オノマトペ(ぽつり)


 僕たちは迷い子だ。
 来た道を失い、行く道は分からず、ただふたりきり。
 何かを探して、彷徨い歩いている。



「遊園地のワンディパス、貰ったんだけど行く?」

 今日は任務がなかったらしく、塾講師の仕事が終わってすぐ帰宅してきた弟がコートを脱ぎながらふと、そう言った。唐突すぎる誘い文句に咄嗟に言葉が返せない。しばらく雪男を凝視したのち、「誰が」と問えば、「兄さんが」と返ってきた。

「ひとりで?」
「さすがにそれは寂しいでしょ。ふたり分もらったから僕と、ってことになるね」

 兄さんは嫌だろうけど、と続けられそうになった言葉を遮って、「行く」と手を挙げた。同時にぱたむ、と尾が揺れる。迷いのない返答に、誘った雪男の方が驚いた顔をしていた。

「……僕とでいいの?」

 そう言う雪男へ「何で?」と首を傾げる。ふたり分のパスを貰ったということは、燐と雪男の分ということだ。そんなことは分かり切っているだろうに、どうしてそこに疑問を挟むのだろうか。雪男が行きたくない、そんな暇がないというのなら、もったいないけれどゴミ箱行きか、あるいは他の誰ぞへ二枚とも渡してしまっていいと思う。
 手渡されたパスを眺めながら言えば、「分かった」と弟が言った。

「次の土曜、塾も休みで任務もないんだ。兄さんはシュラさんから修行の休みの許可、貰っておいてね」

 チケットの出所が祓魔塾の塾長であることを口にすれば、休みをもぎ取ることも難しくはないだろう、という弟の助言通り実行し、無事に丸一日遊べる日を確保できた。悪魔の子といえど自我と意志、つまり心を持つ存在。閉塞的な空間は精神に悪影響を与える、特に燐のような落ち着きのない性格のものだと定期的に息抜きをしなければ爆発してしまうかもしれない。

「俺の場合、そのままの意味で『爆発』すっかもしれねぇしなぁ」

 入場ゲートの側に積んであった園内図を広げながら呟けば、「洒落にならないから止めて」と雪男が嫌そうに口にした。眉間に寄せられた皺を見上げ、にしし、と笑う。弟の不機嫌そうな表情は実は嫌いではない。怒っている姿や苛々している様子は御免こうむりたいが、呆れの多分に混じったこの表情は決して嫌いではない。何笑ってんの、と鼻を摘ままれ、笑いながら痛い、と文句を言った。
 広げた地図をふたりで覗き込み、額を突き合わせて攻略方法を検討する。折角一日中遊べるフリーパスなのだ、それなりに使っておかないと勿体ない、というのが兄弟の一致した意見だった。食べ放題へ行けば料金分食べないと帰れないと思ってしまうタイプ、要するに貧乏性なのである。

「遊園地っつったらやっぱ絶叫系だろ」
「まあそうだよね」

 ふたりともスピードのある乗り物はそれなりに嫌いではない。園内にいくつかあるらしいジェットコースターを、ぐるりと回りながら全部乗ってみよう、ということになった。ふと地図から顔を上げた雪男がくるり、とあたりを見回す。

「ひと、少なくて良かったね。待ち時間、ほとんどなさそう」
「つか、この遊園地、人気あんのか?」
「……それ、フェレス卿の前で言ったら怒られると思うよ」

 何せここは『メッフィーランド』、かの道化が気のまま趣味のままに作り上げたテーマパークなのだから。ゲートを入ってすぐ前にある入り口広場の中心にはででん、とメッフィーなるキャラクタの石像が立っている。

「絶叫系に乗ったら、写真では必ず変顔をしなきゃならんという決まりがだな」
「あるわけないでしょ。するならひとりでやってね」

 一つ目のジェットコースターの受付口のそばに、落下ポイントを激写した画像がモニタに映し出されている。希望者にはデータを、あるいはプリントアウトしたものをもらえるらしい。前の客の芸術的な表情を眺めながら、燐は背景とコースターの向きから大体あの位置だろう、と写真ポイントを割り出した。

「雪男、あの位置だからな」
「だから、しねぇっつってんだろ」

 メガネを外した弟が普段の何倍もきつい顔立ちでそう言って睨みつけてくる。がたん、がたん、がたん、とコースターに運ばれ頂上へ向かう途中、もう一度写真ポイントを確認しながら、くるり、と燐は視線を巡らせた。無駄に広い敷地内に、転々と存在するアトラクション。いつぞやどこぞの地の王に遊ばれ、ぶち壊してしまったのはどのあたりだろうか。

