兄弟からの


「何でその日に任務入ってんだよっ!」
 絶対入れんなっつったじゃん!

 正十字騎士團日本支部内に、そんな怒鳴り声が響いたのはクリスマスイブの前日のことだった。がう、と牙を見せて噛みついてくる部下へ、上司は眉間にしわを寄せて「うるせーよ」と吐き捨てる。

「祓魔師なりたてのぺーぺーが仕事選べるとでも思ってんのか、ああ?」

 垂れた目で睨みつけられ、奥村燐はう、と言葉を詰まらせた。でもだって、と唇を尖らせて俯く。彼の正面に立っているのは監視役であり、剣の師でもある女祓魔師だ。

「第一あたしに怒鳴っても仕方ねぇだろうが」

 行動をともにする機会は多いが、彼女が燐に任務を割り振っているわけではない。一応上に伝えはしたんだぞ、と付け加えられ、燐はますます俯いてしまった。ごめん、と素直に吐き出された謝罪に、シュラははぁ、とため息をつく。

「お前さ、もう十八になんだろ? 高校出たら社会人だ。誕生日が仕事になったくらいでいちいちごねんなよ」

 社会に出ればそんな事態はざらに転がっているもの。仕事中にアルコール缶を手にしている彼女に常識を説かれたくはないが、そのくらい燐だって分かっているのだ。
 けれど。

「……俺だけの誕生日じゃねぇもん……雪男のだもん……」

 彼には同じ年の弟がいる。同じ日に生まれた半身のような存在と、毎年お互いの誕生を祝ってきたのだ。もちろん今年もそのつもりでいた。去年は雪男に仕事が入ってしまい、一日中一緒には過ごせなかったけれど夕食は同じテーブルにつけたし、燐は暇であったためごちそうもケーキも用意ができたというのに。料理係に仕事が入ってしまえばそれもままならないではないか。
 できるだけ早く終わらせるしかねぇな、というシュラの言葉と一緒に、誕生日に仕事が入ってしまった、と部屋に戻って弟に伝えれば、彼は「えー……」と不満そうに眉間にしわを寄せた。

「せっかく今年は仕事入れてないのに」

 弟もまた去年のことを気に病んでくれていたようで、今年はきちんと一日空けるから、と十二月頭のころからずっと言ってくれていたのだ。だから燐もそうできるように、と思っていたのだけれど。ごめん、と俯いて謝罪すれば、「兄さんのばか」と雪男は子どものような文句を口にする。その態度は正直予想外のもので、ちらりと視線を向ければ分かりやすく不機嫌そうな顔をしていた。ますますもって珍しい。
 燐よりも先に祓魔師として大人の間で働き始めた弟は、社会の理不尽さもよく知っている。仕事なのだから仕方がない、とほかならぬ彼自身の口から何度聞いたことか。今年は去年までと異なり燐も祓魔師となっているのだから、その可能性を雪男だって考えなかったはずはないのだ。
 ぼそぼそとそのようなことを口にしてみれば、「まあね」と弟はあっさりと認めた。

「でも、拗ねないでいられるかどうかは別問題だよ」

 僕はこれからはできるだけ我慢しないって決めたんだ、という言葉は、燐が祓魔師の称号を得たその日にも聞いたもの。弟に我慢を強いてきていたのだ、と落ち込みかけたが、「僕が勝手に抱え込んでいただけだよ」と雪男は苦笑して言っていた。
 双子の兄は死ぬほど努力して様々な困難を乗り越えて祓魔師となったのだ。それならば自分も成長できるように頑張る、と。燐からすれば弟は十二分に頑張っており、これ以上なにをどう頑張るのかと思っていれば、「力を抜く方法を覚える」という答えが返ってきた。生真面目で、物事を小難しく考えすぎてしまう性格を、彼なりに気にしていたらしい。直接に「悪魔落ちしやすいタイプ」と言われたこともあるのだとか。
 頑張らなければ力を抜けない、頑張ってサボる、というのも不思議な話だ、と燐などは思ってしまうが、それで雪男の負担が少しでも減るのなら悪くない努力の仕方だ。むしろ我が儘を言われる機会が増え、可愛い面をたくさん見ることができるようになったため、兄としては大歓迎である。
 ごめんな、と苦笑してもう一度謝れば、「クリスマスを豪華にしてくれたら許してあげる」と返された。それはもう、弟の頼みとあれば喜んで。
 誕生日を控えているため、燐たち兄弟のクリスマスはイブも含めて毎年とても簡素だ。けれど今年はそれを覆し、ふたりとも仕事ではあったけれど、イブも当日も少し奮発した夕食を囲んだ。誕生日当日は燐の帰宅が遅くなりそうなため、夕食を共にすることは難しいだろう。

