雪男と俺


 えー、みなさま、こんにちは、こんばんは、おはようございます、ごきげんよう、最近テレビで「花子とアン」を見るのがマイブームの青焔魔の烙印、奥村燐でございます。
 突然ですが、雪男と俺はつきあってます。いわゆる恋人同士です。悪魔と人間だとか実の兄弟だとか男同士だとかいろいろ問題は山積みすぎるけれど、とにかく俺は雪男が好きだし、雪男だって俺が好きだから、両思いってことで間違いはないはず。俺は悪魔になる前、どうしようもない人間だったころからすごく優しい雪男のことが好きで、雪男の一番が俺でないとすごく嫌だった。その気持ちは悪魔になったあとも変わらなくて、「あーもう、雪男が好きだ!」って気持ちが爆発しそうで、諦める覚悟で告ったら、なんと奇跡的にも雪男も同じ気持ちで、なんだかんだあってつきあおうってことに落ち着いた。それが二ヶ月前。
 そう、あれからもう二ヶ月。
 つきあって一週間目で手を繋いだ。(一緒に学校に行くときに、恥ずかしいの我慢して俺から繋いだ。雪男も恥ずかしそうだったけど、振り払われなかったし嫌だとは言わなかった。)
 三週間目でようやく抱きしめあった。(これも、俺からぎゅうって抱きついた。びっくりしてたけど、雪男もぎゅってしてくれた。ちょっとぎこちなかった。子どものころは平気でハグしてた気がするんだけどな。)
 一ヶ月目でやっとキスをした。(またまたこれも、俺からぶちゅってやってみた。唇と唇をくっつけるだけの子どもみたいなやつ。想像してたような雰囲気とかじゃ全然なかったし、思ってたより弟の口は硬かった。)

 えー……みなさま、それから、更に一ヶ月。ご存じのとおり雪男と俺は双子の兄弟だから同じ年で、十代半ばの健全で健康な男なわけで、そんなふたりが恋人なのだからそれはもう、めくるめく進展があったのだろう……などと思ってはイケマセン。
 初めてのキスから一ヶ月。つきあい始めて二ヶ月。俺たちは未だ清らかな交際を続けている。寮で、同じ部屋で、ふたりきりの生活を送っていながら、なんの進展もない。大事なことではないけれど悔しいことなので繰り返す、俺らは至って清らかな関係のままだった。
 手を繋いだときや抱きしめたとき、キスをしたとき。どれも雪男の反応が可愛くて、そうじゃない普段だって恋人になって以降弟が今まで以上可愛く見えて仕方ないから別にいいかーと思って早二ヶ月。
 これだけ毎日会ってるっていうのに二ヶ月もキスだけっていうのは、兄ちゃん、いかがなものかと思います。

 さすがにエッチしよう、って誘うのは恥ずかしくて、でも雪男だって男なんだから好きなやつがそばにいたらそんな気分になってくれるはずだ、と俺なりにいろいろと試してみたつもりなのだ。風呂上がりにべたべたひっついてみたり、布団に潜り込んでみたり。それなのにあいつは、「もうしょうがないなぁ」みたいな顔して全力で俺を甘やかすだけ。それはそれで嬉しいけど、幸せだなぁとか思っちゃうけど! でもお兄ちゃん的にはもう一歩進んでおきたいのです。雪男くんとえっちをしたいのです。
 なあ、弟よ。お前の下半身は好きなやつがそばにいても黙りを決め込むようなやつなのか? その年でもう枯れちまってるってのか? いやいやまさかそんな。あんな立派なもんぶら下げといて(前一緒に風呂に入ったときちらっとみた。ご立派だった)あれで役立たずとか、ないない、あり得ない。さすがにフルバースト状態のアレを突っ込まれるのは怖ぇけど、それよりも好奇心とか、雪男が好きだって気持ちのほうがでかかった。だから雪男はちんこのでかさとか気にせずに、その気になったら全力で兄ちゃんを押し倒してくれて全然かまわない、むしろウェルカムなのだってことをどうしたら雪男に理解してもらえるだろう。

