ヨンパチ。



 正十字騎士團日本支部は正十字学園の内部にある。学園に通う一般生徒には知られぬよう、それでいて堂々と存在するその建物内では、日本各地の悪魔に関する情報、祓魔の依頼、所属する祓魔師たちの管理がなされており、訓練室や資料室、医務室といった必要な施設もすべて揃えられていた。主要都市にも地域支部は設けられていたが、称号の認定や昇級はここでしか行っておらず、日本を拠点とする祓魔師ならば誰もが一度は訪れたことのある場所である。
 日本各地から集まった祓魔師たちが気楽に情報を交換できるように、身体を休めることができるように、交流ができるようにという計らいなのか、その建物一階、正面入り口を入ってすぐ右側には広めのラウンジが設けられていた。軽食を取ることもできるそこで待ち合わせる祓魔師も多く、昼夜問わず誰かしらがいる空間だ。
 その一角で異様な雰囲気を放っている集団が、ある。
 いや、異様なのは彼らのせいではないだろう、むしろ彼らを取り巻く周囲の視線が異様なのだ。といってもそれは決してマイナスな意味ではなく、注がれる視線や意識の九割は憧れや尊敬といった感情が含まれているものだった。

「ほんっとに! もうすぐ二十五になろうってのに未だにアレって、信じらんない!」

 腕を組み、そう言い切ったのは艶やかな黒髪を後頭部で一つにまとめあげ、白い項を惜しげもなくさらしている女性。特徴的な形の眉の間に皺を寄せ、ほんと信じらんない、と彼女、神木出雲はそう吐き捨ててアイスコーヒーのグラスを手に取った。無事に手騎士の称号を得た彼女は高校卒業後は大学に進学、神道に関する勉学に励みながらも祓魔師として任務をこなし卒業、現在は上二級の祓魔師として活躍している。

「全然見たこともないような祓魔師に泣きつかれて、現場に駆けつけるこっちの身にもなってもらいたいわ」

 うちの使い魔に無駄に仕事させちゃったわよ、とぶつぶつと文句を紡いでいる原因は、先日彼女の身に起こった出来事である。決して初めてのことではないはずなのに、毎回怒って、それでもきちんと手を貸してあげるあたりが出雲ちゃんらしいなぁ、と隣で耳を澄ませていた杜山しえみはうふふ、と笑い声を零した。
 聞き留めた彼女から何よ、と睨まれ、昔の自分だったら首を竦めて謝っていたかもしれない、と思う。けれど、今は出雲が本気で怒っているわけではないことを知っている。知ることができる程度には彼女とのつきあいもある。だからもう一度ふふ、と笑って、「私も一緒」としえみは言った。

「報告書出しにたまたまここに来てたんだけど、佐原さんって知ってる? 医工騎士で上二級の」

 しえみの言葉に、ああ、と頷いて見せる顔がいくつか。

「あの人に今すぐ来てください、って引っ張られて、連れていかれた先がもう大変なことになっててね」

 大変なこと、と言いながらも、彼女の口調や表情はむしろ楽しそうなことを語っているようだ。手騎士の称号を得た彼女は現在中二級の祓魔師であり、実家の手伝いをしながら任務に当たっている。そろそろ昇級試験を受けては、という話も上がっているようだが、本人としてはそれより先に医工騎士の称号を得たいらしく猛勉強中なのだとか。

「ふたりとも全然私の話聞いてくれなかったから、にーちゃんにおっきくなってもらって、いい加減にしなさい、って怒っちゃった」

 どちらかと言わずとも、普段の彼女はおっとりとしており、あまり感情を高ぶらせることはないタイプである。そんなしえみが怒った、というのだから、状況は推して知るべきものだったのだろう。あはは、と笑ったのは、しえみの向かいに腰を下ろしていたメガネで坊主頭の小柄な男、三輪子猫丸だ。

