ヒトと安らぐ方法


 長風呂の師匠と呼ぶべき三輪子猫丸からのアドバイス。

「好きな音楽聞いたり好きな本を読んだり、好きな飲み物や食べ物を持ち込んでみたり楽しみ方はいろいろですよ。でも熱すぎるとのぼせますし、温めのお湯で風邪引かんよう、浸かってくださいね」

 ということらしいので、さっそく長風呂を楽しむべくアドバイスに従ってみることにした。
 まず好きな音楽。ポータブルプレーヤーは持っているが、湿気の多い場所に持ち込むのは少し怖い。風呂に入りながらゆっくり耳を傾けたい曲というのも正直ぴんとこないものがある。もともと音楽というものにあまり興味がないのかもしれない。料理をしながらだとか、掃除をしながらだとか、ふとした瞬間に零れる鼻歌が大体聖歌であるのだから笑えるものだ。燐の中で眠っている血のことを知っていただろうに、どうして養父は聖歌など歌わせたのだろう。少しでも悪魔の血を押しとどめるためだったのだろうか。(そんな疑問を獅郎が聞けば、「チビ聖歌隊の服が可愛かったからに決まってんだろーが!」と胸を張って言い切るだろう。)
 ひとまず好きな音楽は持ち込む手段がないため諦めることにしよう。なんなら、風呂の中で自分が歌う、という手もある。(きっとそれも聖歌になるだろうけれど。)次に用意すべきは好きな本。当然漫画雑誌、という選択肢になるわけだが。

「……いや、怒られるだろ、これ」

 その雑誌が自分のものであるならいざ知らず、弟の持ち物である。それを風呂場に持ち込むなど、雷が落ちるに違いない。大体風呂で本を読むなんて、紙が湿気でぐにゃぐにゃになってしまうではないか。誤って湯船に落としでもすれば、その本は再起不能になる。そんなリスクを冒してまで読みたい本、あるいはそんなリスクに晒しても惜しくない本など燐には思いつかなかった。個人的には祓魔塾の教科書あたりがいいかな、と思うが、きっと「長風呂を楽しむ」というコンセプトからは大きく外れてしまいそうなので却下の方向で。

 そうなればあとは好きな飲み物、食べ物ということになるが、ゴリゴリくんを持ち込めば風呂を楽しんでいる間に液体へクラスチェンジしているだろうことは想像できる。ここは素直に始めから液体のものを持ち込んだ方がいいだろう。といっても、厨房の冷蔵庫の中にあるものといえば牛乳とお茶、ミネラルウォーターくらいのものだ。牛乳はどちらかといえば風呂上りに飲むべきもので、持ち込むものではない。少しだけ考えて、同じく冷蔵庫の中にあったレモン果汁にハチミツと砂糖を加え、ミネラルウォーターで冷たいレモネードを作ってみた。
 氷水を張ったボウルにレモネード入りペットボトルとミネラルウォーターのペットボトルを入れ、タッパーには昨日作ったミニマフィン。
 天然塩で身体に良いらしいですよ、と三輪から少し譲り受けたバスソルト。余計な香りがしないため、飲み物や食べ物を持ち込んでの長風呂をするときに重宝するらしい。温めに張った湯に塩を振り入れ、着替えとタオルも準備万端。冷蔵庫の中には風呂から上がったとき用に桃風味のフルーツ牛乳(これも手製だ)が冷やしてある。完璧だ。
 これできっと今日は良い風呂が楽しめるに違いない。



「………………で。だから、何で僕まで?」

 湯船のすぐ側、用意していたグラスに冷たいレモネードを注ぎ、ミニマフィンを口の中に放り込んで満足そうな笑みを浮かべる燐とは対照的に、隣に腰を下ろす弟は不機嫌そのもの。珍しく手持ちの作業をすべて終え、残る時間は娯楽に使おうと漫画雑誌を読んでいたところだったのだ。夕食後ばたばたと寮内を走り回っていた兄が突然部屋に戻ってきて、そのまま風呂場に拉致された。一体何がどうした、と思っている間に服をはぎ取られ、浴室へ追い込まれ、今に至る。

「や、だって、今日『良い風呂の日』じゃん?」

 十一月二十六日。語呂合わせで日本浴用剤工業会が制定したらしいけれど、正直雪男にとってはそれがどうした、レベルの出来事である。
 説明になってない、と眉を寄せて兄を睨めば、「ほら」と水滴の付いたグラスを差し出された。うっすらと黄色みがかったそれは程よい酸味と甘みを纏わせた、のど越しの良い飲み物である。こんなものでは騙されないぞ、と思いながらも、続いて差し出されたタッパーの中から一口マフィンを摘み上げて、「だから?」と続きを促す。うん、これも美味しいけれど、こんなものでは騙されない。

「だから、良い風呂に入ろうと思って、子猫丸にいろいろ聞いたんだよ」

 友人の説明を燐なりに解釈した結果、要するに、風呂場に好きなものを持ち込んで楽しめばいい、という結論に至ったという。
 それはいい。そのために食べ物や飲み物を持ち込むのも好きにすればいい。片づけさえしてくれたら(言うとつけあがるため言わないが、そういう点に関しては燐に限ってやりっぱなし、出しっぱなしということはありえないとは思っている)、好きに過ごせばいいと思う。
 ただ、どうしてそれに自分が巻き込まれているのかが分からない。
 変わらず眉間に皺を寄せたままの雪男へ視線を向け、兄は楽しそうに笑って言った。

「で、持ち込んでみた」

 俺の好きなもの、と燐が指さした先にあるもの。
 己自身に突き付けられた指先から視線を逸らし、くそ、と呟いた弟を前に、兄が上機嫌のまま口ずさんだものはやっぱり聖歌だった。




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2013.07.16
















11月26日。

Pixivより。