 あ、言い忘れてたけど俺、いわゆるガチネコ(って言い方であってる?)らしい。別に雪男以外の男に突っ込まれたいって思う訳じゃないけど、雪男には抱かれたいって思う。何でだか分からないけど雪男を抱きたいとは思わない。だって男同士のエッチって、尻に入れるんだろ? 絶対痛いじゃん。そんなこと、俺が雪男にできるわけねぇもん。あと、俺、たぶん根っこの部分が甘ったれで、雪男に甘やかしてもらうのが好きなんだと思う。触って雪男を可愛がってやりたいって気持ちもあるんだけど、まず先に触られたい。雪男はどんな風に好きな子を触るんだろう、好きな子とエッチをするんだろう、って考える。される側を想像しちゃうから、だから雪男に告白したときも、つき合うってなったときも、俺の中で彼女ポジは俺だったんだ。

「……はっ! もしかして、雪男も同じこと思ってたり……!?」

 弟とエッチしたいんだけどどーしたら抱いてもらえると思いますか、なんて悩みをひとに打ち明けられるはずもなくて、俺は部屋でクロの肉球をふにふにしながら考えてた。そこでふと、気が付いたんだ。俺は当たり前みたいに俺が抱かれる側で考えてたけど、もしかしたら雪男も俺に抱かれたいって思ってたりしたんじゃないだろうかって。いや、あの雪男がそんな女みたいなことを、って俺だって似たようなもんだよな。可能性はゼロじゃない。思い返せば手を繋ぐのだってハグだってキスだって、全部俺からだ。嬉しそうにしてくれてはいたけど、雪男からしてもらったことなんてほとんどない。もしかしたらエッチだって、俺から襲われるのを待っているのかもしれないじゃないか。

「……一回、聞いといたほうがいいな、これ」

 呟いた言葉に、『なにがー?』とクロが首を傾げた。肉球を指で押しながら「ひみつー」と答える。ふにふにふにふに、なんで肉球って触り始めると止まらなくなるんだろ。
 もし雪男が俺に抱かれたがってるとしたら、俺はどうしたらいいんだ? やっぱり抱いてやるべき、なのか? ……できなくはない、と思う。俺だって男だし、そりゃうん、入れるためのものはついてるし。雪男のためなら頑張ってみたいって思うくらいには雪男のことが好きなんだ。とにかく側にいたいし、触りたい。キスだってたくさんしたいし、もっともっとくっつきたい。
 ただ俺はそう思ってるってのに、もしかしたら雪男は違うのかもしれない、と最近ちょっと思ってる。何故って、ここのところハグするのも一緒に寝るのも、なんだかびみょーに避けられてる気がするからだ。雪男が忙しいってのは分かってるけど、これだったらまだ恋人になる前のほうが一緒にいる時間は長かったような気がする。それは俺が満足するような「恋人の時間」を過ごせてないからそう感じるだけなのかもしれないけれど。
 ぎしぎしと廊下が軋む音がする。雪男が風呂から戻ってきたみたいだ。首からタオルをかけた弟はベッドに座ってクロと遊んでる俺を見て、「あれ、まだ起きてたの?」と意外そうに声をあげた。確かにいつもの俺だったら布団に潜り込んでる時間だ。時計を見たら寝そうだったから正確な時間は分からないけど。お前を待ってたんだっつーの、と言い掛けた言葉を呑み込んで、また机に向かった弟を追いかける。

「な、仕事、まだ終わんねーの?」

 明日は学校も塾も休みで、雪男だって任務が入ってないと言っていた。なんの予定もない休みの日ってのは雪男にとって珍しくて、ちょっとは何かできないかな、なんて期待もしているのだ。けど唐変木な弟くんは、兄貴のそんな思いをまるで分かってないみたいで、「うん、まだちょっとね」とかなんとかつれない返事しか寄越さない。ものすごくおもしろくなくて、ぱったんぱったんと尻尾が不満げに揺れるのを止められそうもなかった。

「でも、明日、休みなんだろ?」

 時間なら明日もあるのだから(明日も本当は一日中くっついてたいんだけど)、少しくらい仕事を残しててもいいんじゃないか。そんな甘えた考えを雪男はしないって分かってはいたけど、これ見よがしにため息つかなくてもいいんじゃねぇかな。さすがに兄ちゃん傷つくぞ。