「僕も、やったことは杜山さんと同じようなことです」

 ただ僕の場合はふたりをとめるために聖水使わしてもらいましたけど、と悪びれず言う彼へ、「えげつないことすんなぁ、子猫さん」と左目の上に傷を持つ幼なじみが呆れたように言った。
 詠唱騎士である三輪は、直接的な攻撃手段をほとんど持たない。任務に当たる際も騎士や竜騎士と組まなければまともに役に立たないが、誰よりも早く、誰よりも的確な致死説を唱えることができる男だ、と日本支部の中では有名になりつつある。また大学で外国文学を専攻していた関係で己が唱える聖典についての造詣も深く、祓魔塾での聖典学講師も同時に任っていた。

「さすがにちょっと申し訳なく思うたんで、そのあとは二時間ほどで解放してあげました」
「……二時間、何してたのよ」
「御仏の説法を。僕としてはもう二時間くらいはお話できましたけど」

 出雲の言葉にさらりと答えた三輪へ、「三輪くんらしい」としえみが笑う。

「やー、俺にはそんなん無理ですわ。ふたりの攻撃避けるだけで精一杯で、どないかしようとか、もう全然」

 ふひぃ、と妙なため息を吐きながらそう口にした彼、志摩廉造は学生時代華やかに染めていた頭を、落ち着いた茶色にしていた。どうして黒に戻さないのかを問えば、「柔兄と被るやん」ということらしい。

「なんや、俺がうろちょろしとるだけで気ぃ散るとか言われて、最終的にはふたりいっぺんにこっち向こうてくるんすわ。どないかなりませんかね、あの双子」

 そんな志摩へ呆れたような視線を向けたのは、もうひとりの幼なじみ、明陀の次期座主、勝呂竜二である。

「ふたり同時に向こうてこられて、生きとるだけでも十分や」
「いやいや、せやから、死ぬ気で避けまくっとるんですって」

 志摩は慌てて手を振ってそう言うが、それが言うほど簡単ではないことをここにいるものたちは誰よりもよく理解していた。

「ほんと、すごいね、志摩くん」
「さすが『神回避』」

 心の底から感心して紡がれたしえみの言葉の後に、出雲がぼそりとそう付け加えた。
 学生時代の目標通り、なんとか詠唱騎士の称号を得たは良いが、どうにも記憶力や判断力が伴わず、志摩は結局騎士の称号も得ている。要するに、志摩家の男としてあるべき姿に収まっていた彼だが、祓魔師仲間の間では『絶対に死なない男』として有名であった。それは偏に彼の回避能力の高さに寄るものが大きく、どれほど優れた銃火気の使い手であろうと、体術の使い手であろうと、剣の使い手であろうと、その攻撃を志摩に食らわすのは至難の業なのである。しかしだからといって、志摩自身が攻撃に特化しているわけではなく、むしろ逃げることだけでほかは何も手につかないことのほうが多い。故により厳密に彼を表すならば、『絶対に負けないが、勝てもしない男』ということになるだろう。
 出雲の言葉に志摩は「そりゃ、人生かけて面倒ごとから逃げてるようなもんやからね」とまったく自慢にならないようなことを口にした。

「坊みたいに、ふたりに銃弾ぶち込めるような度胸もありまへんし?」

 にや、と口元を歪めて放たれた言葉に、「ちゃんと急所は外しとるわい」と勝呂が嫌そうに顔を顰めて返す。彼もまた目標通り詠唱騎士と竜騎士の称号を取り、大学で宗教学や民族学を学びながら悪魔祓いの任についていた。優秀な彼らしく現在は上一級にまで昇り、日本支部内だけでなく海外でもまた活躍している。

