 「あ、これこの間作ってたやつ?」 僕この炊き込みご飯好きだな、と言いながら箸を進める弟の前に、ぶりの照り焼きの乗った皿を置く。ほたてとほうれん草の炒め物にブロッコリーのマヨネーズ焼き、ふろふき大根、キュウリのピリ辛漬け、汁物としてイワシのつみれ汁。育ちざかりの高校生ふたり(と猫又一匹)の食事であるためそれなりにボリュームがあっても訝しがられない。大根とキュウリはそれぞれ昨日の残りであるため、冷蔵庫の残り物処理として食卓に乗せた。 「お腹いっぱい。ちょっと食べすぎたかも」 好きなものばっかりだったから、と部屋に戻り、腹を摩りながら弟は苦笑する。それも当然だ、そうなるように燐が仕向けたのだから。 「そういや、しえみからハーブ貰ったんだよ。ハーブティーって胃に良いもんもあるし、飲んでみるか?」 自分のを用意するついでに、と誘いをかければ、「じゃあもらうよ」と素直な返事があった。もらいものだからハーブの種類は分からない、という説明を弟は疑わない。普段の燐の記憶力からすればそれもまた仕方ないと思われているのかもしれない。手渡したカップから上る湯気に、「いい匂いだね」と雪男は笑う。 リンゴのような甘い香りのするそれが何であるか、本当は知っていた。むしろ種類を指定して友人からもらい受けたのだ。ハーブだって立派な食材の一種である、その名前や効能を、料理に関してだけは記憶力のいい燐が知らないはずがないではないか。それがカモミールティーであることを言えば、薬草に詳しい弟がその効能に思い至ってしまうのではないかと危惧して黙っているだけのこと。 甘い香りの漂う部屋の中、モニタに向かって作業をしている弟と、ベッドに寝転がり、読んでおいてと言われた塾の教本を眺めている兄。燐の背中の上では猫又が丸くなって惰眠をむさぼっていた。 背中に掛かる重さと温かさを享受しながら時折雪男の方に視線を向ける。いつもならばカタカタと早いリズムでキーボードの上を滑る指先だが今日はどうにも止まりがちで、あまり捗っていなさそうだとその背中を見ながら思った。 「雪男、先に風呂、行ってくれば?」 集中力が途切れがちであること、それを兄にも気づかれていることを、雪男もまた自覚しているのだろう。眼鏡を押し上げて眉間を揉みこんだあと、くるりと首を回して関節を鳴らす。 「そうだね、ちょっと気分変えた方がよさそう」 そうさせてもらうよ、と着替えを手に風呂へ向かった弟を送って、もう一杯、お茶を入れに厨房へと向かった。同じハーブを使って、今度はミルクティーにする。要らなけりゃあとで俺が飲むから、と言い置いて雪男と交代で風呂へ向かい、若干温めの湯を堪能して部屋に戻ってきたときに展開されていた光景は燐が望んでいたとおりのもので。 「おーい、ゆきおー、」 眠いならもう寝ろよ、と呼びかけても、机に頬杖をついてうつらうつらとしている弟は「んー……」と生返事をするばかり。側には空になったミルクティーのカップがあった。おそらく今日予定していた部分まで作業が進んでいないのだろう。だからまだ休めない、という意識がある。けれど、既に彼の脳は完全に睡眠モードへ移行を始めており、結果こうして時間を無駄にしてしまっているのだ。 「ゆーきちゃん、ほら、」 もう寝ようぜ、と手を握って移動を促す。腕を引いて弟を導く先は当然雪男のベッドであるが、そこは既に燐の分の枕と一向に起きる気配のないクロの移動が完了している状態だった。 「なんで、こんな、眠いんだろ……」 分からない、と横になりながら首を傾げる雪男に「疲れてんだよ」と答え、燐もまた弟の隣へと潜り込む。随分と背が伸び、がっしりとした肩幅に広い背中と男らしく育ってしまった弟だったけれど、抱き込む頭の形は昔から変わらないなとそう思った。 ぽんぽんとあやすように背中を撫でていれば、眼鏡を外して無防備な顔をした弟が、ほとんど開いていない目を燐に向けてくる。 「きょうは、いっしょに、ねるの?」 完全に意識が睡魔に捕らわれているようで、幼い口調で問われた言葉に、同じほど幼い声音で「うん、いっしょにねる」と答えた。にへら、と嬉しそうに笑う弟に心臓がきゅう、と締め付けられる。 若干の食べ過ぎを促すかのように好物ばかり並ぶ食卓も、リラックス、安眠効果をもたらすお茶を入れたのも、風呂にいつもより温めの湯をはったのも、すべてはこのような弟を見たいがために巡らせた策だったのだ、とばらせば雪男は怒るだろうか。 不器用な彼は己の限界を超えてまで走ろうとする。だからときどき、彼に気付かれないようにブレーキをかけてやるのだ。 「おやすみ、りんちゃん」と半分眠りに落ちながら告げられた言葉に、「ゆきちゃんも、おやすみ」と返す。きっとこの可愛い弟は、明日の朝「どうして兄さんが僕のベッドで寝てるの」と眉間に皺を寄せて文句を言うだろう。それに「わり、寝ぼけてたみてぇ」と適当に答える自分を想像しながら、前髪を避け現れた額に唇を落とす。 どうか、愛しい愛しい弟に安らかな眠りが在らんことを。 ブラウザバックでお戻りください。 2013.07.16
11月23日。 Pixivより。 |