ヨンパチ。(その6)


 悪魔との戦闘、それは死と隣り合わせの世界。
 けれどそんな世界のなか、銃声と断末魔をバックにふたりきりで踊ることができるのなら、それはそれで悪くない。
 決して悪い世界ではない。



「まあ結局僕は兄さんとならどこでもいいんだろうけど」

 それはもはや言葉にする必要もないほどに当たり前の事柄ではある。けれどそこに当然あるものであっても、時々は確認しておかなければ人間はその有難味を忘れてしまうものなのだ。といっても雪男は人間ではなく悪魔だけれど。

「なんだぁ? 突然熱烈な告白だなぁ」

 嬉しいけどもーちょい時と場合を考えようぜ、とこれまた至極当然な回答が兄から寄越される。なんだっけ、エヌエイチケイ? そう首を傾げているがたぶんTPOのことが言いたいのだろう。日本放送協会や日本発条、ましてや日本ひきこもり教会について話をしていた記憶はまるでない。けれどいちいち訂正するのも面倒で(したところで兄の頭だと三秒も覚えていられない)、ごめんね、と謝っておいた。
 とん、と合わさる背中、少しだけ体重がかけられたのはわざとだろう。鼻腔を擽るわずかな香り、燐の匂いだ。悪魔が放つ腐臭に負けて硝煙の匂いすら分からないというのに、兄の匂いだけは敏感にかぎ取るのだから己の鼻も正直なものだ。

「謝んなくていーから、あとでその告白聞かせろ」

 できれば悪魔のいないふたりきりの部屋あたりだといい。素直にそう望んでくる彼に笑いを零し、今度は喜んで、と返しておいた。
 するり、と太腿に絡まってくるものは燐の尾だ。飾り毛に灯った真っ青な炎が足を伝わり体内へと注ぎ込まれてくる。同じ悪魔と言えど、雪男には炎を生み出す力はない。けれど燐の炎が雪男を傷つけるはずもなく、むしろ戦うための力を与えてくれるもの。
 もらってばかりで悪いから、とその尾を捕え、ちゅ、とキスを一つ。

「終わってからゆっくり注ぎ返してあげるね」
 ベッドのなかで主に精液的な何かを。

 最低な下ネタだな、という褒め言葉を背中に、雪男はとん、と地面を蹴った。左手に構える銃へ兄から貰ったばかりの炎を灯しながら。

 双子の兄である燐は悪魔だ。それも青焔魔の血と炎を引き継いだ存在だ。
 その弟である雪男はかつて人間だった。けれど今は兄と同じ悪魔の身体と力を持つ。十年ほど前の事件で悪魔として目覚めてしまったのだ。
 悪魔となる自分、それを人間であったころに考えたことがなかったわけではない。できれば避けたい事態だとずっと思っていた。せめて自分だけはまともであらねば、とまともが何を指しているのかも分からないまま思い込んでいた。
 けれど結局、とこうして兄の炎に身体を焼かれながら思う。
 あの頃の自分が恐れていたものは、決して悪魔となる自分ではなかった。そうなることで兄を苦しめることになるのではないか、兄をひとりにしてしまうのではないか、兄とともにいることができなくなるのではないか、それが怖かったのだ。
 何せ雪男は己が捻くれていると十二分に自覚している。おそらくはもともと悪魔であった兄よりも悪魔らしい思考をしているだろう。こんな自分が身体まで悪魔になってしまえば、より心が虚無界へ引きずられてしまいそうな気がしたのだ。
 そうなって誰かに迷惑をかけるくらいなら、一層のこと殺してもらいたい。
 そう願った雪男を、双子の兄は殴り飛ばした。
 それはもう盛大に、力の限りに。雪男が悪魔として覚醒していなければ、顔面がひしゃげてしまっていたのではないか、と思うほど勢いよく。
 アレで目が覚めた、とは言わないけれど(こちらも悪魔といえどものすごく痛かったし顔だって腫れた、今でも多少恨んでさえいる)、馬鹿なことを言ったな、と今ではちゃんと思えるようになった。そうなるための努力を、心優しい仲間たちに支えられながら兄とふたりで重ねてきたのだ。