「……急所狙っても良いのに」

 ぼそりと呟かれた言葉に「出雲ちゃん」としえみが苦笑を浮かべるが、「狙うても死なんやろ、あいつらは」と勝呂は吐き捨てた。

 ふたり、あいつら、あの双子、そう呼ばれている対象はもちろん、彼らのよく知る兄弟である。高校の時からのつき合いである双子の兄弟はもともと、兄の方だけ悪魔の(しかも魔神の)血を継いでいた。しかし正十字学園町全体を巻き込んだあの事件をきっかけに弟の方も目覚めてしまい、今は悪魔と人間のハーフである双子の祓魔師として揃って騎士團で任務をこなしている。
 あの一件で一度は降格した双子の弟の方、奥村雪男は持ち前の生真面目さと勤勉さを発揮してすぐに元の階級を取り戻し、それどころか詠唱騎士の称号を得て、今は上一級にまで昇級していた。悪魔として目覚めたことの影響なのか、周囲の状況が変わったことが原因なのか、講師として出会った始めの頃に比べ、ずいぶん雰囲気が柔らかくなった、というのがここにいる皆の一致した意見である。どんな心境の変化があったのかは分からないが、表面上は穏やかであってもどこか一線を引いたような態度を崩さなかった頃よりも、今の方が断然親しみやすく好感が持てるのは間違いない。
 対する双子の兄、奥村燐の方はといえば、炎をコントロールする力を身につけたあと無事に騎士の称号を得て、現在は上二級の祓魔師である。年を重ねて多少落ち着きが生まれてはいたが、あの前向きさ、賑やかさ、短絡さはそのまま変わっておらず、とんでもない失敗をよくやらかしているようだった。それでも彼が上二級にまで昇級しているのは、それに見合う実力があるということ、強く優しいその人柄に惹かれる人々が増え始めたことが理由であろう。医師免許取得のため弟が大学に通う間、じゃあ俺もなんかする、と今は祓魔師をしながら調理師免許を取るために頑張っているという話である。
 名実ともに日本支部の若きエースとされる彼ら双子は、各々の実力もさることながら、まるで台本でもあるのではないかと疑ってしまうほどに素晴らしいコンビネーション攻撃を繰り出すことでその地位を不動のものにしつつあった。他者の入り込む隙間などまるでない、実に完璧な、精錬された彼らの戦いは、それ自体がまるで一つの出し物、劇であるかのようで、目にしたものは瞬きも忘れて見入ってしまう、と言われている。
 が。
 大きな問題が、一つ。
 双子の兄弟はそこまで息のあったコンビネーションを繰り出すことができるにも関わらず、根本的な性格が真逆なのである。大ざっぱでずぼらな兄と、几帳面で神経質な弟。彼らの仲が悪いとは言わない、むしろ兄弟としてはあるまじき仲の良さだろうが、いわゆる「喧嘩するほど仲が良い」ということらしく、ふたり揃って任務に出かけた場合、五回に一回の割合で(もしかしたら三回に一回かもしれない)兄弟喧嘩に発展する。言葉の応酬で済むのならまだ良いが、大抵はそれぞれの武器を手にしている間に喧嘩になってしまい、討伐対象がいなくなったあとでもその得物をおろそうとしないのである。補佐として同行している祓魔師たちが声をかけて止まる場合もあれば、まるで聞いてくれない場合もある。双子の攻撃は互いにしか向けられないため命の危機を覚えることはないが、そのまま放置するわけにもいかず、慌てた祓魔師たちが泣きつく先。

「……ほんと、いい加減にしてほしいわよね」

 それが双子の兄の方と祓魔塾で同期であった人物たちである。弟の方はその時分には既に称号を得て祓魔師となっていたが、彼らの講師をしていたということもあり、悪魔の血を引く双子の兄弟と最も縁のある、親しい人間といえば彼ら同期生であった。
 同じ目標に向かって共に切磋琢磨した、といえば聞こえは良いが、それぞれに個性の強い面子であるため、時には酷くぶつかりあいもしたし、長く顔を合わせない時期もあった。けれど十年経った今でもこうして集まっている程度には、互いを友人として、仲間として認めあってはいるのだ。
 双子の喧嘩が止まりそうになければ、一度支部に戻って同期のうちの誰かを連れてくれば良い。それが日本支部における暗黙の(というには少々大っぴらにされすぎている)了解である。
 祓魔塾がこの地に開塾して以来四十八回目の入塾生であるため、ちょうど彼らが塾に通っていた時代に流行っていたアイドルグループになぞらえ、「NFJ48(日本支部祓魔塾四十八期生)」と呼ぶものまで出てくる始末。しかしそれを耳にし盛大に機嫌を損ねるものがいたため(主に寺の跡取りである彼と、神社の巫女の血筋にあたる彼女のふたりである)、結局数字の部分だけが通称として残った。
 暴走ツインズと頼もしきそのストッパー。
 そんな若き祓魔師たちを日本支部の者たちは尊敬と憧れと、若干のからかいを込めて「ヨンパチ」とそう呼んでいる。

