尽くす兄弟


 飲み会がある、そう聞いていた。昨日終わった祓魔作戦のお疲れさま会兼忘年会だそうである。予定がないなら一緒にどうか、と誘われていたが、雪男はその作戦に参加していなかったため辞退させてもらった。大学のほうでの飲み会が続いていた、というのも理由の一つではある。
 夕飯は気にしないで、といったところで聞く耳を持てないのが雪男の双子の兄だ。ひとりでもちゃんと食べるように、と用意して出かけていった彼は、今頃仲間たちと楽しく飲んでいることだろう。羽目を外しすぎなければいいけれど、と時計を見上げて思う。
 酒を摂取できる年齢になると同時に、腐れ縁であるくの一祓魔師に散々飲まされ、奥村兄弟は自分たちの限界を否が応にも理解することになった。さほど親しくもないひとたちの前で醜態を晒すことを避けられるようになったため、あれはあれで貴重な経験だった(と思わないとやっていられない)。
 もともと雪男のいないところでひとり楽しむことに後ろめたさを覚えるらしく、燐が外で深酒をすることは滅多にない。酒を飲まずとも、仲の良いひとたちと盛り上がるだけで十分に楽しいのだそうだ。回数は多くないが、それでも何度かあった飲み会で、彼は自分の飲める酒量をちゃんと理解したうえで楽しんで帰ってきていた。
 そんな兄からの着信。何か起こったのかと一瞬ひやりとしてしまうのも、仕方がないだろう。慌てて出てみれば、「飲み過ぎたから迎えに来て」というもので。

「……電話できるくらいならひとりで帰ってこれるだろうに」

 そう思いながらマフラーを巻き付けコートを羽織る。この時間から指定の店に行けば、たどり着く頃には日が変わってしまうだろう。それでもいいかと思ったからこそ迎えを引き受けた。どうせ特にすることもなく暇をしていたし、明日は燐も雪男も一日休みなのだ。
 手袋をはめて財布とスマフォ、足下を照らすためのミニ懐中電灯をポケットに。家の鍵を持ったところでふと、下駄箱の上に、燐が最近愛用している耳当てが転がっているのが見えた。少し考えて借りていくことにする。黒くてもふもふと柔らかなそれは、雪男がするにはかわいすぎるデザインだが、どうせこの時間帯だ、誰も見ていない。
 暗闇に白い息を吐き出しながら、ぽくぽくと足音を立てて夜道を進んだ。ブーツが欲しいなぁ、と取り留めもないことを考える。つま先まで温かいブーツ。機動力が落ちないで、それでいて暖の取れるものがないだろうか。できれば防水だといい。今度時間のあるときにでも探しに行こうか。
 奥村兄弟の住む部屋は、築十年のマンションだ。しっかりと手入れがされているらしく、綺麗で使い勝手も悪くはない。駅から少し距離はあるが歩けないほどではなく、駅前にさえ出てしまえばそれなりに賑わっているため不便もない。燐が今日飲んでいるという店も、その駅の近くにあった。
 店の周辺には飲み会が終わりこれから二次会(あるいは三次会)へ向かう人たちがたむろしている。年末だからか、いつもよりもひとの数が多い気がした。しかしその中に見知った顔はおらず、まだ中にいるらしい。店のものに案内してもらうにも、どう説明すればいいのだろうか悩むところだ。燐に電話して出てきてもらったほうが早いか、と店に入ったところでスマフォを取り出したが。

「あ、かしこいほうの奥村だっ!」

 都合良く座敷の外に出ていた(おそらく手洗いにでも行っていたのだろう)同僚がこちらを指さして声をあげた。聞きつけたほかのメンバが引き戸を開けてわらわらと顔を出す。

「鉄砲うつほうの奥村くんだー」
「容赦ないほうの奥村だぁ」
「ブラコンのほうの奥村だ」

 口々に、笑いながら呼びかけられ、皆酔っている、ということは理解した。

「いや、ブラコンは兄貴のほうも相当だぞ」
「え、そうなの?」
「じゃなきゃわざわざ双子の弟を迎えに呼び出すかよ」
「そりゃそうだ」

 わはははは、と場がひとしきり盛り上がったところで、とりあえずどいつを殴ればいいのだろう。端から順番に殴っていってやろうか、と考えていれば、「雪男だぁあ!」と諸悪の根元の喜色満面な声が聞こえた。

「はっぴーばーすでー!」

 どすん、と飛びかかってきた身体を受け止める。手にしていたスマフォへ視線をおろせば、確かにちょうど日が変わっており、今日は十二月二十七日、双子の兄弟の生まれた日である。

「今年は雪男より先に言えたぜ!」

 みなさんご協力ありがとう、とはやし立てる面々へ向かって手を振っている。なにをどう協力してもらったのかいまいちよく分からない(おそらく言ってる本人も言われた側も分かっていない)が、毎年弟より先に「おめでとう」と言われるのが気に入らなかったらしい。雪男に抱きついたまま、兄はひどくご満悦の様子だった。

「ありがとう、兄さんも誕生日おめでとう」

 言われたからには返さねばなるまい、と口にすれば、燐はうへへへ、と嬉しそうに笑う。だいぶアルコールが入っているようで、いつもより身体も温かかった。
 まだそこそこの人数が残っており、彼らはこれから二次会にでも行くのかもしれない。呼び出されたのだからそのつもりはないのだろうと思いながらも一応燐に確認を取れば、「帰るー」と返ってきた。けれどすぐに「雪男と帰るぅ」と微妙に訂正される。酔っぱらっているのをいいことに、言いたい放題だ。
 ひとまず兄を回収していく旨を皆に伝えれば、誕生日おめでとう、来年もよろしく、良いお年を、と挨拶が寄越された。報告書は年明けに出せ、と飛んできた言葉はきっと燐の耳には届いていないだろう。(幸いなことに雪男にはばっちり聞こえていたし、記憶もしておいた。)
 騒がしい場所から始終機嫌の良さそうな兄を連れだし、帰路につく。足取りが覚束ないというほどではなかったが、そういうことにしておいて手を引いて歩いた。せっかく寒い中歩いてきたのだから、これくらいは許してもらいたいところである。

