ヨンパチ。(その5)


 そのことについて後悔しなかったのか、と問われることがある。正直に言えば、と枕詞を置いて心情を吐露することは可能であるし、そうして紡いだ言葉には八割、とはいかずとも、六、七割くらいのひとに賛同してもらえる、あるいは同情してもらえるだろう、とも思っている。
 けれど、いろいろなもの(それは周囲の視線だったり、己の本音だったり)を無視して敢えていうのなら、後悔などしたことがない、とそう答えるだろう。

 高校一年生の春、たった一瞬の出来事で、世界が変わった。

 それは比喩でもなんでもなく、本当に目に見える世界が変わってしまったのだ。
 それまで彼女、朴朔子の見る景色には、悪魔などという物騒な存在は欠片も映っていなかった。親友が「そっち系」であったため、いないと思っていたわけではないけれど、まさか己の目で見ることができるようになるとは思ってもいなかった。
 結局生半可な気持ちで足を踏み入れて良い世界ではないと気づき塾は辞めてしまったが、悪魔のいる世界とはその頃からのつきあいである。
 それは大好きで、大切な親友、神木出雲の見ている世界。目で見る情報は、言葉で伝え聞く情報よりもずっとずっと多くのものを有しているとどこかで聞いたことがある。たとえどれだけ親友から「悪魔」の話を聞いたところで、それを実際に見るまではどのような存在なのか、きちんと理解できていなかったのがその証拠だろう。怖いもの、気味の悪いものに眉を顰めることも多々あるが、それでもようやく友達と同じ景色を見ることができるようになったのだ。その瞳を手に入れたことを、後悔するはずがない。

 高校を卒業し短大を経て一般企業へ入社という、ごくありきたりな道を進む中、つきあいの続いている親友から聞く限りでは、祓魔師を束ねる正十字騎士團という組織は常に人手不足らしい。前線に立つ祓魔師は当然ながら、後方支援をする研究者、あるいは一般人との間に入る受付を担う役、金銭的な部分を管理する役、つまりは事務職についても人手が足りていない。それなら自分にもできるかも、と思ったのがきっかけだった。親友である彼女や、塾時代に一緒だった友人たちのように、命を懸けて悪魔と戦うことは自分には不可能だ。けれど、そんな彼らの、大切な友達たちの背を微力ながら支えることはできるのではないか、と。ただの事務職とはいえ、やはり祓魔師団体であるため、悪魔が見えるもの、あるいは理解のあるものしか雇えないというのも、ひとが集まらない理由らしい。なおさら、自分ならうってつけではないか。
 思い立ったが吉日、朴はその一ヶ月後には、正十字騎士團日本支部の事務員として働き始めていた。思い切りと行動が早すぎる、と親友に呆れられたくらいである。
 そんな朴が今担っている業務は、終了した任務に対するバックアップである。任務に当たった祓魔師から報告書を受け取ってまとめたり、一般のひとからの依頼であれば依頼主へ完了報告を行ったり、被害について報告書をまとめ、どこまで騎士團側で補償できるかを算出したり。祓魔師側に被害があれば怪我の程度の把握、保険の適用、消費した消耗品、武器防具についての補填など、祓魔能力がなくともできる後始末、そして次の任務に祓魔師たちが万全の状態で望めるように整えるのが朴の仕事だ。

「ああ、朴さん、ちょうど良いところに」

 コピーを取りに席を離れたところで、このフロアの課長に呼び止められた。ぴらぴらと手にした紙を振っているため、「それもコピーですか?」と尋ねれば、「違う違う」と彼は笑う。

「ほら、こないだゆってたじゃん、佐藤中一級祓魔師のトリプルC濃度聖水の話。あれね、ちょーっと調べてもらったら、やっぱ、水増ししてこっち回してたみたい。よく気づいたねって監査の姉さんがたにほめられちったよ」

 祓魔師団体という、一般企業とは少し毛色の違う組織だからなのか、あるいは彼が特殊なだけなのか。ひどく子供っぽく、砕けた話し方をする上司だが、仕事は早く的確だ。朴のような部下の言葉にもしっかりと耳を傾けてくれており、先日補充備品のチェックを行っている際にわずかに不審に思い報告しておいたことをちゃんと調べてくれていたらしい。

