ヨンパチ。(その4)


 ほとんど家族同然に育った幼馴染たちではあったが、さすがに高校卒業後までべったりとくっついていることもないだろう。目指した先にある景色は同じでも、それに向かう道は異なる。それぞれ別個の存在であるため、全く同じ道を歩くことなどできないのだ。
 だから正十字学園高等部を卒業し、男子寮を出ると同時に京都から出てきた三人組も、それぞれの進路に合わせた場所でひとり暮らしをすることになった。別に彼らと空間を共にすることが苦痛であったわけではないが、やはり若干の開放感を覚えるのも仕方のないことで、「これで好きに女の子呼べますわ」と笑って言ったことだけは覚えている。
 ほかふたりは大学で学びながら祓魔師をするというが、自分には到底そのようなことは無理だろうと志摩は端から進学するつもりはなかった。祓魔師一本に絞って実戦経験を積むにあたり、京都へ戻らなかった理由はいろいろあるが、一度くらいはひとりで生活をしてみたい、という気持ちも少なからずあったことは否定しない。今まで側にあったものが突然なくなったことに覚える空虚感はあっても、耐えられないほどではないだろう。そもそも幼馴染たちも同じ職場に勤めているのだ、まったく顔を合わせなくなるわけでもない。
 そんな予想は的中しており、傍迷惑な双子のハーフ悪魔のせいでなんやかんやと幼馴染たちと顔を合わせる日々。部屋を別にしたところでやはりさして変わらなかったな、とそう思う。
 友人たちが無事に大学を卒業し、祓魔師に専念するようになって数年。先日正式にチームとして活動するよう辞令がおりたが、そうなる前から似たような状態であったため生活に変わりはない。時々個人的な事柄で日常に波風が立ったりもするけれど、それだって、長いスパンで見ればさほど重大な事柄でもなかったりするのだろう。たとえその一時、無性に寂しさを覚えたとしても、それはすぐに記憶の彼方に押し込まれ、思い出としてかすかに残る程度になる。なってくれる、そのはずだ。


「あのぉ、一つ聞きますけどぉ」
 この任務、俺、必要です?

 今日は別に任務の要請を受けて支部に顔を出したわけではなかった。日本支部経理に提出すべき領収書の締め切りが今日までだったのだ。そのことを思い出した志摩が、装備らしい装備も持たぬまま領収書を出しにやってきたところ、「ちょうどいいところに」と双子の悪魔の兄の方に見つかったわけである。既に用事を済ませており、このまま部屋に戻るのもなぁ、と考えていたところであったため、どないしたん、とにこやかに返事をしたのが間違いだった。志摩よりも少しだけ背の低い童顔な友人の後ろに控えていたのは、その双子の弟(これは想定内である、そもそも双子が離れていること自体珍しい)と、幼馴染のうちのひとり。

「なんや、廉造やないか」

 お前今日休みか、と口を開いた友人、勝呂へ「まあ、休みですねぇ」とへらり、笑って答える。その応対もまた、間違いの一つだったのかもしれない。

「せやったらちょうどええ、お前も来いや」

 双子の兄悪魔と同じような誘い文句を放たれ、拒否する間も与えられぬまま連れられて行ったのは、魍魎(コールタール)の大量発生現場であった。
 菌類に憑依する悪魔、魍魎は悪魔界のなかでは最弱に位置するが、最多でもある。簡単な詠唱や薄い聖水でも祓うことのできる相手ではあったが、数が増えると厄介だ。しかしだからといって上級祓魔師が三人(志摩自身も入れたら四人も、だ)集まって対峙するような悪魔ではない。一体何事だ、と思っていれば、単純に大量発生の連絡を受けた支部長の目の前に、任務を終えたばかりの彼らがいただけのことらしい。正式に任務として要請を出すのも面倒くさい、と支部長が、「ちょっとあなたがた行って、ぱぱーっと祓ってきちゃってください☆」と直々に命を飛ばした。道化悪魔の口調とウインクする仕草を真似ての説明だったが、手先以外は不器用な燐では片目をかっこよく瞑ってみせることができず、ウインクはただの瞬きに成り果てていた。