 いくら同期とはいえ、年中人手不足の祓魔師という職についているため、そうそう一同が会することはない。それが揃ってラウンジにいるものだから、思わずそちらを伺ってしまうのも仕方がないと言えよう。ちらちらと送られる視線に気づきながらも無視をするもの、好みの女性にのみ手を振るもの、全く気が付いていないものと反応は様々であるが、ひとまず彼らは互いの近況を報告し合っていた。その中で当然のように話題に上るのが、彼らの絆をより強固のものとさせている原因である双子の兄弟のことである。
 最近如何に双子の迷惑を被ったかを怒りを混ぜつつ、ため息と共に、それでも決して嫌だとは思っていない様子で各々口にし合っていたところで、「で、その本人らはいつ来んねん」と勝呂がくるり、とあたりを見回した。そこで「あ!」と声を上げたのは、今でも日常生活では和装で過ごしているしえみである。塾生のころは柔らかな水色やピンクといったカラーを中心とした着物を纏っていたが、今日は濃い茶と鮮やかな緑という少し渋めの色合いの着物だった。

「ごめんなさい! そういえば、直接家まで来てってメール貰ってた!」

 忘れてた、と言う彼女の額を「早く言いなさいよ!」と出雲が平手で叩いた。
 彼らがここに集まったのはもちろん偶然ではない。それぞれ別個で顔を合わせたときに、今度忘年会をしよう、新年会をしよう、誰々の誕生会をしよう、昇級祝いをしよう、とそれぞれに騒ぐ口実を見つけて口約束を交わしていたのだが、忙しくてなかなかそれが実現しなかった。数年越しでようやく皆の休みを合わせ、明日を気にせずに飲んで騒ごう、と計画された日が今日なのである。居酒屋にでも繰り出すものだと思っていたが、この流れだとどうやら奥村兄弟の部屋での宴会になるようだ。

「まあまあ。少し時間経ってから行った方が、準備とかできててええんちゃいますか?」
「せやな。久々に奥村くんの飯、食えそうやし」

 笑って言った三輪へ、学生時代に何度か相伴に預かっている志摩が嬉しそうに言った。
 がたがたと腰を上げながら移動を開始する彼らを、周囲のものたちはひそひそと囁きながら、あるいは無関心を装いながらも視線で追いかける。そんな視線などまるで気にする様子もなく、「ほな、なんか買うてくか」「要るものとかあるかしらね」「私、電話してみる」と彼らはラウンジを出て行った。
 人々が恐れる魔神の血を継ぐ双子の兄弟は、青い炎のことも含めそれなりに遠巻きにされる存在であり、そんな彼らと友人であるからこそ自分たちもこうして若干噂をされるような立場にあるのだ、と五人ともそう思っている。もちろんそのことに文句を言うつもりはなく、兄弟の友人をやめるつもりは欠片もない。しかし五人は気づいていない。そもそもあの双子の悪魔へ、なんの遠慮もなく攻撃を繰り出したり、間へ割って入ったり、正座をさせて説教をかましたり、常人では決してできないようなことを平然としてのけること自体、周囲から見れば遠巻きにしたくなるような行動なのだ、ということに。
 残念ながら、あるいは幸いなことに、誰一人、気がついていなかった。