「……お前のことを今日から『妖怪無表情』と呼んでやろう」
「謹んでお断り申し上げる」

 せっかくだから、とアウトプットしてもらった写真の中には、両手を挙げて笑っている燐と、口を閉じたままストッパーを握っている雪男が写っていた。
 次に待ち受けていたおどろおどろしい看板のお化け屋敷では、ゾンビ(役の従業員)が飛び出てくるたびに思わず武器を探してしまう弟と、素直に驚いて素直に叫び声をあげ、素直に涙目になって隣の弟へ抱きついて恐怖を表す兄がいた。

「あー……喉痛ぇ……」
「こういうの、祓魔師の訓練でも使ったらいいんじゃないかな……」

 それぞれ理由は異なれど若干の疲労を覚えながらお化け屋敷を後にし、次に現れたのはメリーゴーランド。絶叫系全制覇を目的としていたはずが、途中から全アトラクション制覇にすり替わっており、これも乗らねばなるまい、と燐が言い張った。じゃあ乗ってくれば、と言う弟へ、ひとりは嫌だと駄々を捏ねる。

「っていうか、男ふたりで乗るのも嫌だよ!」
「ばか! 死なばもろともって言葉があるだろ!?」
「あるけど、使うタイミングは大きく違う!」
「じゃあ兄ちゃんひとりで死んでこいってのか!」
「そんなに嫌なら乗らなきゃいいだろ!」
「そんなことできるわけねぇだろうが!」
「何の理由があってそんな苦行を強いてんのっ!?」

 きらびやかな飾りを纏った馬車やら馬やらがくるくると回る、そんなものが似合うのは小学生くらいまでだろう。間違っても男子高校生(しかも身長170越え)が足を踏み入れて良い場所ではない。メリーゴーランド前でぎゃあぎゃあと言い合った結果、ジャンケン負けが乗るという、罰ゲーム扱いとなった。メリーゴーランドとしてもそのような扱いは甚く不服であろう。

「はーい、兄さん、こっち向いてー、笑ってー」
「うっせー、ホクロメガネッ! ちくしょう! コーヒーカップじゃてめぇをぐるんぐるんに回してやっからな!」

 白い鬣をなびかせている馬に乗った燐が、涙目でそう叫びながら機械に導かれるがまま雪男の目の届かぬ裏側へ回ってゆく。

「……別にいいけどそれ、兄さんもぐるんぐるんに回るよね」

 昼食は当然の如く、燐の手作り弁当である。園内には食事を提供する施設もあるが、こういった場所で出されるものは高い割に味がいまいちだ、とふたりは思っていた。そもそも味についての基準が燐の作るものであるため、大抵のものが「いまいち」に分類されてしまうことに、兄弟は気づいていない。
 しょっちゅう遊びにくることはできずとも、たまの休みにはこうして弁当を外で食べるのも良い気分転換になるかもしれない。そのときは塾生も呼ぼう、そんな話をしながら弁当を平らげ、腹を休めた後アトラクション攻略後半戦である。
 食事後すぐにやってきたコーヒーカップは、珍しくも空気を読んだ燐が適度なぐるんぐるんに収めてくれた。高さや速さ、乗る姿勢などの異なるジェットコースターを攻略し、次に双子の前に現れた敵の攻撃は水系の性質を持っているようだ。
 合羽もお貸ししてますけど、と親切にも申し出てくれた係員のお姉さんへ、顔を合わせた後、NOと断りを入れる。この程度の水攻撃に合羽で防御姿勢をとるだなんて、男としてできるわけがない、とふたりが思ったかどうかは定かではない。ただ、弟が(兄が)着ないのに自分だけ着るのは癪に障る、と思ったことだけは確かである。

「ぶっひゃっひゃっひゃっ!」
「…………」

 結果として大惨敗したのは雪男だけだった。係員のお姉さんも「普段はこんなに掛かることないんですけど」と大慌てでタオルを貸してくれるほどで、ぼたぼたと水を滴らせる弟を指さし、兄は大爆笑である。

「あー、なんだっけ、ほら、水としらたき良い男ってやつ!」
「……僕は鍋物か」

 間違っている言葉を正す気にもなれず憮然としたままそう呟き、くしゃみを一つ。主に首から上が濡れてしまっており(どうしてそんな器用な濡れ方になったのかは、雪男自身が聞きたいくらいである)頭を中心にタオルで拭っていたため、少しだけ鼻がむずりとしただけのことであるのだが、しまった、と思ったときには遅かった。

