ホワイトタイガー燐くんと、ユキオトコな雪男くんの非兄弟パラレルです。


   家族になろう。


 かぁん、と教会の鐘の音が鳴り響く。どんよりとした雲に覆われた空からはしとしとと霧のような雨が降り注ぎ、まるでこの世界全体が彼の死を悼み、泣いているかのようだった。
 ぎゅう、と喪服の裾を握りしめ、残された子供がひとり、墓の前に立っている。常ならば柔らかな毛並みの丸い耳も、長い尾も水気を含んでしっとりと垂れており、その佇まいから彼の心情がよく読み取れた。唯一の家族を失ってしまったという悲しみ、突然の出来事に対する動揺、自らのこれからに対する不安、そして何よりひとりぼっちになってしまったという寂しさ。
 寂しさを覚えるということは、それまでが寂しくなかったということ。
 己には何もない、生きていくための知恵も力も何もない。唯一あったのが養父という家族のみ。それを失ってこれから先、生きていけるものだろうかと怖くて仕方がない。けれど、たとえ突然の事故でその命を天に返したのだとしても、養父が血の繋がりもない子供を我が子として育て、愛してくれたという事実はなくならない。そんな彼の心をなくさないためにも生きていこう。ひとりぼっちになってしまったけれど生きていかなくては。
 敬愛する養父の墓の前、白と黒の毛並みを持つ虎の子は涙を堪え、そう決意した。


**  **


 それは底冷えのする冬の夜のことだった。
 こんこん、と扉をノックする控えめな音が響き、燐はぴくん、と丸い耳を震わせる。白黒の縞模様は「むこう」の世界ではとても珍しいものらしい。燐たちのような存在自体が珍しい上に更に希少な毛並みということで、「むこう」にいる間は常に何かから逃げていた気がする。運よく「こちら」に来ることができ、重ねて運よく育ての親に拾ってもらえたおかげで今日までなんとか生き延びているのである。
 その育ての親も今は土の下。きっと安らかに眠っていることだと思う。もともと燐に身寄りはなく、頼れる相手もいないけれど、養父の遺してくれた家と畑があるからこそ、何とかこうして暮らせていた。

「? こんな時間に誰だ?」

 小さく呟き、ホットミルクの入ったカップをそっとテーブルに置いた。養父が生きていたころはたくさんの知人が訪ねて来ていたが、燐ひとりになったこの家にやってくるものはほとんどいない。ときどき森の精の女の子が作物の育ち具合を見に来てくれるか、遊び友達の竜や猫、狸の子が来てくれる程度。そんな彼らもこの時間に来ることはないだろう。

「どちらさん?」

 首を傾げながら、燐はそっと玄関扉を開いた。途端にひゅぅ、と冷えた空気が家のなかに入り込んでくる。

「夜分遅くすみません、獅子の獅郎さんのお宅はこちらで良かったでしょうか」

 寒さに震えた耳に飛び込んできたのは、落ち着いた丁寧な声だった。あ、えっと、と視線をあげれば、背の高い男がそこにいる。首元の毛は白くふわふわで、両手足も同じ毛並みのようだ。真っ白い肌、緑がかった瞳、左頬に二つ、口の右下に一つホクロがあり、目が悪いのだろうか、メガネをかけていた。燐より少し年上くらいに見える。白熊かしら、と思いはするものの、それならば頭に耳があるはずだがその様子は見られない。少なくとも燐が知っている動物ではなさそうだ、と思いながら「あんたは?」と眉を顰める。ああすみません、と彼は眉を下げて謝った。

「僕は雪男と言います。北の山に住んでいるユキオトコです」
「ユキオトコ!」

 驚いて声をあげれば、はい、とユキオトコの雪男は少しだけ笑って頷きを寄越す。それであの、と続けられかけた言葉に、彼が誰を訪ねてやってきたのかを思い出した。あ、と小さく呟いたあと、燐は視線を下げる。

「親父……獅郎は、死んだんだ」

 その言葉に今度は雪男が「え!?」と驚きの声をあげた。
 一ヶ月前に事故で、と続ければ、「そう、だったんですか……」と彼はひどく落胆した声を出し肩を落とす。養父に何か大切な用事があったのだろうか。わざわざこんな夜にやってくるくらいだ、どうしても養父に会わなければならない用があったのかもしれない。燐が悪いわけではないのだけれど思わずごめん、と謝ってちらりと見上げれば、彼は眉間にしわを寄せて唇を噛んでいた。こちらの言葉が耳に届いている様子はなく、ああ、と燐は思う。
 彼は悲しんでくれている。
 養父の、獅郎の死を心の底から今、嘆いているのだ。