**  **


「つーか、俺らの攻撃を全部避けっからムカつくんだよっ!」

 程よく腹が膨れ、程よく回ったアルコールに、頬を赤らめながらだん、とテーブルを叩いて叫ぶのは暴走ツインズの兄の方である。

「せやって、避けな俺、死にますやん!」
「俺だけならまだしも、雪男もいんだぜ? 俺ら、これでも支部ん中じゃ負けなしとか言われてんだぞ!? その俺らの攻撃が掠りもしねぇとか!」

 マジ信じらんねぇ! と怒鳴る燐の側で梅酒の缶に口を付けながら、「まあ一度くらいは当ててみたいよね」と雪男も頷いて同意を示す。

「いやいやいや、だから! 死ぬ言うてるやん!」
「んー、志摩さんやったらそう簡単には死にまへんやろ」
「え、子猫さん、それどゆ意味!?」
「しぶといって意味でしょ」
「出雲ちゃん!?」

 褒められているのかけなされているのかいまいち分からない言葉に、志摩がひどい、と声を上げる。そんな友人を指さしてけらけらと笑っていた燐だったが、「っていうかあんたたちもね」と出雲に睨まれぴたり、とその笑いを治めざるをえなかった。

「いい加減、毎回毎回兄弟喧嘩するの、止めてくれない?」

 ほんといい迷惑なんだけど! と怒られ、面目ない、と兄弟そろって頭を下げた。

「でもだって雪男が!」
「何で僕のせい? 大体原因は兄さんが、」
「だから! それを止めろって言ってるんでしょうが!」

 さらに声を荒げた出雲と奥村兄弟を見やり、「仲良しだねぇ」としえみが笑う。

「みんな、仲良しがいいよねぇ」

 うふふ、といつも以上におっとりとした口調で言う彼女へ、「杜山、だいぶ酔うてへんか」と勝呂が心配そうに声掛けた。

「酔ってなんかないよぉ。全然平気ぃ、あと三合くらいは飲めるよ?」
「いや、酔うてるやろ、どう見ても」

 額を押えてそう言った勝呂は、「気分悪ぅなる前に言いや」としえみの頭を軽く撫でる。彼女自身もいい大人だと分かってはいるのだが、どうにもこの雰囲気を前にすると世話を焼きたくなってしまうのだ。
 そんなやり取りをしている側では、「奥村くん、また料理の腕、上げはった?」「え、分かる? 分かる? さっすが子猫丸!」と三輪の褒め言葉に燐がばたばたと尻尾を振って喜んでいる。飲み物類は購入してきたものだが、机の上に並んだつまみはほとんど燐の手に寄って作られたものだ。調理師の資格を取ろうと頑張っているだけあり、彼のその腕は味についても盛り付け方についても格段と上がっている。
 気の合う仲間たちと囲む、美味い料理に酒。状況としてはこれ以上にないほどに素晴らしいもので、自然話も弾み、場も盛り上がる。最近どんな任務をしたかという仕事の話題に始まり、まるで関係のないプライベートに関すること、ちょっとした愚痴から悩み相談、付き合いが長い分、そして現在それぞれ活動の場所が異なっている分話のネタは尽きない。

「最近はなかなか難しい生徒さんも多くて」

 そんな愚痴をこぼす三輪へ、現在は講師の任から離れている雪男がアドバイスを送ったり、志摩の回避術を少しでも身に付けたい、と燐がコツを聞いていたり、兄弟ふたりで暮らすには多少広めのリビングは、これだけの人数が集まって騒ぐにはちょうど良いくらいだ。昼夜関係のない職であるため、隣人に迷惑をかけぬようと防音もしっかりしてあり、少しくらい声を張っても問題ないというのもありがたい。
 アルコールに弱いという方ではないが、場の雰囲気にテンションが上がりいつもより少し回りが早いかもしれない。火照る顔をぱたぱたと手で仰ぎながら、水、と呟いて雪男は立ち上がった。そのままキッチンへ向かい冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。たっぷりと氷を入れたグラスに注いで一気に飲み干せば、少し頭がクリアになった気がした。そう思っていたところで、「すんません、俺にも水、貰えますか」とやってきた人物がひとり。