「やっぱね、いくら悪魔と戦わないっつっても、それなりに知識がないとね、難しいからねこういうこと。朴さんは勉強家さんだから助かるよ」

 今度なんか奢っちゃろう、と告げられ、笑顔で期待してます、と答える。彼の言うとおり、いくら戦わない身であったとしても、それなりの知識がないと仕事にならないと気が付いたのは入社してからだ。マニュアル通りのことはこなせるが、たとえばどの悪魔にどんな祓魔が有用であり、どのような物を使用すると考えられるかということを知っておかねば、任務終了後に祓魔師たちから上げられる消耗品費の請求に不正の可能性があるかどうかも分からない。先ほど課長が言ったことも、件の祓魔師が討伐したはずの悪魔にしては、使用聖水の量が多すぎる気がし、念のため報告しておいたのだ。
 幸い、基礎的な知識を得ようと思えば、教えを乞う相手には事欠かない。ほんの指先だけではあるが、一度つかりかけた世界でもある。今更ではあるが知識だけでも取り入れてみるのも案外楽しいものだった。

「さってと、ほんじゃまあ、俺は監査部のねーさんがたと奴の過去の所行を洗ってそのまま帰るから、皆の衆もぼちぼち帰んなさい。仕事終わんねーってほど抱えてるなら、残業する前に泣きつきにきなさいね」

 帰り支度を済ませた課長は、分厚い資料の束を手に、同建物内にある監査部の部屋へと向かっていった。残されたのは部下たち数名である。時計を確認すればそろそろ五時になりそうで、終業時刻が近づいていた。泣きつかなければならない仕事はなく、急いで終わらせなければならない案件も抱えていないため、予定通り定時で上がれそうである。今日はこのあと約束があるのだ、急いで残りの仕事を済ませてしまおう。
 紙の束を手に席へ戻り、自部署にて保管するものと他部署へ回すものをより分けていたところで、「うわぁ」と右斜め前方の席から声が上がった。続けて「これ、また未処理で戻ってきてやがるよ」といううんざりとした言葉。

「ああ、南駅高架下の駐輪場のやつ? これで三度目? 低級悪魔だろ? なんで中級の祓魔師で祓えねぇんだよ」
「知らねぇよ、手抜きでもしてんじゃねぇの?」

 ふざけんなよ、と乱暴な言葉で会話を交わしているふたりは、朴より二年ほど長くこの仕事をしているという先輩社員である。背が高く、眼鏡をかけている方が曽野、やや小太りの方が橋本という名であるが、噂ではふたりともどうしても称号認定試験に受からず、祓魔師を諦めて事務方にやってきたらしい。それなりに祓魔の知識はあるそうで、彼らは依頼をランクにあった祓魔師へ振り分ける業務をこなしていた。

「調査部へ差し戻してみたら?」
「したよ、したけど、『低級で間違いない』って突っ返されたんだっつの。あいつらも適当こいてんじゃねぇの?」
「こっちが何も知らねぇと思って、調子こいてんだろ」

 くそがっ、と吐き捨てられた言葉に思わず眉が寄る。確かに、数度の任務要請を経ても未解決のままであると、どこかに不備があると言わざるを得ない。祓魔師側の不備なのか、あるいは先見隊として悪魔のレベルを計りに向かう調査部員の不備なのか、あるいは調査書、依頼書をよく理解できぬまま任務を振り当てている事務方の不備なのか。
 彼らふたりで文句を言い合うのではなく、そういうものこそ課長に相談すべきでは、と思いはするものの、そこは朴が関する業務ではない。余計な口を挟まぬ方が利口だろう。そう思ったところで運悪く、曽野と目があってしまった。別段彼らを責めるつもりで見ていたわけではなかったのだが、朴の視線を男はそう捕らえたらしい。眼鏡の奥の瞳を細めちっ、と大きく舌打ちした彼は、「ああ、そうだ」とわざとらしく声を上げた。

