奥村兄弟のセイカツ(雨)


 雨が、降っている。
 鼓膜を震わせるものは、ざあざあと降りしきる雨の音と、双子の弟がキィボードを打ち込む音、そして時々走らせるペンの音、燐の腹の上で丸くなって眠っているクロの寝息。

 折角の休日だというのに昨夜から降り続く雨のせいで、ろくに洗濯もできやしない。乾かない洗濯物を前に、いっそ己の炎で何とかしてやろうかと右手を見つめていれば、勘の良すぎる弟に殴られた。ほんとにするわけねぇじゃん、と唇を尖らせて文句を言えば、「はっ、どうだか」と投げつけられた蔑みの視線。顔面に大きく、『兄さん馬鹿だからそれくらいしかねない』と書いてあったのは燐の気のせいではないだろう。あまりにも腹が立ったのでそれから無視を決め込み、昼食を終えた午後二時現在、下らなさすぎる冷戦は未だ続いている。燐の意図を悟った雪男も話しかけてこなくなってしまったため、珍しくも兄弟揃って寮にいる休日だというのに会話らしい会話は一つもなかった。
 面白くない、とそう思う。全然、まったく面白くもなんともない。一度目を通してストーリィを知っているこのマンガも、乾燥機を回して乾かした洗濯物から太陽のにおいがしないことも、まるで燐をいないものとして扱っているような弟の態度も、とにかく面白くない。それもこれも、全部雨のせいだ、と窓の外へ視線を向けた。六月に入り夏が近づいているとはいえ、外が雨だと気温も下がる。雪男が素足を仕切りに擦りあわせているのも少し肌寒いからだろう。そう、すべて雨が悪いのだ。

 うちの弟が風邪でも引いたらどうしてくれんだ。

 窓の外、止む気配のまるで見られない雨と雨雲を睨みつけたあと、腹の上で丸くなっている友達をそっとベッドの上へ移動させる。振動で少しだけ目を開けはしたが、睡魔には勝てなかったのか、クロは枕の横でくぅくぅとまた寝息を立て始めた。
 のっそりと身体を起こし、床に足をおろす。素足であるためひんやりとした床の感触に、尻尾がふるり、と揺れた。へくちっ、と小さくくしゃみをして腰を上げる。弟から向けられた視線はすぐに反らされたようだった。おそらくトイレにでも行くのだと判断されたのだろう。
 朝起きて軽く部屋を片づけて以降、昼食を挟んでその間ずっと雪男は机に向かっている。勉強をしているのか、何か仕事をしているのか燐には全く分からない。そもそも長時間座って作業をしていられる神経さえも理解不能なのだ。
 同じ腹から生まれた双子だというのに、どうしてこんなにも違うのだろう。これが人間と悪魔の差だろうか、とも思うが、きっとそう言えば雪男は烈火の如く怒るに違いない。己の怠惰を悪魔であることのせいにするな、と。

 目をつり上げてがみがみと怒る弟の姿が容易に想像でき、冷蔵庫を開けながら思わずぶは、と吹き出してしまった。あまり怒りすぎるのも精神的によろしくないだろう、と言えば、怒らせているのは誰だよ、と返ってくる。だったら週一回一日だけでも俺の監視止めて、自由時間作ってみるかと提案したこともあった。その間燐はほかの誰か(メフィストだとかシュラだとか)の元に身を寄せておくから、と弟の心を案じての言葉だったのだが、「それはそれでものすごく不愉快だから却下」と言われてしまった。
 何がどう不愉快なのかまるで分からなかったけれど、「兄さんは余計なこと考えずにここにいればいいの」と子供の我儘のようなことを言い切られてしまい、なんとなく可愛いな、と思ったので分かった、と雪男の言い分に頷いておいた。
 ふたりの関係は修道院にいた頃とは決定的に異なる部分もあれば、変わっていない部分もある。この寮に移ってきた頃はおそらく雪男もまた状況の変化に戸惑い、緊張し、無駄に力んでいたのだろう。変わっていない部分が見えず、ひどく不安に思え、寂しくて仕方がなかった。けれど、こうして時間が経ち、そばで生活をしてみればやっぱり雪男は雪男なのだと痛感する。自慢の双子の弟だ。
 雪男の方は燐をどう思ってくれているかは、分からないけれど。

