オノマトペ(ぴかぴか)


 兄弟の住まう旧男子寮の六〇二号室には最低限のものしか揃っていない。娯楽品は弟の買う漫画雑誌か、燐が修道院から持ってきた雑誌が少し。ネットに繋がったPCがあるにはあるが、もっぱら雪男が仕事に使うものであり、燐には使い方もよく分からないため時折DVDを見るのに借りるくらいである。その他、各自携帯電話を持っている程度で、あとはドライヤーやアイロン、掃除機といったおおよそ娯楽とは遠い生活家電がいくつか。
 そんな部屋にある日、一台のポータブルDVDプレーヤーがやってきた。しかもワンセグ内臓。

「課題に支障が出ない程度なら好きに使っていいよ」

 あげる、と太っ腹にも差し出されたものに、驚きのあまり受け取る手が震えてしまった。出所を尋ねれば彼もまた貰ったものだ、とそう口にする。

「寮だと娯楽が少ないだろうから、ってさ」

 どうにも雪男にこれを渡した男性祓魔師もまた、福引で当てたものらしい。しかし使い道もなかったため、それがそのまま雪男の元へやってきた。普段の彼の言動を考えれば、勉学に支障が出るからと断りそうだと思ったが、どうしてだか受けとってきたようだ。
 珍しいな、と素直に口に出せば、かもね、と雪男自身も笑って認める。

「まあワンセグだし、テレビとしてはあんまり使い勝手は良くないと思うけど、暇つぶし程度にはなるでしょ」

 ただしちゃんと課題はやること。
 そう念を押され、こくこくと頷いて有難く文明の機器を受け取った。
 それが二週間ほど前のこと。


 もともと修道院にいるころから、兄弟揃ってあまりテレビを見る生活はしていなかった。そのような暇がなかった雪男はもちろん、燐の方もバラエティ番組に夢中になったりするタイプではなかったのだ。それを知っているからこそ貰ったプレーヤーを兄に渡した、ということもある。頻繁にDVDを借りてくるような時間的、金銭的な余裕もないため、プレーヤーにくぎ付けになって課題に支障を来たすこともないだろう、と。
 雪男の推測通り、渡したその日は久しぶりに好きなように見れるテレビ番組に夢中になっていたようだったが、結局燐の意識を完全に捕えるだけの魅力はなかったらしく、数日もしないうちに天気を確認したり料理番組を見たりといった程度に落ち着きをみせていた。
 そんな兄が今、机の上に置いたポータブルプレーヤーの小さな画面を食い入るように見つめている。雪男の勉強や仕事の邪魔にならないように、といつもヘッドホンを付けて見ているため、一体何の番組を見ているのか横からではさっぱり分からない。とりあえず笑えるような内容ではないらしい、ということくらいで、ひどく真剣なその横顔は勉強しているときにはまず拝めない表情だ。
 珍しいこともあるものだ、と純粋に何を見ているかに興味を抱く。まさかこの兄が政治討論番組に真剣になるはずがなく、何か考えさせられるようなドラマでも見ているのならそれはそれで気になる。そんな感情のまま資料を取るため立ち上がったついでに、雪男はひょい、とその画面を覗き込んでみた。
 と、同時にぶは、と盛大に吹き出してしまった。

 背後で何か異様な音がし、首を傾げて振り返れば双子の弟がうずくまって腹を抱えている。

「ゆ、雪男っ?」

 どうした、具合でも悪いのか、と慌てて名を呼んでヘッドホンを取れば、何のことはない、彼はただ笑っていただけのようだ。しかも、近年まれにみるレベルでの大爆笑である。

「ゆき……?」

 一体どこに彼のツボをつくものが転がっていたというのか、あまりの勢いに若干引きながらそれでも恐る恐る手を伸ばしてみれば、「予想外、過ぎた……っ」と言いながらも雪男はまだ笑い続ける。

「おーい、ゆきおー。兄ちゃん、なにがなんだかさっぱりなんだけどー」

 このまま放っておいてもいいのだが、弟が何に対し笑っているのか気にはなる。ここのところ難しい顔ばかりみていたため、子供のように(といっても彼もまだ正しく子供ではあるのだけれど)笑っている姿はとても久しぶりに見た。困惑気味の燐に気がついたのか、立ち上がった雪男が目尻に浮かんだ涙を拭いながら「だ、って、兄さんが、」とまだどこか笑いの滲んだ声を放つ。

「ものすごく真剣にテレビ、見てるから」
 何見てんのかな、って。

 そう思いふと覗き込んでみて、まさかの。

「通販番組とか、あり得ないよ」
 しかも鍋セット!

 そう叫んで雪男は再び笑い出してしまった。どうやらこの弟は、燐が見ていた番組について笑っているようだ、ということは理解した。けれど笑われていることにはまるで納得がいかない。

「何がおもしれぇんだよっ! お前、さっきの鍋、すげかったんだぞっ!? テフロン加工で焦げつかないっつーし、フライパン、卵焼き鍋、肩手鍋、両手鍋のセット! 何でもできるぞ、一セットあれば!」

 調理器具ならばここの厨房にだって揃っている。実際今までは備え付けの器具を利用して燐は毎食作っていたのだ。けれど、やはり旧男子寮、というだけあり、衛生面で問題はなかったもののそれぞれ古く状態の良くないものばかりなのだ。

「そりゃ古い鍋でも美味いもんは作れるけど、やっぱぴかぴかの鍋のほうが良いじゃん!」

 もっとちゃんとした道具があれば、より美味しいものが作れるだろうに、と悔しがる姿をバチカン本部の人間たちに見せてやりたいものだ、と雪男は思う。そうすれば間違いなく燐を危険分子だと見なすひとはいなくなるだろう。彼の様子は正直十五歳という年頃の男の姿ではない、ましてや魔神の落胤などという物騒な存在では決してなく。

「どっちかっていうと、ただの主婦だよね」

 できれば、昼ドラを見ながらお煎餅を食べるタイプの主婦ではなく、「おかえりなさい、あなた(ハートマーク)」と言ってくれタイプの主婦であってもらいたいものだ。弟の言葉に「誰が主婦だ、誰が!」と兄が牙を剥いた。

「だって兄さん、実際ご飯作ってくれるし、食費僕持ちだし、僕の奥さんみたいなものじゃない」
「お、おく……っ」
 俺は奥さんじゃなくて兄ちゃんだっ!!

 燐の文句をスルーして自分の机に戻ると、カタカタとキーボードを打ち込んでマウスを動かす。

「で、こっちの鍋セットでいいの? いくつかあるみたいだけど」

 検索して表示させたページを指さして尋ねれば燐は「へ?」と首を傾げた。

「だから、お鍋。欲しいんでしょ?」

 セット価格で一万円、それならば決して手が出ない値段ではない。雪男の言葉に燐は言葉もないまま、ぱぁあ、と表情を明るくさせた。彼の背後でぶんぶんと尻尾が大きく振れている。前から感情がだだ漏れな性格ではあったが、今は増えた要素のおかげでなおさら分かりやすくなってしまった。

「買ってあげるからさ、」
 兄さん今度、ぴかぴかの新妻スタイルでお出迎えよろしく。




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2013.07.16
















嫁スキル発動。

Pixivより。