「こんな厄介な任務、噂の『ヨンパチ』とやらにやってもらったらいいんじゃねぇの?」

 曽野の視線と声音に、橋本も朴の方へ目を向けてくる。
 日本支部第八班、『ヨンパチ』と呼ばれているそのチームは、支部きってのエース、実力者、個性派メンバで構成されていた。一たび彼らに祓魔を依頼すれば、各々の能力を最大限に活かし、最小の被害、時間で最高最大の功績をあげる、と国外にも名を轟かせるほど実力のあるチームである。
 そのチームに所属しているメンバこそ、朴が僅かの期間通った祓魔塾において、共に学んだ元同期生たちなのである。曽野、橋本だけに限らず、この部署にいるものたちはほとんど、そのことを知っていた。しかし、このように当てこする発言をするのは、彼らふたりくらいであるが。

「ああ、そりゃいいなぁ。ちょうどその『ヨンパチ』のオトモダチもいらっしゃることだしなぁ?」

 『ヨンパチ』のメンバである同級生たちとは、ありがたいことに今でもそれなりに親しい付き合いをさせてもらっているが、当然ながら個人的に彼らに祓魔を頼むことなどあるはずもないし、正式に課を通しての任務要請ができるような立場にもいない。(そもそも彼らレベルの班になると、このような一事業部の一事務員が任務を要請するなどあり得ない話なのである。)
 今までも似たような嫌味を言われたことはあったが、ここまで程度の酷いものは初めてだ。おそらくつい先ほど朴が課長に褒められたこともまた、彼らにとっては面白くなかったのだろう。
 はぁ、とため息をついたところで、ほかの同僚たちから気遣わしげな視線を向けられていることに気が付いた。基本的に波風立たせず、穏やかな人間関係を望んでいるタイプだ。あとで「騒がせてごめんなさい」と謝罪して回っておこう、と心に決める。しかし、もともとこちらに非友好的であるふたりのようなものと会話をしたところで、得るものは何もない。むしろ貴重な時間を消費してしまうばかりであり、今日の朴には定時で上がって夕食を食べにいくという使命があるのだ。
 気にしていません、むしろ聞こえていません、というレベルで無反応を決め込み、己の業務に没頭すれば、ふたりの男はまたさらにおもしろくなさそうに顔を歪めた。

「つーかさぁ、そもそも『ヨンパチ』っつーのも調子乗ってる気、しねぇ?」
「ああ、分かる分かる。そりゃ、確かに強ぇんだろうけどさ、俺らと同じ年くらいだろ? ちょーっと戦えるからってちやほやされて、調子乗りましたってな」
「ははっ、ガキにありがちなやつな。でもほら、『ヨンパチ』の中にゃあれがいんだろ、悪魔が二匹」
「ああ、青焔魔のガキか。青焔魔って悪魔の親玉だろ? その血が入ってんならいつ人間を裏切るか分かったもんじゃねぇな」
「悪魔の力に頼って悪魔狩りしてんだ、『ヨンパチ』のほかのメンバは大したことなかったりしてな」
「むしろ、そいつらも悪魔だったりして、」

 そこまでが、限界だった。
 揃えた紙の束を机に叩きつけて立ち上がる。室内に響いた音の大きさに、残っていたものが肩を震わせ一斉に朴のほうへ視線を向けた。

「私の友達のこと悪く言うの、止めてもらえます?」

 自分のことならばいい、どう言われようと聞き流すことくらいわけはない。しかし、大好きな友達のことを馬鹿にされ笑われ、それでも聞かなかった振りができるほど、朴の心は鈍感ではないのだ。

「奥村くんたちが悪魔だっていうのは事実ですよ。でもふたりのことをなにも知らないくせに、好き勝手に言わないで。奥村くんたちがどれだけこの世界のこと好きか、知らないくせに。みんながどれだけ必死になって、ここを守るために悪魔と戦ってるか、知らないくせに!」

 彼らの戦う姿を一度でも目にすれば、今のような戯れ言を口にすることなどできなくなるはずだ。皆それぞれ、与えられた階級にふさわしい腕前の持ち主で、ほかの祓魔師たちから羨望のまなざしを受けるのも分かるほど、すばらしい団結力を持つチームなのだ。朴は知っている、彼ら自身から話を聞いているし、実際にその戦っている姿を(一度だけだが)見たこともあるため知っているのだ。

