メタルボディのシルエット


 その姿を見たのは完全に偶然だった。
 ドッドッドッ、と重低音を響かせる鉄の塊に跨り長い足をアスファルトにつく姿は、遠目でも相当スタイルがいいと分かる。黒いレザーのライダージャケットを羽織り、デニムのボトムにレザーブーツ。バイクに乗るスタイルとしてはごく一般的であり、肌は首もとが若干晒されてる程度。フルフェイスヘルメットに覆われているため顔も分からない。それなのに。そういう話を(バイクの免許を取ったとか取りたいとか、根本的な部分を含め)まるで聞いたことがなかったにも関わらず、その姿を目にし、弟だ、とそう思った。あれはおそらく己の双子の弟だろう、と。

「よく、分かったね」

 燐がそのことを尋ねれば取り立てて隠すつもりもなかったようで、弟、雪男は驚いたように目を見張りながらもあっさりと肯定を返してきた。ああやっぱり、と頷く代わりに、燐の背後でぱたむ、と尾が揺れる。

 悪魔の血の流れる兄弟は昨年末に二十二となった。高校の寮はとうに出て、正十字学園に近い場所にふたりで部屋を借りて住んでいる。頭のできがあまりよろしくなかった燐もなんとか称号を得て祓魔師となっており、一般的な企業勤めのサラリーマンより少しばかり多めの給料をふたりで持ち寄っているため、それなりにセキュリティと防音のしっかりしたマンションの一室だ。防音設備にこだわったのは仕事が昼夜問わないはた迷惑なものであるからで、それ以外に理由はない。断じてない。

 夏がそろそろ終わりを迎える、といってもまだまだ残暑の厳しい九月始めの木曜日。書類提出のため日本支部の事務局へ出向き、本来ならその場で次の任務の指示を受ける予定だった。しかし燐を待っていたのは突然その任務がなくなったという知らせ。次の指示は追って連絡するということで、急に何の用事もない休暇が手に入った。
 それを満喫するために家に戻る前に行きつけのスーパーへ寄り、食材をしこたま買い込んだ。どうしてそれが休暇満喫のための必要条件になるのか、といわれたら、料理が趣味だからと答える。決して、ここ最近ろくに手の込んだ料理が作れず、弟の好きな魚料理も刺身か焼き魚くらいしか出してやれず、悪いなと思っているからではない。いや、悪いなとは思っているけれど、雪男の嬉しそうな顔が見たいからだとか、そういう理由で魚を含む食材を買ったわけではない。料理が趣味だから、あと魚料理が食べたい気分だから。ただそれだけだ。
 誰に対するとも付かない言い訳を心の中でしながら帰宅する途中、弟と思しき姿を目撃したのである。
 両手に荷物を抱えた燐が歩く歩道とは反対側の車道に、信号待ちで停まったオートバイ。マシン系には詳しくないためはっきりとは言い切れないが、その大きさと排気音からおそらく大型だろう。黒いボディにメタルのフレーム、デザインとしてはさほど奇抜ではないけれど、シンプルなフォルムで素直に格好いいな、と思った。
 確か高校を卒業するかしないかくらいで、同期の男が二輪の免許を取りたいと言っていたような気もしなくもない。理由は聞くまでもなく、「女の子にモテそうだから」。一般的(とは少々言いがたいが)な男である燐もそれなりに異性にモテたい、という願望はあるが、そのためにわざわざ大型二輪の免許を取りたいとまでは思わなかった。交通手段を考えるならば、まだ普通車免許を取っておいた方がいい気がする。祓魔師免許証も持ってはいるが、身分証明書としてはやはり運転免許証の方が通りが良い。車そのものを持つ必要はなくとも、免許証はあって邪魔にならないだろう。
 黒いオートバイに跨る男の姿をぼんやりと視界に収めながら、帰ったら雪男に聞いてみよう、と思ったところで、そのライダージャケットの男が弟のシルエットと重なったのだ。

「いつ取ったんだよ」

 免許を取ったような節はまるで見られなかった。燐はどちらかと言わず鈍く単純な方であるため、隠れて教習所に通うこともそう難しくはなかっただろう。どうして隠していたのだ、と怒りを覚えるほどの幼さはもう残っていないが、それなりに面白くはない。ぶすぅ、と頬を膨らませてそう問えば、「去年の夏くらい」と返ってきた。苦笑を浮かべた雪男は伸ばした手で燐の頬に触れてくる。拗ねた兄弟を宥めるにしては、甘さの含まれた手つきだ。

