双子


 双子の兄弟が行動をともにする機会というのは、実はあまり多くない。もともと活動範囲が異なっているのだ。高校の特進科に属する雪男が普通科の教室に用事があることはないし、ただの候補生である燐が医工騎士である雪男の研究室を訪れる用事もない。しかし寝食を共にしている家族なのだから、帰寮するタイミングが重なったのであれば共に戻っても何ら不自然なことはないだろう。少しだけ日本支部の事務に用事がある、と弟が言い、すぐ終わるなら待ってる、と兄が返す。先日の任務で消耗した備品の領収書を提出するだけだったため、五分もかからないだろう。

「俺、中に入れねぇなら外にいるけど」

 日本支部のある建物は祓魔塾のある場所とは異なっている。訓練所ならば燐も足を向けたことはあるが、情報部や経理部のある場所に今のところ用事はない。燐の言葉が候補生としてのものなのか、あるいは悪魔であることを念頭に置いているのかは分からない。なんとなく言っただけで深い意味はないのかもしれない。ふるりと首を振って、「入ったらいけないことはないよ」と雪男は答えた。現に雪男自身養父にくっついて候補生時代から出入りしていた場所であるし、悪魔である支部長も堂々と建物内を闊歩しているのだ。

「外で待たれる方がなんか不安だし」

 あまり知らない場所で燐をひとりにしておくだなんて、いろいろな意味で不安しか抱かない。できるだけ近い場所にいてもらったほうがいいだろう。そう判断した雪男のあとを、「そんなガキ扱いすんなっつーの」と唇を尖らせた燐が追いかけた。
 すぐ済むからここでおとなしくしてて、と自動販売機といすの並べられた休憩スペースを指さす。幸い今は誰もおらず、わかった、と壁に背中を預けた燐をおいて必要書類を手に経理部の入った部屋へと足を踏み入れた。あまりくることのない場所ではあるのだが、書類不備で呼び出されては行かざるを得ない。
 向けられるねちねちとした嫌みを聞き流し、申し訳ありません以後気をつけます、と頭を下げてさっさと逃げ出す。たとえ己のミスでなかったとしても、生死に関わるものでない限り謝罪しておくのがもっとも無難だ。とくに雪男は未成年であり、大抵の任務ではチームのなかで一番年が若い。ここで自分のせいではない、と声を張り上げたところで、何の益もなことなど分かりきっているのだ。どうにも割り切れない気持ちが残ってしまうのは、己の心が未熟だからだろう。もっと大人にならないと。
 そんなことを考えつつ廊下へ出れば、「悪魔が」という言葉が耳に届いた。若い男の声だ。
 ここは祓魔獅の集まる場所、悪魔の話題など腐るほど交わされているのだから、これだってそのうちの一つだ、きっとそうに決まっている。そう思いはするものの、どうにも気になって足早に燐のもとへ戻れば案の定、自動販売機の前に若い祓魔師がふたり、立っていた。ちらちらと燐の方へ視線を向けながら、聞こえるような声でどうしてこんなところに、だとか、よく人間の前に出てこられるな、だとか、さっさと殺されてしまえばいいのに、だとか。
 燐が暴れ出すのではないか、という危惧は初めから抱いていなかった。昔から自分が傷つくことに関してだけは馬鹿みたいに我慢強いところがあったけれど、悪魔になってからは一層その傾向が強くなった気がする。
 だから連れてきたくなかったのだ、燐を傷つけるものがいるような場所には。どこか諦めたような、悲しそうな顔をさせる場所には。

「ごめん、お待たせ」

 さっさとこの場から立ち去るため声をかければ、「お帰り」と燐は笑みを向けてくれる。一瞬で消え去る傷ついた顔、痛みをこらえるような顔に雪男が苛立ちを覚えていると、彼は知っているのだろうか。
 たとえどのような人物であったとしても、日本支部に属している限りは同僚である。内蔵が煮えくりかえるような怒りを微塵も表さず、軽く口元を緩めてふたりの祓魔師へ会釈をした。何でもないような振りをするのはせめてものプライドだ。同僚からの反応は期待していないし、欲しいとも思わない。さりげなさを装って彼らの視線から兄の姿が見えないよう、己の身体を盾にする。

「早かったな。用事、終わったのか?」
「終わったよ。書類を提出しにきただけだからね」

 ふぅん、と相づちを打った燐が「じゃあ買い物して帰るか」と紡いだ言葉に、「ちっ」という下品な舌打ちが重なった。すかしやがって、とこれもまたこちらに聞こえるほどの声の大きさでの陰口が続けられる。いや、これはもはや陰口ではなく、面と向かった罵倒であるだろう。

「まだガキのくせに、気持ち悪ぃ態度とりやがる」
「悪魔の弟もやっぱり悪魔なんだろ」
「前聖騎士も養子とはいえ自分の子供がかわいかったらしいしな」

 ひどくありふれた悪口。今まで一度は耳にしたことがあるような言葉ばかりで、悪意を向けてくるものたちの語彙力のなさに思わずため息がこぼれそうだった。せめて想定外の言葉でも向けてくれたら、驚く代わりに傷ついた顔の一つでもしてあげることができるだろうに。これでは振り返って睨みつける価値すら見いだせない。
 相手が聞けばそれこそ直接罵詈雑言を浴びせられそうなことを考えつつ、兄を促そうと視線をおろしてぎょっとした。
 はらはらと。
 空を思わせる真っ青な瞳から、透明の滴がこぼれている。
 声を出すこともなく、眉間にしわを寄せることもなく。
 しゃくりあげることも、うめくこともなく。
 もしかしたら彼自身、泣いていることに気がついていないのではないか、というほど。
 ただ静かに、燐は両目から涙を溢れさせていた。