「さっきの言葉、撤回して、謝ってください」

 今の言葉が友人たちの耳に入ったところで、彼らは露ほども気にしないかもしれない。あれだけの実力と話題性を持つひとたちなのだ。こんな陰口など、数え切れないほど耳にしてきただろう。相手にするだけ無駄だ、と(先ほどの朴のように)取り合いさえしないだろう。しかし、それでは朴の気が済まない。せめて言葉を撤回させなければ。
 そう意気込んで睨みつけたところで、ふたりにはさほど効果はないようだ。さも面倒くさそうに顔を顰め、「なんで謝らなきゃなんねぇんだよ」と吐き捨てられた。

「つーか別に、あんたのこと悪く言ったわけでもねぇだろ?」
「そうそう、俺ら噂の『ヨンパチ』さまについて話してたんだしな」
「本人らが目の前にいるっつーなら、まあ話は別だけどよ」
「いい年した大人がさ、そうやってトモダチのためにカッカ熱くなんの、流行んねーと思うぜ?」

 なぁ、と顔を合わせて笑い声を上げる。顔の見えないところで他人の悪口を言いたい放題口にする、彼らのその行為は「いい年」をした大人のやることなのだろうか。そう言い返してやろうとしたところで。

「悪かったわね、子供で」

 聞き覚えのある、凛とした声。驚いて振り返れば、部屋の出入り口に、なぜか携帯電話を掲げた親友の姿があった。デニムのショートパンツにミントグリーンの七分袖パイル地パーカー、頭には黒いキャップとボーイッシュな出で立ちだ。今日はオフだと言っていた彼女、夕ご飯を食べに行こうと約束をしていた朴をわざわざ迎えに来てくれたのだろう。橋本が「げ」と小さく悲鳴を上げたのが耳に届く。そんな男を一瞥したあと、「聞こえたわね、あんたたち」と神木出雲は電話に向かって声をかけた。

「よほどの用事のある奴以外、第二事業部室前に集合しなさい、今すぐにっ!」

 少し離れているためはっきりとは見えなかったが、彼女が手にしていたスマートフォンの液晶には、よく見かけるタイプの通話アプリが表示されている。それはインターネットを通じて会話をするものであり、電話通信とは異なって一度に複数のひとと話ができる機能があった、はず。
 鼻息荒く言い切った彼女は電話をしまうと、「朴、今日のご飯、ちょっと遅れてもいい?」とこちらへ視線を向けた。

「あ、うん、それは別に、いいけど……」

 いったい彼女は誰を、何のために呼びつけたというのか。
 その疑問は口に出す前に明らかになった。

「朴ちゃん虐めるの、どなたさん?」

 室内に響いた声、出所を探れば、いつの間に現れたのか、曽野と橋本の後ろに、ひとりの男の姿がある。しゃん、と涼やかに鳴らした錫杖の先を、ふたりの間を割るように突きだし、「あんさんら?」と志摩廉造はにんまりと笑ってみせた。ベージュのパンツに白のTシャツ、黒いジレ、首にかかっているものは数珠タイプのネックレス。本物の数珠なのか、それとも単なるファッションアイテムなのかは分からないが、手に持っているものさえ見なければ、ごく普通の一般的な若者のスタイルだ。

「志摩くん」
「はいはい、朴ちゃん、三日ぶり! 今度、俺もご飯、混ぜてな」
「女関係になるとほんま行動が早いな」

 志摩の言葉に呆れた声音が重なり、そちらを見やれば、神木のうしろからぬ、と現れた姿に、室内にいたものほぼすべてが「ひっ」と小さく悲鳴を上げた。

「……坊、なんや、減量中のボクサーみたいなカッコ、してはるね」

 素直な感想を口にした幼馴染へ、「うっさいわ、ボケ」と勝呂竜士はサングラスを外して吐き捨てた。グレーのウィンドブレーカーに同じ色のパンツ、ポケットに入れたポータブルオーディオから伸びたイヤホンを耳にパーカーをかぶり、スポーツタイプのサングラスをかけている。どうやらランニングをしていた途中らしい。とりあえずこんな姿の男が正面から走ってくる姿が見えれば、誰もがなにも言わず道を明け渡しそうである。

「ノリちゃん、大丈夫!?」

 次に部屋に飛び込んできたのは、ピンクのワンピースを纏った杜山しえみだった。栗色の髪の毛が頭の左側でふわり、とカールを形作っており、そこには生花で作ったと思われる髪飾りが乗っている。

