あなたの兄弟として


 兄には昨夜、伝えてはあった。雪男としてもできるだけ避けたいと思っていたが、こればかりは仕方がない。ベッドの縁から床に向かって落ちていた尾がぱたむ、とおもしろくなさそうに揺れているのを横目に、無言のまま團服の袖に腕を通す。
 今日は十二月二十七日、雪男と、双子の兄である燐が生まれた日。
 十代後半に入り、はしゃいで誕生日を祝うような年でもなくなった。そんな子供っぽいこと、と思いながらもやはりどこか特別な日だというイメージを持ってしまうのは、ふたりがごく一般的な血の元に生まれてきた双子ではないからだろう。
 そんな日だというのに、任務の呼び出しを受け雪男は出かけなければならない。
 別に何をしたかったというわけでもない。ただ普通に部屋で過ごし、課題をやって、仕事をこなして、趣味の時間を持って。そんな何でもない、ごく平凡なありふれた一日を望んでいた。共に誕生日を迎える双子の兄と、過ごしたかっただけだった。

「夕飯までには帰れると思うから」

 集合は午前十時、昼を挟んで夕方には終わる予定だ。そう説明すれば、「ん、分かった」と燐が尾を揺らして答えた。彼もまた、特に何をすると思っていたわけでもないのだろう。ただそれでも、もともとストレートに感情を表すひとだ。言葉にされてはいないが、行かせたくない空気がひしひしと伝わってくる。誕生日なのに仕事に行くのか、と。ひとりで過ごさせるつもりなのか、ひとりで過ごすつもりなのか、と。燐があまりにも分かりやすくふてくされているため、ポーカーフェイスを気取ることも馬鹿らしくなり、雪男もしぶしぶといった様子を隠すこともせず荷物の確認をする。

「……昼飯は出る、っつってたな」

 昨日の任務要請ではそう伝えられていた。うん、と答えれば、そっか、と頷いた燐はそのままクロをつれて部屋を出ていってしまう。その背中へ視線を向けはするが、兄を追いかけるほど時間も残っていない。
 竜騎士としても医工騎士としても、任務のために必要な道具は多い。用具の補充は常に行ってはいたが、出かける前にも確認を怠らない。悪魔薬学の天才だなんだと言われているらしいが、雪男は自分がごく普通の人間であることを知っている。そういった一つ一つの小さな積み重ねの上で、ようやくほかのひとたちと肩を並べて立つことができるようになるのだ。
 入れ忘れがないことを確かめ視線を時計へ。今から出れば集合時刻には十分に間に合う。
 このまま燐は部屋に戻ってこないつもりだろうか、一声かけて出かけたいのだけれど。そう思いながら鞄を手に取ったところで、バタン、と扉の開く音が響いた。出ていったときと同じようにクロを肩に乗せたままの彼は、その手に小さな包みを持っている。

「せめてこれだけでも持ってけ」

 昼飯のあとにでも食え、と渡されたそれは菓子を入れてあるタッパーだという。片手に乗るほどのサイズであり、これくらいならまだ鞄にも入るだろう。

「無茶、すんなよ。誕生日に怪我とか、洒落になんねぇから」

 視線を逸らしぶっきらぼうに告げられた言葉に、うん、と頷いて返す。

「できるだけ急いで帰ってくるよ」
「…………飯、作って待ってる」

 せめて夕食だけでも共に過ごせる時間を。そう望んでくれていることを素直に嬉しいと思った。当然、雪男も同じ希望を抱いている。
 楽しみにしてる、と笑みを浮かべ、少しだけ赤く染まっている頬を緩く撫でた。

「でも、兄さんはちゃんと課題も進めとくこと」

 部屋を出る間際、もはや習性といっても過言ではない釘を刺せば、唇を尖らせた彼は「うっせ、ばーか」と笑った。


 召集された任務自体はひどく単純で、簡単な祓魔だった。ただ祓うべき対象が多かったため、それなりに人数を集められたようである。年の瀬ということもあり、やはり皆さっさと帰りたいのだろう。急ピッチで祓魔が進められ、昼休憩を取る時点で残すところあと四分の一程度。この分では予定より少し早く、夕方前には戻ることができそうだ。
 支給の弁当(味については言及しない)を胃袋に納め、お茶を飲んで一息ついたところで、出かけに手渡された包みのことを思い出した。甘味が好き、というほどではないが、燐の作るものなら話は別だ。あと数時間ほど祓魔を行うエネルギィをそれから得ることにしよう。
 取り出したタッパーの中に入っていたものは、大きなクッキーが二枚ほど。卵と砂糖と小麦粉を使った、素朴で暖かい、雪男の好きな味だ。いつ焼いたのかは分からないが、頻繁に作ってくれるようなものでもなく、もしかしたらこれは誕生日プレゼントのつもりなのかもしれない。だとすれば入りきらなかった残りも、寮に戻れば食べさせてもらえるのではないだろうか。
 そんなことを考えながらクッキーを食べ終えたところで、底に敷いてあったシートの下に紙切れが挟んであることに気がついた。ライン線が見えるためノートか何かだとは思う。誤って挟んでしまっただけなのか、あるいは意図的に挟んであるものなのか、瞬時には判断できない。
 首を傾げながらそれを引っ張り出せば、思ったとおりノートの切れ端で、開いた内側には見覚えのある兄の文字が並んでいた。


