兄弟ということ



 ともに生まれともに育ったというのに、燐と双子の弟は面白いほど似ている部分が少ない。ニランセイだから当然だ、というようなことを弟は言っていたけれど、どうして当然なのか燐にはいまいちよく分からなかった。
 頭の良さもそうだし、基本的な性格についてもそう。燐には雪男の考えていることがまるで分からず、また雪男も燐の言動がさっぱり理解できないそうだ。もし仮にふたりが赤の他人であったのなら、数日も一緒に行動できないレベルなのではないか、とそう思う。

「お前さ、俺が兄ちゃんで良かったよな」

 思ったままそう口にすれば、「はぁ?」と心底嫌そうな顔をされた。もの凄くひとを小馬鹿にしたような、虫けらか悪魔を見るような(燐は悪魔だからそれはそれで間違ってはいないのだけれど)目で睨まれ、「あ、この顔は本気で嫌がってんな」とそう思った。普段、周りのひとたちには穏やかな態度をとっている弟だったが、家族であるからか、双子の兄にだけは遠慮もなにもない言動を取るのだ。常日頃から弟の罵詈雑言を浴びているなんて、きっと燐くらいしかいないだろう。そしてそれを無視することができるのも自分くらいだ、と思っている。

「いやだから、俺がお前の兄ちゃんで良かったなって話を、」
「二回も言わなくていいよ。ていうか、たった数時間の差だろ」

 それで兄貴ぶるのは止めてもらいたい、と雪男はいつものセリフを続けた。そんな下らないことで話しかけないで、とばかりに視線をパソコンモニタに戻し、かたかたとキィボードを叩き始める。別に兄貴ぶりたかったわけではなく(双子の兄というポジションを譲るつもりはこれっぽっちもないけれど)、兄弟という関係で良かった、という話が燐はしたいのだ。どうしてだか雪男と話をしていると、言いたいことにたどり着く前に会話を打ちきられてしまうことが多い。ひとの話を最後まで聞きましょう、と学校の先生に言われなかったのだろうか。(ほとんど学校に行ってない兄さんに言われたくない、と返されることが分かっているため口にはしない。)
 正直雪男との会話はとても面倒くさい。頭脳レベルが違いすぎることが原因なのか、根本的に性格が違い過ぎるせいなのか。かみ合わない言葉に苛々することが多いのだ。そのため普段は言いたいことを口にする前に諦めてしまうこともあるくらいだったが、今はそのときではない。本当に伝えたいこととそうでないことの区別くらい、頭の悪い燐にも分かっているつもりだった。

「俺は雪男の兄ちゃんで良かったって思うけどな」

 ころり、とベッドに横になれば、待っていましたとばかりにクロが胸の上で丸くなった。重たいけれど温かくて気持ちが良い。ふわりとしたその背中を撫でながら、「兄弟で良かったって思うよ」と静かに言う。
 さすがにいつもとは少し様子が違うことに気がついたのか、雪男が手を止めて再びこちらへ視線を向けたのが分かった。けれど敢えて顔を向けることはせず、ただぼんやりとベッドの天板を見上げて口を開く。

「俺、馬鹿だしさ、すぐかっとなるし、手が出るし、腹立ったら結構全部ぶちまけるし、大体寝てるし、変なとこ気にしぃだし」
「……自分のことよく分かってるじゃない」

 からかうような、少し軽い口調だったのはきっと、卑下する言葉を列挙する兄を弟が気遣ってくれているのだと思う。自分のことだからな、と燐は笑った。

「ずっと嫌われてきてたんだ、自分の性格が良いとか、そんなん思えるわけねぇよ」

 恐れられ、厭われ続けてきた。
 このままだとひとりぼっちになってしまう、そう心配してくれていた養父の言葉が耳に痛い。どうにかしなければ、そんな焦る気持ちはあってもどうしていいのか分からない。分からないままもがいて、足掻いて、そうして今ようやく、その変化の切っ掛けを掴みつつあるような、そんな気がする。それでも簡単に性格が変わるなどありえず、現に雪男はずっと燐に対して怒ってばかりいるのだ。

「こんなだからさ、きっと俺のそばにいんのって、すげぇきっちぃと思うんだ」

 腹立たしいことも多いだろう、殴り飛ばしたくなることも多いだろう、一層のことないものとして扱いたくもなるだろう。
 それでも雪男は燐のそばにいる。何故かと問われたら、家族だから、兄弟だからだ、とそう思うのだ。それは、と雪男が何か言いかけていたが言葉を遮り、「俺だってそーだもん」と燐はクロを撫でる手を止めぬまま、弟へと視線を戻した。

「雪男もさ、自分がすっげぇメンドイ性格してんの、知ってんだろ?」

 にしし、と笑って言ってやれば、先ほどと同じように顔を歪めつつも、「まあね」と今度は素直は返答がある。
 そう、知っているのだ。
 きっと弟の自己否定は燐のそれよりも根が深いもの。それは燐があまり考えることを得意としないのに対し、弟は無駄に回転の速い脳で様々なことを考えてしまうせいだろう。