「…………ちょっと暗いけど、墓、行くか?」

 ただ用事があって訪ねてきただけのものを、養父の墓まで案内する必要はないだろう。けれど、このユキオトコならいいと思った。むしろ連れて行くべきだ、と。
 燐の言葉にこくり、と頷いた彼を連れ、教会の裏手にある墓地までやって来る。外はやはりとても寒くて、あまり寒さに強くない燐はわずかな外出でも分厚いコートを着ているのだが、ユキオトコだけあり雪男は薄手のコート一枚と、とても軽装だった。
 ここだ、と指し示した墓石の前、彼はしゃがみ込んで神妙な顔つきをしている。何か伝えたいことでもあるのか、祈りの言葉でも口にしてくれているのか。どちらにしろ獅郎を慕ってくれていたことだけは確かで、碧の瞳にはうっすらと涙が浮かんでいるのを見てしまった。ひとに泣いている姿を見られたくはないだろう、と思い、燐はす、と視線を逸らせる。

(あ……)

 その視界の端でころころと、地面を転がる小さな白い粒に気がついた。どうやら雪男の瞳から零れたもののようだ。ほんの数秒で消えてなくなってしまう氷の結晶。初めて目にしたユキオトコの涙は、とても儚く、そして綺麗なものだった。

「……今度はちゃんとお花、持ってきます」

 振り返ってそう言ってくれた雪男に、ありがとう、と燐は返す。

「……なんか悪ぃな、折角来てくれたのに」
「いいえ。あなたが悪いわけじゃありませんし、本当はもっと早く来れたのに、勇気が出なくてぐずぐずしてた僕もいけなかったんです」

 そう寂しそうに笑う彼を、このまま北の山に返してはいけないような気がする。ふとそう感じた燐は良ければ、と雪男に声をかけた。

「うち、寄ってくか……? お茶くらいなら、入れるけど……。あ、暖かい部屋とかダメ?」

 「こちら」には燐や獅郎のような「むこう」にもいる動物もいれば、竜や森の精など「むこう」にはいないものもいる。少しだけ特徴を持ってはいるが皆人間と同じような姿かたちで、種族の違いはあっても生活スタイルに大きな違いはない。けれどもしかしたらユキオトコは違うのかもしれない。そう思って尋ねてみれば、「それは大丈夫です」と彼は小さく笑って言った。
 誘いに応じてくれた雪男が言うには、他のものたちより暑さが苦手で寒さが得意というくらいらしい。温かい飲み物も大丈夫だと言うので、ホットミルクを入れることにする。

「……獅郎さんと出会ったのは、三年くらい前のことです」

 甘く温かなそれをゆっくりと口に運びながら、ユキオトコはこの家を訪ねてきた理由を語ってくれた。
 雪男は生まれてからずっと北の山で、ひとりで暮らしていたという。両親の名も顔も知らないと聞き、「俺と一緒だ」と思わず言葉が零れる。燐もそうだ、獅郎は父親であるけれど、血の繋がりはない。当然だ、白虎の親が獅子であるはずないのだから。

「あなたが、『燐』くんですよね?」
「あ、そか。ごめん、俺、自己紹介してなかった」

 慌てて名乗った燐へ笑みを向け、「獅郎さんから聞いていたとおりだったのですぐわかりました」と雪男は言う。

「……父さん、なんて言ってたんだよ」

 獅郎と仲が悪かったわけではないが、意地っ張りな性格であるため、素直な言動を取れないことも多かった。きっと手が掛かるだとか、そんなことを話していたに違いない。そう思っていれば、雪男はひどく穏やかな瞳のまま言うのだ、「元気で明るくて優しい子だ、と。」自慢の息子だ、とそう話していたのだそうである。
 父さん、と小さく呟いて唇を噛んだ。ぐ、と眉間にしわが寄ったのは、そうしないと何かが溢れてしまいそうだったから。

「あなたにはちょっと、面白くない話、かもしれませんけど」

 そう前置いた雪男は、今日彼がここにやってきた理由を話してくれた。

「僕がひとりでいることを知って、獅郎さんはずっと言ってくれてたんです、『うちに来ないか』って。うちにはひとり息子がいるから、もうひとり増えても構わないって」

 けれどひとと会わない生活をずっと続けていたため、すぐにはその決心もつかず、考えてみる、と返答を濁し続けていた。獅郎は無理強いすることもなく、かといって諦める様子も見せず、雪男の家を訪れては毎回「うちに来い」と言っていたらしい。

「去年も一昨年も、雪が深くなる前には一度来てくれていて、今年は来なかったからどうしたんだろう、って」

 心配になったと同時に、獅子である彼が無理をして雪山を越えるのは危険だから、と雪男から出向いたのだそうだ。

「今年来なかったのは、やっぱりユキオトコの子供なんて引き取れないって思ったのかなとか、そういう風にいろいろ考えると怖くて……」

 だからなかなか山を下りる決心がつかず、この時期になってしまったと雪男は言った。

「ほとんど同じ生活ができるとは言っても、僕は火が扱えませんし、暑さにも弱いです。同じ屋根の下で暮らすのはやっぱり難しいかなって、だから誘ってくれたのは嬉しいけどこの家には来れませんって、そう言おうと思ってたんです」