「奥村? そろそろ午後戦、始めるらしいけど、」

 すげぇ変な顔してるぞ、と今回共に召集を受けた祓魔師に声をかけられる。口元を押さえ「いえ、」と答えた雪男は手にしたノートの切れ端を落とさぬようコートの内ポケットへしまいこみ、立ち上がった。

「すみません、お待たせしました。さっさと終わらせましょう」

 意識して顔面の筋肉を引き締めておかなければ、ぐにゃりと情けないほど顔が緩んでしまいそうだ。きゅ、と唇を噛み、携帯してきた聖水の残量を考える。必要経費として請求することができるとはいえ、無駄な消耗はしないようにと節約を心掛けてはいた。しかし今日は、今日ばかりは一滴も、一発も惜しむことなく使わせてもらおう。そうして速攻で任務を終わらせる。今自分が持てる力をすべて出し切って最短で事態を収束させ、そのあとは全速力で寮に帰るのだ。
 部屋にひとり(クロは一緒だろうけど)待っている兄は今、何をしているだろう。何を考えているだろう。恐らく雪男の言葉を無視して課題に手を付けることなく、ベッドに寝ころんでマンガを読んでいるのだろうけれど、今すぐ部屋に戻ってその肌に触れたい。その身体を強く抱き締めたくて仕方がない。
 やっぱり自分たちはどこまでいっても双子なのだ、と手紙をしまった内ポケットの上に手を押し当て、強くそう思った。



『 雪男へ
 あー、なんか、こういうの、かくの、てれるな。
 えっと、たん生日、おめでとう。
 いつも、めーわくばっか、かけてごめん
 はやく雪男にめーわくかけなくなるよう、がんばっから


 雪男がどう思ってるかは、わかんねーけど、
 おれは雪男と兄弟で、よかったよ
 雪男の兄ちゃんになれてよかった


 おれの弟として生まれてきてくれて、ありがとう

                    燐 』





 ばたばたと、木の廊下を駆け階段を上り部屋の扉を目指す。ここへ戻ってくるまでの間、何度も読み返した燐からのメッセージを手に、兄さん、と呼ぶこともできないほど息を切らしたまま六〇二号室とドアを開けた。
 ゆうるりと、まるでスローモーション映像でも見ているかのように、ひどく緩慢な仕草で兄の視線がこちらを捕らえる。燐はどこか呆然とした表情のまま、自分の机の前に立ち尽くしていた。殊勝なことに課題でもこなそうとしていたのだろうか、広げられたノートと教本が雪男の位置からでも見て取れる。あの厚さからいって、おそらく悪魔薬学の教本だろう。

「ゆ、きお……」

 小さく名を呼ぶ兄の手には、水色の封筒と、一枚の便せんが握られていた。
 いつになく乱雑な仕草で靴を脱ぎ、カバンを床に放り出して両腕を伸ばす。

「兄さん、」

 早く、早くこの腕の中に。
 急く気持ちのまま燐の腕を引き、細身の体を強く抱きしめた。同時にひぐ、と兄の喉が鳴る。

「ゆ、き……ゆき、お、ゆきお……っ」

 喉をしゃくりあげ、真っ青な瞳からぼろぼろと涙を零しながら、燐は弟の名前を繰り返した。もうその言葉以外を忘れてしまっているかのように、その音さえ紡げば生きていけるのではないかというように。

「兄さん、兄さん……」
 やっぱり僕たち、双子だね。

 自分たち以上の双子など、いないのではないだろうか。
 雪男もまた声を震わせたままそう言えば、弟の背中に腕を回し、うん、うん、と燐が何度も頷いた。背中にかさり、と何かが当たる気配、おそらく兄が持っている紙切れだろう。
 それは、昨夜のうちに燐の教本に雪男が挟み込んでいたもの。誕生日プレゼントに、と選んだ遊園地チケット(年明けにでもふたりで行けたらなと思っていた)と、それに添えた一枚の手紙。きっと雪男がいなければ兄は教本を開くこともしないだろう、チケットも手紙も、燐の目には留まらないかもしれない。ならば課題をやらせる前に手紙だけ抜き取ってしまえばいい、と開き直り、気恥ずかしい言葉を素直に並べてしまったもの。


『 兄さんへ

 たぶん、兄さんがこれを読むことはないと思うけれど。
 誕生日おめでとう。

 兄さんが今進んでいる道、これから進む道はすごく大変だと思う。たくさんいやなことを言われたり、いやなことをされたりもすると思う。人間も悪魔も、そういうところではとてもよく似てるから。
 でもこれだけは忘れないで。
 何があっても、どんなときでも、僕は兄さんの弟だ。

 僕の兄さんとして生まれてきてくれて、ありがとう。

                   雪男 』


 手紙を書いたことを後悔はしていない。普段互いに素直になり切れず、あまり口にできない感情を伝えることができたとも思う。けれど、これだけはやはり言葉で直接言っておかなければ、そんな気がして顔を上げれば、涙で濡れた燐と目があった。その青い瞳に、ああこのひとも今同じことを考えているな、とそう思う。
 燐のほうもそれに気が付いているのだろう、泣き濡れた目を細め、ずず、と鼻を啜って少し照れくさそうな笑みを浮かべた。額をすり寄せ、はふ、と互いに息を整えたあと、柔らかく頬を緩めて口を開く。


「誕生日、おめでとう、雪男」
「兄さんも。誕生日おめでとう」


 あなたの兄弟であれて、本当に良かった。




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2013.07.16
















奥村生誕祭(表)

Pixivより。