擬声語(ばらばら)


 こんなはずじゃなかった。
 こんなはずじゃ、なかったのに。
 どこで狂ってしまったのだろう、どこからおかしくなってしまったのだろう。

「もし本当に『そう』なら、お前を殺して、俺も死ぬ」

 引き抜いた刀、青い炎を纏わせ付きつける先は双子の弟の喉笛。この刀を少し突くか、あるいは薙ぐかすれば彼の命はいとも簡単に天へ返すことができるだろう。
 生きているものならば、生きていると実感しているものであるならば、本能的に死を恐れる。そんな心の揺れを知ることができればあるいは、この刃を向けることもなかったのかもしれない。
 わずかな動揺でも見逃すまい、と弟を睨みつけてみるが。
 なんで、と柄を握る手に力を込め、眉間にしわを寄せる。なんで笑っているのだ、と。どうして嬉しそうな顔をしているのだ、と。
 尋ねたところできっと、反吐の出るような回答しか得られないだろう。その回答を心の底で喜んでいる自分など見たくない。
 だから唇を噛んで言葉を呑み込んだ。噛みしめた唇に突き刺さる牙、広がる独特の味、顎へ伝う水滴。炎を纏った刀を背後へ投げ捨てる、響いた音がひどく寒々しい。

「頼むよ、雪男」

 ともに生まれた双子の弟。
 誰よりも、何よりも大切な心の半身。
 彼は燐にとって、「最後」で「唯一」なのだ。
 両肩を掴んで縋りつく、「マジ、頼むから」。
 お前だけはまともであってくれ、と。
 まともが何であるのか口にする燐もいまいち分かっていない。けれど己がまともから外れてしまっていることだけは分かる。
 何せこの身体はすでに悪魔のそれ。血と炎と、人間という枠から大きく外れてしまっている存在。ひとでありたい、と望む心とは裏腹に、力を使えば使うほど人間とは異なるものなのだということを痛感せざるを得ない日々。
 それでもひとでありたい、と望むことだけは止めまいと誓っていた。その心さえも失ってしまえばきっと、本物の化物になってしまう。それが怖かった。まだ己の心はその誓いを失っていない、希望を失っていない。そう確認させてくれるのが「最後」で「唯一」である双子の弟であったというのに。
 その弟自身がひとから外れてしまっては、どうしようもできないではないか。
 拠り所が、無くなってしまうではないか。
 ひとである意味が、どこにも見えなくなってしまうではないか。
 いつか人間である雪男に、悪魔である燐を殺してもらうという、最後で唯一の希望さえ、消えてしまうではないか。
 こんな不安定な存在であることに安堵を見いだせるはずもなく、雪男だけはまともでいてもらいたかった、こちら側には来てもらいたくなかった、決してこさせてはいけないと思っていた。それだけだったのに。
 こんなはずじゃ、なかったんだ。
 力なく呟く声はもはや誰にも届かない。
 お前がそうなっちまったら、俺は一体誰に殺されたらいいんだよ、と。
 肩を抱く兄の手にそっと己の手を添え、「だって兄さん、僕たち双子だよ」と弟はひどく穏やかな声で言う。

「兄さんが生きるなら僕も生きる。兄さんが死ぬなら僕も死ぬ」

 すべての運命を共にする、そのために双子として生まれてきたのだ。雪男はそう信じている。

「兄さんがまともでいるなら僕もまともだし、兄さんが狂うなら僕も狂う。兄さんが悪魔になったんだから、僕も、」

 そうなってしかるべきだよね、と告げる弟の背後にゆうらりと揺れた黒く、長い――悪魔の尾。
 ばらばらと。
 何かが崩れる音が聞こえる。
 それは愛し守るべき弟という偶像か、あるいは人間であることに固執する己の心か、あるいは。




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2014.06.03
















堕ちた先にいる悪魔の弟。

Pixivより。