オノマトペ(ぷるぷる)


 頭の良いひとの思考回路は本当に理解ができない。
 どんな言葉を返すべきなのか分からず、呆然としたまま燐は双子の弟を見上げることしかできなかった。「兄さん、ちょっとお願いがあるんだけど」と珍しく雪男側から切り出された頼みごと。しっかりものの弟が燐を頼るなど年に一度あるかないかの出来事で、浮かれてしまうのも仕方がないだろう。できることならば何でもしてやりたい、と思うくらいにはブラコンだと自覚している。
 してはいる、が。

「ヤらせてくれない?」

 鼓膜を揺さぶった波が言葉として脳に届き、燐の少ない脳がそれらに意味を持たせようと必死になっている。しかしどうにも上手く捕えきれず、何を? と首を傾げれば、返ってきた答えが酷かった。

「セックス」

 ええと、と親指の爪に歯を立てて考える。
 せっくす、って何だっけ、ほらあれだ、AVとかで男と女がやってるやつ、エッチだエッチ、志摩が持ってるエロ本は巨乳のねーちゃんが脱いでるだけだけど、AVは外れ引くとグロいだけとかって言ってたなぁ、なにがどうグロいんだろ、っていうか、ええとそのエッチをしたいってことか? 雪男が? え、誰と? ……あれ?
 思考に夢中になっていたため加減を忘れ、がり、と指先まで歯を立ててしまった。いてっ、と小さく呟けば、その手を雪男に取られる。

「何やってんの」

 その声音は普段と全く変わりなく、仕方ない兄さんだな、と続きそうなほどだったけれど、代わりにちゅ、と小さな水音が響いた。親指の先に濡れた感触、ちろちろと肌に触れてくるものは雪男の舌、だろうか。
 弟の行動を見ているうちに、燐の吊り上った目が徐々に見開かれていく。ぱくぱくと開閉する唇からは「な、な、」と言葉にならぬ声が零れ、尖った耳の先まで真っ赤に染まった。

「何言ってんだ、お前ッ!?」
 頭だいじょーぶかっ!? どっかぶつけたか!? それともストレス? 俺か? 俺が悪いのか?

 パニックになり叫びながら弟の胸倉を掴んでがくがくと揺さぶる。苦しい、と燐の腕を払いのけ、「ストレスの原因って自覚はあるんだ」と雪男が笑った。

「まあストレスがないわけじゃないけど、ヤりたいって性衝動は若い男として至って普通だろ」

 確かにそれはそうだ。悪魔の血がどうのこうのと、己を取り巻く環境の変化(そして肉体の変化)についていくのがやっとで、ここ最近はあまりそんな欲は抱いてなかったが、燐だって少し前までは自分で処理をする程度にはそういう欲を持ち合わせていた。

「でも、だからってなんで俺!?」
 にーちゃん分かんねーよっ!

 半分涙目になりながら叫べば、振り回していた腕を掴まれぎゅう、と力を籠められる。暴れないで、と静かに注意され、お前がっ、と弟を睨みつけた。

「僕が、何?」
「ッ、お前がっ! 変なことゆーから、だろっ!? 何なんだよ、いきなりっ、せ、せっ……ッ」

 せっくす、とか……とごにょごにょ誤魔化すように俯いて口にすれば、「男同士でもできるから大丈夫」とずれた答えが返ってくる。

「いやだから、そういうことじゃねぇって!」
「じゃあどういうこと?」
「うっ、だ、だからっ、そもそも俺ら、兄弟だろっ!」
「何を今さら」
「きょーだいで、そういうのすんの、良くねぇんだろ、確かっ!」

 通常の勉強も苦手で、神学、聖書学などもってのほか。詳しい内容は全く知らないが、確かタブーとされているものだったはず。

「ちなみに同性愛もタブー視されてるよ」
「尚更駄目じゃねぇかっ!」

 同性でしかも兄弟。アウトすぎる。良くない、まったくもってよろしくない、と首を振れば、「一つ、聞くけどさ」と雪男が口を開いた。

「気持ち悪い、とか思わないの?」

 心底不思議そうな声でそう問われ、え、なんで、と素直に疑問が口から零れる。気持ち悪い、誰が誰をそう思うのか。

「え、俺が雪男を? は? なんで?」

 きょとんとしたまま雪男を見上げれば、燐の腕を掴んだまま弟は大きくため息をついた。その反応の意味も分からず、本当に今日の雪男はどこかおかしい。やはり体調でも悪いのではないだろうか。心配に思い弟の顔を覗き込めば、「普通は」と眉を寄せて雪男は言う。

「男にヤらせろ、って言われたら気持ち悪く思わない?」

 ヤらせろ、ということはつまり、そういう対象として見られているということ。一般的に男が性の対象としてとらえる、見ていてむらむらする、興奮するのは当然異性、女性であろう。燐だってオカズとして何を選ぶかと言われたらもちろん、女性の肌色率の多い雑誌を探す。間違っても男を相手にむらむらするなどということはないはずで。

「え? あれ? えっと、も、しかして、お前、」
 俺で、勃つの?

 恐る恐る問いかければ、「そうだから言ってるんだけど」と返ってきた。同時に燐の顔が真っ赤に染まる。生まれた時から一緒に育ってきた弟にそんな目で見られていたのだ、という事実をどう受け止めるべきなのか分からぬままどくどくと心臓が鼓動を刻み、血液が顔に集中した。

「……だからさ、そういう反応するから……」

 はぁ、と再びため息をついた雪男は、右手で燐の腕を引いたまま、ベッド(それはなぜか燐のベッドの方だった)へと足を向け、混乱したままの兄をひょい、と放り投げる。投げ出された身体を仰向けへ返し、弟の名を呼ぼうとしたところでぎし、と乗り上げてくる気配。気がつけば、真上に弟の顔が。

「う、んっ!」

 ああ俺のファーストキス、と暢気に考えていられたのも一瞬のこと。ぬるりと口の中に入り込んできた生温かなものが雪男の舌であることに気がついて、燐は更にパニックになる。驚きのままそれを噛みそうになり、慌てて口を開く。燐の口の中にはひとのものより鋭い牙があるのだ。口を閉じようとすれば、雪男の舌を傷つけてしまうことになるだろう。

「ん、ぁ、ぅ、ふ、うー……っ」

 そんなことを考えていれば自ずと弟にされるがまま口内を弄られることになり、ぬるぬると動き回る舌に思考がぼんやりと蕩けてくる。ぴちゃり、とわざとらしく水音を立てて唇を離した雪男は、「ねぇ、兄さん」と低い声で燐を呼んだ。

「僕のこと、気持ち悪い?」

 ろくに回らぬ頭のままぷるぷると首を振る。

「僕のこと、嫌い?」

 同じように首を横へ、ぷるぷる。

「僕とはセックス、したくない?」

 条件反射のようにぷるぷるぷる。

「……って、あ、いや、今のちが……っ」
「ありがとう、兄さん!」

 がばり、と抱きついてきた弟の身体が、今までのどこか余裕のありげな態度とは裏腹に、ぷるぷると小さく震えていることに気が付き、正直何もかもがどうでもよくなってしまった。




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2013.07.16
















弟に甘すぎる兄。

Pixivより。