「……なんで」

 免許を取ろうと思ったのか。それを話してくれなかったのか。ほろりと零れた言葉に込められた意味を正確に読みとった弟は、「ちょっと待ってて」と言ってソファから腰を上げた。兄弟が住まう部屋はバストイレを含む洗面所と、対面式のキッチンと繋がるリビングダイニングの他にもう二つ、部屋がある。それぞれの自室として使うのが一般的かもしれないが、わざわざ別々の部屋で寝る意味が見いだせず、仲の良い双子は片方を寝室、片方を物置用の部屋としていた。雪男が向かったのは物置部屋のようで、すぐに戻ってきたその手には何やら紙切れが握られている。

「そろそろ言おうとは思ってたんだけど……」

 笑わないでね、と前置きしたあと差し出されたそれは色あせた写真。そこには今とほとんどデザインの変わっていない祓魔師のコートを羽織り、雪男が今日乗っていたような大型二輪に跨った男がひとり、煙草を咥えてにやりと笑みを浮かべていた。

「親父……?」

 燐の記憶にある養父よりもずいぶん若いが、それでもどこか人の悪そうな笑い顔は獅郎のものだと分かる。ぽつりと呟いた燐へ、「そうだよ」と弟が笑って肯定を返した。

「親父、バイク、乗ってたのか。つか、」
 ……ものすげぇ悪そうに見えんだけど。

 正直に口にしてしまえば、どう見ても真っ当な職業のものではなさそうだ。燐もあまりひとのことは言えないと自覚してはいるが、ガラが悪い、の一言に尽きる。その辺にいるチンピラじゃねぇか、と思わず口にすれば、雪男は苦笑を浮かべた。

「だからあんまり僕らには見せたくなかったみたいだよ、昔の写真」

 養父自身から彼の過去のことはあまり聞かなかったが、彼の亡き後獅郎を知るひとたちから話を聞く機会が何度かあった。十五年、彼の庇護のもとに育っているため父としての顔は知っているが、それ以外について知っていることは少ない。明るく破天荒で、はた迷惑な言動が多かったという話を聞く度に親父らしいなぁと思ってはいたけれど。

「僕がこれ見たのも偶然だったしね」

 弟が言うには獅郎から借り受けた薬学の資料に挟まっていたらしい。普段見ていた養父の姿とは若干異なるそれに、幼い雪男は思わず写真をこっそり抜き取ってしまったのだとか。
 養父は、昔はどうやら少しやんちゃをしていたらしい。燐たち兄弟を引き取って以降、彼なりに親としてあろうと努力をしていたことは何となく知っていた。そのために隠していた過去を、雪男はこっそり見てしまったのだ。

「で、この写真がどう関係してんだよ」

 養父の過去と雪男の現在がいまいち繋がらず、首を傾げて尋ねれば雪男はどこか罰が悪そうな顔をして視線を反らせる。さらに言葉を重ねることなく静かに弟の答えを待っていれば、「……かっこいい、って思ったんだよ」と小さな声が返ってきた。
 子供の前では見せなかった一面、父親ではなく男としてのそれを目にし、憧れを抱いたということなのだろう。子供っぽい感情だと恥ずかしく思っているようだが、弟の気持ちも分からなくはない。写真の中の父は今、燐の目から見ても確かにかっこいいのだ。雪男がいくつくらいのときにこの写真を目にしたのかは分からないが、成人し同じことができるようになるまでしっかり覚えていたあたりが彼らしいと思った。

「……バイク、買ったのか?」

 高校の頃から祓魔師をしているのだ、こつこつと貯蓄をしていればそれくらいは買えそうな気がする。雪男のことだ、無理な買い物はしていないだろうが、少し心配になって尋ねれば彼はふるり、と首を横に振った。どうやら今日彼が跨がっていたものは借り物らしい。

「医工騎士の先輩にバイク好きがいてね。数台持ってるらしくて、ときどき貸してもらってたんだ」

 大きい買い物だから買うなら兄さんに相談してるよ、と自然に続けられた言葉に思わず頬が緩む。

「欲しいなら買ってもいいんだぞ?」

 オートバイがどれほどの金額なのかいまいちよく分からないが、高いのならローンを組むなりなんなり手はあるだろう。

「あ、でもあれか、駐車場とか、どうなってんだっけ」

 今まで乗り物などほとんど興味がなかったため、このマンションの駐車場のシステムもよく分かっていない。さすがに自転車置き場に停めるというわけにはいかないだろう。首を傾げる燐に苦笑を浮かべ、「大型だからね、」と雪男が口を開いた。