「や、だから、燐くん、ウインクってのはこーやってな?」
「こうか?」
「あかんあかん、全然ちゃうわ」

 ばっちん、と効果音でも背負っているのではないかというような盛大な瞬きを繰り返す燐へ、どうすればウインクを理解してもらえるのか悩んでいる間に、頭脳労働組ふたりが大量発生した魍魎を封じ込めるための結界を張り終えている。あとは内部にいる魍魎を祓ってしまえばいいだけのことで、ここでやはり志摩は疑問を抱くわけだ、この任務に自分は必要だったのか、と。
 その問いに対する回答は三人そろって否、の一言。
 それならばどうして連れてこられたのか、志摩がそう首を傾げるのもある意味当然であり、「ぶっちゃけただの道連れ!」と燐が笑顔で答えた。

「いいじゃん、どーせ暇だったんだろ?」
「いやまあ、確かに暇でしたけれどね? 何これ、俺、ここで坊と雪くんが颯爽と詠唱する姿を眺めてればええのん?」
「自分が詠唱するって考えは?」
「あはは、燐くん、その冗談おもろいね?」
「おい、お前、詠唱騎士の称号、持ってんだろーが」

 そう言ってじっとりと睨みつけてきた燐は、「つか、今回は俺と雪男でやるし」とそう言葉を続ける。

「え、燐くんが? まさか、詠唱……」
「それこそ、何の冗談です?」

 兄さんが詠唱とかできるわけないじゃないですか、と言ってのけたのは当然その双子の弟である。ですよねー、と笑って同意すれば、無理だと言われた本人はぷくぅ、と頬を膨らませて不満を表していた。(が、言葉で反論してこないところを見ると、彼自身も無理だと分かってはいるのだろう。)

「とりあえず、おふたりは下がっててくださいね」

 そう言われ、己が主と(一応心のなかでは)定めている男を見やる。勝呂が小さく頷いたため、始めからこういう作戦でいくつもりだったらしいと知った。それならば(もともと参加するつもりもなかったが)志摩も大人しく引いて双子に場を譲るほかない。

「魔神の息子ふたりがかりで魍魎退治って、ずいぶん派手ですねぇ」

 どのように祓魔をするつもりなのかは分からないが、彼らは虚無界を統べる神の血を引く兄弟だ。どれほどの数であろうと、たかだか魍魎相手にどうこうなるとも思えない。双子の背中を見やりながらそう口にすれば、「派手にやられても困るわ」と眉間に皺を寄せたまま勝呂が言った。
 派手に、ということはつまり、燐の体内に燻る青い炎を使うということになるだろう。自分たちチームメンバは当然、支部内にも理解者は増えているとはいえ、やはりまだそれを忌避するものも多い。あまり目立つ使い方をしてもらいたくない、と勝呂はそう思っているのだろう。分からなくもないが、むしろだからこそ、その炎を完璧に使いこなしているのだ、それはただの祓魔の道具でしかないのだということを知らしめるために使っていくことも必要だろうな、と志摩は思っていた。
 結界内に閉じ込められた魍魎たちを前に、双子の兄弟は何やらこそこそと耳打ちをしている。作戦の細かな打ち合わせでもしているのかもしれない。
 しばらくして結界に向き合った燐が、背負っていた倶利伽羅を握り、す、と横に引いた。同時に真っ青な炎が彼の身体を包み込む。その透き通るほどの青さに恐れを抱いた日は既に遠い。志摩もそして勝呂も、その炎がとても優しく、柔らかであることを存分に知っている。

 炎を纏わせた刀の棟を肩に乗せ、燐は隣に立つ弟へ視線を向けた。細められた目、緩やかに持ち上がった唇の端、どこか嫣然とした表情を浮かべる彼へ、雪男もまた艶やかな笑みを返して指を伸ばす。頬を撫でた指を滑らせて顎を捕え、兄よりも長身の弟が傾けた顔を近づけた。
 ふ、と吐き出された吐息、青い炎を纏ったそれを食らうように雪男は燐へ軽いキスを落とす。双子の兄弟で行うことではない、と分かってはいるが、彼らがそういう関係であることを知っているため正直今さらな光景でもある。知られている面々の前で、ふたりは隠そうともしないのだから。
 見つめあったままふわりと笑みを交わしたあと軽く目を閉じた雪男の頭上にも、角のように青い炎が灯った。
 もともと双子の弟は青い炎を持たず、人間として生まれた存在だった。物質界存続が危ぶまれるような十年前の事件をきっかけに悪魔の血に目覚めはしたが、青い炎を生み出す力までは得ていない。しかし兄の炎を己のものとして操ることはできるため、燐から分けられたそれを纏わせて戦うことも多かった。

「わざわざそこまでせんでも……」

 雪男の頭部にも灯った青い炎を見やりながら、志摩がぽつりと呟く。はっきり言ってこの量の魍魎なら燐の炎だけでも十分だろう。しかしどんな作戦を練っているのか、ふたりで炎を使うつもりらしい。