「休みだからこそ、やっておきたいことがあるんだよ」

 いいからもう先寝てなよ、って。邪魔者みたいに扱われて。や、たぶん雪男にとっては邪魔者でしかないのかもしれないけど。たぶん俺が雪男の兄貴であるだけなら、こんな風に言われても何も思わなかった。そもそも声をかけたかどうかも怪しい。無理すんなよって心配はしたかもしれない。けど、邪魔者扱いされてこんなにずきずき心臓が痛いのは、やっぱり「恋人」って関係になっているからだと思う。
 ……ならないほうが、良かったのかな。勢いで告白して、同じ気持ちだって知って嬉しくて、それでそのまま恋人になったけど、今までみたいに兄弟のままだったほうが良かったのかな。
 そう思うと心臓の痛みがどんどん強くなってきて、心臓だけじゃなくて喉のほうまで痛くなってきて、上手く息が出来なくなってきた。そっか、とか、じゃあ先寝るわ、とか。何か返さないと変に思われるかもしれない。そう思ったけど、喉がひりついて全然言葉が出てこなかった。
 何も言わない俺を不思議に思ったのか、それとも何か聞こえたのか。振り返った雪男がぎょっとしたように目を開いて俺を見る。きっとひどい顔をしてるんだ。さっきまで俺のことなんかどうでもいいって顔をしてた雪男が慌てるくらい。どうしたの兄さん、とちょこっとだけ柔らかい声で聞かれて、首を横に振った。俯いて、握った両手に力が籠る。限界かもしれない、って少し思った。

「……雪男は、俺が嫌いなんだ」

 絞り出すような声で言えば、正面に座ってる雪男の脚が少し動いた、ような気がする。

「なんで、そんなこと言うの……?」
「だって! 一緒に、寝てくんねーし! 俺がくっつくの、嫌そうだしっ!」

 なんで、と言われてカッと頭に血が上った。
 いくら俺が鈍感だからって、好きなやつのそういう態度に気づけないほど馬鹿じゃない。好きだからこそ、ちょっとした違いとか、そういうのが分かってしまうのだっていうことをきっと雪男は知らないのだ。嫌ってわけじゃ、と雪男が口ごもる。嫌ってわけじゃないならなんなんだよ、ばか!

「最近、俺から逃げてるだろっ!」

 顔を上げて睨みつけてそう叫べば、雪男は唇を噛んで俺から視線を逸らせた。否定もしねぇってのか。やっぱり俺が感じてたことは間違ってなかった、雪男は俺を避けてたし、俺がくっつくのが嫌だったんだ。

「ッ、や、っぱり! そーだったんじゃねぇか……っ!」

 そう理解するともう止まらなかった。じわっと両目が熱くなって、喉がひっくひっく変な音を立てる。なんだよもう、って涙と一緒に零れる言葉が止まらない。なんだよ、ほんとに。

「おれ、ひとりで浮かれて、ばかみてぇじゃん……雪男が好きでっ、好きだから、もっといっしょ、いたいし、そばにいたいし、くっついてたいって、そー思ってたの、俺だけだったんじゃん……っ」

 そういうつもりじゃない、って雪男が言う。言いながら俺のほうに手を伸ばしてくるけど、ずっと俺を避けてたんだ、ってそのことばかりが頭の中を回って、思わずその手を払いのけてしまった。もう何を信じたらいいのか、分かんないんだ。
 俺が雪男が好きなのは本当。好きで好きで、どうしようもなかったから好きだって告白して。両想いになったんだからもっとくっつきたいって思って。手を繋ぎたかったし、抱き締めあいたかったし、キスだってもっといっぱいしたい。エッチなことだって、雪男としてみたいって思ってたんだ。
 子どもみたいにぼろぼろ泣きながら、溜まってたことを全部ぶちまける。もうどうなってもいいやって気持ちもあった。だって、俺は雪男に避けられるくらい嫌われてるんだろ? 好きでいてもらえないなら、どれだけ嫌いになられても一緒だ。

「え、エッチなこと、って……」

 呟いた雪男は顔を赤くして口元を覆っている。なんだよその反応、考えたこともなかったってことなのか!? 俺はそーゆー対象にすらならないって? じゃあお前の言う「好き」ってなんなんだよ。何で俺に好きって言ったんだよ!