「ゆきおー、たんじょーび、おめでとぉ」
「うんそれ、さっき聞いた。ありがとう」

 雪男に連れられるまま、のんびりと歩を進めながら燐が弟を呼ぶ。

「ゆきおー」
「なに?」
「ゆきおくーん」
「だからなに?」
「その耳当て、俺のー?」
「バレた? これ、暖かいね。返す?」
「うんにゃー。かわいくて雪男に似合ってっから、今日はお前に貸してやろう!」
「それはどうも」

 なにが楽しいのか、燐はふふふ、と笑いながら雪男のあとをついてきていた。部屋に戻ってシャワーを浴びることは難しそうだな、とそう思う。寝室のエアコンを入れてくれば良かった。そうしたらすぐに暖かな部屋で眠れたのに。

「ゆきー」
「んー?」
「ゆきおー」
「なんですかー」

 振り返らず返事をすれば、後ろから「ちゅー、しよー」とかわいらしい誘いが飛んできた。小さく笑って「やだよ」と返す。

「兄さん、お酒臭いもん」

 理由を伝えても、燐は納得できないらしい。なんでだよぉ、と不満そうだ。

「俺は今、ゆきおとちゅー、したいんだぞー」

 おめでとうのちゅーだ、と繋いだ手をぶんぶんと上下に揺らされた。小学生に戻ったみたいだ。

「兄さん、深夜だよ。叫ばないで。近所迷惑」

 駅前から離れると、あたりは途端に静かになる。足音すら響いて聞こえる中、燐の声はよく通って聞こえた。いつもより少し幼くて、どこか甘えたような声音。酔っているからだ、と分かっていても、あまりひとに聞かせたくないなとそう思う。

「だから、ちゅう、」

 言葉の途中でむぐ、と燐が呻いたのは、立ち止まって振り返った雪男に、唇を塞がれたからだ。キスをしない代わりに、手のひらを唇に押しつけた。
 手を離し、兄の両目をのぞき込む。

「今はこれだけで我慢して。続きは家に帰ってからね」

 こつりと額を合わせてそう告げ、雪男は再び燐の手を引いて歩き始めた。ぽつりぽつりと街灯の灯る道。住宅地の間にある道は、住民以外通るものはない。この時間だと車もほとんど通らないため、歩いているものは雪男たちふたりだけだった。

「ゆきおー」

 叫ぶな、と注意したことが頭に届いていたのだろうか。先ほどより声のトーンを抑えて燐がまた弟を呼ぶ。彼はもしかしたらひとの名前を枕詞か何かと勘違いしているのではないだろうか。

「帰ったら、えっちもする?」

 誰かに話すつもりは毛頭ないが、雪男は燐の口にする「エッチ」という言葉の響きが好きだった。頭が悪くていいなぁ、と聞くたびに思う。「セックス」と言うのが恥ずかしいらしく、燐は大抵ベッドの上で兄弟が耽る行為を「エッチ」と言っていた。
 兄からの問いかけに、「させてくれるなら」と弟は笑って答える。セックスにしろエッチにしろ、お互いがその気にならなければ成立しないものなのだ。アルコールのせいで子どもっぽく甘えてくる恋人を前に、「かわいいなぁ、もっとかわいく泣かせたいなぁ」と雪男が思ったところで、燐にそのつもりがなければ手を伸ばす意味はない。手っ取り早くその気にさせる方法がなくもないけれど、どうやら今の燐はセックスを(彼の言葉に倣えばエッチを)したい気分らしかった。
 雪男の答えに、「そっかー」と燐は嬉しそうに笑う。「じゃあ帰ったらえっちだなー」と。




「……まあこうなると思ってたけどね」

 腰に手を当てふぅ、とため息をついた雪男の視線の先には、ベッドに倒れ込んでいる兄の姿。コートを脱ぐところまでは頑張ったようだが、そこで力つきたらしい。頬を赤く染めたまますいよすいよと眠っている。普段から睡眠を多く取るタイプの兄が、ここまでアルコールを摂取している状態で起きていられるはずもないのだ。
 ベッドにうつ伏せに倒れ、頬を押しつけるように横を向いている顔はひどく幸せそうに緩んでいる。このままだと苦しいだろうから、ととりあえずひっくり返し、軽く服をくつろげてやって布団のなかに押し込んだ。
 むにむにと口元が動いている。何か食べる夢でも見ているのか、あるいは誰かと話しているのか。あまりにも間の抜けたその表情にふふ、と思わず笑いが零れた。子どもっぽいなぁだとかかわいいなぁだとか好きだなぁだとか。思うことはいろいろあれど、一言でまとめればきっと「幸せだなぁ」ということだろう。誰よりも大切に想う唯一とともに過ごせるこの時間が、ほかのなによりも幸せな空間だ。
 ちらりと時計を確認すれば、日が変わって既に一時間ほど過ぎていた。

「誕生日おめでとう、兄さん」

 うっすらと開いた唇に、そっと自分の唇を重ねる。家に帰ったらキスをする、とそう約束したのだ。ふわり、と鼻をくすぐる香りに、「やっぱりお酒臭い」と雪男は呟いて笑みを浮かべた。




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2016.07.20
















ツインズ生誕祭2015。

Pixivより。