「……っ」

 息を呑んで唇を噛む。
 どうしたの、と問いかけることもできない。雪男の喉は声を出すことを忘れてしまったかのようで、何の音も生まれそうになかった。
 綺麗だ、とそう思う。
 不思議なほど穏やかに、けれど透き通った氷のような悲しみと絶望に涙をこぼす兄の顔は、この世のものとは思えないほど、残酷な美しさを作り出しているようだった。
 いけない。
 これは、ひとに見せていいものではない。
 誰にも見せてはいけないものだ。
 咄嗟にそう思い、衝動的に燐の頭を抱き込む。
 後ろにいるふたりからは、きっと雪男の背中が邪魔で燐がどうなっているかはよく見えないだろう。彼らに今の涙は見せるべきものではない、こんなにも綺麗な滴を見ることのできる価値などあのふたりにはない。
 ぎゅう、と強く燐の後頭部を押さえたところで、ようやくひっく、と喉をしゃくりあげる音が耳に届いた。止まっていた時間が動き出したかのような感覚を覚え、はぁ、とため息がこぼれる。なんで、と小さな声で腕の中の兄に問うた。

「なんで、兄さんが泣くんだよ……」

 とんとん、とあやすように背中をたたく。雪男の肩に頭を押しつけ、燐は小さく唸ったようだった。
 今背後にふたりの祓魔師がいる以外ひとの気配はないが、いつ誰がきてもおかしくない場所だ。こんな状態の兄を誰にも見せたくなくて、とにかく帰ろう、と燐の腕を引いた。少し小走りに足を進める雪男の後を、俯いたままの燐が追いかける。涙はなかなか治まらないようで、建物を出て寮へ続く道までやってきてもまだ彼は小さく肩を震わせていた。
 ほとんどひととすれ違うことなくここまで来れたことにほっと胸を撫でおろし、雪男は少しだけ歩くスピードを緩める。この先には兄弟の暮らす旧男子寮しかないため、人通りもほとんどない。誰ぞに見られる心配もなく、掴んでいた燐の腕からその手のひらへと己の手を移動させた。手を繋いで帰るだなんて、いつ以来ぶりだろか。
 ゆらゆらと揺れる長い影を踏みながら、朱色の光を背中に浴びる。すん、と鼻をすする音が聞こえ、手を繋ぐ力を少しだけ強めた。

「……いちいち泣いてたら持たないと思うよ」

 自分と兄の、並んで揺れる影を見ながらぽつり、そうこぼせば、隣で彼が小さく首を縦に振る。しばらくして、「分かってる」と掠れた声で燐は言った。

「分かってる、んだけど……」

 それでもどうしたって心が揺らいでしまう。悲しい、と涙が溢れてしまう。
 それはきっと。

「雪男の、ことだから」

 耳にした言葉がほかの誰でもない、双子の弟のことだったから、なのだ。
 それが己への罵倒であればいくらでも耐えられた。聞き流せた。傷つくことは止められなくても、こんな風に泣くことはなかっただろう。現に先ほどの祓魔師たちから何を言われても、燐の心が揺さぶられることはなかったのだ。
 自分のことなら平気なのに、とどこか諦めたように呟く兄へ、「だから、じゃないかな」と弟もまた同じ声音で答える。

「僕は兄さんのことを悪く言われたらすごく悲しいし腹が立つ。さっきのふたりだって、その場で殴ってやりたいくらいだった。でも、僕自身がどう言われても何も思わないんだ」

 もちろん腹立たしく思うし傷つきもする。けれど、それは受け流せるレベルであり、ともすれば些細なこととして忘れてしまえるのだ。

「そんな僕の代わりに兄さんが泣いて悲しんで、兄さんの代わりに僕が怒って悲しんで。そういう風にできてるんじゃないかな」
 僕ら、双子だもの。

 ようやく登り切った坂の上、お世辞にも綺麗とは言えない外観のオンボロ寮。どれだけ古くとも使い勝手が悪くとも、ほかの誰の邪魔も入らないここが、双子の唯一の聖域だ。
 鍵を開け、ぎぃ、と軋む玄関扉を押し開ける。
 そのために一緒に生まれてきたんだよ、と言った雪男へ、燐は小さくそっか、と頷いた。
 扉が閉まる際、がっちゃん、と派手な音を立てるのはいつものこと。ようやくふたりだけの空間に身を置くことができてほっとしたのだろうか、緩やかに笑う燐の肩を掴み、顎をとらえて上向かせる。きょとん、とこちらを見上げてくる青い瞳をのぞき込んで、「一つだけ、覚えておいて」と雪男は瞳を細めて言った。

「兄さんを泣かせていいのも、兄さんの泣き顔を見ていいのも僕だけだから」

 それだけは忘れちゃだめだよ、と囁いて、赤く染まった目尻にキスを一つ、落としておいた。





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2015.03.17
















少女マンガみたいなのを書きたかったんだと思われます。
Pixivより。