 盆の上にほんわかと湯気の立つ湯呑みを二つ、昨日作ったブラウニー、クロ用のミルクと煮干しを乗せて部屋へと戻る。時刻は午後二時十分くらいで三時のおやつにはまだ少し早いけれど。
 扉を開ければさすが猫の嗅覚、ベッドの上で身体を起こしたクロが伸びをした後『にぼし!』と鳴いた。床の上に彼のおやつを並べてやった後、雪男の机にも湯呑みと小皿を。

「足、寒いならはいとけ」

 ついでに勝手に引っ張り出した靴下をぽん、と弟の頭の上に乗せ、クロのそばに腰を下ろした。ちらりと横顔へ視線を向ければ、乗せられた靴下を手にむ、と眉間に皺を寄せていたが、どうやら足が寒かったのは当たっていたようでイスに足をあげてもそもそと靴下をはいている。ひととして生活をしている、ごく当たり前のその姿に安堵を覚えるのだ、と言えば雪男はどんな顔をするだろう。
 ベッドの柵へ背を預け、上機嫌でミルクを舐めているクロの邪魔をしないように背や額を撫でていれば、不意に雪男が立ち上がる気配がした。どうしたのだろうか、とその行動を追えば、湯呑みと小皿を持ってすたすたとこちらへ歩み寄ってくる。すとん、と腰を下ろしたのは燐の隣で、肩が触れ合うほどの距離だ。何事だろうか、と思いながらも下手に言葉を放てばまた喧嘩になりそうで、とりあえず黙ったままずずず、とお茶を啜った。温かな日本茶は少し季節外れではあるが、肌寒いためちょうど良いだろう。やっぱり日本人は日本茶だよなぁ、と思っていたところで、「兄さんは、」と弟が口を開いた。

「変わらないね」

 一体どんな思考の流れでその言葉が放たれる結果になったのか、いまいちよく分からなかったが、「そうか?」と首を傾げておく。そんな燐へ「変わらないよ」ともう一度同じ言葉を繰り返した後、雪男は小さく美味しい、と呟いた。もそもそと食べているのは甘さを抑えたブラウニー。修道院にいた頃はほとんど作らなかった菓子類もこうして作れるようになっているのだから少しは変わったと思うのだけれど、と考えながら、「そりゃ良かった」と笑う。
 今日はちょっと寒いね、から始まり、雨まだ止まねえな、しばらく降るらしいよ、と会話を交わしながら揃って窓の方へ視線を向けた。閉め切った室内ではあるが、もともと住まいとしてはあまり高機能ではないおんぼろ寮だ。冷たい空気は僅かな隙間からでも入り込んでくるようで。

「……やっぱり寒いね」
「風邪、引くなよ?」

 そう言いながら少しだけ雪男の方へ身を寄せてみる。逃げる様子も避ける様子も怒る様子も見られなかったため、ぴったりと身体の左側をくっつけてみた。温かい。暖を取るならこの方法が一番安心する、とそう思う。
 ぱたむ、ぱたむ、と揺れる尾が床を叩く音に重なり、「兄さん」と雪男が燐を呼んだ。顔に影がかかり、重ねられた唇からはほのかにチョコレートの味。
 ごちそうさま、と告げられた言葉は一体どれに対するものなのだろうな、と思いながら、たまには、ともう一度窓の外へ視線を向けた。
 こんな雨の日も悪くない、のかもしれない。




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2012.06.26
















雪男さんに聞いたところ、
「キスと、お茶とお菓子と、お昼ご飯の分」だそうです。
(※昼飯時は冷戦中でふたりとも無言。)