「たまには、ね」

 最近はチームを組んでいる彼らと任務へ赴くことが多い。もちろん気心の知れた仲間たちだ、彼らと過ごす時間は好きだし掛け替えのないものだと思っている。けれど時々はこうして、最愛の兄とふたりだけの戦いもいいかもしれない、と思うのだ。
 タン、タン、タン、と単調に放たれる銃弾に、結界内に閉じ込められている悪魔は確実にその数を減らしていく。炎で一斉に燃やしてしまったほうが早いのだろうが、残念ながらそれができない事情がある。悪魔が奪い去ったモノを奪い返す、それも任務のうちの一つなのだ。
 撃ち切った右の銃を一度ホルスターへしまい、足を止める。休む間もなくバックステップ、たった今雪男がいた場所から黒い腕が伸びあがった。悪魔の動向を探ることを得意とする仲間がいれば、きっとこういった攻撃ももっと早く分かるだろうに、とそう思う。とん、とん、ともう二度ほど後ろへ飛びのき、コートの裾を翻して右脚を繰り出した。蹴り飛ばされた悪魔へ照準を定め、真っ青な弾丸を放つ。

「あいっかわらず容赦ねぇな、雪ちゃんってば」

 からかうようにそう言いながら、兄が背後に降ってきた。それは比喩でもなんでもなく、上空から落ちてきたのだ。
 戦う訓練として、もうひとりの家族でもある猫又クロとじゃれていたせいだろうか。彼はとてもアクロバティックな戦い方を身につけている。首に掛かるペンダントと黒い尾を揺らし、体重をまるで感じさせぬ動きで戦場を飛び回るのだ。今もおそらく、上空を旋回している鳥型の悪魔を足場に上で暴れていたのだろう。
 以前は予測のできない行動の兄を見て苛々としていたものだけれど、今はそれを許容するだけの余裕が雪男にもある。なんだかんだ言っても彼は、必ず雪男の元に帰ってくる、そのことを魂から実感しているからだろう。
 そう、燐がいれば、燐のいる世界ならば結局雪男はどこでだって生きていけるのだ。
 それがたとえ、殺意の溢れかえる悪魔だらけの世界だとしても。
 けれど。

「……知っちゃったからなぁ」

 燐さえそばにあれば他に何も要らない、望まない。その「さえ」が一番手に入れづらいだろう、そう思っていたけれど、意外にもあっさり彼は雪男の腕のなかに転がりこんできた。その上、これ以上望んでは罰があたるとまで考えていた優しい世界が、今雪男の回りに広がりつつある。
 冗談を言い合える友人たちが、叱ってくれる頼もしい仲間たちが、帰りを信じ待っていてくれる彼らがいると、雪男は知ってしまっているのだ。

「ねぇ兄さん、もうちょっと容赦なくいきたいんだけど、」

 どうだろうね、と背後の兄へ提案すれば、彼は小さく笑って頷く。

「俺もちょうどそう思ってたとこ」

 さっさと終わらせて仲間たちのところへ帰りたい。そのためには依頼をきっちりこなさなければ帰れないのだ。
 ざ、と刀を横に薙ぎ真っ青な炎を立ち上らせ、燐は一時的に自分と弟を炎の壁のなかへと閉じ込める。敵から隔離されたそこで双子の兄弟は向かい合い、武器を手にしたままねっとりと舌を絡めるキスを交わした。これ以上すれば止まらなくなる、お互いがそう思うギリギリまで唾液を混ぜあい、その唇を貪る。

「……えっろい顔」
「兄さんに言われたくない」

 赤い唇でにったりと笑う燐は、さしずめ発情した雌猫のようだ。そう揶揄すれば「お前は涎垂らした雄犬だろ」と言われた。なるほど、ぐうの音も出ない返答だ。そうだよ、と徐々に治まりつつある炎の壁へ視線を送りながら雪男は言う。

「隙あらば兄さんを押さえつけて犯したがってる獣だからね」

 あまり煽ると痛い目みるよ、という弟の言葉へ、「大丈夫だって」と兄は笑った。

「そんな行儀の悪いケモノは兄ちゃんが躾け直してやる」
 そっちこそあんまり煽んな?