「日が変わる前には帰って来れるんでしょう?」
「って聞いてるけどな。でも、すげぇ頑張る。絶対帰ってくる」

 朝は比較的ゆっくりであるため顔を合わせられないわけでも、話ができないわけでもないのだ。シュラの言う通り、十八になるような兄弟が迎える誕生日にしては大袈裟かもしれない。けれど自分たちにとっては普通のこと。誰よりも大切な半身が生まれて来てくれた、それも自分と一緒に産声をあげてくれた特別な日なのだから。


**  **


 朝、雪男に見送られて寮を出て、懸命に仕事をしてなんとか帰路につけたのが午後九時を過ぎたあたりのこと。
 ほんの一、二年前の燐であったなら、早く帰らなければ、という気持ちばかり焦って空回りして、任務に余計な時間をかけていそうだったが今は違う。早く終わらせたいという気持ちは別として、そのとき自分にできる最大限のことを行うよう考え、心がける。そうすれば自ずと結果はついてくるものだ。祓魔師になりいろいろなひとと接して話をして戦って、憎悪を向けられ手を差し伸べられ、そうして少しずつ己も成長してきているのだろう、と他人事のように思った。
 任務地が比較的近場であったため、電車での移動だ。祓魔師のコートで一般人の中に入り込むことに慣れはしてきたが、さすがに黒コートが複数人いると怪しさが爆発する。けれど脱いでしまうのも手荷物が増えるだけで、結局皆仕方なく纏ったまま移動していた。

「もうちょっと普通っぽいコートならいいのになぁ」
「俺は嫌いじゃねぇけどな、これ。頑丈だし、冬は温かいし。なあ、奥村」

 がたごとと、電車に揺られながらぼんやりとしていれば突然先輩祓魔師に話しかけられた。最近は普通のひとと同じように会話を振られることも増えてきて気が抜けない。それが「ひと」としては当然なのだろうけれども。有難いことに今回の任務のメンバはほとんど燐を「ひと」として扱ってくれるものばかりであった。
 あ、いや俺は、と眉を下げて口を開く。

「もうちょい洗いやすい素材だったら助かるかなーとか……」

 コート自体は嫌いではないし、燐が着ているものはショートタイプのものだ。一見は通常のジャケットと変わらない。だから着ていることに苦痛は覚えないのだけれど。そう口にした燐へ先輩祓魔師ふたりがえ、と驚いたように目を見開いた。

「お前これ、自分で洗ってんの?」
「え、つかこれ、洗えんの!? 洗濯機、回んの?」

 声をあげるふたりに、今度は燐が驚く番だ。

「さすがに手洗いっすよ。俺、そんなに替え持ってねぇし、しょっちゅう汚すから」

 皆はコートを洗わないものなのだろうか、と首を傾げたら、「全力でクリーニングいきだ」と返された。そういえば雪男も当初はクリーニングに出していたような記憶がある。素材と形状から結構な金額を取られてしまうため、どうせ任務で傷むのなら、手洗いを失敗して傷ませても同じだろう、といつごろからか纏めて手洗いをするようになった。時間はかかるけれどもクリーニング代が浮いて家計には優しいのだ、と説明する燐の前で、先輩祓魔師ふたりはふるふると首を横に振る。

「弟のまで洗ってやってるとか……お前、高校生じゃねぇだろ……」
「実はお母さんとか、そういうのだろ」

 そんな下らない話をしているうちに電車が最寄駅に到着した。時刻は午後十時前。この分なら十一時までには寮に戻れ、一時間くらいはゆっくりと話ができるかもしれない。電車に乗る前に雪男にはそろそろ帰れそうだ、と連絡を入れてある。取り出した携帯にメールの返信はないが、きっと部屋で待っていてくれているはずだ。
 ぞろぞろと黒服たちが連れ立って降りるが、本部に帰るわけではない。現地解散であったため、家の近いものがこうしてまとまっているだけだ。その中には燐の監視役であり、今回の任務隊の隊長でもあった女騎士も含まれている。それじゃあお疲れさまでした、と口々に労って別れようとしたところで「おい燐!」と、件の上司に呼び止められた。ちょいちょい、と呼ばれた先には、駅構内にあるコンビニエンスストア。「あ、俺も晩飯買って帰ろ」「肉まん食いてぇ」と、他の祓魔師たちも引き寄せられるように店へと向かう。
 暖まった店内に入ったところで「ほいよ」とシュラから渡されたものは、燐が好んで食べるアイス菓子だった。この寒いのにアイスなんて、とほかの祓魔師たちは眉間にしわを寄せているが。