「ええ、どうぞ」

 新しいグラスを出して氷と水を注ぎ、勝呂に手渡す。

「向こうにも水、持って行っておきましょうかね」

 ペットボトルの水を見下ろしてそう言えば、「その方がええかもしれんですね」と彼もまた頷いた。
 既に講師と生徒という間柄ではなくなっているが、見た目にそぐわず真面目な彼は、今でも雪男を「先生」と呼び、敬語の姿勢を崩そうとしない。雪男の方もまた、基本的に敬語を崩していないためお互い様ではあるのだが。
 リビングとは続き間ではあるが、僅かな衝立があるため向こうの騒がしさは少し薄れて聞こえる。空気も温まったものでなくひんやりとしており、少し酔いを冷まして戻ろうと思えば、どうやら勝呂も同じような考えらしい。互いにもう一杯ずつグラスに水を注ぎ、「こうしてゆっくり話すのは久しぶりですね」と会話を交わす。

「そうですね。まあ、なんやかんやで顔を合わす機会は多い気もしますけど」

 それは勝呂もまた、兄弟喧嘩のストッパーとして駆り出されることがあるからで、含意されたことに気づいた雪男は「ご迷惑をお掛けしてます」と苦笑を浮かべて謝った。

「や、ええんです。なんや、神木もああしてゆうてますけど、たぶん、俺ら、誰ひとり迷惑や思うてませんから」

 それに、と言葉を区切った勝呂はグラスへ口をつけて澄んだ水を喉へ流し込んだ後、「弱みは一つでも多い方がええんでしょう」と視線を床に向けて静かに言う。

「……やっぱり、気づいてましたか」

 喉の奥で笑った後、「一応言っておきますけど」と雪男は言葉を続けた。

「兄はそこまで考えてませんよ」
「考えてたら俺の知ってる奥村とは別人です」

 きっぱり言い切られ、思わず吹き出してしまった。
 弱み、それはつまり魔神の血を引く兄弟を監視下に置くためのもの。こちら側にその気はないといくら言い張ってみても、簡単には敵意のないことを信じてもらえない。今のところはそれなりに自由が許されているが、いつどうなるか分かったものではないのだ。そのためにはできるだけ騎士團側へ弱みを見せぬほうがいい、そう考えるのが自然であろう。しかし最年少で称号を得た天才祓魔師は、そこで敢えて「特別な存在」を周囲に知らしめる方法を取った。誰にも止められないはずの喧嘩を止めることができるものたち、それはつまり、彼ら兄弟が言葉に耳を傾けるほどに「特別」なものたちということなのだ。
 有事の際、その特別な人間を盾に取れば兄弟に対し優位に立てるに違いない、とそう思われるのも当然のこと。もちろんそうさせるつもりは毛頭ないが、緊急時に取るべき手段がある、と思われていることが大切なのだ。そうすることにより、兄弟の自由がより約束される。

「君たちを危険な目に合わせることはありませんので」

 安心してください、と言えば、「や、それも正直どうでもええんです」と勝呂は顔を上げ、雪男へ視線を向けて口を開いた。

「俺ら、そう簡単にどないかなるようなタマやないですし、自分のことは自分でなんとかしますさかい」

 それは心強い、と笑った雪男へ、「舐めんといてください」と勝呂も強気に口元を歪めてみせる。
 そもそも勝呂自身、彼ら双子の兄弟のことが決して嫌いではないのだ。ただ青い炎を使えるからといって、その身体に魔神の血が流れているからといって、それだけの理由で彼らが虐げられ、蔑まれることに我慢がならないくらいには、彼らを好いている。だからそんなふたりのためであるならば、特別な存在とやらにいくらでもなってやろう、と思うのだ。