「知らないわけじゃねぇだろっ、エッチだよエッチ、セックスッ!」

 大声で連呼するようなことじゃないって分かってる。でも、怒ってるのと恥ずかしいのと悔しいのと情けないのと、あとものすごく悲しいのとで、頭のなかがぐちゃぐちゃになってて自分でも止められないのだ。
 俺の言葉にますます顔を赤くした雪男は、「でも、」と俯いてもごもごと唇を動かす。

「僕ら、男同士、だし……」
「そんなの知ってるよっ!」

 そもそも兄弟だっつーの! 何回お前と一緒に風呂入ったと思ってんだよバカ! そんなの全部分かった上で俺はお前に好きだって言ったんだし、お前もそれを分かってて好きだって言ってくれたと思ってたのに。

「……っ、それとも、やっぱ、男じゃやだ、って? 俺が、そういうの考えたりすんの、気持ち悪ぃ?」

 雪男の言う「好き」は俺の言う「好き」とは違う意味だったのかもしれない。そう思って尋ねれば、弟はふるふると首を横に振った。気持ち悪いなんて思わない、と雪男はきっぱりそう言う。

「……じゃあ俺のこと、嫌い?」

 その問いかけにも雪男は首を横に振った。

「僕は兄さん以外を好きになることはないし、兄さんだけが好きだよ」

 好き、って言葉に雪男はどんな意味を込めてくれているのだろう。前の俺はその言葉に浮かれてきっと自分と同じ気持ちなのだ、って思ってしまったけど。

「俺と、エッチなこと、したくねぇの? 雪男、そういうの、興味、ない?」

 セックスがしたいだけとか、そういうつもりは全然ないんだ。ただ好きだから、もっと近づきたいと思うし、好きなひととしかできない秘密のことをしたいって思う。そういう気持ちは雪男にはないのだろうか。ひっこ、ひっこ、と喉をしゃくりあげて、ほっぺたを濡らす涙を手で拭いながら聞けば、「ないわけじゃ、ない、けど……」と雪男はまた俺から視線を反らせてしまった。顔を赤くして照れている。
 そこではたと、さっきまで考えていたことを思い出した。

「…………雪男、もしかして、俺に入れられたい、とか、思ってたりする?」

 恐る恐る尋ねた言葉に、弟は驚いたように目を見開く。そんなこと、考えたことさえなかった、というような顔。ぶるぶると勢いよく左右に首を振られ、少しだけ安心した。

「……じゃあ、」
 俺に入れたい?

 ここまできたらちゃんと全部話をしよう。そう思って、めちゃくちゃ恥ずかしいのを我慢してそう聞いたら、雪男はぼふん、と音でも聞こえてきそうなほど顔を赤く染めてしまった。……なんつーか、うん……なんだろう、この反応。あーだとか、うーだとか、一頻り唸って、口を手で覆って、それでもたぶん、ちゃんと返事をしないといけないと思ってくれたのだろう、ゆっくりと時間をかけて雪男は首を縦に振った。ただ、この弟は、「でも、」と言葉を続けるのだ。

「そういうのは、その、結婚してから……」
「ッ、俺ら兄弟だから結婚できねぇじゃんっ!」
 やっぱり雪男は俺とエッチしたくねぇんだっ、俺のこと好きじゃねぇんだっ!

 そう叫んで、俺はわあわあ声をあげて泣いた。
 なんかもう、雪男が何を考えてるのか、どんな気持ちなのか全然分かんねぇよ。遠回しに断られてんの? 好きだって言ってくれてんのも俺に遠慮してるってこと? なあ、雪男の気持ちはどこにあるの?
 そう言って泣いてる俺の前で、「ごめん、ごめんね兄さん」と雪男がひどく慌てている。