 そう説明され、燐はんー、と首を傾けて記憶を掘り起こす。なんとなく、引っかかる何かがあるような、と考えたところで、「あっ!」と声をあげて立ち上がった。カップを両手で持ったまま驚いている雪男を指さし、「俺の弟だ!」と叫ぶ。

「……え?」
「そう、思い出した! そういえば、去年か、その前か、いつか忘れたけど、父さんに聞かれたことあった、家族増えても良いかって。俺と同じ年の子だって言うから、俺が兄ちゃんならいいぞって言った!」

 あれ、雪男のことだったんだな、と縞模様の尻尾をぱたぱたと振って燐は言った。弟が来てくれる、と聞いて嬉しくて嬉しくて、しばらくはずっと外で待っていたものだ。いつになるかは分からない、けれどいつかは絶対に来てくれる、獅郎はそう言っていた。時間が流れるにつれて忘れてしまっていたけれど、それでも「いつか」をずっと待ってはいたのだ。

「あ、いや、だから、僕はユキオトコだし、家族にはなれないって言いに……」
「なんで!? 俺と父さんはトラとライオンだけど、家族だったぞ」

 そうだ、思い出した。顔も名前も知らない弟は、今燐たちが暮らしているこの村には居づらいかもしれない、そのときは引っ越しすることにもなるけれど大丈夫か、とも聞かれていたのだ。あれはおそらく、雪男がユキオトコだから、山に近いほうが、年中涼しい場所のほうがいいかもしれない、と考えての言葉だったのだろう。弟のためならばそれくらい全然平気だ、と答えた覚えがある。

「獅郎さん、そこまで考えて……」

 小さく呟いた雪男がきゅ、と唇を噛んだ。落ち着いた雰囲気と言葉づかいから年上だと思っていたけれど、こうして見ればこのユキオトコもまだまだ子供なのだ、と気がつく。こんな子供が雪山にひとり寂しく暮らしていると知れば、養父のことだ、黙ってなどいられなかったのだろう。俺の父さんだしな、と燐は笑って言った。そう、彼は優しくて温かい、自慢の父だった。

「だからきっと、雪男の父さんにもなりたいって思ってたんだ」
「……僕の、父さん……」

 両親の顔を知らず、名前も知らない。親というものの存在が近くにある状態を知らない。けれど、そう言葉にするだけでとても温かいものであるということがよく分かる。ただ保護してくれるだけではない、守ってくれるだけではない、無条件に無償の愛を注いでくれる、そんな存在なのだ、と。親とは、家族とはそいういうものなのだ。

「俺、父さんがいなくなって思い出した。やっぱりひとりぼっちは寂しいし、つらい」

 獅郎に拾われる前はずっとそんな状態だったけれど、そのことを養父が忘れさせてくれていた。彼はもうこの世にはいないけれど、この家でともに暮らしていた期間が幸せであったことは決してなくならないのだ。

「父さんはそれを知ってて、だから雪男にも家族になろう、って言ってたんだと思う」

 ふたりの間にある小さなテーブルを避けて歩み寄り、燐は白く柔らかな腕に手を伸ばした。よく見れば長い毛に覆われているのは肘から手首までで、隠れるようにひとと同じ形の手がある。雪男が腰掛ける椅子のそばに膝立ち、そっと指先に触れた。少し驚いたような顔をしているけど嫌がっているようではなかったため、思い切ってその手をきゅう、と握りしめる。

「なあ、雪男。俺と家族になろ?」

 ひとりぼっちは寂しくてつらい。燐もそうだけどきっと雪男だってそうなのだ。ふたりともそのことを獅郎という温かくて優しい獅子に教えてもらった。そしてたとえ血の繋がりがなくても種族が違っても、家族になれるのだということを燐は知っている。獅郎から教えられたそれを、今度は燐が雪男に伝える番なのだと、そう思った。
 燐の言葉を聞いても黙ったままだった雪男はややあって、くすり、と口元を緩める。

「プロポーズみたいだね」

 そう言われたけれど、雪男の言う「ぷろぽーず」が何なのか、燐には分からず首を傾げた。そんな燐の手を、雪男もまたきゅう、と握り返してくれる。温かい、ユキオトコといってもこの手はとても温かい、燐と同じように生きているのだ。
 ありがとう、とメガネの奥の瞳を細め、彼は言う。

「……僕はユキオトコだけど、それでも家族になってくれる?」

 兄さん、と呼びかけられたことが嬉しくて衝動的に雪男に抱きついてしまい、がったん、と派手な音を立ててふたりで床に倒れこんだ。打ち付けた肩や背中をさすりながら身体を起こし、床に座ったまま目が合って、どちらからともなく笑いが零れる。
 小さな家を満たす、小さなトラと小さなユキオトコの笑い声。

 ひとりじゃないということは、やはりとても幸せなこと。




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2014.06.03
















ほのぼの路線を模索中。

Pixivより。