「まあ、悪い気ぃはしませんしね」

 あの双子の兄弟から特別視されている、その事実は上手く優越感を擽ってくれる。もちろんそのことを鼻にかけるつもりはない。雪男もまた勝呂にそのような気がないことを分かってくれているのだろう、「そう言ってもらえると気が楽になりますね」と小さく笑った。からん、とグラスを回して氷を鳴らした後、眼鏡の奥で瞳を伏せた彼はいつもの穏やかな口調のまま言う。

「……僕の方も、すべて演技というわけではないんですよ」

 信じてもらえないかもしれませんけど、と少し自嘲気味に続けられた言葉に、零れそうになったため息を呑み込んで「もし全部演技なら、」と勝呂は口を開いた。

「もうちょい早く銃をおさめてくれませんかね」

 いくらそういうポーズが必要だと分かっていても、そのたびに死にそうな目に合うのは割に合わない。そう文句を口にすれば、「それはそれで兄さんに負けたような気がして腹立たしいんで」と返ってきた。まったく悪びれた様子を見せない男に思わず眉間に皺が寄る。

「……ほんま、よう似た兄弟やな」

 いつかマジでドタマぶち抜いたろか、と吐き捨てられ、雪男は「できるものならどうぞ?」と笑った。その実力があるのなら、とでも言いたげなその笑顔にかちん、とくる。

「あんた、ほんまに……」

 ひくり、と口の端を引きつらせた勝呂はそこで言葉を切り、「奥村ぁっ!」と声を張り上げた。

「はい?」
「お前ちゃうわっ、兄貴の方や、兄貴のっ!」

 分かっていながらも返事をした雪男へ黙れ、と吐き捨て、未だ騒ぎの続くリビングへ足を向ける。

「おい、燐っ! お前の弟、ごっつ性格悪ぃなぁっ!?」

 どすどす、と足を踏み鳴らして荒々しく戻ってきた勝呂から突然名前を呼ばれたにも関わらず、程よく酔いが回っているため本人は気づいていないらしい。うはは、と笑った後、「生まれた時からだぜ、それ」と燐は自慢げに答えた。

「失礼な。僕にだって純真で真っ直ぐな子供時代があったよ」
「それつまり、今はそうじゃないってことじゃない」

 兄の言葉にむ、と眉を寄せて言えば、聞きとめた出雲の的確すぎるツッコミに咄嗟に何も言い返せなかった。うぐ、と唇を噛んだ雪男を置いて、「つーか、次からはマジで行く」と勝呂が息巻いている。

「殺す気で止めに行ったるわ、お前らどんどん喧嘩せぇ、俺が許す」

 そう言う男へ、「ちょっ、坊! 炊きつけんといてください!」と志摩が慌てて声を上げた。

「坊は良くても、俺ら死んでもうたらどないしてくれんですか!」
「お経くらいはあげますよ?」
「ちゃう! 供養してって意味やないよ、子猫さん!」
「わ、出雲ちゃん、これ美味しいよ」
「あんたちょっと飲み過ぎだって……どれ?」
「しえみと出雲は眠くなったら言えよ? 客間あっから」
「いつか絶対、その頭に穴開けてホクロ一個増やしたるわ」
「……勝呂くん、言ってはいけないことを言いましたね?」


 日本支部祓魔塾四十八期生、加え当時彼らを担当した悪魔薬学講師、同じ年齢である計七名の男女。
 各々祓魔師としてかなりの実力を有する彼らを、同支部に属する同僚たちは尊敬と憧れと、そして若干のからかいを込めて「ヨンパチ」とそう呼んでいた。
 最近はどうもストッパーの一部もツインズと共に暴走する傾向にあるようで、それを抑えるのもまた同じ「ヨンパチ」の仲間にしかできないらしい。面倒くせぇからてめぇらもう纏まって行動しとけよ、と近い将来正式なチームとして組まされ国内外問わず祓魔活動をする羽目になることを、この時の彼らはまだ知らない。
 もちろんチーム名は、推して知るべし、である。






ブラウザバックでお戻りください。
2012.07.19
















ツインズもおかしいけど、君らも十分おかしいからな、という。