「兄さんを泣かせたいわけじゃないんだ。傷つけるつもりもなくて、ねえ、兄さん、泣かないで、兄さんってば」

 お願いだから泣かないでよ、ってそう言う雪男の声も震えていて、両目にもうっすら涙が溜まっているみたいだった。

「っ、なん、でっ、お前が泣いてんだよっ、泣いてんのは俺だよ、ばかっ!」

 そう怒ったら、雪男は「だってっ」とますます顔を歪めてしまった。

「兄さんが泣いてるから……!」

 兄さんが泣いてると、どうしていいか分からなくなる。僕も悲しくなってくる。そう言って雪男は泣くけれど、だから俺を泣かせてんのはお前だっていうのを理解してるのか、こいつは。ちょっと、どころじゃない、かなり呆れてしまって、ずずっと鼻を啜った俺は、大きく深呼吸して雪男を見た。

「……なあ、お前さ、俺が何でこんな泣いてんのか、分かってる?」

 尋ねた言葉に弟はぽろぽろ涙を零しながら首を縦に振る。

「っ、ぼく、ぼくが、悪い、からっ、僕が、にーさんを、きずつけ、た、からっ」

 ごめんなさい、としゃくりあげながら謝られたらもうだめだ、こうなったら俺はもう泣けない。泣くより先に雪男の涙を拭いてあげないといけないし、慰めてやらないと。泣かなくてもいいから、大丈夫だからってそう言ってあげるのが俺の役目だ。

「ごっ、めんな、さっ……僕が、悪い、からっ、お願いだから、嫌わないで……っ」
「……ばか、嫌うわけねぇだろ。何回言わすんだ、俺は雪男が好きなんだって」

 好きだからあんな風に泣いてしまったのだけれど、きっと今の雪男もおなじなんじゃないかなって思った。俺が好きだからこんなふうに泣いてんだ。
 涙で濡れたメガネを避けて、タオルで顔を拭いてやる。頭を撫でて抱きしめたら、雪男もまたぎゅうと俺にしがみついてきた。恋人同士というよりは子どもが甘えてきてるだけの仕草だったけれど、それでも俺には雪男が可愛く思えて仕方なかった。俺だって、雪男を泣かせたいわけじゃないんだ。困らせたいわけでもない。だから「ごめんな」って謝った。泣かせてごめん。俺だってお前が泣いたら悲しくなってくるから、泣きやんでくれよ。

「なあ、雪男はさ、別に俺が嫌いとか、そういうわけじゃねぇんだよな?」

 恋人としてちゃんと好きでいてくれているのか、嫌われていないのか、疎まれていないのか。答えはなんとなく分かっていたけれど、それでもきちんと確認しておきたくて尋ねたら、「好き」と即答された。

「好きだよ。兄さんが好き。兄さんだけが好き」

 しかも結構熱烈に。もしかしたら俺が思っている以上に弟に愛されているのかも、とちょっとだけ思った。

「だったら、俺が触ったりすんのは嫌じゃない?」

 これの答えは少しだけ時間がかかった。嫌じゃないけど、と雪男は言葉を濁す。けれどここまで大騒ぎしておいて今更ごまかすこともできないと分かっているのだろう。

「やじゃないけど、ちょっと、困る」

 俺の腰に抱きついたまま、雪男はくぐもった声でそう言った。
 雪男が言うには、やっぱりちゃんと俺を『そういう対象』として見てくれているらしい。俺が雪男にべたべたすると、どうしてもそんな気持ちが大きくなってしまって、だから困るのだ、と。そうなってもらいたくてべたべたしてたんだけど、どうにも俺たち兄弟は今一歩ずれてるというか、理解しあえていなみたいだ。
 俯いてる弟の顔をあげさせて、「俺は雪男にエッチなことされたくてひっついてたんだけど」と正直に言えば、雪男はまた顔を真っ赤に染め上げる。せっかく涙が止まっていたのに、じんわりと目を潤ませて、弟は言うんだ、「恥ずかしい」と。

「僕だって、ほんとは、兄さんと、いっぱい、その、くっつきたい、し、キス、とか……その……え、エッチなこととか、したい、けど……」

 興味はあるし、したいという欲望もある。けれど恥ずかしくてどうしていいか分からない、と。耳まで赤くそめて、消え入りそうな声でごにょごにょと告げられた雪男の本音。「エッチ」という言葉どころか、「キス」と言うことすら恥ずかしくて仕方ない様子で。
 うん、やっぱり、俺たち兄弟はちょこっとずつ、相手に対しての理解が足りてなかったんだって分かった。雪男は俺がもっといちゃいちゃしたいって思ってるのを知らなかったし、俺は雪男がこんなにもウブだってことを知らなかったんだ。キスって言うだけで赤くなるようなやつが、自分から進んで手を繋いでくるわけもなくて、キスをしてくるわけもなくて、ましてやエッチだなんてきっとハードルが高すぎたんだ。