「ひとの話聞かねぇですぐ怒るし、変なとこ大ざっぱだし、すぐ悪い方にばっかり考えるし、弁当箱出さねぇし、メール返ってこねぇし、都合悪いと誤魔化そうとするし」

 思いつくままにあげていけば、「うるさいな」と怒られた。けれど否定がないため、自覚している欠点もあるのだろう。

「そんなメンドイ性格でも、兄弟だから俺は雪男と一緒にいられんだ」

 そうすべては「兄弟」だから、なのだ。

「……世間ではたとえ血の繋がった兄弟でも、徹底的に反りが合わないってこともあると思うよ」
「でもやっぱり兄弟、ってでかいじゃん?」

 雪男の言葉ももっともだとは思うが、家族であるからこそ許される、許すことができる、その範囲が格段に広くなるのは間違いない、と燐は自信を持って言い切ることができる。
 もちろん家族だからという理由だけで雪男の側にいるわけではないし、弟だってそうだということは分かってはいるのだ。分かっていてもなお、「兄弟」という関係であれて良かったとそう思う。

「だってほら、『兄弟』ってことはさ、何をどうしたって消えねぇじゃん?」

 ふたりの間を雪男の扱う銃で撃ちぬいたとしても、燐の持つ倶利伽羅で切り裂いたとしても、忌み嫌われる青い炎で燃やしたとしても、ふたりが兄弟であるという繋がりはなくならない。
 それは、この世で唯一の存在との縁が決して消えてなくならない、ということを意味している。

「今は、雪男とさ、その、『恋人』になれてるけどさ、それってホント、奇跡みてぇなことだろ」

 赤の他人同士が互いに愛しさを抱きあい、そこで晴れて「恋人」という関係に至ることができる。それはとても素敵なことではあるが、とても儚いものでもあるだろう。何せもとは赤の他人。抱いた好意がいつ消え失せてしまうのか、本人たちにすら分からない。いつその関係が泡のように消えてしまうのか、分からないのだ。

「いつか、雪男が俺のことすっげぇ嫌いになって、見るのも口きくのもやになって、」
「ならないよ、そんなことには」

 すぐさまきっぱりとした否定があり、それを嬉しく思いながら「たとえば、だって」と言葉を続ける。顔を正面に戻し、燐の視界にはまた煤けたベッドの天板だけが映りこんでいた。

「そんで、別れましょー、ってなってもさ、兄弟ってのは止められるもんじゃねぇからさ」

 だから兄弟という関係であって良かった、と心底思うのだ。
 雪男と兄弟でなければ、こんなにもそばにいてもらえなかっただろうし、そばにいることもできなかっただろう。兄弟という関係なしに赤の他人として出会った雪男と恋人同士になれるか、と言われたら無理だ、と即答する。出会う切っ掛けも見当たらないし、性格が合わなさすぎて仲良くなるところまでたどり着けなさそうだ。
 恋人になれて本当に嬉しいし、できるかぎりそれを維持していきたいと望んでもいるけれど、もし仮に最悪の事態になったとしても、彼との繋がりが切れてしまうわけではない。そのことを心の底からありがたく思う。
 頭のすぐそばに放置していた携帯電話を手に取り、時間を確認。いつもは考えもしないことが頭を過るのはきっと、待っている「明日」が特別な日だからだろう。
 ぎしり、と椅子を軋ませ雪男が立ち上がる気配がした。
 毎年ね、とそう言いながら、こちらへやってきた弟が、ベッドの縁に腰を下ろす。手を伸ばし、クロの背を撫でていた燐の手にそっと己のものを重ねた。先ほどまでマイナス以下に下降していた機嫌は完全に回復しているようだ。雪男の気分をここまで上下させることができるのも、きっと自分くらいだろう、自惚れだと分かってはいるけれど燐はそう思うことにしていた。

「何か違うなって、ずっと思ってたんだ」

 静かに語られる言葉を聞きながら、じっと携帯電話を見つめる。表示されている時刻は十一時五十九分三十二秒、三十三秒、三十四秒。

「いつもね、兄さんが言うじゃない。だから僕も同じように返してたんだけどね、これじゃないんじゃないかって、どこかでずっと思ってた」

 別にその言葉を否定しているわけではないし、そう思っていないわけでもないのだけれど。
 十一時五十九分四十八秒、四十九秒。
 あと十数秒後に訪れる翌日。
 それは双子の兄弟がこの世に生まれ出た日。
 燐の目が覚めているときは日が変わると同時に。眠ってしまっているときは翌朝一番に。互いへ向けて「誕生日おめでとう」と毎年そう言っていたのだけれど。
 一番言いたいことはそれではないのだ、と(クロを潰してしまわないよう気をつけながら)上体を屈め、横になった燐の顔を覗きこんでくる。
 雪男の言わんとしていること。言いたいこと。
 それはきっと燐が今言いたいことでもあるのだろう。
 数字の変わる感覚を頭に刻んで携帯から手を離す。三、二、一。
 今年も訪れてくれた、十二月二十七日。
 ともに生まれた双子の兄弟は、青と緑の視線を合わせ、ふわりと頬を緩めて口を開いた。


「「一緒に生まれてきてくれて、ありがとう」」




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2014.01.17
















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Pixivより。