「ッ、ゆき、寒い?」

 ぴたりと笑いを収めた兄が、表情をころりと変えてそう覗き込んでくる。身体の弱かった幼い頃を知っている彼は、弟のくしゃみ一つにもひどく敏感なのだ。こうなってはいくら雪男が大丈夫と言ったところでなかなか信じてもらえない。

「今日は天気も良いし、すぐ拭いちゃえば大丈夫だよ」

 そう言えば、「じゃ、そこ座れ」とアトラクション側にあったベンチを指さされた。背後に回った燐ががしがしとタオルで頭を拭いてくれる。気恥ずかしさはあったが、逆らうのも面倒で、そして勿体ない気がして、大人しくされるがままになっておいた。
 時刻は三時を回り、倒すべきアトラクションも残り少なくなってきたところで、小腹が空いた、と燐が声を上げる。オーソドックスなソフトクリームを買い求め、それぞれ頬張りながら残りのアトラクションを確認しながら回る順番を検討した。閉園時間まではまだある、これならば十二分にすべて回り切ることが可能であろう。

「やー、なんか、メフィストに勝った! って気分だな」
「勝利宣言はまだ早いよ、兄さん。遠足は家に帰るまでが遠足って言うだろ」

 おそらく遊園地での遊び方としては少しばかりずれているだろうけれど、兄弟そろってそれなりに楽しめているのでこれはこれでありだとも思う。下らないことをしているのは分かっているが、下らないからこそ面白いのだ。

「っしゃ! 腹が膨れたら行くぜ、ラストスパート!」
「はいはい、走って転ばないでね」

 そうして双子の兄弟が力を合わせた攻略戦はいよいよ大詰めを迎える。ラスボスとしてででん、と彼らの前にそびえ立つそれは、メリーゴーランドと同じほど、男ふたり組には足を踏み入れにくいものだった。あまり多くないだろう今日の客の中でさえ、この周辺にいるものたちは男女の組み合わせばかり。

「……乗んぞ、雪男」
「えー……」

 僕ヤダな、と一応の抵抗を試みるも兄がその程度で止まるはずがない。これをクリアすれば全制覇となるのだ、正直雪男にだってここで諦めたくないという子供じみた意地もある。
 大丈夫、係員はプロだ。たとえどんな組み合わせでやってきたとしても、定員内であれば笑顔で押し込んでくれるはずだ。
 円周上をくうるりと回る、小さなゴンドラの中に。

「おー! すっげー! たっけー!」

 乗る前の逡巡はどこへいったというのやら。一度乗り込み、扉を閉められてしまえばもう、他者の視線を気にすることもないのだから当然か。

「兄さん、あんまりはしゃがないで。揺れてる」

 揺らさないでくださいって書いてあるよ、と雪男がゴンドラ内の窓の下に掲示されていた注意書きを指さして言った。ごめん、と謝ったあと、それでも燐はやはりどんどんと高度を上げる乗り物に興奮が止まらないようだ。

「わーすっげー、店、ちっせー、ひとちっせー!」
「人がゴミのようだ、ってこういうとき使うんだね」
「ゆき、そりゃ違ぇと思うぞ」

 外を見下ろしながらそんな会話を交わすが、所詮一つの観覧車から見える景色などそう代わり映えしない。学園の方を見やりながら、寮はどのあたりだろうか、と考えていたところで、「あ、もうちょっとでてっぺん」と燐が小さく呟いた。
 ごぅ、と機械の動く静かな音だけがゴンドラ内に響く。兄の方へは視線を向けず、「なんかさ、」と雪男は景色を見やりながら口を開いた。

「こうやってると、世界に僕たちだけみたいだね」

 静かな空間、地上に広がる雑多な世界から切り離され、ふたりきりでぽつりと取り残されたかのような。
 自分自身がそれを恐れているのか、望んでいるのか、雪男には分からない。
 分からないけれど。

「……そうだな」

 そう言って笑ったその顔を見て、兄もまた似たようなことを考えていたのだと知れただけで、十分だった。


 世界にぽつりと取り残されたふたり。
 どこから来てどこへ行くのかも分からぬまま。 
 探しているものが終わりなのか、あるいは始まりなのか。
 とにかく何かを探して彷徨い歩いている。


 俺たちは、迷い子だ。
 世界にただふたりぼっち。




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2013.07.16
















その世界さえあれば、いい。

Pixivより。