「全然大丈夫だけど、しえみちゃん、そのワンピース、すごい可愛いねぇ」

 神木の次に親しいヨンパチメンバの登場に、朴は思わず杜山の側に駆け寄ってそう口にした。普段から可愛らしい友人ではあったが、今日はまた一段と素敵な装いである。和装で過ごしていることの多い彼女にしては珍しい洋装でもあった。

「あ、うん。今日ね、お花の先生の展覧会にご招待頂いてて、それを見にいってたの」

 植物を愛する彼女は一年くらい前から、フラワーアレンジメントを習いに行っているという話だった。それならば、わざわざ呼び出してしまったのは迷惑だったのでは、と朴が心配すれば、丁度帰るところだったから、と杜山は笑みを浮かべる。

「むしろごめんね、こんな格好で。でも大丈夫、ニーちゃんはいつも一緒だから!」

 そう言う彼女の肩には学生の頃から苦楽を共にしている使い魔がちょん、と乗っていた。何がどう「大丈夫」なのかよく分からなかったが、とりあえず迷惑になっていないのならばそれで良しとしよう。

「ああ、どうせやったら先週の任務の報告書、持って来れば良かったですねぇ」

 すっかり忘れてましたわ、と言いながら姿を現したのは、黒い法衣を纏った坊主、三輪子猫丸。寺に属していると聞いてはいたが、やはりその頭もあり法衣を着るとどこからどう見ても坊主そのものだ。

「なんや、猫、京都戻っとったんか」

 幼馴染の姿に声を上げた勝呂へ、「金造さんに呼び出しくろてたんですよ」と三輪は苦笑を浮かべる。

「なんや、『廉造は役立たへんから』て、寺の書庫の整理、してました」
「あー、まあ、その言葉に反論はせぇへんけど、子猫さんも金兄のゆうことなんて、聞かんでもええと思うで?」
「もともと僕もやろうと思うてたことでしたし、丁度休みでもあったんで」

 書庫の整理が終わったところで丁度神木からの呼び出しがあったらしい。助かりましたわ、と三輪は神木へ笑みを向ける。もしその電話がなければ、金造に付き合って居酒屋にでも繰り出すことになっていただろう。最近かの兄(血のつながりはないが、弟のように扱ってもらっており、兄のように慕ってもいるのだ)は洋酒にハマっているそうで、ウイスキーばかり勧めてくるのだ。正直日本酒の方が好みであるため、そればかりというのも辛いものがある。

「で、ええと、あとは燐くんらくらいですかね?」

 くるり、と室内を見回し、集まったメンバを見て三輪がそう言ったところで、「悪ぃ、遅くなった!」と走ってきたものがひとり。

「第二事業部とか普段来ねぇから、どこか迷っちった」

 この部は祓魔師たちからの任務報告書を纏める場でもある。一般的な祓魔師ならば訪れない、ということはまずないのだが。

「奥村くんのって、いつも先生が持ってくるもんね」

 朴が笑いながら言えば、「だって、どうせあいつ、あちこちに用事あるっつーんだもん」と青い炎を体内に飼う悪魔、奥村燐は唇を尖らせて答えた。それならば、報告書提出の一つや二つ、頼んだところで罰は当たらないだろう。そう言うチームメイトを見やり、神木が「ていうかあんた、その格好、なに」眉を顰める。
 どこか変な格好だろうか、と慌てて己の服装を見下ろす燐だが、彼個人としてはどこもおかしな部分は見当たらないらしい。確かに、クリーム色のTシャツにカーキの綿パンはごく普通の部屋着だ。飾り気のないそれは彼によく似合っているともいえる。しかし燐はその上に、胸元に猫の顔が描かれている可愛らしい黒いエプロンをつけていたのである。夕飯づくりの途中で飛び出してきたというような格好であり、言われなければ誰も彼が悪魔であること、それも青焔魔の血を引いていることなど思いもしないだろう。(説明したところで信じてもらえなさそうでもある。)あまりにも自然な様子に、この悪魔はもしかしたらエプロンをつけたまま商店街くらいにならば買物にでかけてさえいるのかもしれない、と皆が思った。