「ほんま、何するつもりや、あいつら……」

 どうやら勝呂の方も具体的な作戦までは聞いていないらしい。双子の力を以て失敗するということはあり得ないが、それでも彼らの真意が見えず首を傾げていれば、とん、と軽やかな仕草で燐が地面を蹴った。結界内部へ飛び込むのではなく、彼が足を乗せたのはすぐ側の崩れかけた煉瓦塀の上。倶利伽羅の切っ先をす、と結界へ、大量の魍魎たちへ向ける。
 にったり、と。
 双子の悪魔が良く似た笑みを浮かべたのが見て取れた。

「……何や、ヤな予感、するわ」

 ひくりと口の端を引きつらせて吐き出された勝呂の言葉に、「奇遇ですね」と志摩は返す。

「俺もですわ、坊……」

 あの双子、一体何を企んでいるつもりなのか。
 面倒くさいことになる前に止めた方がいいのではないか、と思ったところで「静まれ、静まれぃ!」と双子の弟の、低く落ち着いた声が辺りに響き渡った。
 ぼう、と小さな音を立てて双子の頭上に揺れる炎の双角が大きさを増す。続けられる言葉。

「この青い炎が目に入らぬか!」

 こちらにおわす御方をどなたと心得る! 畏れ多くも青き炎を継ぐ青焔魔の落胤にあらせられるぞ! 一同、若君の御前である、頭が高い! 控え居ろう!

 でーんでででーん。
 国民的時代劇の有名すぎるシーンで使われるBGMが志摩と勝呂の頭の中で鳴り響いた。
 モニタの中では老人の正体を知った悪党たちが、慌てふためきながらははーと土下座を始める頃合いである。
 が。
 彼らの言葉を理解できない(そもそも聞く耳があるのかどうかも分からない)魍魎たちが大人しく静まり、控え、頭を下げるはずがなかった。

「……おかしいな、雪男、全然静まんねぇぞ?」
「おかしいね、兄さん、何でだろうね?」

 頭に青い炎を灯したまま、双子の悪魔が顔を見合わせて首を傾げたのと、志摩の隣に立つ男の中でぷちん、と何か(たぶん血管か何かだと思う)が切れたのは同時だったかもしれない。

「おかしいんはお前らの頭ん中や、どあほうっ!!」

 ガウン、ガウン、と双子に向かって躊躇せず弾丸をぶち込む己が主もどうかと思ったところで限界がきた。ぶっは、と盛大に吹き出し、志摩は腹を抱えてその場に蹲る。

「あはははははっ! あっ、ありえん、ありえへんっ! なんっでっ、黄門さまやねんっ!!」

 あはははは、と爆笑する志摩を置いて、「そこ並んで立てや、順番に殺したる!」と殺気をみなぎらせて勝呂は奥村兄弟へ向かって突進していった。

「兄貴はともかく! 雪! てめぇは、んなことするような性格やなかったやろうが!」

 どないしたんや、と雪男の胸倉をつかんで揺さぶる勝呂へ、ずれた眼鏡を直しながら、「さばの味噌煮」とハーフ悪魔は静かに言った。

「ぶり大根、ネギとろ丼、鯛めし、イワシのつみれ汁!」
「――ッ、食いもんにつられてんなやぁっ!!」

 拳を握って列挙されたメニューに買収され、兄の企みに乗ったらしい。あははは、アホすぎる、と志摩は腹を抱えて笑い続けていた。
 怒りのまま弾丸を放つ勝呂と、友人から逃げ続ける双子の兄弟と。結界内での鬼ごっこはそれぞれの体力が残り二割程度に減るまで続けられたが、その頃には彼らの攻防に巻き込まれ大量の魍魎たちはほとんど消え去ってしまっていた。

「あははっ、はぁ、はー……笑い過ぎて腹痛いわぁ」

 笑わしてもろたお礼に仕上げはしといたる、と眦に浮かんだ涙を拭って、僅かに残っていた魍魎を初歩的詠唱で祓っておく。双子の悪魔と次期明陀座主は如何せんかなり凄まじい戦闘を繰り広げていたため、既に息絶え絶えなのだ。魍魎を閉じ込めるためであった結界は、むしろ彼らの攻撃の余波が外部に漏れないためのものでしかなかった。日本支部長へ繋がる電話を放り投げられ、彼らの代わりに無事祓魔が済んだことを知らせておく。
 持ち主である雪男へその電話を返しながら、「ほんま、予想つかんことしてくれんなぁ」と志摩はまだ笑いの残る声音でそう言った。