「やる。誕生日プレゼントだ」

 彼女としてもやはり、燐が今日どうしても仕事を入れたくなかった事情を察してくれているのだ。自分たち兄弟にとってとても大切な日である、ということも。だからきっとこれは、彼女なりのお詫びなのだろう。決してシュラが悪いわけではないというのに、養父の弟子だっただけありどうしたって優しさを捨てきれないひとなのだ。
 小さく笑ってサンキュ、と受け取れば、「え、なに、お前今日誕生日なの?」と一緒に来ていた先輩祓魔師たちが食いついてきた。

「マジかー! 十代の誕生日が仕事とかねぇわ、ソレねぇわー」
「いくら人手不足っつってもなぁ。よっしゃおにーさんが肉まん奢っちゃろう」
「あれ、つーことは奥村弟も誕生日か?」
「あ、そうか。双子だったな。しょうがねぇ、弟の分であんまんもつけちゃろう」
「じゃあ俺はこれやる」
「え、なになに、奥村兄くん、今日誕生日なの?」

 そうして店を出るころにはどうしてだか、燐の両手にはたくさんの菓子やらジュースやらが抱えられていた。

「あ、ありがとう、ございます……」
「コンビニのもので悪ぃけどな」
「弟くんと一緒に食べてね!」

 誕生日に仕事だなんて最悪だ、としか思っていなかったけれど、思わぬ温かさをもらえて世の中捨てたものではないと思う。どうしてもにやけてしまう顔のまま構外へと出たところで。

「雪男!?」

 正面のロータリー側に、双子の弟の姿を見つけて思わず声をあげてしまった。外灯やビルの明かりがあるとはいえ、この暗い中よく自分でも分かったと思う。けれどあの姿は雪男だ、双子の弟に間違いない。燐がメールを送ったため、到着時間を推測して迎えにきてくれたのだろう。
 振り返ってもう一度先輩祓魔師たちに礼と別れを言い、足早に片割れの元へと歩み寄る。隠しているはずの尻尾が服の中でぽふん、と跳ねているのがなんとなく分かるような後ろ姿だった。

「おーおー、嬉しそうな顔しちゃってまあ」

 呆れたようにシュラが呟いたところで、燐と話をしていた雪男がこちらへ視線を向けてくる。距離があるためふたりの会話は分からないが、どうやら抱えられた荷物が自分たちへの誕生日プレゼントなのだ、と説明を受けたようだ。深々と頭を下げてくる律儀な青年に、大人たちは笑って手を振った。


「良かったね、兄さん」

 興奮気味にプレゼントをもらえた、と伝えると、雪男もすごく嬉しそうに笑って言った。これは燐だけのものではない、雪男へのプレゼントもあるのだ。雪男もまた皆に祝ってもらえたのだということがただただ嬉しかった。
 白い息を弾ませながら、ふたりで暗い夜道を寮へと向かう。

「シュラが雪男にはこれでも飲ませとけっつってたけど」

 そう言ってビニル袋の中から取り出した小瓶を手渡せば、「僕はいつかあのひとを全力で殴っても怒られないと思う」と雪男はぶつぶつと呟いていた。よく分からないけれど、マムシだとかなんとか増強だとか書いてあって、とりあえずもらって嬉しいものではないことは何となく分かる。

「俺からはこれやるわ」

 手渡すものは雪男がいつも好んで飲んでいるミネラルウォーターで、店に入ったのに何も買わずでるのもな、と思って、でも燐が欲しいものは大抵もらってしまったのでそれを買ったのだ。誕生日プレゼント、と笑えば、「じゃあ僕はこれあげる」と飲みかけの缶コーヒーを渡された。しかも冷めている。
 さすがにプレゼントでこれはどうよ、と尖らせた唇に、ちゅ、と落ちてくる弟の唇。突然のキスに寒さで赤くなっていた頬が更に赤く染まった。驚いて目を丸くする燐を見やって、「それは弟からのプレゼントだよ」と雪男は笑う。

「彼氏からのプレゼントはちゃんと別にあるから」

 早く帰ろう? と囁かれた言葉に平静を保っていられるはずもない。ぽふぽふと、服の中で尻尾が跳ねる。ふにゃり、と顔を崩して笑い、燐は弟を見上げた。

「誕生日おめでとう、雪男!」
「兄さんも。誕生日おめでとう」




ブラウザバックでお戻りください。
2015.03.17
















2014年ツインズ誕生祭(表)。
Pixivより。