「途中まで雪男も一緒だったんだけどさ、ちょっと上、行ってくるってさ」

 燐はそう言って指を立てるが、彼の弟は物理的にこの建物の上階にいる、というわけではないのだろう。おそらく組織的に「上」にいるもののところへ顔を出しにいったのだと思われる。何らかの根回しをしにいった、と考えるのが妥当だろう。そういった判断の速さ、行動の速さはさすが、といったところだ。
 そう思いながら、「ていうかあんた、」と神木はもう一度先ほどと同じ言葉を口にし、呆れたように言葉を続けた。

「刀は?」
「……あ」

 確かに今すぐに集まれ、と言いはしたが、状況を鑑みれば武器くらい携帯してくるのが普通というものだろう。現に勝呂はガンホルダーを腰に、志摩は錫杖を手にしている。詠唱が武器である三輪や、使い魔を連れている杜山が手ぶらなのは分かるが、騎士である燐が得物を持っていないというのはどう考えても役立たずフラグでしかない。

「さ、菜箸なら、持ってるけど……」

 かちかち、と(なぜか)右手に持ったままだった菜箸を鳴らし合わせ、燐はえへ、と笑ってみせた。当然神木からは「ばっかじゃないの」という、凍えそうなほどの罵声しか返ってこない。菜箸を事務机の上に置いた悪魔の青年が「あう……」と尻尾を垂らして俯く姿は、年の割にひどく幼く見えた。しょぼんとしている様子を気の毒に思った三輪が「まあまあ」と割って入るのと、「すみません、遅くなりました」と最後のひとりが姿を現したのはほぼ同時。

「とりあえず、被害さえ出さなければ何をしてもいい、という許可は分捕ってきましたよ」

 眼鏡を押し上げてそう言ったのは、悪魔の双子の片割れ、奥村雪男だ。彼もまた兄同様、ジーンズにTシャツ、カーディガンといういたってラフな姿であり、兄弟揃って自宅にいたものと思われる。
 かつかつ、と足音を響かせて部屋の奥へ進む悪魔の弟は「南駅高架下の駐輪場、でしたっけ?」と曽野、橋本のふたりへ視線を向けた。

「ああ、なんや言いよったなぁ。俺らに頼むしかないとかなんとか」

 雪男に続いて奥へ入り込んだ勝呂と、「俺らが調子に乗っとるやのなんやのとかねぇ?」と笑みを浮かべる志摩がふたりに席を立つよう促す。曽野の背後に志摩が、橋本の背後に勝呂が立ち、気の毒な事務員はなかば押されるように足を前に進めた。

「別に何言われてもええんですけどねぇ、僕らに関しては」
「でもノリちゃんに迷惑かかっちゃうのはね、嫌だから」

 そう言う三輪と杜山の間を通り、一度ぴたり、と閉められた扉の前へふたりは誘導される。鍵を差しこんで空間を繋げたのは、扉のそばにいた双子の兄悪魔。

「とりあえず、見てもらうのが一番早いしな」

 いたずらっ子のような笑みを浮かべて言う燐の側で、「朴も来る?」と神木が親友へ声をかけた。

「すぐ終わるし、危ない目には絶対に合わせないわ」

 そう言ってくれるが、彼女たちと一緒にいて危険な目にあうはずがないではないか。邪魔でないのなら、と申し出を有難く受け入れ、朴もまた開かれた扉の向こうへ足を踏み入れた。
 行き先は当然、南駅高架下、件の悪魔が現れるという駐輪場近く(どうやら高架下にあるレンタカー屋の扉に繋がっていたらしい)である。
 そろそろ日暮れも近い。頭上に高架橋があるため、周囲は薄暗く生暖かい風が吹いていた。悪魔が現れると報告されている駐輪場へ、戸惑うことなく足を向ける祓魔師たちの背中にも、夜の闇が伸びている。服装もばらばらで彼らの間で会話が交わされているようでもない。これから祓魔を行うようには見えなかったが、影を背負った祓魔師たちの雰囲気は、既にプロのそれであった。
 勝呂、志摩の両名が先を行く仲間を追いかけたため、ようやく無言の圧力から逃れることのできた男ふたりは、唇を戦慄かせながら非常識な人物たちへ非難の視線と言葉を向ける。