 雪男を見上げそう笑った燐の手にはたった今まで雪男が手にしていた銃がある。
 同じように雪男の右手には、炎を纏わせたままの倶利伽羅が。
 炎の壁のなか、青焔魔の血を引く双子の悪魔は唾液の交換とともに、己の命を預ける武器をも交換する。
 雪男が腕を振るって炎の壁を薙ぐと同時に、その腰から予備のマガジンを抜きとった燐は手慣れた仕草で交換した。
 これは誰も、そう今チームを組んでくれている彼らも、おそらくはあの道化悪魔ですらも知らないこと。
 兄は弟の銃を弟よりも巧みに操り、弟は兄の刀を兄よりも鋭く翻す。

「だって雪男の大事なモンだろ? 俺以上にうまく使える奴がいるわけねぇじゃん」
 そう言って、燐は銃身に舌を這わせ嫣然と微笑む。

「大丈夫、優しく丁寧に使ってイかせてあげるから」
 そう言って、雪男は刀身を指で辿り官能的に笑う。

 倶利伽羅は燐の手を離れても青い炎を灯したままで、供給の必要すらない。当然燐は己で生み出した炎を銃弾に纏わせているため、こうして武器を交換しての戦いは通常よりも手早く終わる。
 ただしあまりにも容赦のない残忍な戦闘となり、一方的な殺戮が繰り広げられるだけとなるため、終わったあと興奮がなかなか収まらないのだ。誰よりも大切な片割れの武器を使っている、ということもまたそれに拍車をかけてくる。正直出していないだけで、悪魔を殺している最中は何度かオーガズムにさえ至っているのではないかとまで思う。当然ひとのいる場でできることではなく、だからこそこのことは、双子の兄弟しか知らない秘密なのだ。唯一知ることのできる相手といえば、こうして現在相対している悪魔たちであろうが。

「もったいなくて教えてやんね」
「その記憶ごと消え果ろ」

 引き金を引いた衝撃を腕に受けるごとにまるで体内の最奥をガン突きされているかのような、燐の恍惚とした表情も。
 青い刀身を悪魔へ突き刺すたびにまるで粘膜へ性器を突き入れているかのような、雪男のサディスティックに歪む顔も。
 全部全部、自分たちだけのものなのだ。
 ざん、と最終目的であった本体の身体を雪男の握る刀が貫き、同時に真横に舞い降りた燐がその頭へ弾丸をぶち込んだ。すべてを燃やす前に目的のものを回収し、これにて任務は終了である。

「ッ、なぁ、ゆき……っ」
 早く帰ろ、帰ってその股間でおっ勃ててるモン、俺に寄越せ。

 首筋に腕を絡めてねだってくる兄の尻をぎゅむと強く掴めば、あん、と発情した声があがった。おそらくわざと口にしたのだろうが、こちらを煽るものとしては十二分に効果を発揮している。ねだられなくてもぶち込む気は満々ですが何か。
 そうして貪りあい、ふたりが満足するまできっと、理解のある仲間たちは待っていてくれるはずだ。
 腕のなかに治まってくれている最愛の兄。
 彼さえいれば他に何も要らない、そう思っていた時期が確かにあった。
 悪魔を前にふたりきりで踊ることができるのなら、それはそれで悪くない。
 決して悪い世界ではないけれど。
 燐がいて、燐を愛することができて、そんなふたりを受け入れてくれる優しい仲間たちがいる。
 そんな世界はきっと、もっと素晴らしい世界に違いない。



 ちなみに双子の兄弟を悪魔の群れに放り込んだ元凶は日本支部長であり、彼からの依頼は奪われた限定フィギュアを傷つけることなく取り戻して欲しいという至極個人的なものだった。職権乱用にも程がある。
 あまりにもひどい依頼内容であったため、取り戻したフィギュアを前に上機嫌な隙を突いて仲間全員分の二日間の完全休みをもぎ取り、奥村家で盛大な鍋パーティーを開いてやった。もちろん材料費はメフィスト持ちである。






ブラウザバックでお戻りください。
2014.01.17
















開き直った雪男を書くのが楽しいです。

Pixivより。