「こんな笑うたん、久々やわ」

 ほろり、と零れたその言葉に、しまった、と思う間もなく、「よっしゃ!」と地面に座り込んでいた燐が声を上げて立ち上がる。

「ふたりとも、夕飯、うちで食ってけ!」
「いいね、それ。三輪くんも呼べるかな」
「今日は塾の仕事や言うとったから、それ終わったら大丈夫やろ」

 燐に続いて腰を上げた雪男と勝呂もそう言葉を放ち、彼らの言動からどうやら知られていたらしい、とここにきてようやく気が付いた。どこからどこまでが仕組まれていたことなのかは分からないけれど、それでもこの茶番劇が志摩のために繰り広げられたものだということは八割方正しい推測だろう。
 なんやのん、と力なく呟いて俯く。
 嬉しいのか、情けないのか、自分の感情がいまいちよく定まらない。どんな顔をすればいいのだろう、と思っていたところで、正面から手が伸びてきた。ぱちん、と頬を両手で挟まれ顔を上げれば、目の前には燐がいる。そのままむにむにと頬の肉を捏ねた後、彼はにしし、と笑みを浮かべた。尖った耳に唇の端から覗く犬歯、背後で揺れる尾。どれをとっても悪魔でしかない男なのに、どうしてこんな顔で笑うことができるのだろう。ひとの心を柔らかく包み込んでくれるような、そんな表情だ。
 燐くん、と小さく名を呼んだ志摩の肩へ、ぽん、と置かれたのは雪男の手。昔は他人との接触をあまり持とうとしなかった彼が、今はこうして自ら手を伸ばしてくれている。

「……なんやのん、みんなして……」

 ぐしゃぐしゃと、薄茶色の髪をかき混ぜるように頭を撫でる手は、兄弟と同じほど時間を共にした己が主のものだ。厳しく真面目なことばかり口にする男ではあったが、だからこそ義理堅く、情が深い。彼ら三人だけではない、懐に招き入れたものを身内とし、共に喜び、共に悲しむ。日本支部切ってのエースの集まるチーム『ヨンパチ』のメンバは、みんなそんな性格をしているのだ。
 何で俺が振られたこと知っとるん、という呟きに「分かりやすすぎんねんお前」と勝呂が答えた。

 高校卒業を機に、それぞれ一人暮らしをしよう、という話に三人のなかで一番乗り気だったのは志摩だ。しかし、そうして始まった生活のなかで、ほかの幼馴染の部屋を一番訪ねているのもまたこの男なのだ。『志摩さんとこはご兄弟も多いですさかい』とその理由を推測し、柔らかな笑みを浮かべて言ったのは、人当たりの良いもうひとりの幼馴染。寂しがり屋の友人が、孤独を覚えてやってくることを受け入れながらも心配し、気にかけてくれている。
 過干渉というほどではなく、適度な距離感を保ったままのチームメンバたちは、ここ最近志摩が自身の部屋に戻らない頻度が上がっていることに気がついてくれていたらしい。その上、原因も違わず察してくれていたようで。

「……志摩さんにしちゃ、ちょっと、真面目に考えとったんやけどなぁ」

 つき合っていた彼女と別れて落ち込むだなんて子供でもあるまいに、と思いはするものの、今回は珍しくも将来について考えていただけになかなか立ち直れなかった。振られた、と口にしたところで普段の自分の言動を考えればいつものことだ、と流されるだろう。そう思い、ほとんど誰にも告げていなかったというのに。
 どうやら今日は無駄な空元気を出す必要はないらしい。そう思うだけでずいぶんと心が楽になる。
 彼らのような友人があって良かった。
 柄にもなく心の底から、そう思った。


 ちなみに、あの馬鹿げた寸劇は本当に志摩を笑わせる為だけに展開させたのか、という問いかけには、「テレビで見て、俺らもできんじゃね? って話になってさ」と双子の兄があっさり答える。

「でもやるならやっぱり勝呂の前だろって雪男が」

 指さされた双子の弟は眼鏡の奥の瞳をにっこりと細め言った。

「その方がおもしろいかなと思いまして」

 その言葉を耳にした勝呂が再び怒鳴り声をあげたのは、言うまでもない。




ブラウザバックでお戻りください。
2013.07.16
















人生を楽しむコツは童心を忘れないことだって銀さんがゆってた。

Pixivより。