「……ごめんな、雪男。兄ちゃんが悪かった。お前のペースでゆっくり進もうぜ」

 したいって気持ちはもちろんでかいけど、でも雪男がこの様子じゃ難しそうだ。ぽんぽんって頭を撫でたら、雪男はまた泣きそうなほど顔を歪めて、「兄さん」っつって抱きついてきた。

「かっこ、悪くて、ごめん、ねっ、ごめんなさいっ、お願い、嫌いに、ならないで……」

 泣きながらそう言う雪男の頭を抱きしめて、俺は「ばーか」と笑った。

「嫌いになるわけねぇじゃん。俺は雪男が好きなんだぞ? ちっさいときからずーっとお前見てて、そんなお前が好きなんだ」

 優しくて泣き虫な可愛い俺の弟。嫌いになれるはずがない。抱きしめたままそう言えば、「にぃさぁん」と雪男はますます泣いてしまった。ああだめだこれは。こうなった雪男はしばらくぐずり続けるってのを経験上知ってるから、うまく宥めて促して、布団の中に押し込んだ。もちろん俺も一緒だ。さっきまで俺を避けてたとは思えないほど、今は雪男からぎゅうぎゅうと抱きついてきてくれる。うん、ほんと、ただガキが甘えてるようにしか見えないけど、そこはまあよしとしよう。
 自分よりもでっかい図体の弟を抱っこしたままゆっくり頭を撫でていたら、ようやく涙が収まってきたみたいで、「兄さんが、」と雪男が小さく呟いた。

「くっついて、くるの、ほんとは、すごく、可愛くて、嬉しくて、どうしていいか、分かんなくなるんだ」

 けれどそういうことに踏み切るにはやっぱり恥ずかしさが大きかったし、何より上手くできる自信がなかった、と。

「どうするのか、って知ってはいるけど、僕、初めて、だし、兄さんに痛い思いはさせたくない、し、変なことして、嫌われたくなくて……」

 俺はどっちかって言うと、雪男に好きになってもらいたい、って思うほうだけど、雪男は、俺に嫌われたくない、ってまず考えてしまうみたいだ。臆病と言ってしまえばそれまでだけど、きっとそこが雪男の優しさなんだろうなって俺は思う。俺を傷つけたくないって、俺に嫌な思いをさせたくないって、こんなに俺のことを思ってくれてたのに、どうして雪男は俺のことを嫌いだ、なんて思ってしまったんだろう。なあ雪男、と泣いて赤くなった目をのぞき込んで名前を呼ぶ。

「エッチもだけどさ、キスとか、そういうのって、雪男ひとりが頑張ってすることじゃないんじゃねぇの? 雪男と俺でするんだから、ふたりで一緒にするんだから」

 だからそんな風にひとりで頑張らなきゃ、って思うのは違うんだ。頑張るならふたりで一緒に頑張るべきなんだ。ふたりでゆっくり頑張ろうぜ、ってそう言えば、雪男はふにゃり、と笑って頷いた。その顔が可愛すぎて思わず唇に吸いつけば、相変わらず雪男は顔を真っ赤に染める。
 キスだけでこんな風になっちゃうんだから、エッチまではまだまだ遠い。でもうん、しょうがない、俺は雪男が好きで、雪男とエッチをしたいんだから。ふたりで一緒に頑張っていけばいいんだと思う。


 んで、ゆっくり頑張った結果、恥ずかしさやら不安やらを乗り越えた先、持ち前の勤勉さを十二分に発揮してつぎつぎとテクニックを身につけた雪男に散々泣かされる羽目になることを、このときの俺はまだ知らないままでいる。




ブラウザバックでお戻りください。
2015.03.17
















綺麗に積もってる雪って踏み荒らしたくなるよな、って
燐くんが真顔で言ってました。
Pixivより。