「一スペース借りることになる。このマンション、車持ってるひと少ないみたいだし、いつでもどうぞ、みたいなこと言われたよ」

 既に管理会社の方へ問い合わせ済みだったらしい。バイクもそろそろ買おうと思っていた、と弟は言う。机の上に並べられた各社のカタログに、その言葉が嘘ではなかったことが察せられる。
 大手メーカーのカタログを手に取ってぱらぱらとめくり、ふぅん、と相づちを打ちながら「お前さ、」と燐は言った。

「さっきから『そろそろ』って言ってっけど、それ、俺にばれたから言ってるだけじゃね?」

 口調が少し責めるような色合いになってしまったのも仕方がないだろう。どうして雪男がこのことを燐に隠していたのか、単に話しづらかっただけなのか、理由は分からないが、弟のやりたいことを否定したり笑ったりするほど心の狭い兄ではないつもりだった。むす、とふてくされる燐を前に、「そうじゃないよ」と雪男は眉を下げて口を開く。

「内緒にしてたのはうん、ごめん。でも、黙ってたのも、そろそろって言うのもちゃんと理由があるんだよ」

 だから、その理由が分からないから面白くないのであって。
 そんな感情を全面に出した兄の顔を見てくす、と笑った雪男は、尖った燐の唇をぷにぷにと人差し指で押しながら「一年」とそう言った。

「二輪免許取って、一年経たないと後ろにひと、乗せちゃいけないんだよね」

 雪男が免許を取ったのが去年の夏のこと。それはつまり、ちょうど一年ほど前のことである。財布の中から取り出された免許証の交付日付も、確かに一年と少し前が記されていた。
 免許を取ってようやく一年が経った。これでようやく後ろにひとを乗せて走ることができるらしい。
 ヘルメットとかジャケットとか装備は全部買ってあげるからさ、と雪男は真正面から燐を見つめて言う。

「バイク買ったら、僕とツーリングデート、してくれますか?」

 可愛い弟兼格好いい恋人からのお誘いに、イエス以外の答えを返すことができるわけがなかった。



***     ***



 レッドブラウンのレザージャケットに黒のデニムパンツ、膝上から靴の下までを覆うレザーの保護具はライドウェーダーと言うらしい。それら装備一式を身につけた燐は、手袋とヘルメットを抱えてマンションのエントランス前に待機していた。すべて雪男からプレゼントされたものではあるが、総金額がいくらになったのか怖くて聞けない。むしろ考えないようにしている。とりあえず皮は高い、というイメージがあるだけだ。
 今日の朝一でバイクを受け取り、少しひとりで走って慣らしてから迎えに来る、と言っていた弟から、「そろそろ下に降りてて」という連絡があったのが五分ほど前のこと。
 どんなバイクにしたのか、カタログで写真を見てはいたが実物を見るのは今日が初めてだ。そして、正面から弟のライダー姿を見るのも初めてのこと。
 ひとよりも音をよく拾う耳が重低音を聞きつけ、入り口横の花壇の煉瓦からぴょこん、と立ち上がる。同時に敷地内に入り込んできた大型の二輪車。写真で見たとおり、ボディのカラーは黒で、フレームや細部にシルバーのアクセントが入っている車体がゆっくりと燐の前で停まった。その車は今日が初めてとはいえ、もう一年も乗っているのだ。ハンドルさばきも堂々としており、メタルボディと一体になったシルエットは写真で見た父の昔の姿に良く似ている、とそう思う。
 かっけぇじゃん、とか、乗り心地どうだった、とか、親父より似合ってる、とか。
 いろいろ言ってやろうと思っていた言葉があったのだけれど、ばさり、とヘルメットを取った姿に考えていたものが全部どこかに吹き飛んでしまった。朝出かけるときに、眼鏡は邪魔になるから、とコンタクトを入れていたことは知っていたのに。

「――――ッ」

 洗練されたデザインの優美なメタルボディに跨がった、少し地味だけれど綺麗に整った顔の男が真っ直ぐこちらを見やり、「おいで」と手を伸ばしてくるものだから。
 お前、兄ちゃんをときめかせてどーすんだよ、と真っ赤になった顔をヘルメットの下に押し込んだ燐の服の中で、照れと興奮を隠しきれない尻尾がぽふん、と小さく音を立てた。




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2012.09.04
















出勤途中ふたり乗りしてるカップルを見かけ、
即座に奥村妄想をした結果。