「お、俺らを連れてきてどうしようってんだよ!」
「あんたら、頭、おかしーんじゃねぇの!?」

 しかし冷めた瞳を向けられ、すぐに彼らの口は閉じられた。

「別にどうもせぇへんわ、そこで大人しゅうしとけばな」

 言いながら腰のガンホルダーから愛用の銃を抜き、駐輪場へ鋭い視線を向けるは上一級祓魔師、詠唱から銃の扱いまで自在に行う優秀で努力家な祓魔師、勝呂竜士。

「朴ちゃんに突っかかるのはなぁ、ようない思うねん」

 女の子には優しゅうせな、とにんまり笑って言う、上二級祓魔師志摩廉造。騎士の称号を持つ彼が得物である錫杖でとん、と地面を突けば、先の遊環がしゃん、と清らかな音を立てる。

「奥で仕事してはる方にはなかなか分かってはいただけませんからね、現場のことって」

 苦笑を浮かべながらも、どこぞに異変は現れていないか、妙な空気が流れていないか、鋭く観察を続けている三輪子猫丸、中一級祓魔師。全体を把握することに長け、知識も豊富な彼はメンバの中でも司令塔を務めることが多い。

「友だちのために熱くなっちゃうのって、私、悪いことだとは思わないな」

 普通のことだよ、と言いながら、ワンピースの裾が汚れることも気にせず、地面に両手をつけて悪魔の動向を探っている。中二級祓魔師の杜山しえみは、「見つけた」と柔らかな声で呟いて笑みを浮かべた。

「朴はあたしたちを理解してくれる大切な友だちよ」

 そんな大切なひとを悲しませる相手を簡単に許すことなどできない。言い切る神木出雲上二級祓魔師は、キャップを脱いで長く艶やかな黒髪をなびかせると、召喚円を彫り込んだ額へ指先を当てた。ふわり、と彼女を取り巻く白い光はすぐに二匹の白狐へと姿を変える。

「そもそもここの祓魔、若干特殊な事例だって、調査報告書にあったの、読んでなかったんですか?」

 眼鏡の奥の瞳を細めてそう口にする青年は、悪魔でありながらも上一級の位を持つ祓魔師、奥村雪男だ。兄の炎をともに操ることができる男だが、その視線は魂から凍りつきそうなほど冷ややかだった。
 彼は「ほら、バカ兄」と燐を呼び、手にしていた長物を投げつける。上二級祓魔師である青焔魔の息子、奥村燐は、さすが雪男、と笑みを浮かべてそれを受け取った。
 彼らの言動を前に、ようやく曽野と橋本は、これから『ヨンパチ』の手による祓魔活動が行われるのだ、ということを理解したらしい。いくら知識があるとはいえ、称号を得ていない自分たちは飽くまで一般人だ。祓魔を行う場所に一般人を連れてくるなど、正気の沙汰とは思えない。
 無理やり連れてこられたふたりの男は、「おかしいだろ」「なんなんだよ、あんたら」と呆然とした言葉を零す。彼らに背を向けたまま駐輪場を眺めていた悪魔は、「何って言われてもなぁ」と小さく呟いた。彼の尖った耳は、ひとのものより多くのことを聞きとめてしまうのだ。
 燐はがりがりと頭を掻いたあと、ちらり、と曽野と橋本へ視線を向ける。

「俺らが何者か、あんたら、よく知ってんだろうけどさ、まあじゃあ、一応自己紹介でもしとこうか?」

 口元を緩めた燐は、黒く長い尾を、広がりつつある宵闇を裂くようにゆうるり、と振った。水平に構えた刀が、音もなくす、と引き抜かれる。

 灯る青。
 揺れる青。
 薄暗い空間に現れた、幻想的な青。
 それは思わず息を呑んでしまうほどに美しい、青。

「どーも、ハジメマシテ? 我々がこの度の祓魔に当らせていただく日本支部所属第八班――」

 青を纏わせた二つの瞳を先頭に、他十二の目がこちらを見据えた。
 牙を覗かせにんまりと笑ったエプロン姿の悪魔が告げる。


 通称『ヨンパチ』で、ございまぁす。




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2014.01.17
















厨二病全開でお送りしております。

Pixivより。